零(ゼロ)の魔女
「ねえセリル、あまり聞かれたくはないかもだけど……。そろそろ、個修でやりたいの、決まった?」
基礎授業の宿題について愚痴を漏らしていたリンファが、不意に沈んだ口調でセリルに尋ねる。
昼休み、校舎近くのベンチで雑談をしていた二人の周りには、誰の姿もない。
どこか遠くから届く微かな笑い声を聞きながら、セリルは右隣を流し見る。
いつの間にか真横に向き直っていたリンファの顔には、先程までの明るい笑みはない。
少し強張った顔から不安に揺れる眼差しを送る彼女に、セリルは力なく首を横に振るしかなかった。
僅かな沈黙を挟んだ後、痺れを切らしたリンファは、俯くセリルの傍らへと腰をずらす。
「あの、急にこんな所に放り込まれて、頭がゴチャゴチャなって、いろいろ整理できないってのは分かるよ。私だって、そうだったし……。だけどセリルだってもう、ここでの生活とかにも少しは慣れてきたはずでしょ? 基礎授業の課目だってたくさんやってきたし、ちょっとくらい面白そうだなってのも、ひとつくらい――」
いつもと変わらず親しげな彼女の笑みは、しかし、どこか空々しくぎこちない。
不自然に弾んだ声での問いに、セリルは黙したまま、足もとの芝生を見つめ続けるしかなかった。
アイザックとの個別面談から、二週間近く。
個別修練内容の希望における猶予を与えられていたセリルは、未だに商会への回答を行えていなかった。
新しい環境へと必死で順応していこうとする傍ら、彼女も彼女なりに自分のやりたいことを探してはいた。
だが、全ての基礎授業の課目を受けても、商会付属の図書館で大量の資料に目を通しても、リンファやステラ、そしてアクタにまで相談をしても、彼女の心が動かされるものに出会うことは遂になかった。
逆に、セリルはこれらの日々を過ごす中で、徐々に奇妙なズレと違和感を覚え始めていた。
衣食住には不自由せず、気兼ねなく会話もできる友人がいて、帝国軍やハンターから狙われる心配もない。
自由に行動はできないという点を除けば、ここでの生活は以前とは比べ物にならない程に、とても穏やかで満ち足りたものだった。
一方で、セリルはその充足した安らぎの日々に、漠然とした居心地の悪さを感じていた。
商会の管理下にあるという不満や、アクタからの嫌がらせへの恐怖とも違う。
まるで、水槽に放たれた海の魚が、水が合わずに喘ぎ苦しむような、言葉にできない息苦しさに彼女は苛まれるようになっていた。
少しずつ存在感を増していく、全身に纏わりつくような倦怠感と浮遊感。
セリルを襲うそれらの影響は、今では周りの目にも明らかな程になっていた。
「それに最近、セリル変だよ? 話とかをしていても、急にぼうっとして何も聞いてないみたいになるし……。最初の頃は、そんなこと全然なかったじゃない」
「…………ごめん……わざとじゃ、ないんだけど……」
「別に私は気にしてないよ、ホントに! でも、そのせいでセリル、今日の授業でも何回か怒られちゃったし、もし商会に嫌な印象をもたれて、不真面目で反抗的な態度を取ってるとか思われ、たら……」
早口で捲し立てていたリンファが、唐突に科白を途中で噛み切る。
引きつらせるように表情を強張らせた彼女は、慌てて中庭の方へと視線を逸らす。
らしくないそれらの仕草と横顔に、セリルは相手が何を口にするのを躊躇ったのか、手に取るように理解できた。
個別修練の課目も決められない上、基礎授業でも集中力と積極性を欠いている魔女。
そんな、成長の見込みも実用性もない『不良品』を、商会がいつまでも黙認しているはずはなかった。
単に処分するのか、または生かしたまま魔力を生成する道具とするのか、それとも魔晶の材料とするのかは分からない。
いずれにしても、このままだと自分は遠からず望まない最期を迎えそうな、そんな予感がセリルにはあった。
彼女も痛いのは嫌いだし、死ぬのはもっと嫌だった。
だが、そんな思いとは裏腹に、彼女の心と体は全く言うことを聞こうとはしなかった。
全ての中心にいるはずのセリルは、次第に両足を呑み込んでいく蟻地獄の罠へと、ただ甘んじて身を委ねるしかできずにいた。
二人分の潜めた吐息と、誰かの笑い声の余韻が混ざり合い、虚しくお互いの鼓膜を揺らす。
凍るような沈黙に耐えきれず、リンファが意を決して口を開く。
その機先を制するように、重厚な金属音が前触れもなく彼女達の耳朶を打った。
学園中へと鳴り響く鐘の音は、昼休みの終了を告げるものだった。
我に返ったセリルは、中庭の時計を確認すると、隣で固まっているリンファを振り向く。
「もう、時間だから行って。遅刻したら、大変だから……」
彼女は言葉少なに別れを告げ、ベンチから腰を上げる。
他の魔女達が個別修練を行っている間は、セリルは図書館で資料に目を通す決まりとなっていた。
半強制での日課を今日も熟すべく、彼女は昇降口に繋がる通路へと足を向ける。
瞬間、一歩踏み出した彼女の右手首を、リンファが跳びつくようにして掴み取った。
突然、前振りもなく強引に引き止めた相手を、セリルは驚きの表情で振り返る。
当惑と疑問と非難が混ざり合った眼差しを向ける彼女に、ベンチ上へと横倒しになった姿勢から、リンファはまばゆいばかりの笑みを返す。
「セリル、私の個修を見に来ない? ずっと紙臭い部屋にこもってても気が滅入るばっかだし、今日ぐらい気分転換で!」
「え……だけど、そんなの先生達は認めてなんか――」
「見学だって言えば大丈夫だって! 私、担当の教官には少しは融通が利くし、もしもの時は無理やり連れて来られたって答えとけば良いから! 遅刻したら大変だし、早く早く!」
相手の反論を圧殺したリンファは、次の文句を繋ぐ暇を与えず、セリルを校舎とは反対方向へ引っ張っていく。
相も変わらず自分勝手な友人に、危なっかしく後を追うセリルの頬は、自然と苦笑の形に綻んでいた。




