混信:やっぱりアイツは豪快に話を聞かなかった件について
ゆさゆさと体を揺らされて意識が浮上してくる。
「旦那さま、起きてください」
閉じたまぶたからは電気の光が差し込んできた。
できることならこのまま目を覚まさずに、再びまどろみに沈みたい。ほんのさっきの深夜までイチイとミーヌと俺の三人で星を見る夜更かしをしたから凄く眠たいのだ。だから無視しようと堅く意識を閉ざした。
「起きないとコウカちゃんとふたりでおっぱいしますよ」
「おい馬鹿! やめろォ!」
堪えようのない悪寒が背筋を氷点下まで冷やし、ベッドから飛び起きてしまった。
「ふたりでおっぱいって何ですか!? 私を巻き込まないでください!」
「おまえら! いったい俺が何をしたって言うんだよ!」
「ご主人さまぁ。まだ、夜だよ」
「お兄ちゃん。トイレに、起きたの・・・・・・?」
寝ぼけた頭よりもさらに強力な、本能的な不快感によって一気に脳が回転し始める。
「カッカッカ。元気で良いねえ」
ダンジョンにいるはずのない声を聞いて、さらに覚醒は加速した。
声はテーブルからだ。我が家の冷凍食品をディナーの如く並べて食べてる老婆の姿がそこにあった。不法侵入を悪びれもせずに白い歯を見せて豪胆に笑っている。
珍妙な事態にどう言葉をかければ良いのか分からずに言葉を失った。
「おまえ・・・・・・。朝から、いいや夜からか。いきなり禄でもない登場してきたな」
辛うじて絞り出せた声で、他人の家で堂々とくつろいでいる老婆に問う。
「ん? 先に食ってるぞ」
何食わぬ顔でふてぶてしく流されて、そのまま何事も無かったかのように食べ続ける。
混乱のあまりに再び詰まった言葉を飲み込む。深呼吸して落ち着きを少しだけ取り戻して、震えを抑えた声で意思疎通に挑戦する。
「色々と言いたいことはあるが、とりあえず『初めまして』あたりから入って欲しい」
「はァ? 初めてじゃないだろうに? 昨日の今日なのにもう忘れたのかい?」
「そういう意味じゃない!」
「んぅ。ご主人さまぁ。うるさい・・・・・・」
「はァ。アンタ、意識が高すぎるのかねェ。ダンジョンに対する危機意識が高すぎてんのかこりャ。これだからダンジョンマスターは困る」
「誰でも怒る場面だからな!」
「くぁ。マスターさん。うっさいです」
何なんだコイツは。
まるで悪夢のような人間だ。実はわたしが世界の悪夢の元凶ですと言われても納得しそうなほどである。
「つーか、冷蔵庫の中、冷凍食品だらけじゃないのかいこれは。いったい何を考えてるんだいアンタ達は。こんなの味付けが決まってるから飽きるだろうに。おっ生ハムがあるじゃないか、いいねェ。ちょっとだけ見直した」
人の話も聞かずにいつの間にか老婆は生ハムを咥えながら冷蔵庫を漁っていた。
たしかに料理してくれる人いたら良いとは思う。今は当番制になっている状態だが、全員が上手では無いが食べれなくは無い腕前といったところだったりする。
「確かに言いたいことは分かるが、ちょっと待ってくれ。状況が酷すぎて頭が追いつかない」
「仕方ないから説明するかねェ。いいかい? アタシがわざわざ出向いてやったんだ。ちゃんと夜なんだからアタシを歓迎して待ってるのが礼儀だったんだ。以上」
「朝日よりも早く来られたら準備すらできねーよ!」
「カッカッカ! 準備なんて弱者のやることだろうに。アタシは何でもその場で出来るから不要。アンタもダンジョンマスターの力があるから、できなくはないだろうに?」
「できねーよ!」
「ん? おお! アンタのダンジョンには温泉あるのかい! 良いねェ。ちょっと入ってくる!」
「ちょっと待て。本当に待て。ちょっとくらい、俺の話を聞いて欲しいんだが。あと、今の時間は風呂は休業中だぞ」
むかしいつの間にか夜にベッドへワープしていたからそういう仕様なのだろう。どうやら深夜0時で閉まるらしいとコウカが調べて言っていた。
案の定、老婆が戸を開けた瞬間にワープで姿が掻き消えたが、ガラスが砕けるような音と共に老婆の姿が強引に戻ってきた。
「なんじゃこりャ。まったく、イドのヤツめ。相も変わらず面倒な設定を組みやがってるんだねェ」
「おい。何が起こったんだ?」
「ん? 《設定》をぶっ壊した」
「はああァァァ――――!?」
これでいつでも入れるぞと嬉々とした足取りで老婆が勝手に入浴場へ突撃していった。
もはや ため息すらも出ない。怒気の嵩は、老婆のあまりにすっ惚けた態度によってみるみると萎んでいった。
「旦那さま。あの人はいったい誰なのですか?」
「名前すら知らないが、マッスル神と一緒に居た」
「つまり神格関連。不審者なのに追い出しにくいですわね」
オウレンとコウカは、敵視しているのか恐縮しているのか判然としない引き攣った顔つきで入浴場の先であろうを眺めている。
「ああー! イチイの焼売食べられてた! あの人、悪いヤツだ!!」
「ゴマ団子も無くなってます! 悪いヤツです!」
「お兄ちゃん。ねむい・・・・・・」
「生ハムも無くなってる! 悪いヤツ! 悪いヤツ!」
「ゴマ団子! ゴマ団子!」
「夜なのにうるせぇ! 黙れおまえらぁぁぁ!」
「オーナーが、一番うるさいですわよ。落ち着いてください」
「コウカちゃん。こういうときは、抱きしめて頭をぽんぽんとしてあげると良いんですよ。男の子って意外と子供だからね。ほ~ら。ぽんぽんっと」
「ひぎぃぃぃ――――!!」
「お兄ちゃんが、気絶してる?」
「ほら、なだめられたでしょ?」
「そっそれは。黙らせた、ではないかしら」
ダンジョンメンバー会議 (?)で数十分ほど騒いでいると、老婆が風呂から上がってきた。
「いやァ。大事なこと忘れてた! 風呂があって良かった良かった。ポケットに入れっぱなしで危なかった」
風呂から上がって開口一番にそれである。ばつが悪そうな顔すらせずに、飄々と心得顔をしている。
本題を忘れたにも関わらずに、勝手に飯を食って風呂に入ってきたらしい。本当になんだコイツは。悪夢すぎるだろ。
老婆から黒いカードを投げ渡された。金属の冷たい感触があるが、プラスチックのような軽さのある不思議な材質だ。
角度を変えて見ると色が透けていき「裏ダンジョン通行許可」という文字が透けてくる仕様になっていた。
「で、今日の昼に集合ってことでよろしく」
「急すぎるだろ! おい、待てよ!」
俺は老婆の肩をつかもうとしたが空を切り、いつの間にかあの老婆は外に出ていた。
バイクのエンジン音が鳴き、あっという間にどこかへ行ってしまった。
「いったい何だったんだアイツは」
「オーナー。それでは、いかがいたしますか?」
「いかがって言うか、この招待は出た方が良いのか?」
ポンコツ丸の見張りをくぐり抜けたという事実だけでもかなりの強者であることが予想できる。それにダンジョン戦争後にガチャで手に入れたモンスターの権利もあり、昔とは違って今はこの森では防衛をする味方も多くなった。しかし、そいつらをものともせずにここまで来たということだ。
行かなければどんな目に遭わされるものか。逃げ場を知っている存在から逃げるというのも無理な話である。ましてやあの老婆が相手なのだ。本気で戦ったことは無いが、不思議とまったく逃げられる気がしない。何が起こるか全く分からないまま、途轍もなく途方に暮れながら了諾を飲み込んだ。




