夢
「シャワー浴びてくる」
家へ帰った帷月はそのまま風呂場へ直行した。蛇口をひねって頭からお湯をかぶる。
「・・・っ」
いつまでたっても慣れない傷の痛みに顔をしかめた。湯と一緒に流れるたくさんの人間の血。いつも下は血の海だ。
醜くていい、汚れていていい。私はテロリストの血だけを食す『ヴァンパイア』なのだから・・・・・・
自分にそう言い聞かせる。そこからいつも始まる自問自答。
・・・・じゃあテロリストがみんないなくなれば私の役目は終わり?
・・・・テロリストも人間であることに変わりがないのなら、それを殺す私は同類?
・・・・私はテロリストをやたらと食い殺し、狂った『ヴァンパイア』?
・・・・私は、化物?
答えは決まっている。全てYesだ。
そう。本当はあの時死ぬべきだったのかもしれない。それでも生き残ってしまった、回復してしまった。ならばそんな化物が出来ることはただ一つ・・・「復讐」だ。
それでも・・・っ
「わかってるんだ・・・こんなこと、意味ないってことくらい・・・っ」
シャワーの音にかき消されてしまうほど弱々しい声色で、帷月はそう呟いた。
「でも・・・しないと私が狂いそうなんだ・・・私が・・・もっと人でなくなってしまうのが・・・ただ怖いだけ・・・私のワガママなんだ。私の勝手な都合なんだ・・・」
クソッ・・・悔しい。何でこんな時に一番すがりつきたい奴があいつなんだ・・・
帷月は奥歯を噛み締めた。
こんな時、浮かんでくるのは海月でも葵でも昌人でもない・・・新庄だった。
もし・・・もしあの人が私と同じ目にあったら、あの人はどうするんだろう・・・?
私と同じ様に殺すことで復讐しようとするだろうか。
それとも違う方法で復讐しようとするだろうか。
それとも・・・復讐自体、しようとはしないのだろうか・・・。
帷月はあの生温い血の感触を思い出して、慌てて頭を振ってその記憶を振り払う。
自分で決めて始めたことだ。
後戻りは出来ない。
自分でそう決めた。
誰にも命令なんてされていない。
これは私自身が勝手にやっていることだ。
自らの目的のためなら何でもしてみせる。
私はそういう非情な人間だ。
そんなことを考えながら、帷月はシャワーを浴び終わり、軽く拭いてからバスタオルを体に巻きつけて二回の自室へ向かった。
どす黒い色の傷に消毒液をぶちまけ、乾いたらガーゼ、酷ければ包帯をあてる。こんな応急処置も、もう手馴れたものだ。全ての処置を終えるとベッドに倒れこんだ。そして、そのまま深い眠りに付いた。
嫌な夢を見た気がする。・・・まぁいつものことだが、今回は特に。
声が聞こえる。大切な人たちの声。海月、葵、九条、シュナ、新庄、そして母、父、兄の声まで聞こえる気がする。助けて・・・と叫び続けていた。だから帷月はひたすら暗闇の中を声のする方へ走っていった。そして・・・明るい光が見えた。
パッと視界が明ける。
そこはどす黒い赤色の血の海だった。そして、そこに横たわり沈んでいる八人の姿。
帷月・・・帷月・・・上矢さん・・・上矢・・・上矢・・・帷月・・・帷月・・・帷月・・・
帷月の名前を呼びながら、こちらに手を伸ばしてくる八人の影。
・・・・・ッ矢ッ!
誰かが自分を呼んだ。今、目の前にいる八人の声ではない。だが、今の帷月は目の前の景色が目に焼きついて離れない。
・・・・・・あぁああああぁぁぁあぁあぁぁあぁっっっ!!
帷月は頭を抱えて悲痛な悲鳴をあげた。
・・・・・上矢!!
そして、より鮮明に聞こえたその声の主は・・・
「・・・・ッ!」
バッと目を開ける。すごい寝汗だ。
「上矢ッ!」
それとほぼ同時に隣から声が聞こえた。帷月は声のした方へと顔を向ける。
「新庄先生・・・?」
声の主は新庄だった。何とも言えない必死な顔が安心したように緩み、少しだけ心配そうになる。
帷月はゆっくり起き上がった。黒いタンクトップに短パンという格好だが、汗でぐっしょり濡れてしまっている。
「・・・大丈夫か?」
新庄が言い辛そうに聞いてきた。
「大丈夫・・・です。ちょっと嫌な夢を・・・見ただけですから・・・」
そうか、とだけ言って新庄はベッドの隅に座った。内容を率直聞いてこないのは新庄なりの気遣いだろうか。
「かなりうなされていたな」
「まぁ・・・夢の中で私が発狂してしまいそうになる位気持ち悪い光景でしたから」
「・・・お前が?」
新庄が怪訝な顔をした。
「あ、今あからさまに信じられないッて顔しましたね?」
新庄は黙っている。帷月は胸のガーネットのペンダントを指先で弄った。
・・・迷う。話していいのだろうか。話しても困らせるだけなのではないか。・・・私はいったい、この人に何を期待しているのだろうか・・・?
「最初は・・・真っ暗な闇の中にいるんです。平衡感覚が狂ってしまいそうな・・・本当の闇」
気付いたときには、帷月の口は独りでに言葉を紡いでいた。新庄はこちらを向いて、静かにそれを聞いていた。
「・・・・すみません。いきなりこんなこと言って・・・混乱させちゃいましたか?」
全て内容を話し終わってから、帷月は苦笑交じりにそう言った。
「いや・・・悪かった。そんな夢、思い出したくなかっただろう?」
「何言ってるんですか。先生は一度も『しゃべれ』なんて言ってないじゃないですか。私が勝手にしゃべっただけですよ。何で先生が謝るんですか?」
少しだけ頑張っていつもの無表情に戻す。
バカみたい、私・・・バレバレ・・・
自分で自覚しているだけに尚更恥ずかしい。
「・・・・・・」
新庄は無言で帷月が普通に戻れるようになるまで、隣に座っていてくれた。
「これからどうするつもりだ?」
新庄はそう言って話題を変えた。帷月も大人しく流される。
「様子を見ようと思います。何せ情報が少ないので・・・やはり一筋縄でいくような甘いモンではなさそうですし・・・」
「そうか」
新庄は一言、そう言っただけだった。
・・・・・駄目ですよ・・・
帷月は心の中で呟いた。新庄は、自分が一番苦しくて耐えなければいけないときに必ず側にいる。別に慰めの言葉をかけるためではない。口先だけの慰めが帷月にとってどんなものか、一番側で見ていて知っているのだから。だから何も言わずに、ずっと側にいる。ずるい。と、帷月はいつも思う。新庄がいるから・・・一人で生きると決めた自分の決意がボロボロと壊れていってしまいそうになる。本来の自分を隠す仮面にひびが入り、そのひび割れはゆっくりだが着実に大きくなっていく。捨てたはずの弱い自分が出てきてしまいそうになる。どんなに頑張って、手で覆い隠そうとしても、仮面の破片は関係なく崩れ落ちてくる。
・・・側にいられると、甘えてしまうことくらいわかるくせに・・・
そんな愚痴も新庄に面と向かって言えたことは一度もない。新庄が隣いることで安心感を与えられることもまた、揺るぎのない真実であることを帷月が一番よく分かっているのだから。
・・・私ハ、ドウスルベキダ?
何度も頭の中を巡る問い。ずっと仮面をつけているのは『逃げ』だ。そんなこと、わざわざ考えなくてもわかっている。自分が弱いことを知っているから隠すのだ。傷つくことを恐れて隠すのだ。モロくてすぐに壊れてしまいそうだから・・・隠すのだ・・・。
もう何年も仮面をつけていると、他人は仮面を本物の帷月だと錯覚するようになる。
・・・誰カ・・・私ヲ見ツケテ・・・
そう叫ぶ本当の自分を奥へ奥へと追いやって、綺麗に蓋をしてやる。十年前に生まれた冷酷非情な帷月は一人で何百ものテロリストを狩ってきた。
仮面の中の本物の帷月。外側の偽者の帷月。どちらも紛れもない上矢帷月である。偽の作り物であっても、それは帷月が自ら生み出したもので、帷月の一部であることに変わりはないのだ。
『完璧な人間なんていない。誰しもどこかに欠陥がある。だからお前だけが完璧であろうとする必要はどこにもない。弱くても臆病でも、辛いことから逃げても、それもたまには許されるんじゃないか?』
一度、見かねた新庄がそう言ったような記憶がある。完璧であろうとする必要はない。・・・新庄はもう何年もそう、同じことを繰り返し言っていた。それでも完璧であろうとする帷月を見て、新庄が、九条が、シュナが、そして・・・海月が、どれほど心配したのかは帷月には知る由もないことだ。
「落ち着いたか・・・?」
新庄が顔をのぞいてくる。
「・・・はい。ありがとうございます」
自分でもすこし表情が和らいだのがわかった。
新庄は立ち上がり、部屋を出ようとする。
「・・・先生が私の上官になるなら・・・〈教会〉もいいかもしれません」
帷月がポツリと言った言葉に新庄は一瞬ピタリと動きを止め、アホゥッと言って扉を閉めた。帷月も立ち上がり、銃の整備を始める。
「まったく・・・私は先生にどうしてほしいんだか・・・」
自分で思わず苦笑してしまう。さっきの言葉を新庄はどう受け取っただろうか。
「ま、先生のことだから軽くスルーか・・・?」
帷月は銃に付着した血液を綺麗に拭きとって弾をこめた。