伝動:悲劇の奏者が孤独だった件について
◇◇◇
「ああァァアアぁぁ――ッッ!!」
紫影が血涙を流しながら絶叫して暴れまわりはじめた。鼓膜を突き刺すような音の大波が、近くにいる悪鬼やモンスター達ごと殴り飛ばす。
他人を見下すように嘲笑っていた紫影の性格が一変した。それは、彼女の固有スキルが発動したからだ。その名は『滂沱の涙』。味方が戦闘で倒されるたびに、ステータスが上昇する。一定以上の上昇をすると、『狂乱』の異常状態になる、という能力である。
ぬいぐるみの活躍により敵の数こそ減らしたが、それがスイッチとなって紫影が暴走をしはじめたのだ。
「お前らが全員悪いんだァ――ッ! どうしてわたしを残してみんな死ぬんだ! こんなことっておかしい! なんでわたしが救われないんだ! 自分を正当化し正義を気取って、困っているわたしのことなどまったく気にしない。正義を叫ぶ気持ちよさに浸るだけ。蝿声がうるさいんだよ!」
ステータスが狂気的な数値へと上昇していった。ステータスという名の数字の暴力で襲いかかる。ただ感情のままに暴れているだけであるが、だからこそ型が存在しなく、その動きがまったく読めない。
嵐よりもなお荒々しい。モンスターが、悪鬼が、森の木々が、荒れ狂う殴打の豪風に陵辱されていく。狂乱の異常状態となり魔法は使えなくなったが、打撃ダメージに補正が入るため大暴走は止まることを知らない。
「アアぁぁァアア――ッッ! どこを見ても、自分勝手なヤツばかり! 男はいつだって傲慢だ! 女はいつだって理不尽だ! このクズたちめ、身の程を弁えろ!」
狂乱を叫び人知を越えた破壊力で繰り出される打撃は怪物級である。それでいながら多少は理性もあるようで、小ざかしいことを囀っているのだから戦場に立つ知恵も多少は回るのだろう。魔法が使えなくなり戦力がダウンしたなどとは思えない。単純な破壊力だけでも充分に戦えるだろう。
キキョウは呆れながら、ゆらりと紫影の攻撃を避け続ける。
「くだらない。私は不幸だから助けられるべきだ、だと? 助けは情によって手を差し伸べること。不幸な己を助けるために手を差し伸べなければならないと強要で言うのは、傲慢すぎる」
「うるさい! 知性があるなら、黙ってわたしに使われていろ! そこでやっと生き物として価値が生まれるのだろうが!? 芥子クズ以下の分際が、調子にのるな! おまえがそれを言うのか、おまえが黙れェ――ッッ!」
壊れた理性はもう誰の言葉にも耳を傾けない。紫影は暴力の豪風となった。木々をなぎ倒し、大地を剥ぎ飛ばし、少しでも触れようものならその身体は敵味方を関係なくグチャグチャとへし折られる。
「アアぁぁぁああァァ――ッッ!」
もはや獣となった紫影が吼え猛る。その風圧だけで身体が砕かれるほどの大威力。しかし、キキョウはどこ吹く風といったようにマイペースに距離を取っている。
「悲劇に泥酔している雑人が。自分を愛してくれない事を他人に責任転嫁してるだけ」
例えば親からたくさんの寵愛を受けた人間は、無償の愛を知る。ゆえに潜在的に自分は愛される存在であるという自負を覚える。これが心の安定となり、基盤となるものなのだ。
しかし一般的にはここで終わるが例外が存在する。例えば生前の紫影のように美貌が優れていたり、高貴な身分であった場合には、自身の意見を正当化される機会が多く、世界とはそういうものなのかと学習して生きていってしまう。
あなたは高貴なお方だ。君は世界で一番美しいよ。そうやって何度も世界に触れていくうちに、世界は自分を大切にすべきだという認識が生まれる。時間が経つにつれて確信していき、そのように自身が大切にされて生きてきたというプライドが生まれるのだ。
「本当に悲しまれたいなら、おしゃべりはワザとらしすぎる。あなたは、自分こそ愛されるべきだと正当化したいだけ」
プライドがあるから、自身の行為が正当化されていく。正当化されたささいな行動が積み重なっていき、いずれは他者から見れば常軌を逸脱している行動をしているときがある。それが、彼女という名の狂人の正体である。
彼女の世界観では、それが自分にとって好きか、嫌いかの2種類しかないからこそ、彼女は病んでしまっているのだ。彼女の世界観が構築される過程に、他者の意見を受け入れる課程が存在しない。だからこそ、彼女に向けられる選択も二者択一なのだ。自分が愛されるか、否定されるか。その狭い世界観が彼女の病理の真理である。
「不幸のなり方、たくさん知っている。でも、選べる状況があったらそれは他人のせいにしてはいけない。気付ける時もあったはず。あなたが選んだ生き方は、あなたが選んだ人生なのだから」
珍しくキキョウは苛立っていた。キキョウも姫であるため、一般的には他人よりも大切に育てられてきただろうと自負はある。だからこそ、薄汚れた紫影の存在を、その間違ってきた選択を否定せずにはいられなかった。
「なによりも。あなたは、悲しみと、惨めさの判別が出来ていない。だからあなたは生き物として終わっている」
誰だって泣いている人には手を差し伸べたくなるだろうし、それが麗人だったならばなおのことに惹かれるものがあるだろう。不幸になれば注目されて、大変だったねと大切にされるからやめられない。一度でも不幸の湯船に漬かったなら最後、不幸が麻薬となっているのだ。
不幸という名の過去だけ向いて、未来を見ていない。だから彼女は不幸になり続ける。不幸という名の麻薬に漬かる幸福が、惨めで仕方がない事だと紫影は理解していないのだ。
「あなたの死者を蘇らせる概念は驚愕に値する。自身を崇拝する者を死んでも放さない渇望。結果、見事にアラウザルを真似ている。それを見つけ出した努力は賞賛する」
そう、それほどまでに自分を追い詰めることが出来たなら、それほどまでに自分を幸せにすることだってできたのだ。
「とても驚く。だが、それだけだ。――本物に劣る贋作風情が」
いつも平坦な言葉のキキョウが、感情的に声を震わせながら言い放った。
紫影の崇拝の形を認めれば、自分を愛してくれた民達の崇拝を侮辱することと同じである。ゆえに、キキョウは全力で紫影を叩き潰すこと誓った。
キキョウが静かに詠唱する。
『Great flame continues to burn me. (気高き焔は胸の内に消えず、この身を焼き続ける。)
Feelings of living. Feelings of dead.(生者の想い。死者の想い。)
Their history, will play the sound of the noble fight forever.(彼らの万仙の歴史を、護り尊う剣戟の音を永久に奏でよう。)
I because it has been entrusted with the future, their pride does not become extinct.(未来へ託した願いを背負い続ける限り、彼らの誇り 滅びはせず。)
Therefore I have not been allowed to die.(故に我は立ち止まることは許されぬ。)
Therefore tell to those who interfere with us.(故に、我らを妨げる者よ。)
You Be a scar to be crushed instantly.(刹那に散りゆく軌跡となれ。)
The blow.(其の一撃。)
It is a music that worship the great fear.(荘厳なる恐怖を納め祭る奏でなり。)
Arousaler ――Eternal nightmare! (超越覚醒――語り継がれし夜想曲!)』
世界がヒビ割れた。砕けゆく空が鮮血の赤に染まる。昇っているのは哀愁の漂う夕焼け空。それは、今は亡きヤクショウ国の民の血の如く、どこまでも紅かった。
『その叫び訴える悲しみ。まったく深みが感じられん。それほど悲劇を欲しているなら、本物の悲劇を知るがよい』
大地の底から誰かの声が響く。その声はどこまでも低く、そして心の底から魂を揺さぶる声だった。
地面からぬるりと這い出るナニカ。その奇怪な異物は沼から這い上がるかのように、ゆっくりと現れた。
紫影の背丈が、その大きな影に悠々と飲み込まれる。その姿を見た瞬間に、あまりの怖気に意識が凍りついた。
畏怖すら感じられるその威圧感。それは、巨大な骸の山であった。いいや、山と勘違いするほどに大きな人骨であった。それは妖怪、餓者髑髏。巨大な骸骨だ。
血を連想させる真っ赤な鎧を着込み、刀を腰に据えた髑髏。その巨体を構成しているのは、数え切れないほどの骸骨。それはヤクショウ国という国を護り続けた英雄の屍達の群れであった。その骨たちがお互いに絡み合い、餓者髑髏というひとつの大きな巨体を作り出している。しかし、これでも全身ですらない。目測40メートルほどあろうその体の半分にも満たず、胸ほどまでしか這い出ていないのだ。これが全身ならばどれほど大きいだろうか。
「アアぁぁああ――ッッ!」
紫影は叫んだ。圧倒的な存在に対して、一種の本能じみた狂乱に任せて襲い掛かるが、その巨体はびくともしない。
「ガ、アアぁぁ――ッッ!?」
ダメージが通らないことに発狂する紫影。自分の思い通りにならない事を憤怒している。その一撃は岩すらもゆうに砕く破壊が秘められていたはずだがまったく効き目がないのだ。
その滑稽な様を見て、不気味にカタカタと餓者髑髏が顎を揺らす。
『誇りを持たずして溺れる者よ。冥牢の牢獄に沈むがよい』
突然に地面から無数の骸の腕が這い出て、紫影をつかんだ。加減無しに彼女の肉を毟り取るようにカタカタを骨を震わせながら掴み千切る。血染めになった彼女をさらに千切ろうと伸ばされる大量の手の骨によって、紫影は骨の牢獄に閉じ込められた。
「あなたの敗北は、受けた愛を傲慢に飲み干したこと。受けた愛を、向けられた愛の矛先を貶められないよう懸命に生きていく答えだってあったはず。そう、あなたは人間として生きることを怠けていた」
紫影はたまたま持っていた優遇を、自分の魂の輝きからなるものだと勘違いした。それが彼女の失敗である。
餓者髑髏が腰に据えた刀を手に取る。封印でもされているかのように鎖が巻きつけてある日本刀。その鎖を引きちぎりながら鞘から抜いた。
魂が吸い取られそうなほどに鋭利な輝きを持つ白銀色の刃。その刃の輝きには、希望はない。絶望もない。ただ純粋に研ぎ澄まされた『死』だけが存在していた。
大いなるものを見た圧倒的な畏怖に、紫影は言葉を発することすら忘れてしまう。見ているだけで気が狂ってしまうほどの純度の高い死。こんなものを見せ付けられる恐ろしさに比べれば、骸に体を千切られる痛みなどまだ安い恐怖であった。
『貴様が奪った命を返してもらう。生きる苦しみは、貴様の薄汚れた手で触れてはいけないものだ』
そう言い放ち、餓者髑髏は神速の一刀両断を放った。
横薙ぎに払われた刃の軌跡。その空間にあったあらゆる存在が全て消え失せた。死を与える刀は、あらゆる存在を『無』という形によって死を与えたのだ。
「グ、グガァァぁああぁぁ――ッッ!?」
その存在ごと両断された紫影が苦悶に震える。存在の芯にある『魂ごと』を両断された痛みは想像を絶するほどの激痛である。
「ドウシテ、私ノ言葉ガ 伝ワラナイノ……? ミンナ、私ノ事ガ 分カラナイノ……?」
紫影は死する直前まで何が悪いのかすら理解できていなかった。なぜならば、彼女にとってみれば正しさというものは自分の内の感情にある物だからで、外に正解があるという発想がなかったからだ。
ゆえにどうして自身の根拠が崩れているのか分からない。常に存在しているはずの、自分を支えていた基盤がほろほろと崩れているのに、やっと気付いたのだ。増長していた彼女の世界はすでに壊れていたことをようやく自覚できた。
「ナンデ……!? ソンナハズ、無イ、ノ……?」
最後まで分からなかった彼女が、ゆいいつ救われていたのは、自分の内に正しさが無い場合があると知ったことだろうか。
ダンジョンで死んだ紫影は、光の粒となって空に溶けていった。
◇◇◇
役目を終えた餓者髑髏が消えてゆく。それと同時に、切断された空間が縫合されていき元通りになっていった。時間が経てば正常に治癒されていくのは空間も同じく、それは自然の秩序の内である。
敵を全滅させた戦場。そこには、ほんの数分前までの激闘の音は存在しなく、ただただ無音だけが残されていた。
「これでいいはず。わたしが独りで、背負い続けるから……」
アラウザルを使うたびにいつも彼女は振り返っていた。それは死んでしまった民の願い。彼らが抱える無念の重さが、彼女が生きてきた国の誇りであると同時に、彼女を縛る茨の枷となり、見せ付けられるアラウザルの禍々しさは罰なのだろう。
重なり続けた歴史の重さ。それを守りきることが出来なかった罪。独りでは背負いきれないほどの贖罪を胸に、彼女はひとり静かに、頬につたった雫をぬぐった。




