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ただよう木箱

作者: ノロ
掲載日:2016/11/17


 見渡す限りの大草原に、1軒の家が建っている。

 春の陽光が差し込む軒先には一人の男が居た。

 木でできた揺り椅子に座り本を読んでいる。

 そよそよと吹く風が、男の黒い前髪をゆらす。

 ページを捲る手が規則的に動き、やがて止まった。

 ほうと息を吐き、男は涙を流した。

 一つの物語を読み終えた男は、静かに泣いた。

 聞こえるのは風の音ばかりである。

 

<そろそろ終了します>


 どこからともなく声がした。ソプラノの美しい女性の声だった。人が発したものではない、世界全体からの声のようだった。草原の彼方から聞こえたような気もするし、揺り椅子の下から聞こえたような気もする。

「ああ。丁度いいよ」

 男は答え、同時にふと男を取り囲む世界が色あせた。

 

<シミュレーション終了します>

 

 同時に、男がいる世界は一変した。

 草原は消え、家も軒先も、椅子も消えた。

 男は大きなベッドに寝そべっており、枕元には男が先ほど読んだ本が置いてあった。

 男は目を開けた。

<いかがでしたか>

 さきほどと同じ声。今度はベッド脇のスピーカーから音が出ている。

「最高だったよ。状況は?」

<特に変化なし。他の船との接触なし。いつも通りです>

「大変結構。ミルクとパンを頼む」

<かしこまりました>

 男は起き上がり、歩き出した。機械仕掛けの壁が音もなく開き、目の前にはテーブルと椅子、そしてパンとミルクが用意されていた。

 ここは宇宙船だった。

 

 宇宙船は直径200メートルの円柱形をしている。

 中には一人の男が一生を過ごすには十分すぎるほどの、食料が詰め込まれており、ありとあらゆる娯楽もあった。特に本は、1000年生きても読みきれない。男が先ほど寝ていたシミュレーション装置は、地球のありとあらゆる地形を再現できるし、創り出す事もできた。

 しかし男はそこに一人きりだった。

 男はそれでいいと思っているし、困ったこともない。

 男の最近のお気に入りは、自ら作った仮想空間での読書だった。

「最高の体験だったよ」

<恐れ入ります>

 応えるのは宇宙船に宿る人工知能である。様々な知識、会話のパターンがインプットいて、どんな人間とも会話が出来る。若い女性の声は男の趣味だった。

 男はパンとミルクを食べ終えると、テーブルの引き出しからノートとペンを取り出した。

 男は日記を書いていた。

 先ほど読んだ本の感想を気の向くままに書きなぐっている。

「君は最高の人工知能だと思うけど、欠点がある」

 男は言った。

<どういった点でしょうか>

「君は、感動を知らない。物語が僕に与えてくれる感動をね。僕はそれがあれば生きていけるんだ」

<確かに>

 人工知能は続けた。

<私は知識としてこの宇宙船のあらゆる本について知っていますが、感動することはありません。それをエネルギーに生きていけるわけでもありません>

 人工知能の答えに、男は笑った。それはそうだなと。

「僕を寂しい人間だと思うかい。誰とも会わず、無目的に、ただ一人で本を読んでいたいがためにこの宇宙船を買って死ぬまで旅を続けている僕を」

 男は日記を書く手を止めることなく話し続ける。

「僕はこの旅に満足しているよ。好きなだけ本を、無目的に読みたいだけ読む。無目的ってところが大事だ。何かの役に立つためじゃなく、純粋に自分の楽しみのためだけに読んでいる。何しろここではどんなに役立つことを覚えたって、何にも出来やしないからね」

 男は顔を上げた。分厚い強化ガラスの向こうには、漆黒の闇だけが見える。

「ここには何もないし、誰もいない。それが最高にいいことなんだ」

 男のペンは止まらない。先ほど読んだ本のあらすじを自分で整理して、反芻し、心に残った箇所を書きとめる。

 男にとって本を読んでいるときと同じくらい重要な瞬間だった。

 日記だけは、男は紙とペンを使うことにこだわった。

<ここでの生活に満足していらっしゃるようでしたら、私もうれしく思います>

 人工知能の声は穏やかで優しかった。

<ただ、一つだけ疑問が>

「なんだい?」

<あなたは、何のために生きているのですか?>

 男はペンを止めた。

「人工知能とは思えないな。人が生きる意味について知りたいのかい?」

<興味があります>

「ふむ。それはおもしろい。うん。僕は本を読んでいれば生きていける。しかし、何のために読んでいるのかと言えば、これかな」

 そう言って、男は先ほどまで書いていたノートーー物心つく頃から書き続けている日記をーー手に取った。

「こいつを書き続けること。もし、僕が死んで、誰かがこの日記を見つけて読むかもしれない。どういう反応をするだろう。おもしろがるだろうか。馬鹿にするだろうか。それを考えること。誰かが僕の人生を読むかもしれないという予感が僕の生きる意味なのかもしれない」

<よくわかりました>

 人工知能は納得したように言った。

 男は日記を書き終えると、木箱にしまった。そこにはこれまで書いてきた日記がぎゅうぎゅうに詰まっていた。

 

 2週間後、男が乗る宇宙船は隕石に衝突して爆発した。

 全てが粉々になる衝撃であったが、小さな木箱だけが残った。

 厳重にコーティングを施されたそれは、再び宇宙を漂っている。


 

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― 新着の感想 ―
[良い点] どこが良かったのか上手く言えないのですが、この作品が好きです。 満足の行く人生を過ごせたのなら良い事ですね。
[一言] 読ませて頂きました。よかったです。 短く、うまく雰囲気をつくっていて、文章上手だなあと思いました。 母にも見せたのですが、やはりよかったと言っていました。 いくつぐらいの人の文章なのかな、と…
2016/11/18 00:48 退会済み
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