オネエの申し出
行方不明になっていた姫君と侍女の捜索に当たっていた砦、そこは今、静寂に包まれていた。人員が失せた訳ではない。先ほどまで、捜索隊の一団から「姫健在」との一報で歓声に包まれていた。その騒いでいた面々が、見張りをしていた櫓の兵士が黙り込んだのを皮切りに、周囲警戒の衛士、門番、そして砦内の兵士達とまるで凪の結界に包まれたかのように静かになっていったのだ。
彼らの視線の先、そこには騎馬に乗った青年騎士アルフォンスと部下たち、そして、近隣の農村で接収したのか、古ぼけた荷車を引く老馬。その荷台が問題だった。
「…ああ、申し訳ございません国王様、姫様をこのような荷車で運ぶこととなるとは」
「良いのですサー・アルフォンス、運ばねばならない荷物も居ましたから」
「姫様の処遇で驚かれてしまっていますよ!?」
「アルちゃん、多分それ、違うわよぉ?」
御者台に居る男が周囲の反応を見て満足気に微笑む。
「彼らは荷車なんて見てないわ、視線を辿ってみなさいな」
青年騎士は促されて、渋々と近くの兵士の視線を追う。その先には、姫君と侍女の姿だけがある。頬が上気して陶然とした顔でぽかんと口を開けていた。
多分、恐らく、きっと、自分もあの時、同じような顔をしていたのだろう。
そう思った青年騎士は顔から火が出るような思いを押し殺して近くの兵士へ顔を向ける。
「お、おい、隊長殿へ早く」
「…はっ!? は、はい、少々お待ち下さい!」
「お前達、各所属の小隊長に伝達! これから運ばれてくる容疑者の収容準備と、難民の受け入れ準備だ、急げ!」
「りょ、了解致しました!」
「お疲れでしょうが皆様、よしなに」
姫が微笑みながら手を振ると、何かを胸で撃ちぬかれたように兵士とその周囲の者が胸を抑えた。そして物凄い勢いで周囲に散っていく。
「うん、美しさって武器よね」
御者台の男は自分の技が引き出した姫の美貌に満足気に笑う。
「それどころか兵器です」
「私、そんなに危険物!?」
お互い道中で見慣れてはいるが、侍女は今の状態はそれだけの威力を持つと自身たっぷりに胸を張る。
「今の姫様は戦略級術式に引けをとりませんわ!」
今の侍女も及ばないまでも大概なのだが、それは心の棚に置かれたようだった。
砦の司令室。隊長と副長は、姫君と侍女、そして青年騎士を出迎えて、やはり目を瞬かせた。侍女がこほんと咳払いすると、隊長と副長は、はっと気付いたかのように口を開く。
「姫様、まずはご無事をお祝いいたします。また、この度の件は担当たる自分の不徳の致す所、いかなる処罰も覚悟しております」
「良いのです、サー・イングヴェイ。私の権限において、この砦の皆様には何の咎も無い事を証言いたします」
「は…、しかし…」
「大丈夫ですよ、これでかの国への交渉材料が増えたなら、私の身の無事もあわせ、お喜び頂けるでしょうから」
宰相の過労が心配ですけれど、と付け加えると苦労人の宰相の顔を思い出した面々が苦笑する。
「所で姫様、サー・アルフォンスの報告では居合わせた旅の者がお救いしたとの事ですが」
「ええ、事実です。イザベラの証言が主になりますが、襲撃者も元より、難民の方々を囲っていた不埒者達を制圧したのもその方です。今はどちらに?」
「客間にお通しした筈ですが…」
と隊長が言った所で、外からノックの音と件の男の声が聴こえた。
「そろそろいいかしら?」
「お通ししろ」
そして現れた旅の男。その姿を一言で言えば色男だ。背は標準的な騎士と比べても遜色無く、身体はバランスよく鍛えられており、身のこなしは優雅でどこか気品にあふれている。
ただ、なんというかそこに男臭さが微塵も無い。隣国の高名な姫騎士と何度か謁見した事のある隊長は、その姿を幻視した。上背も線も男そのものなのだが、動作の端々がどこか女性的なのだ。
「お初にお目にかかります。探索者組合に所属しております、旅の探索者、フェイと申します」
副長が隊長へ目配せをし、頷く。既に身分証となる札を預かり、その情報を元に伝書鷹で近くの街の探索者組合に照会済みだという事だ。
「一応聞くが、賢人族の血を引かれておられるのか?」
「母方の祖父が。私はクォータです」
「ふむ…」
人族の因子の中で、異種との婚姻では大抵は半分、あるいは発現しないのが常だが、賢人族との交配ではクォータもまれに生まれる。これは、今の大陸での大勢を誇る人族が、元は賢人族の中から生まれた突然変異であった事に起因するらしい。
閑話休題。
「この度は姫の御身をお救い頂けた事、誠に感謝いたします。つきましては…」
報酬の件でと続けようとしたが、探索者の男…フェイは唇に指を当てた。
「サー・イングヴェイ、報酬につきましては既に私からお約束しております。ただこの度の件、魔法使…いえ、フェイ様、何か追加でご希望などは?」
「希望と言いますか、この砦の状態について、ちょっと不満が」
「不満、ですか?」
隊長は何を言ってるか解らないといった風情で首を傾げる。
「ごめんなさいね、流石に畏まった口調って疲れるんだけど、いいかしら?」
「ええ、構いません」
姫が首肯すると、男は顔を隊長へ向ける。
「まず隊長さん、この砦の人達って、休暇はどうしてる?」
困惑した表情で隊長が視線を姫に向けると、姫は微笑んだ。その美貌にくらっとしつつ、許可を得たので隊長も口調を改めた。
「休暇か? 近くに家族が居るなら戻り、独身者はすぐ近くの街に繰り出しているが」
「ふぅん…、んで、イイ人が居る、あるいは結婚してる子は比率でどんな?」
「え? ううむ…」
「周囲情勢が安定しているとはいえ国境が近い事もあり、大抵は独身だ。婚約者が居る者も、一割に満たない」
情報を把握しているらしい副長が口を挟む。
「成程、でもそれ、実は怖い事ってわかってる?」
「…どういう事だ?」
「女遊びするのはいいけど、街に女の間者が紛れてると独身者が多いこの砦の情報って、結構筒抜けって思わない?」
今回の件も含め、断片であっても情報をかき集めたとしたならありうる話だ。ただ、それを想定して居なかった訳ではない。
「そう考えて、見合いの席も多く用意しているのだがな…騎士や国軍とはいえ、年若い血気盛んな連中だ、騎士達も性格に難有りで所属替えされてきた奴らが多い」
隊長も副長もその辺りは察してはいたが、ともすれば野蛮に見える国境の砦の面々だ、そう簡単に相手が見つかるワケがない。青年騎士は例外中の例外ともいえる。
「成程成程、ヤンチャな子だらけって事ね。姫様、あの報酬の件、受け取りは後回しでいいかしら、私、この砦でやることできたから、それ済ませてから伺うわ」
「え、ええ、構いませんが…」
「隊長サン、暫く厄介になるわ。権限なんかそんなに要らないけれど、砦の整備、一寸だけ噛ませなさい?」
「は? 部外者にそんな事をさせるわけ…」
「掃除、洗濯、訓練場の整備、手伝わせろって言ってんの。旅魔法と生活魔法、指導者認定は貰ってるから」
下位の騎士や従士、兵士達のおなじみの仕事だが、男仕事では大雑把でありまた、常に人手が足りない所でもある。それを目の前の男は手伝うと言ってきたのだ。目的が余りにも解らない。
尚、指導者認定とは各組合に所属する者が、実際に弟子を育てる能力があると太鼓判を押された事を指す。能力は高くとも指導者に向かない者が大半の中、指導者認定は能力の高さと共に指導者として優れた適正を持つ事を示している。
「…何が目的だ?」
「汗臭い男所帯もまあ見てる分には悪くないけど、マニアックなのよね。エレガントとは言わないまでも、もう少し生活面から見栄えを良くするのよ。イイ女を引っ掛けたいなら、簡単な所だけでもしっかりするのよ」
「そんな事で嫁を迎えられるなら苦労はせん!」
「ふん、そんな事だからそんな歳でも童貞なのよ」
「ど、どどど、童貞じゃ!」
「その反応が既にそうよ。可愛いわねホント、それとも何、まさか男の方が好み?」
副長がささっと尻に手をあて離れると、隊長は顔を真赤にして否定する。
「違う!」
あからさまにほっとする副長に怒り目を向けるが、彼は目を逸らした。
「ならいいじゃない、私が女だったら夢の世界と言わないまでも目移りしまくる位、この砦の坊や達を化けさせてあげるわ!」
「し、しかし、訓練と任務でそんな事にかまけてる暇は…!」
「心がけがいくつか加わるだけよ、何よ、そんな事も気付かないの?だからど…」
「だから違うと!」
いつもは威厳ある隊長が、男の前では型なしである。副長も呆然とする中、青年騎士は「あー隊長、童貞だったんだなー」と心の中で思う。
「…姫様、フェイ殿は一体何を?」
「多分きっと、素晴らしい事ですよ」
何をしようとしているかは察することもできないが、少なくとも、この砦や国に悪いことは起きないだろうと、姫は確信していた。
隊長カワイソス。
婚期が早い世界で30代童貞って、現実世界だと40代以上の童貞とかそんな感じなんだろうなと。
因みに副長は嫁さん持ち。