その魔法少女が捕獲された日
「いたぞ、こっちだ! 捜索中の魔女を発見! 早く応援を回せ!!」
夜の静けさを裂いて、怒鳴り声に似た絶叫が響き渡る。
直後、強烈な幾つもの光線が、一斉に路地の一角へと集められる。
視界を埋め尽くすライトの白光に、セリルは両目を右腕で庇いながら、身を潜めていた物陰から飛び出した。
夜陰より姿を現した逃亡者に、鋭い笛の音が夜の街へと木霊する。
獲物を探す照明の光を掻い潜るように、セリルは裏路地へと躍り込む。
大通りの方からは、大勢の足音が徐々に近づいてきている。
確実に距離を詰めて来ている追っ手に、彼女は荒い呼吸を整える暇もなく、細く雑然とした路地の先へと駆け出した。
最近、帝国軍の手が迫りつつあったのは、彼女も薄々勘付いてはいた。
だからこそ、その日は旅路の準備のために、人目に付きにくい時間を狙って買い出しへと出ていた。
自分を探して街を警邏していた警備兵の一団と、まさか途中で鉢合わせとなるとは、その時のセリルは夢にも思ってみなかった。
突然に遭遇した天敵から逃れるべく、彼女はゴミに溢れた狭い道を全速力で走り抜けていく。
道を塞ぐ形で置かれていた木箱を、低い跳躍から跳び越える。
と、滑るように着地をした彼女の目を、痛い程に強い光が焼いた。
「見付けたぞ! 魔法を使う前に、捕えろ!」
セリルの正面には、先回りをしていた二人の兵士が現れていた。
彼女の顔へとライトの光を合わせながら、その制服姿の男達は一気に距離を詰める。
対面から迫る敵の気配を、セリルは肌で素早く感じ取る。
瞬間、彼女は翳していた両手へと黒水晶の塊を生成し、即座に相手へと向けて発射した。
空を切り裂いた卵型の砲弾は、ほぼ同時に兵士達の胸部へと命中する。
粉々に砕け散る破片の衝撃に、彼らはもんどりうって昏倒し、そのまま動かなくなった。
気を失って倒れ伏す相手に、危うく危機を脱したセリカは安堵の吐息を漏らす。
しかし、休む余裕などあるはずもなく、行く手からは新手の照明が迫ってくるのが遠目に見える。
後ろからも追跡されている以上、引き返す訳にもいかない。
前後を挟まれたセリルが、絶望から思考停止に陥りかけた時。
黒く閉ざされようとしていた彼女の目に、傍らに置かれたマンホールの丸い蓋が映り込んできた。
不意に発見した脱出路に、セリルは一瞬だけ戸惑いを見せる。
だが、次第に大きくなる嵐のような怒号と足音に、彼女は意を決して錆び付いた鉄の扉を持ち上げ、その中へと身を滑り込ませた。
夜よりも暗い漆黒に満たされた縦穴を、側面に付けられた梯子を足掛かりに下がっていく。
手探りで下降を続けた彼女は、やがて湿った固い床へと降り立つ。
周囲へと垂れこめる、重く湿った空気に咳き込みながら、彼女は右手へと黒水晶を再度作り出す。
そこから放たれた青みを帯びた微光は、中央を濁った汚水が川となって流れる、巨大な地下水道を淡く照らし上げた。
頭上からは、大勢の人々の呼び合う声が降ってきている。
自分がここに逃げ込んだのがばれるのも、時間の問題だろう。
未だに脱し切れていない危機的状況に、セリルは鼻の奥を差す臭気を堪えながら、轟々と流れる地下水道の脇の道を走っていく。
やがて、水溜りにぬかるんだ脇道を、流れに逆らって暫く進んだ所で、彼女は横へと逸れる経路へと行き着いた。
上を鉄柵へと覆われた幅広の道は、差し込む街灯の明かりに薄く照らし上げられている。
行き止まりとなっている突き当たりには、上へと繋がっている簡易の梯子が見えた。
あれを登れば、外へと出られる。
ようやく見つけられた逃走経路に、セリルは息せき切って駆け寄っていく。
周囲へと注意を怠ったその一瞬が、彼女の命取りとなった。
胸を弾ませたセリルが、梯子の直前へと到った瞬間。
突然、彼女が乗った床の上へと、緑に輝く光の輪が浮かび上がった。
自身の足もとを中心に刻まされたそれが、魔法陣であると気付いた直後。
回避や防御を試みる暇も無く、彼女は円陣の内側から飛び出してきた複数の鎖に、肩先から膝の辺りまでを瞬時に絡め取られた。
一瞬の内に全身を雁字搦めとされた彼女は、バランスを保てず横倒しに転倒する。
冷たい水が上着へと染み込んでいくのを感じながら、セリルは何が起こったのか分からないまま、拘束を解こうと必死に暴れる。
その時、彼女は鉄柵に閉ざされた上空から、巨大な影が自分の真上へと舞い降りてきているのを目にした。
翼のようにコートの端をはためかせながら、それはセリルへ跨るように着地する。
自分へと馬乗りになる人影に、本能的な危機感に襲われた彼女は、反撃すべく掌を向けようとする。
だが、一切の身動きを封じられていた彼女には、もはやそれは不可能だった。
身じろぎさえも出来ないでいるセリルに、マウントを取った人影は右の拳を振り降ろす。
躊躇いのないその一撃は、直線的な軌道を描き、彼女の左肩に当たる直前で寸止めされる。
同時に、開かれた相手の掌には、小規模な魔法陣が展開された。
奇襲から自分の自由を奪った、謎の人影の目的。
それを察したセリルが怖気立つ間もなく、彼女は左肩の辺りから放たれた電流に、全身の神経を刺し貫かれた。
体中を駆け巡る凄絶なまでの衝撃に、セリルは声にならない悲鳴を喉奥から響き渡らせる。
やがて、彼女が肺の空気を残らず絞り出した頃。
その肉体を蹂躙していた電撃は収束し、合せて手足を縛っていた鎖も宙へと溶けていった。
解放されたセリルには、しかし、逃げ出す余力は僅かもなかった。
痺れた体は鉛のように重たく、指を動かすどころか、息をするのもやっとな程に憔悴し切っている。
更に、直接魔法陣を押し付けられた左肩は、焼け付くような熱を帯びている。
正に、自身の魔痕の位置へと被せられたその痛みに、彼女は自分が印縛されてしまったことを、混濁した頭で朧げながらに理解した。
あまりにも突然に訪れた破滅に、セリルは夢見心地のまま、茫然として言葉を失う。
虚脱した身を横たえる彼女に、抵抗する余力ないのを確認した人影は、ゆっくりと立ち上がる。
直後、セリルが逃げてきた方向より、騒々しい足音を立てて複数の男達がやってきた。
彼らは進行方向に立つ人影を目に留め、手にしたライトの光を集中させる。
同時に、その足もとへと横たわる逃亡者の姿を認めた先頭の男は、驚愕と怒りに満ちた眼光で正面の相手を睨み付けた。
「縛魔師、貴様かァ……!! またしても、我々の任務の邪魔をした上、獲物を横取りするつもりか!?」
「邪魔? そんなこと、俺がいつどこでしたんだ? 俺はただ、自分で手に入れた情報を元に、ここに罠をかけて待ってただけだぜ。そこに、お前達が追いかけてた魔女が、たまたま偶然にやってきたってだけだろ。むしろ、魔女を取り逃がして、誉れ高い帝国軍の名声に泥が付きかけたのを、俺が危うく救ってやったんだ。感謝はされても、貶される覚えは少しもないなぁ」
「ほざけ、火事場泥棒の破廉恥漢が!! その魔女は、我々が多大な時間と労力を割いて、ようやく追い詰めた奴だ! このままおめおめと、手柄を掠め取られて堪るか!!」
「そんなこと言われても、俺は正規の手順を踏んで魔女を印縛しただけだぜ? それに文句があるってんなら、まずは商会の方に異議申し立てをしてくれ。もしくは、ここでこいつ諸共、俺も討伐しちまおうってか?」
脱力感に支配されたセリルの耳には、男達の言い争う声が間延びして響く。
彼女が辛うじて正気を保つ中、いきり立つ騎士の男へと軽薄な調子で対応していた人影が、一際に大きな声を発して会話の主導権を握った。
「それと、横取りをするつもり、じゃない。もう、こいつの魔痕には俺の魔術刻印が上乗せされている。この魔女はもう、ウォーディントン魔女商会の所有物で、俺の物で、そして―――― 」
唐突に、セリルの上へとその人影は屈み込み、背へと腕を回して抱え起こす。
そして、居並ぶ兵士達へと見せつけるように、反抗の仕様もない彼女を抱き寄せた彼は、にこやかで爽やかな笑みを浮かべてみせた。
「俺の大事な、愛しの嫁だ。文句も苦情も、言わせねぇぜ」
力と気迫と魂のこもったその宣言に、帝国軍の男達の間には戦慄染みた動揺が広がっていく。
自分を名指しした耳を疑う発言に、セリルは頬を寄せる恰好となっている隣人へと、焦点の定まらない視線をずらす。
立ち竦む対面者達に向け、得意気な微笑を頬へと刻んでいる、気の強そうな短髪の青年。
そのしたりげな横顔を認めた後、彼女の意識は生温い泥の中へと引きずり込まれ、跡形も無く溶けていった。