えんどたいとる
この世の中、『人探し』や『捜索』などの名目で、警察或いは探偵に依頼することは数多いとは言えないものの、そのような方法があるということは誰もが知っていることだろう。
そして、しかしそれが、容易いものではないということも既知としているだろう。
手がかりがあったとしても、消息不明者、行方不明者の発見は、警察機関を要しても難しい。
その理由は幾つかあげられるが、中でも最もなのが、『本人の意思によって隠蔽されている』ということである。
或いは、『他者の意思によって隠匿されている』ということである。
警察が介入すべきそのような事案の大抵の場合、足跡を故意的に消しているので、それはもう難易度の高いものだ。
マスコミやメディアが協力するならばまだしも――
特に遥ちゃんの場合は――
「殺人容疑って言ってたけ、遥ちゃん」
「ん?」
「ほら、前に八千代、言ってただろ。遥ちゃんには殺人容疑があるとかなんとか、だから捜索しているって」
八千代は思い出したように、あぁ、と曖昧な返答をする。
しかし、今になって思えば、八千代は警察機関に属する身ではないのだ、それならば、容疑者の捜索など専門外ではないだろうか。
いや、そんな依頼を請け負ったのかもしれない。
「ふふ、別に依頼じゃないよ」
「……ふぅん?」
「確かに、私は依頼があれば犬の散歩だろうと子猫の救助だろうと請け負うが、しかし、これは全く別の案件なのだ。誰かに依頼されたわけでも、ましてや、警察のサポートをしているわけでもないよ」
なら、どうして――と言おうとした寸前で、八千代は続けた。
「殺人容疑と言っても、彼女が何かしたわけではないのだ……いや、何かしたかと言えばしたのだろうが、別に警察が血眼になって捜索しているわけでも、容疑者でもないよ」
「それなら尚更、殺人容疑ってのが理解できないよ。何もしていないんだったら、疑うこともないだろ」
八千代は僕の問い掛けに対して、適当な言葉を探すように腕を組んで唸った。
場所は喫茶店――あろうことか、本日二度目の来店だった。
いや、その言葉の表現は少々の語弊があるかもしれないが、喫茶店を一日に二度、しかも同じ店に訪れるのは、僕の人生において初めての経験である。
どういうわけか、店主である寡黙な老人は注文を聞くでもなく、アイスコーヒーとホットコーヒーの二種を当然のように出した。
まるで行きつけのような感覚になってしまったが、それは一先ず置いておくとして、いずれにせよオーダーをとりもしない対応に半ば困惑する僕であった。
八千代はそんな彼の対応を気にするでもなく、目の前に出されたそれに躊躇いなく口をつける。
それを見た僕も同じように、カップを持ち上げ、
「一見の客にはオーダーを聞くんだよ、あの老人は。しかし、それ以降は毎回同じものを出すのだ。まったく、変わり者にも程があるというものだね」
と、八千代は薄ら笑みを浮かべる。
そうなれば、僕はこれからこの店を訪れる度にホットコーヒーを飲む羽目になってしまうのだろうか。
まだ肌寒い今の季節ならばともかく、夏場にそれは嫌過ぎる。
「そうだ、少年は確か、推理小説が好みだったな」
「……あ、うん、そうだよ」
「ならばここで一つ推理問題でもしてみようか」
「推理問題?」
「例えば、君の友人Aさんが何者かによって殺されたとしよう。とても仲の良い友人だった。まるで一心同体、運命共同体の如く連れ添い合った友人Aさん――彼を殺害したのは、これもまた君の友人であるBさんだった」
「うん、それで?」
「さて、犯人は一体誰なのでしょう?」
「は? 犯人?」
「あぁ、犯人は誰なのかと訊いている。登場人物は三人なのだ、当てずっぽうでも三分の一で正解できるな」
八千代はポケットから煙草を取り出し、器用に指先でくるくると回しながら、にやにやと不適に微笑んでいる。
赤いパッケージの外国産の煙草らしい。
「いや、そんなの問題になってないだろ。八千代、君がまさに『彼を殺害したのは、これもまた君の友人であるBさんだった』って言ったじゃないか。この問題文だけで正解を得るなら、紛れもなく答えはBさんだろ」
「残念、ハズレだ」
「……理由は何」
「そうふて腐れるなよ、少年。こんなのただのお遊びじゃないか」
「いいから、理由を述べよ」
かちっ、と安価なライターで煙草に火を吐け、茶色のフィルターが八千代の薄い唇に触れる。
その瞬間、僕の胸は急激に高鳴ってしまった。
喫煙する女性が好きだとか嫌だとか、そんなことを今まで考えたことはなかったけれど、何だろうか、大人の女性としての魅力が溢れ出ているような気がする。
艶かしいというか――そう、これはきっとエロチシズムだろう。
「確かに私はAさんを殺害したのはBさんだと言った。しかし、ここで登場人物が三人であることに着目してみようじゃないか。一体全体どうして、私がわざわざ『君の』と友人を形容したのか――確かに、少年が言うように犯人はBさんで間違いない。実行犯はBさんで概ね正解だ。だが、概ね間違いでもあるのだよ」
「いや、よくわからないぞ。登場人物が三人だということは置いておくとしても、Bさんが殺害したと既に明確じゃないか。実行犯とか、そんなんじゃなくて――」
ん?
待て待て、待て、僕。
実行犯がBさんということは、指揮した者がいるってことか。
「これは推理問題だと、私は最初に言ったはずだが……もうわかったかな。そう、犯人はBさんではない、無論、殺害されたAさんでもない。犯人は――真犯人は少年、君だよ」
「……そうなるのか」
「Bさんは君とAさんが非常に仲睦まじいことが気に食わなかった。そして、Bさんは考える――Aさんを殺せば、自分がより君に近づけるのではないか、ってね。しかし、これは問題そのものが根本へと、原点へと回帰するのだよ。つまりだね、Aさんは君と仲がよかったせいで殺された、とも捉えることが可能なわけさ。そうなれば自然、Bさんは君がいなければ殺人を犯すことはなかっただろうし、Aさんは死ぬこともなかった。裏を返せば、AさんもBさんもいなければ、君が犯人になることはなかったのさ」
「そんなの、生命の起源を遡るようなもんだろ。考えたところで無限、無限……ぐるぐると同じことが回る無限回廊じゃないか。それに、そんな事情がAとBにあったところで、僕は何もしていない」
そう。
そう、と八千代は灰を叩く。
「君は何もしていない。何もしていないのに犯人になってしまっているわけだ。何もしなくとも、君がAさんとBさんの間にいただけで、殺人が起きてしまった。逆に言うと、『君がいるせいで』Aさんは死んでしまったし、Bさんはしたくもない殺人を犯してしまったのだな」
「無茶苦茶だろ、それ……」
「つまり、何が言いたいか、殺人事件には被害者と加害者だけではない『何か』が介入していることが多い。その『何か』が何なのかは様々だが、共通して、『それ』の意思がそこにあろうとなかろうと、『それ』の存在が既に凶器となっているのだよ」
存在が凶器――
言っていることは強ち間違いではないのだろう。
無茶苦茶で破茶滅茶な理論ではあるものの、恨み辛みだけではない『何か』が確かにそこにあるのは考えてみれば当然のことのように思える。
「昔によくある話ではあるが――例えば、天才のために周囲が殺し合ったりするものだよ。その天才は事件の中心にいるのにも関わらず、ただその中心点で鎮座しているだけなのだがね……ふふっ、そう思うと本当に馬鹿馬鹿しいこと極まりないが」
「他で言うと、絶世の美女の取り合いとか……?」
「あぁ、そうそう、それもアリだね。私を取り合う屈強な男達……ロマンチストじゃないか、少年」
「…………」
例え、八千代を取り合う男達がいたとしても、きっと八千代はその中心点で心底嘲笑いながらその様子を見ているに違いない。
いや、むしろ端から眼中になさそうだ。
「で、それが遥ちゃんってことか?」
「さぁ、それはどうだかな……」
「……えらく歯切れが悪いね。今の話から察するに、遥ちゃん自身には殺人容疑はかけられてないんだろ? まぁ、それはさっき八千代が否定していたけれど、つまり、遥ちゃんの意思は無関係に、彼女の存在そのものが事件を誘発させてるってことじゃないのか?」
「『何か』の意思がそこにあろうとなかろうと――だよ」
僕は歯切れの悪くなった八千代に要約を催促するように首を傾げた。
「静 遥、彼女が自身の意思と故意性を持ってして事件を誘発させている可能性は、彼女にしかわからないことだろうね。私にも少年にもわからないさ。人間の心を知る方法は神様になるか、人間性を捨てるかのどちらかだよ」
静 遥――
厚手の黒いダウンにギンガムチェックのスカート、奇抜なデザインがあしらわれた細身を強調させるニーハイソックス、ドクロの帽子。
お調子者で破天荒、現代に生きる傾き者のような彼女。
初対面の僕をあれやこれやと縦横無尽に連れ回し、問題ばかりを起こすトラブルメーカー。
そんな彼女が、そんな遥ちゃんが、もしも本当に殺人を故意的に誘発させているのだとしたら、人間不信になりそうだ。
しかし、平気な顔をして渦中の真ん中で傍観することができる娘だとはどうしても思えない。
殺人容疑ねぇ……。
遥ちゃんが殺人容疑……。
ん。
あれ?
何だろう、何か引っかかるような。
殺人容疑?
いつ誰がどこで誰を殺したんだっけ?
「さぁて、静 遥の身柄を確保しようとするか」
「おい、個人的な案件だって言ってたわりには拘束して警察に引き渡す気まんまんじゃないかよ」
「誤解するなよ、少年。この件に関して、警察は何も関与していない。言い方が悪かったならば訂正しよう……保護だよ、保護」
「行く当てはあるのか?」
「そりゃ勿論」
僕は八千代がそそくさと店を後にしたのを見て、重い腰をゆっくりと上げた。
脳裏に焼きついて離れない自殺死体から懸命に目を背けていたが、それももはや限界に近いらしい。