チャンスの女神。
毎日が目まぐるしく変わっていく中で、木村涼子と俺の件については何一つ進展がなかった。もう無理だろう。メンバー全員がそう思っていた。あの時間が来るまで。
苦手な数学の授業。俺は木村と張り合うことはやめ、大人しく授業に取り組んだ。一番前の席なのでサボれば目立つ。単調で退屈な時間。寝てしまいそうなのをノートをとり必死にこらえる。
「おいっ、吉田。何寝てんだ。人の授業で寝るとはいい度胸じゃねぇか。」
突然、数学担当の遠藤の怒声が響く。
「最近、よく寝てるよな?吉田。その席が駄目なんだろうな。席、代えるか?」
吉田の座席は木村の隣だ。
「いや、すみません。大丈夫です。もう寝ませんから。」
しどろもどろになって吉田が答えている。
「先生!!」
突然桃香が手を上げて発言をした。
「おう、何だ?珍しいな。お前が手を挙げるなんて。」
「私、前々から思っていたんです。前の座席の伊藤君大きくてすごく邪魔なんです。代えるなら伊藤君と吉田君を代えてもらえませんか?」
数学担当でありクラス担当でもある遠藤は少し考える様子を見せたがすぐに俺と吉田の座席の交換を命じた。
「次の休み時間で代えておけ。」
「はい。」
こうして俺は木村涼子の隣の座席をゲットすることになった。
休み時間、俺はズルズルと机を引き摺り木村涼子の隣へ移動した。
「これから宜しく。」
一応挨拶をしてみたがやはり返事はない。まぁ、座席が隣になったということで今までよりずっと話し掛けやすくなった。返事はないが少しづつ距離を縮めていけばいいだろう。放課後、桃香が俺の所にやって来た。
「伊藤っち、一緒に帰ろう。」
「おうっ。」
「今日の私、ナイスアシストだったでしょう?」
「桃香にしてはな。」
「実はさ、」
桃香がいつになく真剣な顔で話し出した。
「何?」
「私、知ってるんだよね。木村さんがああなった理由。1年の時同じクラスだったから。」
「俺も同じクラスだったけど、知らねぇな。」
「伊藤っちはバイト漬けで回りに関心無かったじゃん。」
「まぁ、そうだな。で、何があったんだよ。」
「木村さん、1年の頃、仲良しの友達が居たんだよ。中川さんってクラスでも目立って可愛い子。本当に仲良しでいつも一緒に居るような。木村さんはあんまり話すタイプじゃないけど、今より雰囲気が柔らかでいつもニコニコしてた。文香みたいなタイプかな?美人だし人気もあったと思う。で、その仲良しの中川さんがさ、クラスに好きな子がいて結構いい感じだったらしいの。で、中川さんが告白したら、木村さんの事が好きだからって断られたらしくて。中川さんがキレたんだよね。友達だと思ってたのに、好きな男子に色目使われて奪われたって。」
「そりゃ、なかなかハードだな。」
「でしょう?そこからだよ。クラス中の無視が始まったの。可哀想だった。初めは木村さん気付いてなくてさ、普通に話し掛けに行って無視されて。その内、男子を奪ったって噂を流されて。それからかな。ああして心を閉ざしたの。」
「ずいぶん長いな。ってかクラス替えしたらそういうの解放されんじゃん。」
「だからね、木村さん自身が心を閉ざして誰も寄せ付けないわけよ。」
教室の中の木村涼子を思い出す。確かにそうだ。誰も寄せ付けずひとりでピンと張り詰めた空気を放っている。
「この事、他の子には言わないで。仲間内でも伊藤っちにしか話してないから。」
「分かった。言わねぇけど何で俺だけに話したんだよ?」
「罰ゲーム。言ったでしょう。木村涼子を落としてって。事前情報として必要かなって。それに伊藤っち、口硬いしね。」
「お前、もしかしてさ・・・。」
「ん?」
「いや、いいや。分かった。頑張ってみるよ。」
「ありがとう。やっぱ伊藤っちは話が早いねぇ。」
俺は桃香の胸の内が透けて見えた気がした。
でも今は黙っておこう。
気付かない振りをすることも優しさだとおもう。