第二話
ネットワーク世界の隅から隅まで引きずり回された様な気がしてそろそろうんざりし始めた頃に、それは唐突に終った。
あまり大きくない直線路に入ったところで更に加速したので、この道を一気に駆け抜けるのだろうと思った時、通路の側面にいきなり小さな穴が開いたかと思うと、そのままその穴に吸い込まれた。
怪物はそのまま一旦は行き過ぎた。
とはいえそれは、春香が進路を変えた事に気付かなかったからではない。
この図体でこれ程の速度が出せるというのは、進行方向の先読みをして事前に移動準備を行っているからであり、既に準備をしてしまった分の移動は止められなかったからだ。
言わば、電子的な慣性が働いていたのである。
怪物は、その巨体からは信じられない程の勢いでブレーキを掛けると、春香が進路を変えた地点まで素早く戻った。
そして、消えかかっているその穴に正対すると、物凄い勢いでその小さな穴に突進して行った。
オペレータは何もする事が無いままに、彼の背後で明らかに苛ついているスタインリッジの無言の圧力に辟易して、場を繋ぐだけでも良いから何か作業して見せる事にした。
「取り合えず、トラクターの動きをトレースしてみましょう。いずれ連絡が入るとは思いますが、移動履歴を押さえておけば、万一間違いがあっても直ぐに対応できます。」
ご機嫌を取る様にそう言いながら、コンソールでツールを起動した。
画面上にマップが表示され、その上を赤い線が物凄い勢いでうねうねと曲がりくねりながら走って行く。
みるみるうちに、マップは真っ赤に塗り潰されて、何を見ているのかすらわからなくなった。
「ま、まぁこのトレース情報を解析ツールに掛ければ、行先は一目瞭然ですよ。」
愛想笑いを浮かべつつそう言ったが、トレース情報の取得に取り掛かるのが僅かに遅かった事には気付く由もなかった。
猛烈な勢いでキーボードを叩いていた永田が、ゆっくりと顔を上げ、安堵の溜め息を漏らした。
「まぁ、これぐらいやっとけば大丈夫だろう。」
「何をやったんだ?」
永田の剣幕に声を掛けかねていた加藤が、ようやく尋ねた。
「春香ちゃんとあの変な奴の移動ログを消してたのさ。」
「何のために?」
「足跡が残ってたら、後で辿って来られちまうからな。」
ふむ、と納得仕掛けたが引っ掛かる物があった。
「もう辿られてたら?」
永田は笑った。
「大丈夫。末尾から始めて、読み取り履歴の無い所までを消した。向こうもログのダウンロードを始めてた様だが、これで消した所から先は辿れない。後は、あの変な奴に向けて調整した罠がちゃんと働いてくれる事を祈るだけだな。」
春香は、その細い管の様な曲がりくねった道を引きずられながら、小さな入口がどんどんと遠ざかって行き、闇の中にぽつんと灯る小さな明かりとなり、ようやく怪物が見えなくなった事に胸を撫で下ろしていた。
しかし、その安堵感は直ぐに消え去った。
凄まじい破壊音と震動が彼女を包むと、目の前の暗闇が崩れ去り、怪物が再び現れたのだ。
今や怪物は、その進路上で他の通行者をすり抜けながら追うのを止め、その動きを制約する物全てを破壊しながら進んでいた。
その凄まじい馬力は、彼女の通って来たトンネルその物を破壊する勢いで、みるみるうちにその距離を詰めて来る。
その破壊神さながらの荒ぶる姿に、春香の心は恐怖で占められ、もはや抵抗姿勢をとる事も出来なくなった。
今や、彼女はトンネルの中を運ばれながら、恐怖に目を見開いて目前に迫る怪物を見つめて震えるだけとなっていた。
ついに怪物が彼女をその射程に捉えて大きくその口を開いた。
春香の視界がその口で全て覆われたその瞬間に、とうとう耐えきれなくなった彼女は思わず目を瞑ろうとしたが、その時、何かが彼女の視野を覆った。
しかしその何かは、彼女の視野を全て覆いながらもその視線を遮る事はなく、怪物の大口が覆い被さって来るのははっきりと見えた。
春香は、全てを拒絶するようにそのまま目を瞑った。