ステラ
水のように透き通ったガラス戸を潜ると、広々としたエントランスホールだった。
清潔感の溢れる広間には、正面奥の受付らしきカウンターに繋がる通路を軸に、左右対称の位置へと観葉植物やテーブルなど調度品が置かれている。
そして、澄んだ空気を帯びたその部屋の中央では、一人の女性が二人を待ち受けていた。
「お帰りなさいませ、マスター。本日もお勤め、ご苦労様でした」
室内へと入ってきたアクタへと向け、彼女は伸ばした背筋から恭しく一礼する。
彼に抱えられたままその相手を見たセリルは、ハッとして息を呑んだ。
暖色系をした柔らかな色彩の衣服に身を包んだ彼女は、腰まで届く癖のかかった銀髪をしていた。
穏やかな微笑を湛えた細面は、教会にある聖女像みたいに、見惚れるくらいに綺麗だった。
そして、左頬の白い肌の上には、薄紅色の痣が鮮やかな花弁を広げている。
痛々しさを全く感じさせず、文字通り彼女の美貌へと花を添えているその魔痕に、セリルは彼女が自分の同族であるのだと知った。
応対した魔女へと歩み寄ったアクタは、セリルを床へと降ろす。
続けて、その空いた両腕で、今度は銀髪の魔女を正面から抱き締めた。
「ただいまー、ステラ。ホントに今日は疲れたぜぇ、いつにも増して甘えさせて~~~」
「はいはい。ですが、その前にアイザック様がお呼びですよ。マスター、お戻りになられてから、ご報告に上がってませんでしたね?」
熱烈な抱擁を慣れた様子で受け入れつつ、ステラは軽く呆れた口調で問い質す。
アクタは苦りきった顔付きで彼女から体を離し、いかにも面倒そうに溜息を漏らした。
「いやぁ、こっちも色々用事があってなぁ……。やっぱ、今日じゃないとダメか?」
「さあ、私は言伝を頼まれただけですので。直接、アイザック様にお尋ねになられてはどうですか?」
揶揄のこもった物言いで窘めるステラに、アクタは観念した風に軽く肩を竦める。
と、そこで彼はセリルの存在を思い出す。
傍らで棒立ちとなり、無言で二人を眺めていた彼女を、アクタは改めてステラへと示した。
「こいつが、セリル。どうだ、話してた通り、かなり可愛いヤツだろ? 間違いなく、俺の嫁達の中でも三本の指に入るぜ」
「新しい子が来る度に、いつも同じこと言ってますよ、マスター」
にやけるアクタを嗜め、ステラはセリルの前へと屈み込む。
固唾を呑む相手を見上げ、彼女は柔らかく、温かい笑みを浮かべた。
「初めまして、セリルちゃん。私は、ステラ。このウォーディントン魔女商会で、『保護』された子達のお世話をしているわ。初めは慣れないことばかりで、不安なこともたくさんあると思うけど、そんな時はいつでも私を頼って良いから。これから、どうぞよろしくね」
ステラの簡潔な自己紹介に、セリルはおずおずと顎を引いて答える。
親しげに距離を詰めてくる相手に、しかし彼女は、ほとんど嫌な感じは覚えなかった。
そんな二人のやり取りを見届けたアクタは、大きな息を吐いて肩を落とす。
「さて、じゃあ面倒だが俺は、雇い主の説教と小言を頂戴してくるとするか。悪いがステラ、先にこいつを寮の方に案内しておいてくれ。部屋の準備は、もうできてるんだろ?」
「はい、もちろんです。なのでご心配なく、どうぞごゆっくりなさってきてください」
「可愛い嫁達を放っておいて、変態的なオヤジとしっぽりやるような趣味は、俺にはない」
その後、アクタは早足で部屋奥の階段を駆け上がり、回廊の先へと去っていった。
自らの主人の姿が消えたのを確かめ、ステラはホールの反対側へとセリルを誘った。
手狭な廊下を進んでいく途中、彼女は後に続いていたセリルを、ふと顧みる。
「そう言えば、お腹は空いてない? 良ければ、食事も用意できるけど―――― 」
彼女からの問いかけに、セリルは短く首を横に振る。
帝国軍から検査を受ける前に、彼女はパンと水を与えられていた。
お世辞にも美味しい物ではなかったが、少なくとも空腹を満たすのには充分だった。
「分かったわ。でも、何か足りない物や、して欲しいことがあったら、すぐ私に相談してね。こっちもできる限りは、あなたの要望には応えるつもりだから」
連れない相手の反応にも、ステラは曇り一つない笑みでそう告げる。
彼女は見た目、まだ少女と言っていい齢の頃に見えた。
だが、拙さや頼りなさを感じさせない、その垢ぬけて大人びた雰囲気に、セリルは密かな憧憬の念を抱き始めていた。
突き当たりの扉を潜った二人は、夜間照明に薄く照らされた中庭へと出る。
そこに敷かれた屋根付きの経路の先に、少し古風な造りをした、四階建ての煉瓦造りの建物があった。
「ここが、魔女寮。商会に所属している魔女達が寝泊まりする場所で、これからあなたも住む所よ。つまり、あなたや私の家みたいなものかしらね」
ステラの何気ない説明に、セリルは静かに愕然とした。
自分はこれから、粗末な小屋や、牢屋のような施設に放り込まれると思っていた。
それがまさか、こんな貴族や大地主の邸宅のような、立派な家屋に連れて来られるとは、夢にも思ってみなかった。
だけど、見栄えが良いのは外観だけで、中身は監獄そのものなのだろう。
すぐに冷静さを取り戻したセリルは、冷めた頭で現実的な判断を下す。
しかし、その推察もまた、すぐに間違いであると知るところとなった。
魔女寮と呼ばれる施設の中は、先程のエントランスホールと同様、清潔で快適な空間が広がっていた。
また、セリルの部屋として案内されたのも、充分な広さと設備を備えている、文句の付けようがない個室だった。
「取りあえず、身の周りの物とかの必需品は、私の方で揃えておいたわ。何か他に、必要な物はない?」
ベッドの上に並べた衣服類や生理用品を前に、ステラは不足している物の有無を確認する。
逆に、足りない物が何か分からないセリルは、茫然として目の前の物品の山を見下ろす。
その時、彼女は強烈な眼差しの熱を、ふと肌に感じる。
謎の視線の元へ目を向けると、そこには開け放たれた出入り口の陰から部屋の中を覗き込んでいる、大勢の少女達の姿があった。