0-6.復讐とて生きる糧
あの孤島から船で脱出して半日。
太陽の抵抗も虚しく、夜に塗りつぶされた。
どこまでも暗い海は魅力的で、月明かりとこの船だけが浮いて見える。
俺は甲板に出て、ひたすら景色を眺めていた。
「よう、ゲロ甘ココアあるけど飲むか? いらんなら、俺が飲んじゃうけど」
なみなみココアが入った二つのカップを持って、蛇目が船内から扉を足で開く。
口元を隠していた赤いバンダナは下ろし、首に巻いていた。
ハッキリとした目鼻立ちで、悪くない顔。しかし、縦長の瞳孔と、ギラギラとした笑みを浮かべた口が怪物性を醸し出す。
「ああ飲むよ。ありがとな」
受け取ると、香りだけで尋常じゃない量の砂糖が入っていることが分かる。
口をつければ、砂糖がガツンと脳に染み渡った。
「本当にゲロ甘じゃないか! 砂糖で目が覚めるなんて初めてだ。……でも、これはこれで癖になる」
「だろ? 俺の仲間もこういうの好きなやつがいたんだ。最初は驚いたが、いざ飲んでみると悪くない」
唐突な過去形の言葉に、重いものが被さっている。どう聞いていいものか迷ったが、きっと聞かせたくてこの言葉を選んだのだろう。
「これから一緒に戦うってなら、あんたと仲間のことを教えてくれ――」
話を聞いてみると、俺の個人的な恨みや、ほんの二ヶ月で湧いた愛着なんてちゃちなものに見えてしまった。
血の繋がり以上の存在だった仲間達は、【ディモ・フォスター】なる男によって殺されたという。
実の娘のように可愛がっていた存在や、長年背中合わせで戦った猛者はあっけなく死んでいった。
しかもそれが、自ら引き起こした事態となれば自分をも憎む。
生物兵器の研究をしていた夫婦の息子。それを、蛇目は急ぎの用事があって殺さなかった。
その子供が成長し、今度は蛇目の所属する組織の主力を次々と殺していく。
いまいち言っている意味が解らなかったが、同種の仲間はあのガスマスクと数人しか生き残っていないらしい。
蛇目は、カップを持っていない左拳を握りしめ、その隙間から血を流した。
「だから、ディモにだけは手を出さないでくれ。俺が殺る。今度は、一人残らず殺す。それが終わったらよ、タイムマシンでもゆっくり探すとするから、その日まで手を貸してくれ。長く生きてりゃ、もう一度やり直す方法くらい見つかるさ」
あれ程の強者が、俺を戦力として数えている。不可能に近い、奇跡を信じて。
「今更なんだがよ、なんで俺なんだ? 確かに少しは銃とか使えるようになったけどさ、もっと強いやつなんていくらでも――」
「楽しそうだったからだよ。戦ってる時のお前」
確かに、いざ命に危機が迫ると脳が冴えてきて、気分が良くなる。
ゲームというのは、プレイヤーを追い込んで切り抜けさせるの繰り返し。
その難関の先には報酬があり、プレイヤーを熱中させるのだ。
その緊張感と報酬の虜になった俺なのだから、どこかそういう部分があるかもしれない。
「でも、俺は弱っちいぞ」
「すぐ、強くしてやるさ」
蛇目は胸から空色のソフトパッケージのタバコを取り出し、こなれた手つきで火をつける。
「そのタバコ、俺が嫌いなやつが吸ってたんだよね」
「お前の前じゃ、次からは別のにするよ」
煙草のパッケージをさっさとポケットに戻し、煙を吐き出す。
「そのまま吸っててくれ。お前の記憶で塗り替えれば、悪いイメージもどっか行っちまう。そういえば、名前とかまだだったな。俺は、鐵銑継。けっこー読みにくい字だ。サネツグ、サグちゃん、ツグツグってよく呼ばれる」
「俺は……」
蛇目は、指先でタバコを弄びながら黙ってしまった。
「……なんて名乗ろうか。今、あんまり名前出したくないんだよな。うーん、くろがね……さねつぐ。そうだ、【クグツ】ってのはどうだ?」
名乗ると思いきや、この場で自らを命名する。しかも、俺の名前からアナグラム形式でつけやがった。
「流石に、いい加減すぎだろ」
「いやぁ、そうでもないぞ。使ってる名前の一つに、語感が近いやつあるし。俺の技術を授けるから、名前の文字を共有するってのも粋なもんだろ? 今の俺は、復讐の糸に操られた傀儡。うん、なんかそれっぽい感じの意味も出てきた」
半分、偶然から生まれたような名前と意味。やっぱり、いい加減だ。
「じゃ、改めて。俺はクグツだ。よろしくな」
「ああ」
タバコを血で汚した左手に持ち替え、右拳を突き出してくる。
俺も右拳を突き出し、強く打ち合わせた。
復讐の戦いは人の原動力となり、悲しみを塗りつぶす程の破壊衝動で満たす。
復讐を終えてしまったら、今度は喪失感に満たされるかもしれない。
しかし、その間に人の心は少しだけ回復して、立ち直るチャンスを作る。