おーぷにんぐ
「自殺したい人の気持ちって、まるでアイスクリームみたいだよね! それも熱いパンケーキの上に乗ってるアイスクリーム! 溶けるのも一瞬で、崩れるのも一瞬で、押せば倒れる。熱せられた不安定な生地の上で、不安定ながらもギリギリの均衡と体勢を保っていて、ちょっとした拍子ですぐに傾く天秤みたいでさ――ねぇ、そう思わない? 思うよね!?」
片田舎から都心へと向かう電車の中、僕はそんな風に声をかけられた。
人っ子一人いない殺風景な景色が流れる窓に反射して映る、およそ同年代の女子が隣の席に座っていた。
電車内が混雑していて、相席せざるを得ない状況かと言うとそうではなく、むしろ車内はどこでも自由席であるかのように閑散としている。
その中で、わざわざ隣に着席したことに果たしてどんな意味があるのかはわからないけれど、少なくとも、彼女が発した言葉は僕に向けたものなのだろう。
なのだから、僕は首を百八十度回転させて、彼女を視認する他なかった。
女子高生だろうか――だったとしても、僕より少し若いかもしれない。
厚手の黒いダウンにギンガムチェックのスカート。
そして、首に巻かれたお洒落なストール。
足の細さが強調されたハイソックスがそこはかとなく胸を高鳴らせるが、しかし、奇抜なデザインをあしらったそれは、躍った胸を抑制させるには十分だった。
真っ赤なハイソックスに黒のタトゥーのようなデザインである。
流行のファッションには疎い僕であったけれど、まさかそのような奇抜さが世間にまかり通っているとは思えない。
ドクロとか描いちゃってるし。
厚着した上半身が下半身に比べてやけに太く見えるが、それでも彼女の全体像は非常に細い線が強調されたかのような造形である。
骨と薄皮だけで形成されてるんじゃないかと思うくらいの体躯。
何だろうか。
派手なスカートに奇抜なハイソックス、男性が着るようなダウン――人のコーディネートにあれこれと言う筋合いはないけれど、その違和感は疎い僕でも覚えるほどで、何より余計にそう感じさせるのは、小さな頭に被ったキャップ帽だった。
黒と白の、これまた気持ち悪いドクロが描かれた帽子で、片田舎で十八年を過ごしてきた僕にとって初めて見るに近いファッションセンスを有する彼女の容姿を見ると、これからの都会生活に一抹の不安を感じせざるを得ない。
大学生活を送るに当たって学生が皆してこんな格好をしていたら、友達作りが捗らないだろう――いや、まぁ、元々社交的ではないし、友達を作るのも下手くそなのだけれど。
ともかく。
僕は彼女の姿から、彼女が名前も知らない見たことのない人物であるということを確認する。
見ず知らずの女子である。
「自殺って現実逃避のハイエンドだよね! いや、ハイランド!? 天国に行っちゃうとしたら、ハイランドじゃない!?」
「…………」
「わ、わたしって、すごい……天才かもっ!」
ハイランドに天国という意味はないはずだけれど、僕はそれを訂正せずに沈黙する。
しかし、たとえそんな意味が含まれていたとしても、何も上手くないんだが。
「アイスクリームはね、すぐに溶けちゃうんだよ。何もしなくても常温で溶けちゃう。それはきっと自殺と同じようなものだと思うの。彼らは生きてるだけで辛い、疲れる、面倒。さらにはちょっとしたきっかけで考えるのも放棄して、自暴自棄になって、自殺を図る。アイスクリームもすぐに崩れちゃうよね」
僕は彼女の言葉の意味を半分以上も理解できずに、あぁ、うん、と相槌を打った。
突然、そんな理解不能な言葉を放たれてわけがわからなかった。
わけがわからないと言うより、僕はこの時点ですでに話半分に聞いていた。
それこそ、思考を放棄する、ではないが、彼女の言葉は右耳から左耳へと脳を経由せずに通過していることだろう。
「でもさー、そう考えると、自殺っておいしいのかな? いや、食べられるわけじゃなけど……少なくとも気持ちいいのかな?」
「……気持ちいい? 自殺が?」
僕は彼女の言葉に反応せざるを得なかった。
突拍子のないことを言い出したようで、どうやら『アイスクリーム』と『自殺』を同じものだと本気で考えているらしい。
比喩表現だとしても、少なくとも同列に並列に考えているようだ。
「アイスクリームは自殺じゃないよ。自殺もアイスクリームじゃないよ」
「そんなことわかってるよ! わたし、アイスクリームは好きだけど、自殺は好きじゃないもん!」
いや、だから……。
そういう話じゃないのだが。
「アイスクリームは甘いけど、自殺は甘くないもん! ……あれ、いや、でも、甘くはないけど『甘え』ではあるんじゃない……? 人生とか、自分とか、世界とかに対する『甘え』――」
彼女は続けて。
「やばっ! わ、わたしやっぱり…………天才だっ」
「…………」
この子は一体何を言っているのだろうか。
わけがわからない。
そもそも、どこの誰だというのだ。
「けどさー、易々と自殺できるほど甘くないんだよね、実際。自殺って結構難しいらしいし。首吊りにしかり、薬物にしかりねー。一番楽なのはやっぱり首吊りらしいけど、それもやり方間違ったら苦しいだけらしいし」
「……詳しいね」
「そりゃまぁ、アイスクリーム愛好家ですから」
それはつまり、自殺愛好家と捉えていいのだろうか。
僕は溜息を二つ吐き、視線を彼女から外して訊く。
「で、君は一体誰なんだ? 僕に何か用?」
今更の質問ではあったけれど、そもそも、ほとんど彼女が一方的に喋っていたのでやむを得ない。
「語る名などない、用などないっ!」
「あっそ」
と、席から立ち、彼女が伸ばした足を跨いで逸早く奇妙な現状から逃れようとしたが、生憎、それは彼女の全力の制止によって阻まれた。
「あわわわっ、ちょっと、冗談冗談、冗談だよー! 逃げないでー!」
彼女は狼狽しながら叫んだ。
車内に他の客がいないとはいえ、さすがにその声量となれば他の車両の乗客に迷惑がかかる可能性もあるので、僕は重い腰を再び同じ座席に下ろした。
と言うか、迷惑がどうとかではなく、単純にこの子といると恥ずかしい。
友達と思われたくないというか、一緒にいたくないというか――もう少し静かにしてくれればいいのだけれど。
僕はその旨をやんわりと伝えたが、どうやら気に入らなかったらしく、
「ふんっ!! あっそ!!」
と、先ほどより数倍以上の音量で答えたのだった。
乗客が僕たちだけで本当によかった……。
「静 遥!」
「……ん?」
「名前!」
「何かのコンビ名?」
「わたしの名前っ!」
どうも気が立っているようで、どうにか落ち着いて欲しいものだったけれど、しかし、これ以上下手に刺激を与えればさらに暴走しかねない。
それだけは避けたいので、今後は言葉を選ぶ必要がありそうで、
「あぁ……うん、ごめん、僕は南名 衛理」
僕は応える。
「高校生?」
「ついこの間までね」
「大学生?」
「これからだよ」
「わたしと同い年!」
「…………」
まぁ、年齢相応の容姿なので、そこに驚きはなかったけれど――何故だろう、同い年と聞かされて、こんなにも嬉しくないのは初めての経験だった。
本来ならば、同い年という共通点だけで互いをわかりきったような感覚になれるというのに。
同い年というだけで、それだけで運命的に思えるのに。
しかし、まるでそれが偶然の奇跡のように感じられがちだが、実際は極々当然で、至極当たり前のことで、同世代と異世代が分かり合えないことを『ジェネレーションギャップ』と言うように、それぞれの偏差がどうであれ、世代の只中を生きる両者が偶然的に――必然的にそう感じられるのも、互いがいつまで経っても交わることのない軸上で年齢を重ねているからなのだろう。
逆行することはできても、
遡ることはできても、
回想することはできても――僕たちはこれからも、いつまでも、同世代として生きるのだから。
ただ、それはあくまで統計的な観点であって、偏差を中心としただけであって、僕が彼女と同世代であることに喜びを感じなかったのもまた当然であろう。
異世代を理解できる同世代の者の数は決して少なくないのだから。
まぁ、しかし、僕がそのことに喜べなかったのはまた違う種の感情のせいなのだけれど。
『ジェネレーションギャップ』――最近、その言葉を自分と相反する趣味嗜好を有する相手に向けられる場面をよく目にするが、果たしてそれは本当にそうなのだろうか。
まるで、異世代との間隙の全てをまとめた使い方だ。
そんな杜撰な使われ方をされるのも、両者が決して交わらないことを前提に据えているからなのかもしれない。
同世代の彼らは異世代の彼らにギャップを感じ。
異世代の彼らは異世代の彼らにギャップを感じ。
そう考えれば、端から交わることなど本来有り得ないことなのかもしれない。
同世代同士でも分かり合えないこともしばしばあるだろうし、それは異世代の彼らも同じことで、だったらそもそも『ジェネレーションギャップ』という言葉の存在自体が間違っていると帰結しても何らおかしくない。
そう、別に異世代の彼らが間違っているわけではない。
同様に、同世代の彼らが正しいわけでもない。
世界は常に変化し進化しているのだから、仕方ない、と片付けることに尽きる。
世界も変化するし、人も変化する。
変貌するし変換するし、進化したり退化したりもする、変動も変態も、置換や代替もある――僕たちが生きる《世界》は停滞することなく、進捗し続けている。
平凡な日々がいつまでも訪れるとは限らない。
凡俗な日常がいつまでも続くとは限らない。
明日が当たり前にやって来るとは限らない。
惰性が間断なく継続するとは限らない。
何にも、わからないのだから――未来のことなんて。
ただ言えることは、先のことがわからないなりに言えることは、
《世界》は常に変化し続けている――
それだけなのだろう。