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14.リリアの剣術

 ここ最近で、俺の料理人(・・・)としての腕も大分板に付いてきた。

 だがやはり、どうしてもあの殺す瞬間だけは慣れないものだ。今までの人生で、これほどまでに命の尊さについて真剣に向き合ったことはなかった。

 彼女は、生きるために他者の命を摘み取るという行為を、神が許してくれているとまでは考えていない、と言った。だが、自分たちも捕食される対象者である以上、そこは割り切るべきなのだと。

 牛や豚を当然のように食べてきた俺にとっては、本当にいい経験となった。そして今、俺は心の底からいただきます、と言いながら食べることができるようになったのだ。


 そんなことを、この広大すぎる中庭をテスラと掃除しながら考えていた時であった。


「お掃除ご苦労様です、アレン君。では早速、今日からはお待ち兼ねの剣術を訓練しましょう。と言っても、わたしはあまり剣術が得意ではないのですが。」


 その美しい濃紺の髪を結い上げ、訓練用の服装へと着替えたリリアさんは、少し申し訳なさそうな表情で苦笑した。


「本当ですか!? よっしゃぁぁぁ!」


 隣のテスラも、おぉぉという感じで喜色を滲ませている。


「ん? テスラさんも剣術に興味がおありですか?」

「いや、テスラは剣術なんて必要ないですよ。すごい魔法を使う神官ですから。」


 テスラさん、どうして君が喜んでいるのかな?


 やはり自分の反応がおかしかったのか、テスラは苦笑いを浮かべながら頭を掻いた。


「ふふっ。そうですか。では始めましょう、アレン君。」




ΔΔΔ




「初めに言っておきますが、剣術と言っても剣を振り回すような訓練ではありません。それはアレン君も今までやってきているでしょうし、体が少しずつ思い出せば問題はありません。ですから、それとは全く違うことを今から行います。」

「具体的には、どういうことをするんですか?」

「はい。それは、反射行動を鍛えていきます。つまり、こういうことです……」


 と言った瞬間、リリアさんの正拳が俺の顔面へと飛んでくる。

 俺は咄嗟に両腕で防御し、目を閉じて顔を伏せてしまっていた。


「相手から視線を外すのはいただけませんが、今のそれが反射行動です。わたしの繰り出した正拳より後にアレン君は反応しましたが、すでに防御体勢を整えていました。それはつまり、わたしの攻撃よりアレン君の防御が早かったことを意味します。これを剣術に応用させるのです。」


 なるほど。でも今のは、俺が気後れして無意識で防御をしただけだろ? 

 そんなものが本当に鍛えられんのかよ。


「理解はできますけど、本当にそんなことが鍛えられるのかなぁ?」

「ん~、そうですね。これも実際にやって見せた方が早いでしょう。」


 そう言うと、彼女は腰に隠し持ったナイフを取り出した。


「ではアレン君、その剣で本気を出して打ち込んで来てください。殺すつもりで構いませんよ? そのための訓練(・・)を今までしてきたのでしょう?」


 まるで俺を挑発するような妖艶な微笑が、彼女の美しさを一層際立出せた。


 そうだ。俺はうさぎを殺す時、心の中でスイッチを入れるようにしている。普段の自分と切り離し、その瞬間だけは冷血なキリングマシーンとなる。だってそうでもしないと、俺の心が壊れちまうからな。


「じゃあ先生、本気で行きますよ? 怪我をしても知りませんからね。」


 彼女はナイフの刃先をこちらに向けて、いつでもどうぞと応えた。


 俺は下半身をバネのようにして斬り掛かる。

 先ずは上段からの切り下げ。


 俺が頭の上から剣を振り下ろそうとした瞬間であった。

 気が付けば、ナイフのブレード部分が首筋にそっと添えられていた。そして目線を上げると、もう片方の彼女の手が、俺の切り下げを阻止していた。


「今の踏み込みはすごく良かったですよ。アレン君の本気が十分に伝わりました。ではもう一度お願いします。」


 リリアさんは、何てことなかったというような笑顔である。


 何だよ今の? これが反射行動ってことなのか?

 だったら、こっちも速度を上げてやる。


 俺は剣の柄をしっかりと握り直し、無言で地面を蹴り出した。


 体が次の行動へ出ようとした瞬間、すでに冷たい刃が俺の首を撫で付けていた。

 下を向けば、剣を振り上げようとする直前を狙われた両手が、完全に封じられている。


「ん~、少し気持ちが前に出過ぎでしょうか。その辺りに気を付けて、もう一度です。」


 何だってんだよ、これ。だったらもう、無心で行ってやる!


 三度目の正直で斬り掛かった時であった。

 彼女の切っ先は、すでに俺の眉間の間で停止していた。俺はそれ以上どうすることもできず、ただ諦めるしかなかった。


 一度目は切り下げる直前を、二度目は攻撃の起点を潰され、三度目はほとんど意識下の領域で止められた。


「これが、わたしの言う剣術です。まぁ、剣術とは言えないかもしれませんが。いずれにしても、どのような攻撃にも起点となる瞬間が存在します。であれば、機先を制してそこを先に潰してしまえば良いのです。わざわざ相手に合わせて行動する必要などありません。」


 そして彼女は人差し指を一本立て、念押しするように顔を近付けた。


「いいですか、アレン君? 決して剣のような武器で打ち合おうなどと思ってはいけませんよ。そうなれば、より力が強く、より重量のある方が優位なのは必定です。それにそんな戦い方をしていたら、武器の方もすぐに使えなくなります。」


 彼女が言うように、確かにこれは剣術というよりは、体術のようなものなのかもしれない。どちらかというと、暗殺者(アサシン)が使いそうな。

 現代で言えば何であろうか。そうだ、近接戦闘術。それに一番近い気がする。


「でも先生、それって敵の懐に飛び込んでいくようなものですよね? 反射というよりは、意志を持った攻撃のようなものじゃないんですか? いや、何よりも、自分から向かって行くのがすごいですよ。怖くないんですか?」


 彼女に限って怖いということはないだろう。失礼だと思いつつも、俺はそんな質問をうっかりしてしまった。


「もちろん怖いですよ? わたしだって斬られたくありませんし、殴られたくもありません。そういう恐怖を感じるからこそ本能が働き、敵を止めようとするのです。そしてそれは最も速度の速い反射行動となり、阻止という形で防御すると同時に、相手への攻撃を可能にさせるのです。」


 目から鱗が何枚も落ちた。

 正に攻防一体。

 今までの戦闘で培ってきたと思われる彼女の戦術理論は、俺にとって完璧なように感じられた。


「す、すごい。すごいですよ、リリアさん! 完璧じゃないですか!? これさえあれば、理論上はどんな相手でも倒すことができますよ!」


 だが彼女は、俺の言葉に喜ぶどころか、その表情を一変させて険しくなる。


「はぁ~。何を馬鹿なことを言っているのですか、アレン君。そんな訳がありません。これはただの基礎であって、これを覆すだけの方法はいくらでもあります。それに、先ほどの自分の言を曲げることにもなりますが、上位階級者の中には、起点のない攻撃をしてくる者などいくらでもいますよ。」

「は、はぁ……。すみません……。」


 お前は単純なやつだなと言われたような気がした。

 だが彼女は、至って冷静であった。

 自身の力に慢心することなく、適切に自己を評価している。


「それに敵のレベルが上がれば上がるほど、最終的にはその攻撃を全て掻い潜って攻勢に出る、そんな英雄の領域に到達したような実力を身に付けなければならないのが現実というものです。」

「…………。」


 やっぱそうだよな。この世界はそんなに甘いもんじゃねぇか。


 リリアさんは俺の落ち込んだ様子に申し訳なさを感じたのか、幾分柔らかな口調となる。


「ふふっ。ですが、そこまで褒めていただけるのは、正直嬉しいものですね。では一つ良いことをお教えしましょう。更に強者へ対抗するためには、こちらも強化魔法を使えば良いのです。生身の体一つで立ち向かう必要などありませんよ。そのためには、やはり基礎を鍛えなければいけません。ですから、落ち込んでいる暇なんてありませんよ?」


 その微笑みはまるで、出来の悪い弟を元気付ける姉のような、そんな慈愛に満ち溢れていた。

 

 それから一ヶ月の間、俺はこの反射行動を鍛えるための訓練に没頭した。

 相手の武器や攻撃パターンに合わせたそれぞれの対応。だが、基本的な原理は同じだ。

 師曰く、実際の戦闘で体が反応する動きは限られているし、そんなにたくさんのバリエーションを覚えさせようとしても、実戦ではうまくいかないのだと。動きはより単純に、最短の動線にすればするほど、反射に近い速度となる。これが、彼女の徹底した理論であった。

 そして新たな訓練も加わった。それは、日常の何でもない瞬間にも、彼女の手刀や蹴りが繰り出されることだ。俺はいついかなる時でも戦場の只中に身を置く形となった。例えば、寝起き時にぶん殴られ、掃除中には足払いをされて地面に叩き付けられる、といった具合だ。そんなことを繰り返したせいで、常に生傷が絶えなかった。

 だがおかげで、一種の殺気には敏感になり、俺の神経はより研ぎ澄まされていった。


 そんなある日、食事中での出来事だ。

 リリアさんが俺に配膳を終えた瞬間に、手刀を繰り出した。

 俺は咄嗟に反応してその手を払い、同時に自らの手刀を彼女の首元へと突き付ける。

 ほとんど無意識状態での反応だ。

 すると彼女は、満足そうな表情で小さく頷く。


「良い反応です、アレン君。こうなると、次は寝込みを襲う必要がありそうですね。」

「リリアさんの夜這いなら、俺はいつでも歓迎ですよ?」


 俺はちょっとしたジョークを、ここ一番の決め顔で言い放った。

 いや、そのつもりであった。

 だがリリアさんは、まるで蛆虫を見るような心底冷え切った目で、特に反応のないまま俺を黙って見下ろしていた。


 やだ、その視線。おじさんぞくぞくしちゃう。

 俺はドМですか?


 隣のテスラもパンに噛り付いたまま、ジト目で俺を見つめていた。


 おい、こら。テスラもそんな目で俺を見るんじゃねぇよ。ただの冗談だろ!?


「ほぉほぉほぉ。若いというのは、いいものですねぇ、アレン君。」

「「「…………。」」」


 いやいやいや、空気読んでくださいよ、ファーガソンさん。


 その後、曇天のようなどんよりとした空気の中、俺たちは静かな食事を済ませた。

 当然だが、リリアさんが俺の寝込みを襲ってくるということは一度もなかった。



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