回信:老婆から世界史を教授された件について
毅然と言い放った俺のこの世界の予想に対する返答は、魔王、アルフレド、コアお嬢さまの沈黙と、俺の辿り着いた答えを足蹴にするような老婆の哄笑だった。
その三者三様の反応に俺は戸惑いを覚えた。過去に地球で学んだ知識を活用しての答えは、マッスル神と知り合いである彼らにとってみれば特別に奇抜な解答では無いだろう。もちろん玄妙すぎて理解に苦しむ予想でも無い。するとこの座の空気の答えは、予測を大きく下回った戸惑いからなるものなのだろうか。
老婆が笑い切り、息を途切らせつつもその嘲りの実態を漏らしていく。
「カッカッカッ! 星が無くなった。そうさ正しい。そこに関しちゃ正解だねェ。答えは正しい。でも答えが見えたからこそアンタは過程を考えるのを止めてしまった。途中式が滅茶苦茶なのにたまたま答えだけ合っているなんて虫のいい解答に、何が正しいのかを教える側としては正解をあげたくないねェ。アタシの言っているのはそういう意味で大ハズレってことさ」
老婆の語調は出会った頃と相変わらずに、冗談めかした蔑み言葉の端々に漏れ出ており真偽は定かでは無かったが、これらの発言の内容に対して座は静まりかえったままであった。それはすなわち、魔王、アルフレド、コアお嬢さまの三者全員が老婆の意見を肯定しているに他ならない。
「そうさねェ。アンタに分かりやすく言うなら、ここは《次元のるつぼ》の中だ」
「どういうことだ?」
「過去と未来は平行している。《あんたのいた世界の未来》という設定の世界がココって訳さ。あんたに分かりやすく言うなら、《物語の円環》と考えた方がしっくりくるかもしれないねぇ。みんな《 神様図書館 》に横並びにある物語のひとつで、いつでも手に取れるように。その本棚の構造は、隣接次元は隣り合っていて、円のようにくるりと輪になって並んでしまいには最初の一冊目に辿り着くもの。それのうちのひとつが私たちの次元世界。この例え話で言うなら、今はアタシたちが主役の次元の物語って事なのさ」
そう言って老婆は酒を喉に流し込んで一息をつき、豪快な噯を吐き出した。老婆は悠然と杯の酒を愉しみながら説明を続けていく。
「で、アンタがいた過去の物語というタイトルの本から、あの坊に綺麗に切り取られてこっちの本に移植されたのさ。まぁ、分からなくて良い。分かって欲しくて言っているわけでない。この世界に矛盾なんて一つも無いと教えたい老婆心さねェ。正確には円環というのは隠喩で、クラインの壺みたいなモンなんだが、とにかく初めから終わりも表も裏すらも存在しないんだよ」
だからこそ『合っていなくもないが、ほとんどハズレ』なのだろう。星が無いのは未来だからであり発想に関しては正答であった。しかしこの問題の本質は、自分がこの世界に移された整合性などを含めて考えるべきという課題であり、世界観という規模においては検討を違えていたようである。思考過程の根を完全に見誤っていたのだから、合ってはいるという言葉を貰えただけでもかなり甘い採点であり、ゆえに総評としては浅瀬であると老婆は言い切ったのだろう。
「なるほどな。正直に言うともっと適当な世界だと思ってた」
「どういう意味だい?」
「普通のファンタジーかと思ってた」
「なあ普通ってなんだい?」
「なんとなくだが、絵本から出てきたような中世の西洋風味のような異世界ファンタジーの世界だと思った。王様や貴族が仕切っていたし、猛獣もいて、もちろん魔法が使える人、魔法が使える獣もとい魔獣もいる。冒険者や旅人もいて、見かけは人間だけど獣耳のやつもいた。ここまで世界を見ていれば、ゆるいファンタジーな世界だとは思うだろう?」
「カッカッカッ! たしかに普通だねェ。そうだろうねェ。そうかもしれないねェ!」
老婆は不敵な笑みを交えて、俺の戸惑う様子を肴にして愉しんでいる。杯を揺らしながら朗々と言葉を続ける。
「こりャ傑作だ。確かに、アンタにとっては気付けってのも無理があったねェ。そうさね。たしかに普通だ。だけど普通って概念が整いすぎていやしないかい?」
老婆の言葉が今になって胸の奥でざわめきと共に反芻が響いてきた。どうして言葉が通じているのか考えたことはあるだろうか。どうしてこの世界に魔法なんて都合の良いシステムがあるのだろうか。どうして姿形がたまたま自分の知ったままの人間という形であるのだろうか。
「裏を返せばそう偽装した方が都合の良い奴らが世界にいるってことさね。そう、この世界に矛盾なんてひとつも無いんだよ」
「偽装のした方が都合の良い奴らって誰なんだ?」
「それは今は言う必要が無いから言えないねェ。まァ安心しな。アタシらじゃないってことくらいは教えてやるよ。本題の方は理解できたかい?」
「頭があまり追いつけないがさわりは理解できた。で、俺を別の本に移植ってことか。次元とか何とか言ってるが、そんな規模のことは簡単にできるものなのか?」
「タイムマシンで出来るのさ」
「そっそんなもの存在するのか!?」
「ある。タイムマシンはアンタの思っているのとは違う仕組みで動いている。あれは次元境界を越境する乗り物なのさ。次元境界というのは大雑把に言えば高密度エネルギーの壁で、もしもその次元境界からエネルギーを抽出することができたら、派手な魔法を使うことができるだろうねェ。といっても、その時代を媒体にしたものだから、どんなものが飛び出すのか不明。狙った効果になるように安定化させるのはかなり難しいだろうけどねェ」
「ちょっと待ってくれ。考えがまとまらなくなってきた。魔法があって、魔獣がいて、獣人もいて、タイムマシンもあって、それなのにここは俺のいた地球の未来って話だろ? いったい何が起こった未来がここの次元なんだ?」
俺の問いに対して明らかな困惑顔を老婆が浮かべた。
概念の基本を教える事というのは、教授する側にとっては大変難しい物のひとつである。どうやらこの老婆は、教える事は好んでいるが、分かるように加工して教授するという行為は苦手の類いなものらしい。
そこに魔王が柔らかな声で助けを差し伸べた。
「理解をするまえに説明すべき事がありすぎて、今から説明しても彼は現状を把握しきれないでしょう。歴史の基礎から教えるべきかと存じます。基礎さえしっかりしていれば、応用は世界を見渡したときに自ずと気づけるかと」
「アンタが言うならそうしようかねェ。はて、どこから話すべきだろうか」
老婆は面倒くさそうに頭を掻きながら、思い出してきた事ひとつひとつをぽつぽつと話し始めた。
「あんたのいた過去の世界はなかなか過激な世界だったんだよ。MKウルトラ、EMRマインド・マシン、マインド・メルド、ブルービーム計画。まァ微成功だったカルト宗教での倫理感洗脳とかの塵も積もれば山となるのも含めて裏では様々な思考封殺手段があった」
「ひとつも聞いたことが無いな」
「あっちゃ困る。警戒されるからねェ。どれもこれも核兵器が世界を変えたのさ。あれは武装で例えるなら対人武装ではなくて、対星武装なのさね。打ち込めば威力は言わずもがな生態系を完全に狂わせる。つまり環境を壊すからすなわち星を壊す兵器でもある。武器ステータスみたいな言い方をすれば攻撃力が無限大で、射程は地球のどこでも有効。防御は不可能。なにせ知識さえあれば量産が利いて、何百発も打ち込めば一発くらいは通るだろうから無意味って訳だねェ。そんな武装をしている敵を倒すにはどうすれば良いか? だからこそ撃たせないような流れにする戦略が必要になったというわけさ。それが先ほどの思考封殺手段ってことさねェ」
だからこそ思考洗脳や封殺といったインチキ魔法のような技術を求めていったのだろうと合点がいった。要するに大技を撃たせる前に敵を倒してしまえという発想であろう。そして誰かが求めたのなら造ってしまうのは人間の美点ではあるが、この場合は汚点と化していた。
「孫子兵法じゃないが、戦争は金食い虫だから莫大なメリットが無いと基本的に起こさない。だから起こさずに相手を征服する発想ってのもかなり昔から開発されていたのさ。その発想が何百年も歴史を経て先に繋がったのがさっき言った作戦もろもろってことさねェ。もちろん起こったときも得するように細工する必要もあるだろうが、まァそういう考え方もあったってことさね。平時でも戦時でも、どちらに転んでも得をするように動きたいと拙速する悪い奴らがいたんだ。で、そいつらを倒したいと願った正義の味方連合がいて本当に世界を救ってしまったんだ」
「どんなヤツなんだそれは?」
「細かくは忘れたがとある男を軸とした《 No17+:作戦 》ってのがあった。ソイツらの活躍によってその悪党達は投了した。すごく平和になった。元は敵勢力だったが悪のあり方と偽の平和に疑問に思って正義側に参戦した奴もけっこういたらしいねェ。悪に仕えていた工作員だろうが金庫番だろうがまァ世界のあり方に疑問を思ってた奴も意外といたんだよ。で、あんたが何も考えないで過ごした平和の裏側ではちょっとしたお祭り騒ぎが起こってたんだ。要するにみんなが一つになってお涙ちょうだいハッピーエンドって訳さ」
「凄いことが裏で起こっていたんだな」
「で、平和になって最初にやったのは技術の習得。そして習熟の方法の格差是正さ。そうそう。アンタにとってはここは重要かもしれないねェ。スキルは《記憶の移植》なのさ」
「どういうことだ?」
「全く知らないスキルにも関わらず、いきなり熟練の技術のように使いこなせた感覚があっただろう? それは記憶を移植されて使いこなせるようになったからだ。アンタもスキルを持っているなら、その不思議な感覚ってのは実感しているだろう?」
例えばミーヌの時に《覇道豪腕拳》を覚えたその場で使えた時があったが、それが証拠なのだろう。普通は技術というものは少しずつ成長した先に体現できるものであり、いきなり知らない技を繰り出せるなどとはよく考えてみればおかしな状態である。覚えてすぐに体が動くようになったのはその使用感ゆえだったらしい。
「ちなみにこの記憶移植を考えたのは日本さ。日本産のアニメやら漫画のことをジャパニメーションって言うだろう? アイツらは良い意味で頭がおかしいのかねェ。まったく、日本の発想はユニークさね。実行力とかはもっと別の国の方が上だろうけどね」
「なんとなく分かる気がする。レベルアップやスキルとかのまるでゲームみたいな要素がこの世界に入り込んでいるのはその名残りなのかもしれないな」
「レベルと言えば、スキルを覚えるきっかけのひとつは《レベル》からなる。これは正確に言うと習熟検定試験ってやつさね。レベルが一定以上ある有資格者。その上で決意が高いとスキルが得られる」
「レベルアップしたりスキルを覚えたときに音がしたが、あれってどうなんだ?」
「レベルアップやスキルを覚えたときの音は指向性スピーカーやマイクロ波聴覚効果だったかな? まァ昔過ぎて名前は忘れたがともかく地底にいろいろと埋めてある。それが地球のアストラルと共鳴したせいで大気抵抗が出てきて空を飛べなくなったがねェ。だからアンタにとっての未来の世界なのに、この世界には飛行機が無いのさ」
「なるほど。なら誰がレベルとかを決めているんだ? そのレベルとかスキルを覚えるための習熟検定試験とかを受けた覚えは無いぞ」
「アンタの疑問に正確に答えるならこう言えば良いかねェ。覚えるように仕向けるのはアンタらが神とか魔王って名付けてる奴らの仕事。で、覚えさせるのは機械の仕事ってことになっている」
「機械に覚えさせるのか? どういった基準で判断しているんだ?」
「愛だよ」
「機械に愛だと!?」
「ああ、そうさ」
迷うこと無く老婆は言い切った。
「神や魔王は所詮は受け付け役に過ぎないさねェ。この未来の世界は、基本的に機械に管理を任された世界だ。その機械の愛の裁量によって世界は決められている」
「愛って。感情を機械に持たせたら、映画で言う機械の反乱とか、怖いものがある気がするが」
「ん? ああ、そうか。アンタらはそう思っちまうんだね。そうさねェたしかにアタシらは感情をよく知ってるから怖く思うだろうね。黒い部分もある。だけど基本的にはおおらかなモンだろう? 具体的には機械が人間を愛でる状態になっているんだ。人間がペットをかわいがるようなモンだ。自分よりも劣っているからといって、邪険に扱うようなことはしない。だから人間が効率論からすると不要だとかいう判断での機械からの殲滅戦争は起こらない。機械に愛があるゆえに争いは起こらなくなったんだ」
「世界が一気に変わりそうだ。そこまで機械が発達したなら労働体系も変わるだろう? どうなったんだ」
「アタシは分からないけど、アンタらにとってみればお金が消滅したってのが印象深いかもしれんねェ。労働をお金の形にストックすることによるお金の足し算引き算ってのも必要だが、それは物質が貴重な世界の話さ。機械が働いてくれて物質が貴重で無ければその価値は下がる。人間ができることが機械にできないことはないだろうからね」
「でも、お金って必要じゃないか? 物を造るにも物が必要だろ? 簡単にお金が亡くなるなんて想像付かない」
「シンギュラリティって言葉を聞いたことはないかい? 機械が工場で体をつくり、機械が発電所で自身の食料もとい電気を造れるようになる。機械が自己完結できた状態で働いてくれるようになれば機械の人件費は人間にとって見れば実質無料な訳で、ならこの世に存在する手間というものは全て機械に置き換えられる。つまり物の生産が無限になるわけだ。人間と違って不眠不休で働いてくれる訳で、技術なんてものは1回覚えればすぐに習熟してくれるのも機械の特徴だ。精度は人間を超えるうえに量産が利く」
「ならば考える力ってのは人間の特徴だと思うが、それは機械とはどんな関係になるんだ?」
「カッカッカッ! 考える力が人間の特徴だって? AI技術の発達によって全てが変わるのさ。アンタの世界では電卓だって一種のロボットだし、将棋やチェスも機械が出来る時代になっていただろう? 考えるってのはそんなに崇高なモンじゃないんだよ。生き物に善し悪し言うつもりはないけれど、アンタの時代だったらペットくらいの知能ならコンピューターの方が賢くてもおかしくは無いだろう。いつか人間を超える瞬間があるんだよ。そして人間が知性で機械を発明する時代は廃れて、機械が知性で機械を発明する時代が来る。それが平和によって生まれた無限の富の時代。シンギュラリティってやつさ」
無限の富について思いを馳せてみる。総じて人間の物質面は豊かになるのだろう。つまり物で差異は生まれない時代へ成長するわけだ。飢えで困ることは無く、服の差で品位が決まるわけでも無く、道具の差で努力の果てに得られる成績が決まるわけでも無い。まさしくこれは正しい意味での平等な時代の福音である。
「だから物質で幸福を感じるのでは無く、精神で幸福を感じる世界になった。ゆえに世界は愛が起点になっている。だから機械にも最初に愛を覚えさせたんだよ」
「機械でも愛を覚える時代か。それはとても素晴らしい世界だっただろうな。しかしそこまで発展したなら未来的な象徴がひとつは見つかりそうだがどうなのだろう。記憶の移植でスキルを覚えるなんてのは未来的だが、なんというか物が無さすぎないか? ともすればこの生活なんて不便にすら感じるが、本当にここはあの時の未来なのか?」
俺の問いを聞いた老婆は黙って杯を口へ運んだ。喧噪の類いしか見せなかった老婆にしてみれば異質な光景であるが、よく見ればその口元に浮かぶ感情は空恐ろしいほどの陰惨さがにじみ出していた。
「平和になって60年くらいは発展し続ける世界だった。その後に異変が起きて一気に世界が崩れた。原因は《 鳩槃荼 》だよ。それは詳細不明で生物なのか現象なのかも分かっていない。それどころかこの名前だって仮の名前さ。とにかく鳩槃荼と名付けられた存在が世界を滅ぼしてきたのさ」




