オネエと下水処理場
まずいちばん臭い所から済ませるのがこのオネエ流
「フェイ様、ご用事がお済みになりましたら必ず来て下さいましね」
「ええ、新大陸との交流も多い国、楽しみにしてたもの、必ず行くわ」
「それではフェイ殿、失礼いたします」
数日後、王都から護衛の一団が派遣され、姫君と侍女は名残惜しくも砦を後にした。旅の男の手ずからの化粧を受けられない事を非常に残念がっていたが、迎えが来るまでの数日間で基礎部分となる手業と術式を授かった。
最終試験として、護衛の騎士達を出迎える際には姫君と侍女はお互いの化粧を施し合い、青年騎士や砦の面々と同じく、護衛の一団を呆然とさせたのだった。
「さぁて、汚部屋ならぬ汚砦の刺激的ビフォア・アフターにとりかかりますか!」
「あ、あの、フェイ殿、なるべくその、お手柔らかに…」
監視役兼務で青年騎士は男の付き添いである。この数日で、貴賓室あるいは客室とは名ばかりの部屋が、豪華な装飾は一切ないにも関わらず整理と掃除、そして数少ない家具や飾りで貴族どころか王族を迎えるに相応しい空間に変化した。
来賓が入った部屋の使用後を任された歳若い従士が、入って呆然としたのは言うまでもない。
「フェイ殿は、執事協会の技能もお修めなのですか?」
「こんなの、協会所属者に比べれば児戯よ。あそこの名有りは無いものまで用意するんだから、化け物よね」
心なしか、いつも余裕ある態度が常の男の顔が引き攣っていた。気を取り直し、男は青年騎士に顔を向ける。
「ま、それはともかく…、まずは砦全体の掃除ね、共用スペースだけでもちゃっちゃととりかかりましょう」
腕捲りを終えると、いそいそと鞄からエプロンと三角巾を取り出す。
「それなら、入りたての従士から選抜して人員を…」
「あ、いいのいいの、まずは私がガッツリやっちゃうから。問題はそれ以降の維持の仕方だから、そこを教えるときはお願いね?」
「は? …あの、要塞とまでは行きませんが、ここも要衝の一つ、それなりの広さがありますが」
砦と言っても大小様々ながら、一人が担う作業量を凌駕している。純粋な面積を考えれば小さな村程度はある。
「大丈夫よ。施設自体は魔族侵攻時の頃の古いのだけど、基礎からして賢者の一族が手掛けたみたいだし、排水とかその辺りはしっかりしてるから楽よ」
賢者の一族とは、彼らはそう名乗って居ないのだが、この大陸において知らない者は殆ど居ない技術開発集団の事だ。元は賢者と呼ばれた老人の弟子の子や孫達が始まりであり、各地に散る彼らは術式を用いずに相互に意思や意見を交換し、賢者の願いである「しあわせの為の技術」を日々研究し、市井へ教え伝え続けている。
数百年前の魔族侵攻時、建築に熱意を注いでいた一派はこれまで魔法一辺倒であった建築概念を覆し、人の手と魔法式の混合による、まさに両方の理に適っている建築物を建てようと躍起になった。この砦はその黎明期の作だと、男は言う。
「成程…、申し訳無い、自分はそこまで気にした事がありませんでした」
「ま、抑えとく所が多いからその辺を忘れられると効果は半分以下だし、そうなると他の古臭い砦と一緒だから仕方無いわ」
男は下水関連の掃除から始めた。臭い臭い言いつつも、青年騎士すら知らなかった下水処理施設のしかけを動かし、滞りのある部分を修復し、各所の詰まりや漏れを生活術式を用いて対処していく。
「簡易の術式で対処できるとは…」
男の指示で沈殿槽なる所へ、<水浄化>を施す。長年、手入れをしていなかったせいで浄化機能を超過して詰まっていたとのことだが、青年騎士には何がどうなっているのかさっぱりだ。
「もう! 関心してないで手を動かす! さっさと終わりにしないと匂いが染み付いちゃうでしょ!」
砦の書庫から、古い書類を引っ張り出してきた時は何をと思ったが、男が持ってきたのは下水処理施設の稼働手順書であった。手入れさえしていればそれこそ千年単位で用いる事ができると言うが、青年騎士はいまいちぴんと来ない。
一人愚痴を垂れ流す男が手元の手順書に従い手入れと可動を終わらせると、ごぽりと粘着性の音がたまに響く程度であった地下に、どこからか水が滞り無く流れる音が聞こえてくる。
地上に出ると、男はすぐさま<消臭>を実行。青年騎士を振り返るなり顔を歪めて彼にも術式をかける。そして手元から香水を取り出し、気体関連の術式で拡散させて身に纏わせた。
「ふう、やれやれ…。この手順書、従士の子だけにやらせるには荷が勝ちすぎるから、身元がきちんとした人、複数に任せた方がいいわね。監督役は持ち回りでやんなさいな」
「外部からですか…、そうなると隊長経由で司令部の指示を仰ぐ必要がありますね」
「その辺は任せるわ。ただ、ここがちゃんと動いてるなら、雨の日に逆流でみんながてんてこ舞いとかそういうの無くなるからお得よ? あと、処理後の泥類が畑の元肥として売れるみたい」
男が手順書を見ながら解説する。それが本当であるなら、砦の維持費補助ができる事となり、司令部としては悪い話では無いだろう。成分を聞いてもちんぷんかんぷんではあるが、この地方での一般的な元肥として、高くは無いにせよ十分な能力があると男は言う。
この砦のトイレ事情は悪い。古い施設は大の方は詰まっていた為使われず、一部の所に簡易トイレを構えて、溜まったものは一週間に一度程度、近くの村から人足が引き取りに来ていた。
土に関する魔法式の開発により、農村の土壌改良についてはかつての比ではない。それでも無い要素を賄うためには元肥が非常に重要だ。ただ、人足を雇うのに少ない予算が削られてしまっていた。
そして雨の日は悲惨である。なまじ排水路がある分、適当な所に作ってしまった簡易トイレの脇から汚水が流れ、砦を囲む排水路から異臭が漂う羽目になっていたのだ。
それが、物置小屋としてしか見られていなかった下水処理場の稼働により、雨の日の次の日に憂鬱になる事が無いどころか、金を生む事になる。
「ま、ここの面子でもよく勉強すればそれほど手間でもないから、元肥だけ売ってお小遣いにしちゃうのもアリね」
任務が疎かになる程の事は本末転倒のため程々にと釘は刺されているが、狩場での狩猟や採取、魔物討伐による素材販売など、部隊毎にある程度は独立採算や予算補助の活動をする事は許可されている。
取らぬ狸の皮算用ではあるが、元肥の売却が軌道に乗れば、砦全体の従事者達に臨時収入を齎すことができるかもしれない。隊長と副長は私腹を肥やす質ではないから、人足を使わないだけでも御の字だし、臨時収入が増えるとなれば兵士達も喜ぶ。
いつも予算の事で愚痴を言っていた隊長と副長の事を考える青年騎士。
「強く、隊長に具申しておきます」
「それってどっち?」
「…」
男の質問に、彼は目を逸らした。
元肥というのは、畑にまくメインの肥料ですな。よく発酵させないと悲惨な事になるのは御存知の通り。この世界では術式での処理が一般的なのですが、専門知識を学ぶ必要があります。
んで、砦の処理施設はそういった知識が無くても手順通りにやれば有害成分を分け、適切な処理済みの元肥も用意できるようになっています。ご都合主義ですねw