鼓動:初めて俺の存在を問われた件について
紫影が歌う。地獄の底から響くような詩。ただ聞いているだけなのに、全てが不安になってくる不協和音がキキョウとアマチャへ降ってきた。
『Goodbye, I will go to see become a living corpse.(さようなら、生きる屍となり会いましょう。)
Hi, Will you forgot the memories with me.(こんにちは、あなたは私を忘れたのでしょうか。)
Do not run away from me. Because I came to see you.(私から逃げないで。あなたのために会いにきたのだから。)
I will continue to chase with the feeling to you.(あなたへの気持ちを携えて、どこまでも追いかけていくわ。)
To invoke the magic circle. Voice of the avenger.(魔法陣発動――復讐者の声)』
そこらじゅうから魂の中枢を鑢で削ってくるようなうめき声が聞こえてくる。圧倒的な恐怖がせり上がってきた。
「亡き者の心。生きているお前達は心情を勝手に美化しているが、果たして本当にそうだろうか?」
そう言って紫影がローブを脱いだ。幽霊にも似た青白い体にしわくちゃの老婆の顔、眼球は無く本来は目がある場所は虚空で真っ赤に怪しく灯っている。くぼんでいる目のある場所から、絶え間なく血の涙を流している。それはバンシーという妖怪であった。
「恨みを持つものは鬼となりて、修羅の道へと堕ちるがよい……!」
大地から悲鳴とすら思える絶叫と共に湧き上がってくる暗い輝きの光。芋虫のように蠢いてそれが集まっていく。
闇色の陽炎が立ち踊り、怨嗟のうめき声と共にひとつに混ざっていく。死者たちの声が重なりあい、彼らの絶望の悲鳴が周囲を恐怖で凍りつかせる。
「さあ、おまえたち。復讐の時間だよ!」
『オ゛オ゛ォォ――!!』
轟音にも似た数多の蛮声。暴虐を司る軍勢が悲鳴に似た咆哮をあがった。戦いを知らせる鬨の声。津波のような圧倒的な存在感が背筋を一気に冷却する。
どこからか現れたのか、悪鬼の群れが押し寄せてきていた。逞しい肉体の額には角が生えており、発狂したように金棒を振り回している。先ほどの声と魂が集まって悪鬼と成ったようだ。
「これがアタシのルールだ。お前たちが殺してきた命が、生きる者への恨みを蘇らせる!」
亡き者の怨嗟を呼び起こす魔法。今まで殺してきた者が悪鬼として続々と蘇生してくる。
死して安らかに眠りし戦士たちを、輪廻の環から強引に呼び込んでくるのだ。
「俺らの敵はコイツらのようだ。迎え討てェ――!!」
「おお――ッ!」
ワープされた冒険者達が声を上げて立ち向かう。
『ウ゛ォォ――ッッ!』
悪鬼達が魂すら凍りつく咆哮を叫ぶ。死者の怨念が込められたそれはもはや呪文の領域にまで到達し、生きている全ての生物の魂を削りにかかっている。
生者に対する、死者の狂おしいほどの絶望を乗せた雄たけびを叫びながら特攻してくるその姿。それは軍隊ではなく、野獣の群れである。ただ生者を飲み込みたいと、本能をむき出して襲ってくる。戦いで殉死してきた彼らは英霊ではなく、もはや破滅の導き手に他ならない。
「アマチャ。わたしの背後から動かないで」
静かに、ぞっとする熱量を含ませた言葉をキキョウはつぶやき、瞬時に動いた。
「シッ――!」
刀を振り、真空の刃で攻撃する。突如に湧きはじめた5体の悪鬼。飛ぶ斬撃が、即座にその胴体を全て両断する。撃破された悪鬼は、紫色の不気味な光の粒となり消えていった。
殺気を手がかりに、キキョウは悪鬼が出現した瞬間と同時に攻撃したのだ。
『ウウゥゥオ゛オ゛ォォ――ッッ!』
しかし、たかが5体など焼け石に水である。憎悪に燃える咆哮。恨みを叫び、狂乱する悪鬼という名の死霊の百鬼夜行。五体が欠損し、すでに朽ち果てたはずの磨耗した体を這いずって襲いかかろうとする悪鬼達もいる。
狂っている、いや狂わされて動かされている。悪鬼たちは勝利するという概念すらなく、戦術すらも投げ出してただ狂気に任せて這いずり回る。魂を持つものを頭から喰らいたいがために。
「終わりがまるで見えない。行かないと……!」
圧倒的な大群へ、キキョウは疾風となり身を投げる。キキョウが飛び込んだ場所を中心に、悪鬼の群れは両断されて光の粒となって消えていった
「姫さま! ええい、邪魔だ! やぁっっ!」
アマチャも苦無を握り、一閃して悪鬼を撃破していく。だが、忍者は隠れた場所からの暗殺がメインであり、白兵戦は苦手な部類に入ってしまう。ましてや倒しても次々に湧き上がる悪鬼たち。無限とも思える一対多数の戦いに苦戦を強いられる。
「くぅ! 姫さま、この量はさすがにキツいです!!」
「攻撃を読んで戦えば……っ! 敵は必殺しか狙わない。急所しか攻撃しないから、読みやすい。本能だけで攻撃してくる」
キキョウの観察は的を得ていた。野獣のように貪り食おうと獰猛に襲い掛かってくるだけで、言ってみればそれだけである。
しかし、戦いは数が物を言う。物量による戦法は単純であるが故に覆すことは困難に極まる。皮肉にも先ほどキキョウが崩した戦争の方程式を、紫影は上回る物量という形で巻き返してきたのだ。
「シッ――!」
風を撫でるように刀を振るうキキョウ。彼女としては攻撃が効くのなら問題無いと思っているし、現れる敵も過去に倒したものならば既に乗り越えた存在のはず。いくら出てきたところで今の自分にとってみれば過去の敵など雑魚であり、今更の存在である。
「このっ! はぁ――っ!」
アマチャが十人目の悪鬼を撃破した直後、どこからか新しく悪鬼が産声を叫ぶ。また増えたようだ。
「姫さま。このままでは敵の思う壺です」
「だけど。……ん? 空からっ!?」
咄嗟にキキョウが跳躍する。空から種が降ってきていたのだ。
種の乗り物の中から出てきたリザードマンをキキョウは撃破する。
「道を空けさせてもらうぞ。でりゃァ――ッッ!」
キキョウの着地地点へアマチャは駆け、忍法で悪鬼を焼き尽くす。無事に着地できたキキョウ。旧友の仲だからこそできた阿吽の呼吸である。
「決まりましたね、姫さま!」
「しまった! アマチャ、離れて!!」
その時、キキョウは気づいてしまった。空から降ってくるモンスターを倒しても、その死肉から悪鬼が生まれてくるのだ。今のキキョウ周囲には、悪鬼と成る死肉が散らばっている。
「ふぅ……。ハァ――ッ!」
精神統一からの、一閃。悪鬼に成った瞬間に両断するキキョウ。あのとき気付かなければ、一瞬で2人は死肉から生まれた伏兵に押し潰されていただろう。
2人は背を合わせる形で、悪鬼と向かい合い、一息をつく。
「姫さま、大丈夫ですか!?」
「だいじょうぶ。だけど……」
つまり、今戦っている勢力は、味方の勢力が倒してきた命の数と、空からの敵襲するモンスターの数。そこへ更に、空から敵襲したが倒されたモンスターの死体の数も含まれているのだ。
単純計算。モンスターが一度死んでも再び蘇ってくると考えれば戦力は2倍。そして、紫影が出てくる前までに撃破した敵の数も、いま進行形で蘇っている。
これが紫影の狙いだったのだろう。瞬発的に大量の死兵を創り上げることにより、莫大な物量で一気に攻め立ててきたのだ。
「いかがなさいますか。ここは体制を立て直したいところです」
「この量では逃げ切れない。このまま戦うしかない……!」
2人は苦く歯を食いしばった。キキョウとアマチャは多少の敵が増えようがどうってことはない。ここにいる2人ともヤクショウ国の崩落という困難を生きて乗り越えた血濡れの猛者なのだ。ゆえに切った先から敵が悪鬼として蘇っても、所詮は瞬殺した相手なのだから再び切るだけである。
しかし、戦況としてはいかんともし難い。戦力差は数えるにも莫迦げているほどの差があるのだ。
一騎当千の強者がいようがあくまで局所的な勝利であり、戦争としての勝敗の鍵を握っているのは町人達を中心とした冒険者との連合軍である。彼らでこの軍団からダンジョンを守りきれるだろうか。
「厳しい戦いになりました。いかがなさいますか?」
「ダンジョンマスターに任せる。それしか、無いかも……」
実はキキョウ達の考えは的を得ていた。あくまでこの戦いは敵にとっては攻めであり、ダンジョン内で戦っているダンジョンマスターの部屋の件とは別個の問題である。物量でこちらのダンジョンへ押し寄せるモンスター軍団の援軍として紫影は戦っているのだ。
「少なくとも、逃げられる量でない」
「つまり、このまま粘るという考えでよろしいですね?」
アマチャの確認にキキョウはコクリと同意した。
このダンジョンを守りきれるかという勝敗の鍵もあるが、キキョウ達にはもう1つの勝敗の鍵がある。それは、ダンジョンマスターによる敵ダンジョンのラスボスの撃破である。
ゆえに、今のキキョウ達ができる最善の策は――。
「少しでも勝ちに近づけるように……!」
「わたし達が、切り開いていきましょう!」
再び彼女達は激戦の群れの中に身を飛び込ませた。
◇◇◇
風が轟と唸り、拳が激しく衝突する。俺と緑影は互いに裂帛の雄たけびをぶつけ合う。
拳打。脚打。肘打ち。頭突き。持てる全ての技を以ってして敵を砕かんと、ひたすらに愚直で暴力的な応酬が繰り広げられていく。
「ァァア、オらァァ――ッ!」
「オオオォォ――ッッ!」
大地が押し潰されて、巨大な車が通った轍のような凹凸が次々と地に刻まれていく。
その拳達は、凶器を通り越して兵器と化していた。互いの打撃は激烈な破壊力が秘められている。ゆえに、もはやこの戦いは戦争の領域である。重戦車同士の砲撃合戦を連想させる重拳士と重拳士の壮絶な戦い。お互いの全力がぶつかり合っていく。
「おまえは思ったことは無いのか。いつの世界でも争いによって、全てが荒廃していく。消えて欲しくないと思っていても、時が経てば全てが荒廃していく」
「そんなもん、当たり前のことだろうが!」
「そう、当たり前のことゆえに意識しなければ考えることすら忘れてしまう。空気がそこにあるのと同じように、意識しなければ日々の生活では忘れてしまう当然のことだ。我は永遠などという贅沢は望まない。せめて自分の生きている間だけでも、保って欲しい。そう思わないのか?」
「――ッぐゥ!?」
サイクロプスの腕が俺の腹に突き刺さる。
「っく! 効かねぇんだよ中ボス風情が! ウらァァッ――!」
全身に力をこめて筋肉を膨れ上がらせる。拳骨がミシミシと悲鳴の音をあげるほどに固く拳を握りしめて、俺の全力を叩き込む。
しかし、サイクロプスは軌道を読んでいて、真っ向からカウンターを叩き込んできた。脳を直接揺らされて意識が飛びかける。
「こ、のォ……ッッ!」
「そう、ゆえに我は荒廃を覚えた」
突如、サイクロプスの筋肉にまみれた巨体が豪快に膨れ上がった。
「自らの手で終焉を与えることで、その存在は我が胸の中で共に生きていく。我が胸に傷跡を残し、永遠となる……!」
サイクロプスは豪腕で地面を叩き殴ると、衝撃の余波が突風を巻き起こし、さらに蜘蛛の巣状に地面がひび割れた。
「ゆえに、我が自ら貴様を屠ろう……! ウゥゥハァァ――ッッ!!」
サイクロプスがさらに力を込めた瞬間、岩盤ごと大地が砕け飛んだ。解き放たれた衝撃は、暴力的な岩盤の欠片となり大地の津波を引き起こした。
迫り来る土色の荒波。自身の身長の三倍以上もある濁流が襲いかかる。
「永遠にするために荒廃させるだと? だから俺を殺すだと? 意味が分からねぇーって、さっきから言ってるだろうがァ!」
拳撃の波動が乗った津波を、俺は拳圧と共に正面から気合いでぶち抜いた。爆弾もかくやという威力の拳圧が津波を相殺する。
「っしゃ! いくぜ!」
一気にサイクロプスまで距離を詰めていく。先ほどの拳の波動の余波がビリビリと全身の皮膚をなぶり、岩盤の欠片が頬を切り裂き血飛沫が舞う。しかし、それでも強引に突撃していく。
「オラオラオラオラァァ――ッッ!」
大気ごと押し潰さんとばかりの全力の乱打を叩き込む。サイクロプスの腹に叩き込んだ拳に確かな手ごたえを感じられる。
「……効かないのは貴様と同じだ」
「なん、だと……!?」
「自分の世界の中で、最もかけがえの無い存在は自身という名の我の存在だ。自分というものは世界の価値の最初に生まれ、基準になる存在。ゆえに、自分の価値観を優先するのに理由は要るのか?」
「さっきからベラベラと自分のことばかり。うるさいんだよッ!」
怒涛の連続攻撃をしかける。戦い方がほぼ同じであるがゆえの泥沼の試合。同じ土俵で戦うからこそ、気力と根性が鍵を握る勝負となる。サイクロプスの顔を徐々に血飛沫が染め上がっていく。
しかし、サイクロプスの目に灯った闘志は消えていない。
「失って気づく悲しみ。そうやって生きるものは価値を見出すのだ。英雄の死がもてはやされるのと同じく、死こそが生き物のもっとも輝く瞬間だろう?」
「ぐぅ、ガァ――ッッ!」
地に足が着いていない浮遊感。腰に抱き捕まれて宙に浮かされた。背丈に差があるからこそ一度捕まったなら最後、シンプルながらに避けることができない絶対の攻撃。
「我は余すところなく、その者の魂が輝く瞬間も含めて全てを知りたいのだ。幸せの思い出も、それらから与えられる胸に傷つける喪失感すらも、その者が生きた誇りとして我の内に永遠に残ろう。貴様のように妄信的に教えられた当たり前とやらの倫理と違うからと、話も聞かずに受け入れず否定を繰り返している貴様とは感じている次元が違うのだ!!」
メキメキとアバラ骨が悲鳴を叫ぶ。身もだえするほどの激痛に、腰からへし折られそうになる。
「ギィっ、ぐあああァァ――ッッ!」
あくまで俺は人間の中で力に秀でた者の範疇であり、敵は力の秀でた怪物である。人間と怪物が真正面から戦ったなら、どちらが勝つかなど言わずも知れていたことだった。
「貴様は目を背けている。現実を見ているという言い訳を使って、自身が何を思っているかを忘れている。自らの手で考えることすらも……!」
「ぐぅっ! 目をっ、背けている、だと……!?」
「ゆえに、貴様に誰も守れはしないだろう。我すら倒せぬのだから、我が主と戦おうなどとは笑止である!!」
「クソっ、このヤロウ……! ぐ、ぁぁ……!」
豪腕に締め付けられる身体。もはや悲鳴も枯れ果て、肺に残っている空気を搾り出されるだけとなっていった。
人間では勝てない人間を越えた存在。だからこそ、彼は怪物なのである。
「さあ、喚け。目を逸らしていた貴様の苦悩を思い出せ。死ぬ間際に感じた、貴様の世界を我に見せてみろ……!」
狂気と哄笑の混じった単眼で俺を見るサイクロプス。その瞳には口の端から血を垂らして苦しむ俺の姿が映っていた。
突如としてフラッシュバックが起こった。死ぬ間際の走馬灯。それは俺が死ぬ前だった頃の時代。苦しみながら日本にいた頃の記憶が蘇ってきた。




