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外れた世界で哭女は。  作者: 三番茶屋
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 Ⅵ生死一如

 八千代に連れられて到着した場所は、とある一軒家だった。

 重厚な門扉の奥に見える、洋風に塗装されたそれを見る限り、一般的で平均的なそれではないことが窺える。

観葉植物が綺麗に並べられ、外観から推測できる裕福さ――その門扉の前で、僕と八千代は足を止めた。

「……八千代」

「なんだい、少年」

「どう言っていいのかわからないんだけれど、どう表現していいのかわからないんだけれど……なんか、おかしくないか……? おかしいというか奇妙というかさ……」


 奇妙。

 奇怪。


 この場合、その表現の内どれが正しくてどれが間違いなのか、僕にはわからない。

どちらも正しくないように思えるし、かと言って間違いではないような気がする。

 そう。

 それをより適した言葉で表現するなら――違和感。

しかし、そんな謎の違和感がどこに起因するものなのか、それすらもわからなかった。

「生活音がまるでしないな」

 八千代は言う。

「これほど閑静な住宅街なのだ、宅地内から喧騒が聞こえてきてもいいだろう。しかし、それがまるでない。いや、これほど立派な家ならば防音工事でもされているかもしれないが……そう、そうじゃなくて、人の気配がしないような感じだな」

「そう、それだよ八千代。多分、それがこの違和感に繋がっているのかもしれない」

「それだけじゃないかもしれないな」

 と、八千代は小さく発生した「見てみろ」、という言葉と共に前方を指し示した。

綺麗に整えられた健康的な爪先から視線を移動させ、僕は前方の奇妙な家を捉える。


 生活音がしない、人の声も気配も感じられないその住宅――

 それの、

 その住宅の――窓。


「…………」


 眼前に(そび)え立つ住宅の窓を閉ざす黒いカーテンがそこにあった。

それは一箇所だけではなく、一階から三階まで、そして屋根裏部屋だと思われる小窓の至る所全てにおいて、遮光カーテンであろう生地の厚そうな布が外界の光を遮断していたのだった。

 ここから見えるだけでおよそ七つの窓、その全てが閉ざされている。

 ベランダの大窓も、部屋の窓も、全てである。

「まだ夜にもなっていないのに、カーテンで閉め切っているのか……」

 僕の言葉に、八千代は妙に楽しそうに笑う。

よほど楽しいことがあったのか、或いは今後の展開に期待しているのか、それともわくわくしているのか、それはわからないけれど、上機嫌であることは確からしい。

「よほど見られたくないものが中にあるらしいな、ふふふっ」

「見られたくないもの?」

「ドラキュラでも住んでいるのかもしれんな、十字架と大蒜を持ってくればよかった」

「相手が本当にドラキュラなら聖水も必要だよ。悪魔なら火もいるし、コーランもいる」

「詳しいな、君はエクソシストか何かかい?」 

 

 そんな冗談はさておき。

 八千代は門扉の横に慎ましく設置されたインターホンを鳴らす。

躊躇なく押すので、僕はその瞬間、心臓が縮まった。


「あぁくそっ、出やがれ」

「…………」

「くそっくそっくそっ、居留守かよ、くそっ」

「お、おい、やち――」

「出やがれ居留守! こんなに鳴らしても聞こえない振りをするってのなら、門を乗り越えるぞコラァ!」

「……………………」


 あまりにも迷惑この上ないことに、八千代は応答のないインターホンを前にして発狂しながらボタンを連打していた。

いや、連打ではなくもはやそれは強打に等しく、人差し指でそれを押すのを辞め、最終的に親指の腹でボタンを捻っていた。

ピンポーン、という一般的なその音が連打により途絶え、ピンポピンポ、と木琴のような音色を奏でる。

もはや、ピンポンダッシュより性質の悪い、悪質な悪戯でしかなかった。

 僕はムキになった八千代を制止するべく声をかけようとしたところで、

「……はい」

 と、消え入りそうな声が聞こえる。

 男性のものなのか、それとも女性のものなのか、中性的な声音。

「こんばんわ。私、八千代 真伊と言う者です」

「…………」

 沈黙。

 僕も、そしてインターホンの向こう側も沈黙する。

 先ほどまでに見せていた荒れ果てた絶叫が一転、穏やかでたおやかな、まるでベテランのオフィスレディーの如くしなやかなそれへと変貌したのだった。

しかし、それが返って逆に警戒心を与えそうではあるが、そんな身の翻し方をする八千代にただただ脱帽する僕であった。


「静 遥さんはそちらにいらっしゃいますか? 私、遥さんの同級生で友人なのですけれど、入学式に来なかったようでしたので、配布された書類等を代わりにお持ちしまして――」

 

 そんな大学生がいるか、と僕は声に出さず心の中で突っ込みを入れる。


「あぁ、そうですか。それはご丁寧にありがとうございます。すぐに遥とそちらに向かいますので、そこでお待ちください」

「はい、ありがとうございます……」

 その瞬間、がちゃり、と勢いよく音声が切断され、八千代は山場を乗り越えたように大きく溜息を吐いた。

しかし、決して安堵した表情ではなく、むしろ剣呑さはより強みを増している。

その中で、どこか愉快にくつくつと薄ら笑みを浮かべているところがさらなる危うさを醸していた。

 僕はそのやり取りを聞いて、考える。

 八千代に訊くまでもなく、彼女がたった今、いくつもの嘘を吐いたことは明確だった。

そしてさらに言えば、この洋館が遥ちゃんの家なのだとすれば、その嘘の意味も自然と見えてくるだろう。

 八千代は嘘を吐いてまで、遥ちゃんを外に誘き出そうとしているのか――いや、待て待て。

違う、そうじゃなくて――もう一つの違和感があるのだ。

家の外観もそうだが、さっきのやり取りでも感じた奇妙さがあったじゃないか。


 そう。

 違和感はそれだ。

 『すぐに遥とそちらに向かいます』

 ――遥ちゃんの友人の呼び出しで家族が付き添うのか……?

 

 暫くして、門の中から二人の影が現れた。

一つは大きく、一つは小さい。

おそらく小さい方が遥ちゃんで、大きい方が――

「こんばんわ。えっと、八千代……さんでしたね。わざわざご足労頂いてありがとうございます。それで、書類と言いますと……?」

 立派な門を開いて登場する彼は男性だった。

インターホンでやり取りした人物と同じであろう中性的な声質で、それが故に口調も穏やかだった。

育ちの良さが表れているというか、礼儀礼節を弁えているというか、それは態度や仕草にまで及んでいた。

「えぇ、これです」

 八千代は黒いビジネスバッグから大きい茶封筒を手渡した。

「……何でしょう、これは」 

「大学内のパンフレットのようなものです。マンモス校が故に敷地も広く、サークルもたくさんありますのでその説明のようなものと捉えて下さい。保護者の署名や印鑑が必要な書類ではないので、遥さんに直接お受け取り願いたいのですが、よろしいでしょうか。彼女も大学生活で何をしようか考えているでしょうし、周囲を気にする女の子ならば、ご家族にもあまり言いたくないこともあるでしょう」

「はぁ……」

 男性はよくわからない、とばかりにその茶封筒をそのまま隣の遥ちゃんへと渡す。

 ここまで遥ちゃんが一切の口を開いていないことを、僕はようやく気付く。

その違和感が、奇妙さが、僕をさらに思考の深海へと沈めていた。

「遥、お礼を言いなさい」

 と、彼から催促された遥ちゃんは声を発せず、軽く頭を下げた。

今にも泣き出しそうなその顔が、一瞬、見える。


「ところで――」


 八千代は言う。

 相変わらずの丁寧な口調だった。


「こんな時間でもカーテンを閉めているのですね。それも、どの窓にもカーテンをかけて……」

「そうですね、家では毎日こうしていますよ。特に理由があるわけではないのですが、昔からそういう家庭でしたので」

「『そういう家庭』ですか……何ですかね、私には隠したいものがそこにあるように見受けられます。ふふっ、たとえば私が泥棒なら、迷わずこの家を狙いますよ」

「そんな大層な物はないのですがね……如何せん古い建物ですし、外観は立派とは言え、中は自堕落な生活臭が漂う空間なのです。はははっ、そんなものを他所様にお見せするなんてできませんよ」

「あなた面白いお方ですね」

「そちらこそ」

 八千代も彼も、饒舌に会話し笑っているが、その両者とも顔は笑っていない。

相手を睨みながら、白い歯を見せず、口角だけが上がっている。

その両者の異様な雰囲気に、僕はたまらず身じろぎしてしまう。

「後ろの方も遥のご友人ですか?」

「えぇ、まぁ。彼は遥さんと一番仲がいいらしいので付き合って貰ったんですよ」

「へぇ、それはそれは……」

 じっ、と品定めするかのように視線をこちらに向けた彼は少し肩を竦めた。


 何だろう、わからないけれど、今ものすごく馬鹿にされた気がする。


 そして、僕はたまらず、

「遥ちゃん、入学式に来なかったのはどうしてだ?」

「…………」

 遥ちゃんは答えない。

と言うより、答えたくとも答えられないといった感じだった。

まるで何かに束縛されているような、まるで何かに脅されているような、まるで喋ることさえ誰かの許可が必要であるような――

「答えなさい、遥」

 隣の男性が再びそう催促した時、僕は戦慄する。


「――――っ!?」


 そうか、さっきから感じている違和感はこれか。

 いや、しかし、そんなことが有り得るのか?

 有り得ていいのだろうか。

 そんなことは許されていいのだろうか。

 人間をペットのように、家畜のように、道具のように、機械のように、そんな風に扱うことが許されていいのだろうか。

 家族なのに。

 血を分けた家族であるのに。

 

 そう。

 僕はその時、違和感の正体に気付く。

 そして。

 確信する。


 『静 遥は彼に縛られている』――

 『静 遥は彼に束縛されている』――いや、『静 遥は彼に軟禁(・・)されている』。


「衛理くん、久しぶり。ごめんね、この間は。でもしばらくすればまた大学に行くから。今はちょっと無理だけれど、必ず行くから、またその時に仲良くしてね」

 冷たく冷め切った声。

 憐れみ哀れみ、同情を誘う声。

 疲弊し憔悴した、泥に浸かったような声。

「…………」

 僕はその言葉に反応することができなかった。

 当然だろ、の一言すらも返すことができなかった。

 遥ちゃんを見て悲しくなったのか、それとも見たことのない彼女の表情に躊躇してしまったのか、或いは恐れたのか、わからない。

わからないのだけれど、しかし、一体何だろう、この気持ちは――もやもやしていて、むずむずしていて、限界を感じさせる遥ちゃんの体躯を今すぐにでも抱きしめたくて、けれどできなくて、自分の弱さを痛感したり、無力さを認めたり、儚さを嘆いたり、そんな感情が混ざり合った今の僕を形容することは難しい。

 そして何より、軽くお辞儀をしたときに見えた、歪んだ表情。

 今にも泣き出しそうな、こっちの涙腺までをも緩くさせる表情。

その顔が脳裏に焼きついては離れない。

「それではお二方、僕たちはこれで。お帰りの際はどうぞ足元にお気をつけくださいね」

 体が硬直して動かなくなっていた僕をよそ目に、彼は遥ちゃんの肩に手を当て、踵を返す。

 返して、反転し、

「あ、えっと、最後によろしいですか?」

 八千代はそれを押さえとめた。

「何でしょう……?」

「訊きたいことがもう一つだけ、構いませんよね」

「えぇ、まぁ……」

 八千代は指を指す。

 男性の方ではなく、その隣、遥ちゃんの方に。

「遥さんは普段から家の中でも部屋着で、そこにお洒落なストールを巻かれているのですか?」

「……………」

「突然の訪問で身なりを整える用意ができなかったことを理解した上での問いなのですが、それにしても部屋着の上からどう見たって合わないストールを巻くのは――」

「遥のファッションセンスについて問うているのでしたら、それは僕も概ね同じ意見ですよ。流行に疎い僕でもわかるほどに遥のそれは逸脱しているもので、恐らく、それが『可愛い』だの『格好いい』だのと思っているのでしょう――ね、遥?」

 遥ちゃんは俯いた顔をまたさらに深く沈める。

 ぎゅっ、とストールを両手で握り締めながら。

 力強く、懸命に、何かを必死に堪えようとしているみたいであった。


「もうそろそろいいでしょう、これから夕飯の支度がありますので」

「そうですね。迷惑でしたでしょう、申し訳ありません」

「いえいえ、遥の友人ならば、これからも仲良くしてあげてください」

「えぇ、それは勿論」

 言われるまでもなく、と八千代は笑みを浮かべた。

 その笑みは天使のようで、僕の心を簡単にさらっていくのだが、一方でそれがどこか悪魔のようにも見えた。

 天使が悪魔の振りをしているかのような、

 悪魔が天使の振りをしているかのような、そんな微笑であった。



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