姉の罪と誓い
「おや、おかえり新庄。上矢はどうだった?」
リビングで海月と九条とシュナがくつろいでいた。降りて来た新庄を目ざとく見つけて、開口一番そう言ったのはシュナだった。
「かなりエグイ夢を見た以外は特に何もなし、というところだな」
新庄は机の空いている席に座り、海月の入れたコーヒーをもらった。
「エグイ夢・・・?それは属に言う悪夢・・・か?」
九条 が怪訝な顔つきで新庄に詳しい説明を求めた。
新庄は帷月から聞いたことをそのまま言った。
「・・・あの子に深く関わっている人たちね、その八人は」
それはエグイなぁ・・・とシュナは顔をしかめた。
「で、とりあえず落ち着いてきたから降りて来た・・・ってとこか?」
九条がいつも通りの冷静な声音で聞いてきた。新庄はそれに無言で頷いた。
「新庄先生特権ですね・・・」
今まで黙って話を聞いていた海月がポソッと言った。
「特権?」
新庄が怪訝な顔をした。あれ、気付いてないんですか?と、海月はわざとらしく驚いて見せた。
「帷月はそういう話、絶対新庄先生にしか言わないんですよ」
私には全ッ然言ってくれないしぃ~、と少し頬を膨らます海月。
「確かにな」
九条も同意見のようだ。講義しようと口を開きかけたが、明らかにこちらの方が分が悪いのでそこは我慢した。
「ま、それだけ信頼されてるってことでしょ」
シュナは新庄の背中をバシバシと叩いた。
「…おい、痛いぞ」
「何言ってるの、私はか弱い女の子よ?そんなに痛いワケないでしょう?」
どこが、と新庄は盛大にため息をついて見せた。シュナはキッと目を吊り上げる。新庄は肩をすくめて降参した。
「でも私は複雑ですよぉ」
海月が少しおどけた風に言った。
「姉の私より先生の方が信頼されてるのって、なんっか複雑な気分です」
まぁ、その原因は私にあったりするんですけどねぇ~、と笑って海月は手元のミルクコーヒーを飲んだ。
そう―――
あの子が一番苦しんでいた時、自分は側にいなかった。ずっとあの子の側にいたのは新庄先生で、自分は家族が大変な目に遭っているなんてことも知らずに、のんきにクラブの合宿に行っていた。
「今回〈教会〉と会うなんて、私知りませんでしたし」
そう言った海月は、少し落ち込んでいるように見えた。頭ではわかっていても、というやつだろう。
「上矢さんは君の事をとても大切に思っている。それは確かだ。今回の事も、君を巻き込まないためという上矢さんの配慮だった」
そう口を挟んだのは九条だった。海月は思わずきょとんとなって首を傾げた。
「上矢さんは自分がヴァンパイアであるという事を〈教会〉に少しずつヒント与えてバラそうとしている。だが、〈教会〉がそれに気付いたら、〈教会〉へ向かうのは自分一人だけにしたいんだ」
「どうして・・・?」
「本当に・・・わからないか?」
困惑の表情を浮かべる海月に、九条は意味深げにそう聞いた。しかし、海月には全くわからなかった。
「・・・“海月を無理にこっちの世界へ引っ張って来たのは私だ。これ以上、海月の人生を私が左右するわけにはいかない”」
海月がハッと視線を上げた。九条とまともに視線がぶつかった。
「それが上矢さんの意見だったが?」
何だ、それは。
海月は何も言えない。否。言いたい事なら山ほどある。でも、言い出したら止まらなくなる事は目に見えている。
そんな醜態を晒すわけにはいかない。
「・・・まぁ結論から言うと、帷月はあなたを誰よりも大切に思ってる、ってことね」
シュナはさらっとそうまとめた。
海月は息が詰まるような苦しさを感じて、結局何も知らなかった自分が無性に恥ずかしくなった。だから曖昧に笑って自分の部屋へ戻った。なるべく自然に戻ろうと心がけたが、その歩調はいつもと比べて異常なほどに速くなっていたに違いないだろう。こんなに人前で取り乱してしまう事が、追い討ちをかけるように海月をイラつかせた。
帷月はあなたを誰よりも大切に思ってる――――
シュナの言葉が頭の中で何度も何度もリピート再生された。
壁に背を預けてズルズルとその場に座り込む。膝を立ててそれを両腕で抱え込み、膝頭に目を押し当てるようにして丸くなった。
「どうしてよ・・・」
疑問は独りでに口から滑り落ちていった。
どうして私なんか大切にする?
どうして私なんかの人生を心配する?
「バカだよ、帷月・・・自分のことは何にも考えてないくせに人の事ばっか・・・正真正銘のバカとしか言いようがないね」
ねぇ・・・覚えてる、帷月?
心の中で呟くように帷月に聞いてみた。本人には怖くて聞けないことだから・・・。
私、あの数日後にのん気に帰ってきて、テロと家族のこと知らされて、帷月のところへ行って・・・、開口一番何て言ったか覚えてる?
歪んでいる。気持ち悪くて、自分で自分に吐き気がする。自分で、あの行動をなかったことにしようともがいてしまうほどに。
醜い。私は醜い。自分の苦しみを他人に押し付けて、自分ばかり楽になろうとする。自分のことしか眼中になくて、自分の事しか考えられない。人としてサイテーだ。
帷月が死んでたら・・・母さんも父さんも兄ちゃんも生きてたかなぁ・・・
私はひどいことを言ってしまった。自分の悲しみをかき消すために、関係ない人のせいにした。
私は帷月に、決して消えることのない深い傷を心に刻み付けてしまった。
でも帷月はずっと何も言わずに、ただ、私の罵詈雑言を聞いていて・・・
結局、見かねた新庄先生と看護師の人が止めに入ったんだ。
帰って来たら家族が死んでる? 何の嫌がらせよっ
帷月に怒鳴っても何も変わらない事くらいわかっていた。帷月が無駄に傷つくだけで、自分の気持ちが楽になるわけでもない。でもその時、自分の中の負の感情をコントロールする事ができなくて、押さえ込めるほど小さなものでもなくて・・・だから一番近い『帷月』という存在に全てをぶつけた。ぶつけてしまった。自分一人が悲劇のヒロインになったように感じて。
それでも、帷月は一度もそれに抗おうとはしてこなかった。ただの一度でも抗ってくれたら、もしそうしてくれたら、もう少し歯止めが利いたかもしれないのに、帷月はずっと黙ってまるで感情がないかのように、ただ海月の嵐が終わるまでそれを聞いていた。
―――どうして私に優しくするの?
ヴァンパイアとして行動を共にしているのは私の勝手な自己満足。罪滅ぼし。
私を貶して。
私を憎んで。
私を蔑んで。
そしてできるなら、この身体、この心が朽ち果てるまで、帷月のことを守らせて。
帷月を守って散ることができるなら、私はそれだけで本望なの。
こんなこと言ったら、優しすぎる帷月はすごく怒ると思う。
だから、これは私の中にだけ密かに存在する誓い。
私は帷月と違って弱いから、帷月と一緒に戦える『銃』になる事はできないと思うけど・・・
でも、帷月を守る『楯』にならなれると思うから―――
海月の決意は何よりも澄んでいて・・・何よりも強い。