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外れた世界で哭女は。  作者: 三番茶屋
4/10

 Ⅱ破鏡不照

「ほらほらー、衛理くん遅いーっ!」

「…………」

「そんなんじゃ置いてっちゃうよー、わたしみたいなラブガールを手放すなんて勿体無いよーっ!」

「………………」


 高らかな鼻歌と共に優雅に舞い踊る遥ちゃんは、僕の目の前でそんな風に声を上げた。

 それも、結構な大声だった。

 周囲から見ればあたかもカップルのようだろうが、しかし、それにしたって今時こんな寒いやり取りをする恋人同士はいないだろう。

少し前にプラットホームで見せた下手糞にもほどがあるツンデレにしたって、今ではかなり古い手口だったに違いない。

確かに、僕は遥ちゃんと初めて顔を合わせた際に『ジェネレーションギャップ』のようなものを感じ取ったけれど、あれは何も遥ちゃんが流行りに疎いとか情報弱者だとか、そんな意味では決してなかったはずなのだが、どうしてだろう、今では彼女との間に埋まりそうにない間隙ができてしまっている。

 かと言って、両者間の認識にズレが生じているかと思えばそうではないらしい。

僕を見る遥ちゃんの目はむしろ好意的で、どちらかと言うと、僕が抱いているそれとは対照的のようだった。

少なくとも、遥ちゃんは僕との間に『ジェネレーションギャップ』なるものを感じていないようである。

 同世代間で『その表現』を用いたことは完全に誤用だろうが、その感性の相違をできるだけ柔らかく表現する方法を、僕は知らない。

今はまだ認識のズレだとか、感性の違いだとか、そんな風に曖昧な表現で誤魔化しているけれど、遥ちゃんが持つそれが今後どのように表れるのだろうかと想像するだけで、僕は彼女に対し侮蔑的な意味合いを含む言語を使用せざるを得なくなりそうだ。

 まぁ、たとえそうなったとしても、遥ちゃんはあまり気にしそうにないけれど。

 いや俗に言う、一見して強く見える人ほど脆いというある種の風説のようなものが正しいとするならば、余計なことはできる限り言わないでおいた方が懸命だろう。


「ここを右だよ」

「イェス・コマンダー!」


 しかし、そんなことを考えたところで、この見学会が終わればどうせ別れるのだ、そんな思考こそ余計だろう。

何も考えずとも、このまま事なきを終えて――


「そこは直進」

「イェス・マイロード!」


 殺人容疑が何だか知らないけれど、これで僕たちの関係は終わりなのだから。


「……うわ、すご」


 と、遥ちゃんは直進した先に見えた豪華絢爛な校舎を前に感嘆の声を漏らした。

 レンガ調に造られたアーチ状の校門――その奥に見える真っ白な校舎は創立の古さを感じさせないものだった。

資料には創立百数年との記載があったそれだったが、しかしそれは創立の話であって、校舎自体は何度も改装されているのだろう。

 しかし、それにしても、田舎暮らしが長かった僕にとって、それは想像を遥かに超越するほどのもので、声にならずに漏れる吐息が遥ちゃんにも伝わったらしく、僕の方を横目に見てにやりと笑った。

被疑妄想が過ぎるかもしれないけれど、それが意味していたのは『クール振らなくてもいいんだぜ』、と言わんばかりの無言の圧力で、それは僕の心をひしひしと圧迫した。

いや、別にクール振ったり格好をつけて気取っているつもりは毛頭ないわけだが、遥ちゃんの表情を見る限り、知らず知らずの内にそんな印象を与えているのかもしれなかった。

ただまぁ確かに、感情は表に出辛い方なのかもしれないが。

 遥ちゃんに手を取られ、まるでキャンパスライフを楽しむ学生カップルのような図で敷地内に侵入しようとしたところで、校門内に設けられた簡素な警備小屋から声をかけられる。

「何してるの? 君たち、うちの生徒じゃないよね」

 およそ五十代の細身が、何の躊躇いもなく陽気に侵入する僕たちに優しく問うた。

声調こそ穏やかだったけれど、表情は険しい。

と言うか、明らかに不審がっていた。

「大学見学なり!」

 遥ちゃんは堂々と言う。

「はい……?」

「やだなー、わたしたち別に不審者じゃないですよー。来月の入学式に備えて見学しに来ただけですよー」

「…………」 

 不審者は自分のことを決してそう言わないとあるが、その否定こそが逆に不信感を増幅させていたのだろう、警備員はより一層眉をしかめた。

 まぁ気持ちはわかる――創立百数年、伝統ある花ノ宮学院大学に、遥ちゃんのような奇抜過ぎるファッションセンスと常識を逸したコミュニケーション能力を持つ生徒が新入生として入学するとは思えないのだろう。

田舎なら尚更、都会の中でも浮いて見える容姿のせいだった。

よく言えば目に映える、悪く言えば嫌でも目がつく――そういうことだ。

「あ、いや、本当なんですよ。この子も、僕も来月から新入生として――」

「信用できないな」

「――ですよね」

 僕の言葉にも聞く耳を持たないということはつまり、遥ちゃんと隣にいることで、彼女と同等レベルの悪印象を与えているのだろうか。

それはそれで、大学見学云々抜きにしても、嫌だなぁ。

「ほ、本当だよっ! 何で信じてくれないのっ!」

「そう言われてもねぇ、入学書類とか合格通知とか持っているならまだしも……それに、アポイントメントもなしじゃ簡単には通せない」

 警備員の彼が言うことは最もで、反論する余地すらなかった。

確かに、見学をすると決めた際、何も考えていなかったのだが――それにしても、このような展開に陥ることは、少し考えれば予期することができただろうに。

全く、自分の思考回路の益体なしに呆れて物も言えない。

「なんでー! なんでそうなるのーっ! せっかくここまで来たのに、せっかく憧れのここに受かったのに、せっかくせっかく田舎から十時間かけてきたのに、せっかくせっかくせっかく衛理くんと一緒なのにーっ! むきーっ!」

「お、落ち着いて遥ちゃん……」

 遥ちゃんは大きな声を上げて狼狽しているが、僕は心の中で、田舎から十時間もかけて来たわけではないと突っ込みを入れた。

訂正すると数時間、三時間程度の道のりでしかなかった。

「あーあーあーあーあーあーあーあーあーっ! せっかくせっかくせっかくせっかくせっかくせっかく! あーあーあーあーあーあーあーっ! このいけず! 鬼畜! 甲斐性なし!」

 気付けば、遥ちゃんはまるでチンピラの如く警備員に向かって悪態をついていた。

それにしても程度の低い絡み方で、それは中学生が先生に反抗するような図だった。

いや、親に対峙する子供のようにも見えなくない。

 しかし、警備員の彼は自分より遥かに年齢が劣る女子から暴言を吐かれることなど一切気にしていないようで、まるで五月蝿く飛ぶハエをあしらうかのように首を左右に振り続けている。

そんな彼の態度により不快になった遥ちゃんはさらなる大声で叫び続ける。

それは僕と電車内で喋っていた時以上の声量で、自然、それは大学内に響き渡り、周囲にちらほらと野次馬が集まっていた。

恐らく大学生ならば四月の頭くらいまで春休みだろうが、それとは関係なく生徒はいるらしい。

「……お、お、お、お?」

 騒動を嗅ぎつけた生徒たちが集まってきたことに、遥ちゃんは口を開けたままで目を点する。

その様子から窺えるに、どうやら、自分のせいでその場が作り出されたということを理解していないようだ。

 と言うより、野次馬が一人また一人と、芋づる式のように増え続けていることに対し、遥ちゃんはともかく、警備員の顔色は徐々に苦痛に変わっていった。

それもそうだろう、僕と遥ちゃんはまだ正式な生徒ではないのでどうでもいいけれど、彼からすれば事を大きくしたくないに違いない。

もはや収拾がつきそうにないほどまでに群れた学生たちに絶句していた。

「な、な、な、なんですか、あなたたちはっ! わたしお金持ってませんよ!」

「落ち着けよ、遥ちゃん……」

 僕の声はむなしくも喧騒に掻き消されたが、遥ちゃんは周囲をきょろきょろと見回した後、状況を把握したように、僕の背後に身を潜めた。

「こ、この人がやれって言ったから……」

 ぼそっ。

 そんな風に遥ちゃんは僕の背後で呟いた。

 このムスメ、平気で仲間を売るタイプのようである。

 しかし、それも勿論、周囲には届かず、

「あー、もうわかったわかった。特別だ、これを持っていきなさい」

 警備員は根を上げ、歪んだ表情のまま僕に二つのカードを手渡した。

首からぶら提げるであろう赤い紐の先に《来客証》と掛かれた薄いカード繋がっており、僕はそれを丁寧に受け取って、頭を下げた。


「……さすがにやり過ぎたよな……」


 警備員がぶつぶつと文句らしき呟きを吐きながら小屋に戻った後、僕は周囲を改めて見渡し、この状況が非常にまずく、それこそ、見学どころではないと思った。

なるほど、彼が素直にカードを渡したのも、それを狙っていたのかもしれない。

「だってぇ……」

 遥ちゃんは弱々しく息を漏らしたが、それで改善されるわけではなく、むしろ野次馬たちは僕たちを面白がるように視線を遣る。

いや、僕たちではなく、遥ちゃんのファッションセンスを面白可笑しく思っているのかもしれない。

確かに、様々な人種が入り混じる都会においてもそれは有り得なさそうである。

流行に疎い僕でも確信できるが、遥ちゃんのファッションは何があっても、どんな天変地異や革命が起こったとしても流行らないはずだ。

 僕たちは暫く沈黙を保ち、それが功を奏したのか、野次馬の数は次第に減少した。

興味が失せたのか、興が冷めたのか、ただ単純に飽きただけなのかはわからないけれど、彼らがどれに当てはまったとしても、それは僕たちにとって僥倖とも言えた。

しかし、それでもほくそ笑みながらこちらを窺う者が数名いた――いた中で、その中で、群れを掻き分けるように人と人との間から、長身の男が現れた。

そして彼は、他の誰よりも近く、内側に立ち、僕と見合った。


「うーん、ん?」


 僕より一回り以上の上背で、茶色の頭髪は若々しく、まさに充実した大学生活を楽しんでいると思わせる。

顔立ちも身なりも整っており、僕はこの時、初めて都会人を見た気がした。

まるで新種の動物を初めて見たかのように目を見開く彼は、首を傾げながら僕と遥ちゃんを交互に見て、

「――面白そうじゃん。お前ら、俺のサークルに入らね?」

 と。

 軽薄な笑顔と共に、僕に向けて左手を伸ばした。

「俺は旗桐 晴弥(はたぎりはるや)、よろしくな」

「はぁ……」

 僕は宙に浮いたままの彼の左手が居たたまれなくなり、つい右手を伸ばしてしまった。

 そして、握手。

「誤解されがちだから最初に言っておくが、俺は学生じゃないぞ? こう見えて精神心理学を教えてる」

「せ、先生!?」

 思わず声を上げてしまったが、絶対に見えない。

 有り得ない。

 見えない見えない見えない。

 いやいやいや、といった感じだった。

「驚き過ぎだろ。まぁ、慣れてるけど」

「すいません……」

「別にいいよ、俺の創ったサークルに入ってくれるんならね、はははっ」

「旗桐さん、僕はまだ入学すらしてないんですけど……」

 旗桐さんは僕の反応を見て快活に笑い、大丈夫大丈夫、と白い歯を見せた。

「安心しなよ、別に今からじゃないさ。お前が入学してからで構わない。そっちの女子も連れて来てくれるんなら大歓迎だ」

 遥ちゃんは未だに僕の背後に身を隠していた。

 案外人見知りなのか、いや、初対面の僕とあれだけ理解不能な高メートルの会話を繰り広げることができたのだからそうじゃないと思うけれど、しかし、一向に姿を晒そうとしない。

たとえ人見知りだったとしても、露骨に接触を避けているようにも捉えられるその様は、旗桐さんにも失礼な気がするが――と、思ったところで、遥ちゃんは何かを呟いた。


「旗桐……ふぅん、そうなんだ」


 僕の肩から顔を覗かせ、旗桐さんの顔を吟味しているようだった。

 そして、


「旗桐家当主の息子……ふぅん」


 その声は旗桐さんには届いていないらしく、遥ちゃんが凝視する意味を理解できていない彼は、首を傾げながら優しく微笑みを返した。

精神心理学の教授とならば、相手がどのような状態にあるのか判断することができるのかもしれない――それにより導き出された答えが、優しい微笑みだったのだろう。

確かに、今の遥ちゃんは少し様子がおかしいのかもしれなかった。

それは僕にでもわかるほどに。

「わたし、あなたとは絶対、ぜったい、ぜーったい、仲良くなんてしない」

 次に発したその言葉は旗桐さんに届く。

 初めての対面だろうに、遥ちゃんは何の躊躇もせず面と面を突っつき合わせて、そんなことを言い放ったのだった。

「おっと……俺、何か嫌われることでもしたっけ、はははっ」

 それでも子供を相手取るようにおどけてみせる旗桐さん。

よほどできた大人なのだろう――純粋に器が広いし、心が大きい。

 旗桐さんは薄ら笑みを浮かべながら遥ちゃんに向けて左手を差し出したが、それが握られることはなかった。

彼の左手は暫くの間、永遠とも思えるほどの沈黙の時間、ただ悪戯に空をかいただけだった。

けれど、それでも旗桐さんは遥ちゃんの手を待つ。

 それからどれくらい経過しただろうか、男性にしてはえらく中性的な手が浮いたままの状態にあったのは。

「遥ちゃん……?」

 旗桐さんの表情は依然として変わらないが、内心どう思っているのかわからない。

年下の子供相手にムキになってはいけないと自制しているのか、或いは退くに退けない状況に陥ってしまったのか、はたまた我慢比べでもしているのか、それともただ面白がっているのか――それはわからないが、さすがに旗桐さんに同情してしまう。

 僕は握手を催促するべく、遥ちゃんの顔があるであろう右肩後ろに視線を遣った。


「は……るか……ちゃん…………?」


 その表情は。

 その侮蔑的な表情は。

 これまでに彼女が幾度となく見せてきた快活な笑顔ではなく、意地悪な微笑みでもなく、天真爛漫さの欠片もなく、純粋無垢が欠如し、まるで生気と気力を吸い取られた抜け殻のような表情だった。

 道に捨てられた生ゴミを見るかのように。

 道に捨てられ腐敗したゴミに集るハエを見るかのように。

 列と群れをなして懸命に生きる蟻を鼻で笑うかのように。

 滑稽に踊らされる下等生物を嘲笑うかのように。

 そして何より、

 世界を俯瞰するように。

 上から見下すかのように。

 生きていく上で必要な感情、その四つの内の二つを捨て去り、残る二種だけを心に宿し、灯し、唾を吐き捨てるかのような視線をただひたすらに、ただ悪戯に、ただ単純に、ただただじっと、じっと彼の左手に注いでいたのだった。



「や   み   た    や    る」


 

 遥ちゃんがそう何か呟いた後、僕の背中から離れ、踵を返した。

「え……」

 僕は驚きにより声を漏らしたが、それを後ろに黙殺した遥ちゃんは、両肩をくつくつと揺らしながらゆったりとした足取りでそのまま校舎を後にしたのだった。


「ありゃ、相当なもんだな」

 旗桐さんはがらんどうになったままの左手を宙に浮かべながら、不適にほくそ笑んだ。

 その笑みの真意は僕には理解できなかった。



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