えんでぃんぐ
その後、僕と静 遥――遥ちゃん(一悶着あってその呼称に落ち着いた)は次の停車駅までのおよそ十分をたわいのない会話で過ごした。
どうやら遥ちゃんは思い込みが激しい人間性の持ち主のようで、アイスクリームと自殺を並列したのと同じように、自分の大好きな食べ物と恐ろしい単語を同系列に捉えていた。
ケーキと危険ドラッグ、餡蜜とリストカット――僕が最も危惧の念を抱いたのは、カルピス原液と殺人行為という組み合わせだった。
そのことに関してかなりの量の突っ込みを入れさせてもらったが、彼女自身が心の底からそうだと捉えているので、何を言っても梃子でも動かない姿勢を貫いたことにある意味感心したのだが――しかし、自ずと見えてくる彼女が甘党だということについては、概ね共感することができた。
まぁ、僕も甘党とまでは言えないかもしれないけれど、さすがに比較対照としてそれらを見たことは今まで一度もない。
停車後、別れ際は思った以上にあっさりとしていて、
「んじゃ、またねー! 次に会う時は友達ではなく、敵同士だ! なんちゃって、あはははっ!」
と、恥ずかし気もなく笑顔で言いながら、大手を振って見送られたのだった。
何ともまぁ微笑ましい限りではあるが、仮にもし乗客がいた場合のことを考えると末恐ろしかった。
「……ふぅ」
何と言うべきか、一先ず、台風一過。
大嵐一過である。
僕は深呼吸にも似た溜息を吐いて、座席に深く腰を据えた。
まさか、見ず知らずの女子と共にするとは思ってもいなかった。
大学進学のために地方から上京――ではないが、地方都市へ赴くことに一抹の不安を感じていたのだけれど、しかし、どうしてか遥ちゃんと話したことで払拭されたようである。
まぁ、同じ日本国内の、同言語圏内の移動で抱く不安など高が知れているのだろうが。
それはそうと、事前に構内で購入した駅弁があったことを思い出し、袋から取り出して添えられた割り箸を口に咥えたところで、僕は再び声をかけられた。
豪華絢爛な包装に目を奪われた瞬間を狙ったかのような、狙い澄ましたような鋭い声に思わず箸を床に落としてしまった。
遥ちゃんとの邂逅を経て、気が緩んでいたのだろう。
見れば彼女は。
またもや見ず知らずの彼女は――
「少年、尋ねたいことがあるんだが、大丈夫か?」
一目見た印象は《黒》。
黒いジャケット、黒いスラックス、ピンヒールの黒い靴。
内側のシャツからネクタイまで全身が黒で統一されていた。
そして、全身よりさらに深い黒色の長髪――暗闇をぶち込んだような瞳、化粧いらずの長い睫毛。
何より目を惹いたのが、ジャケットの上からでもわかるほどに盛り上がった胸部であった。
比較対照として遥ちゃんを挙げるのはいささか気後れするし、罪悪感も否めないけれど、心を鬼にして例えるなら遥ちゃんの数倍は大きい。
いやまぁ、遥ちゃんはダウンを着ていたので正確な差はわからないけれど。
頭先から足先まで、全身を余すところなく黒色で統一した彼女は、反応が遅れた僕に再度問うた。
「なぁ、少年、聞こえているか……おーい、おーい」
「……あ、えっと、え?」
「少年、女性に興味が湧く年頃かもしれないが、赤の他人の女性の胸を凝視するのはどうかと思うぞ。最近なら、それだけでセクハラだと言われかねん。まぁ、私は見るのはタダだというくらいの気前と器は有しているがな」
ぱちり、と瞬きをした瞬間に、僕はふと我に返った。
魂を持って行かれそうになっていた自分を自覚し、目の乾燥を感じた。
どうしてだろうか……。
今日の僕は女性運がかなりいいらしい。
遥ちゃんもそうだったけれど、彼女もかなり美形である。
そして何より、二人ともぶっちゃけかなり好みであった。
「あ、はい……何でしたっけ」
彼女の容姿があまりにも綺麗だったせいで、脳がショック状態に陥っていた。
記憶の欠落――話を戻す。
「すまない、質問が急すぎたようだな――この電車内で若い女を見なかったか? 女子高生なのだが」
「女子高生……ですか」
「いや、正確には女子高生だった、だな。先日に卒業したばかりの女子だよ」
「はぁ……」
女子高生、ねぇ。
しかし、見たも何も、乗客すらいない閑散とした車内でそんな人物がいたら印象に残るはずなんだけれど。
うーん……。
そう言えば、遥ちゃんと僕は同い年なんだっけ。
それなら、彼女もまた僕と同様、先日に卒業したばかりなのかもしれないが――
「ドクロのキャップ帽に黒のダウン、チェックのスカートに赤いハイソックス。そして洒落たストール。どうだ、見覚えはないか?」
「……………………………」
完全に遥ちゃんのことだった。
遥ちゃん以外に有り得そうにないファッションセンスであった。
「心当たりがありそうだな、少年」
「えっと、はい……さっきまで喋ってましたけど。前の駅で降りましたよ、彼女」
僕の回答に納得しながら呆れる彼女。
肩を竦めながら、しかし、どこか嬉しそうな気配だった。
「その子がどうかしたんですか?」
「あぁ、いや、君には関係がないことだよ……とは言うべきでないか。協力までしてもらってぞんざいな対応をするのは気品に欠けることだし。知りたいのだろう?」
「いえ……別にそれほど――」
「彼女は今、殺人容疑で目下捜索中なのだよ」
「さ、さ……?」
反復しようにも上手く言葉にできない。
殺人?
殺人容疑?
遥ちゃんが?
「ふふふ、まぁ忘れることだ。それでは、少年、助かったよ。よい大学生活を送れよ」
と、黒い彼女は名乗ることなく、前車両の連結扉を開けて後ろ手を振りながら去って行った。
後を追って詳しい話を聞くべきかどうか、一瞬の迷いがあったけれど、他人の事情にとやかく首を突っ込むわけにもいかないので、僕は軽く上げた腰を再び座席に戻した。
それに、殺人事件となれば尚更、僕のような一介の若造が干渉するべき題ではないだろう。
もしも容疑をかけられた人物がよく知る友人だった場合は、何かの間違いだと全力で否定するけれど、十五分程度話しただけの関係である遥ちゃんを庇う道理もないわけだし。
けれどまぁ。
気になるのは気になるんだけれど。
殺人容疑――ねぇ。
そう考えると、僕が遥ちゃんに共感できる箇所がなかったのも、そういった理由に起因するのだろうか。
まさか殺人犯と意気投合するわけにもいくまい。
とは言っても、そんなことは後付にしか過ぎないわけで――殺人を犯す機会と可能性がみな平等にある以上、それをどう足掻いても除去できない以上、意気投合していた仲間が殺人犯に成り下がることも決してなくはない。
仲間が殺人犯になり得る可能性は否定し切れない。
だから、殺人犯だろうと話が合うかどうかはまた別なのだろう。
仮に遥ちゃんとの間に運命を感じさせる見えない何かがあったとしたなら、僕は彼女の罪を否定していただろうか。
証拠なんて無くとも、嘘八百だとしても、身の潔白を主張しただろうか。
それは信頼なのか?
信用なのか?
或いは、協力なのか?
はたまた、擁護なのか?
それはわからないけれど、僕がどうするのかもまたわからない。
――わからなかった。
「あれ、あの人……どうして僕がこれから大学生活を送るってことを知ってるんだ?」
その疑問もまた解決するには至らず――わからなかった。