先生
帷月はシャワーを浴びながら思う。一緒に過去も何もかも洗い流されてしまえばいいのに・・・。
出てくると、リビングはまだ微妙な重い空気が流れていた。帷月は横目でチラリと葵を見て、しかし何も言わずに二階へ上がろうと階段へ向かった。
・・・が、次の瞬間・・・
「上矢ぁぁぁぁっっっ!!」
怒鳴り声とともに勢いよく扉が開き、一人の男がすごい目つきで入ってきた。それを見た瞬間、帷月がギクゥッという効果音がとてもよく似合うような表情になって顔を引きつらせた。
「し、新庄先生っっっ」
すると男、新庄が帷月の方へと顔を向ける。帷月の背中を冷や汗が伝う。
「お前という奴はっ!!頭を打たれた挙句ッ、貴様ッ、右腕のメンテナンスにも行ってないだろうッ!いい加減にしろッ、このドアホゥがッ!」
新庄が一気にまくし立てた。が、そこで黙って引き下がれるほど帷月は人間できてない。
「何ですかいきなり家にまで押しかけてきてッ!そもそも別に私が何しようと私の勝手じゃないですかッ!」
「貴様をあの危機的状況から助けたのはこの俺だ!何度も言ってるが死なすためじゃねぇっ!何っっ回言ったらわかるんだこのドアホゥッ!」
「ッッッ!さっきから人をドアホ、ドアホって!何様のつもりですかこのクソ医者ッ!」
「俺様に決まってんだろうがッ!そんなこともわからんからドアホなんだッ!命の恩人に向かってクソはねぇだろうがッッ!」
その後もギャーたらギャーたら二人の言い合いが・・・。
「はーいはいはいはい。そこまでそこまでー」
パンパンッと海月が手を叩き、ようやく終わった口論。二人とも息が荒くなっている。
「・・・ん?そう言えばそこのガキ誰だ?」
見たことないぞ、と言って帷月の後ろで床に座っている葵へと目を向けた。・・・本当に今更ですね。今まで眼中に入ってなかったんでしょうか・・・。
「あ・・・葵です。有沢葵って言います」
葵がそう言って軽く頭を下げた。
「お、礼儀がなってるな。貴様とはまったくつり合わんぞ、サル女」
「誰がサル女ですかっ!」
キーッ!と牙をむく帷月。それをコラコラ、と海月がなだめる。
「お久し振りですね、新庄先生」
「おう」
新庄は軽く海月と挨拶を交わした。
「まぁそういうことだから、来い上矢」
「嫌ですよ、私今疲れてるんですから・・・早く寝たいんです」
と、そこでハッと我に返った帷月はさっきの調子で誤魔化すように怒鳴り気味の声で言った。
「わかりましたっ。行きますっ。行けばいいんですよねっ。着替えるから待っててくださいっ!」
そう言うと帷月はずかずかと二階へ上がっていった。
「・・・新庄先生?」
眉間にシワをよせて険しい顔をしている新庄の顔を、海月が不思議そうに覗き込んだ。
帷月は一分ほどで下りてきた。指先まで隠れる大き目のTシャツにGパン。その上から黒コートを羽織っている。
「また暑苦しい格好を・・・」
「うるさいですっ!海月っ、何日か家空けるからっ」
「りょーかい。いってらっさ~い」
そして二人は止めてあった新庄の車に乗った。
「嵐のようにやってきて嵐のように去って行っちゃった・・・」
葵はビックリしすぎて目を見開いたまま言った。
「だね~。まぁ、いつもの事って言えばいつもの事なんだけどねぇ」
海月はそんなことをのほほ~んと言った。
「えっと・・・で、あの人はいったい・・・?」
「あぁ、そういえば自分と事いう前に行っちゃったね、あの人・・・。あの人は新庄俊明先生。医者だよ。話にもでてきた帷月の主治医」
あぁ、あの人が・・・と葵は思う。
「新庄さんと話してるときの帷月・・・楽しそうだった」
「アハッ、それはどうかねぇ~」
海月は笑って誤魔化した。
新庄俊明は先にも説明したように腕の立つ医者である。またまた裏話をすると、彼が本格的に医者に転職したのは実は『黄昏の悪夢』の数日前のことだった。彼は元〈教会〉の第Ⅴ部隊に所属していた。それもあって、主に帷月たちを鍛え上げたのも新庄だ。ここでは一応「たち」と付けたが、主に帷月を育てた。もちろん、新庄は嘘が有り得ないほどド下手クソで帷月が無駄に鋭いので、帷月は新庄が〈教会〉で仕事をしていたことについては知っている。
・・・〈教会〉は嫌いだ。でも新庄先生は助けてくれたから。
帷月は新庄にそう言った。
数少ない生き残り。でもその多くはベッドで寝たきり状態の生活で、何とか命だけ取り留めた、という状況だった。その中でたった一人、奇跡の回復を見せた少女がいた。それが帷月だ。右腕を失くし、傷痕が残るものの、普通の人間とさして変わらぬ生活ができるようになったのは帷月一人だけだった。だから帷月は『黄昏の悪夢』の唯一の生き残りと言っても過言ではないかもしれない。それ故、周囲の視線もきつかった。
まだ退院、とまではいかないが、やっと歩けるまでに回復すると帷月は病室よりも、すぐ隣の新庄の住む寮に居ることのほうが多くなった。
「何だ。今日も来たのか。まだ安静にしとけっつったろが、アホゥ」
部屋に入り、帷月の姿を見つけると、新庄はそう言った。
「体が言うこと利かなくても、指先さえ動かせれば銃は撃てます」
帷月の左手には弾の入っていない真っ黒い小さな拳銃が握られている。帷月に銃の使い方を教えて間もない頃だ。
「もう手になじんできました」
「・・・そうか」
新庄は荷物を置いて、堅苦しいスーツを脱ぐ。
「いつか・・・これで人を殺してもなんとも思わないようになる・・・でしょうか・・・」
「そんなこと俺が知るか」
新庄は投げやりにそう言うと冷蔵庫から缶ビールを一本取ってきてプルタブを開けた。プシュッと音がする。
窓は開け放たれていて、心地よい夜風がカーテンを、そして帷月の黒髪を揺らす。
「上矢?」
「みんな言うんです。“あんたは幸せものだねぇ”って。“もう自由に動くことができるのか”“奇跡だな。神でもついているのか”。もう完全に嫌味ったらしいです。かと思えば“何であんたはピンピンしてるのにうちの子は死んじゃうのよ!”挙句の果てに“うちの子を返せ”ときた。私は完全化物。悪者扱いです。・・・まぁ強ち間違いでもない表現ですけど。そんなトコいてもつまらないでしょ?」
新庄は飲みながら目だけを帷月の背へ向ける。
「“両親とお兄さんを亡くしたのに涙の一滴も流さないなんて・・・”“なんて親不孝者なの!?”“何か言えばいいじゃない、・・・感情のない人形娘みたいね”みーんな人の家庭に口出しする暇があるみたい。みんな探してたんだよ。ぶつけようのない怒りをぶつける最適な場所。運悪くそれが今回たまたま私だっただけ。・・・私としてはほっといて欲しいトコだけど」
ひどすぎるだろ・・・っ!
新庄は激怒した。悪いのはテロを起こしたテロリストだ。何故それをこんな小さなボロボロの少女にあたる!?子供だから何を言ってもいいと思っているならそれは大きな間違いだ。
新庄は飲み終わった缶をテーブルに置く。
バカか、俺は。こうやってすぐ感情的になるから駄目だったんだ。感情的になるな。駄目な部分はすべて切り捨てろ。同じ間違いを二度繰り返すな。
「上矢」
怒りを抑えた声で、新庄は帷月の名を呼んだ。帷月がゆっくりと振り返った。包帯やガーゼでその小さな顔の三割以上は隠れている。・・・が、そこで新庄は見てしまった。始めて見る帷月の頬を伝う一筋の涙の雫。帷月は人前では絶対に泣かなかった。どんな罵声を浴びせられても、看護師が止めに入るくらいのきつい言葉でも、唯その相手を無表情に見つめるだけだった。
新庄は無意識のうちに帷月の頭に左手を回し、自分の方へ引き寄せて抱きしめた。硬く目をつぶり、強く抱く。帷月の強張った体から力が抜けていく。
・・・そうだ。それでいい
「何か嫌なことでもあったらすぐに俺に言え。いいな」
「・・・ずるいです。新庄先生はいつも厳しくて怖いくせに、時々不意打ちみたいに優しくする・・・反則ですよ・・・」
新庄は顔をしかめた。
・・・何をしているんだ俺は・・・っ
それから帷月は新庄の前では少しずつ本音を出すようになった。
新庄俊明=帷月が信頼する唯一の大人
ここは車の中。車には新庄と帷月、それから新庄の親友の九条和哉。〈教会〉にいた頃の親友で今もつるんでいるらしい。九条は今も〈教会〉に所属している。ただいま運転手。いつも冷静で大人びた感じの、新庄とは似ても似つかないタイプだ。
「・・・何、九条さんまで呼び出してるんですか?」
帷月が眉根を寄せた。
「大事な話がある。だから呼んだまでだ」
「・・・そうですか」
帷月は興味なさそうに窓の外へ目を向ける。どんどん山の奥へと入っていく。山の奥には一軒の小さな小屋がある。帷月と同年代か、少し年上くらいの無邪気な少女がそこに住んでいる。名前は本間・K・シュナ。日本人とフランス人のハーフだ。長い金髪を後ろで高く結い上げている。
新庄が小屋のドアをたたく。
「はいな~」
中からホンワカした声が聞こえてきた。
「珍しいね~こんな山奥に何の御用かな?遭難?」
そしてドアが開いた。三人の顔を見たシュナは目を丸くして驚いていたがすぐににっこり笑って、
「あら、珍しいお客さんだこと。どうぞ中へ~」
シュナが家へ招き入れる。
「で、今日は何の御用かな?九条二官も一緒ってことは、上矢のメンテだけじゃないんでしょ?あっち絡みかな?」
見透かしたような瞳で三人を順に見るシュナ。
「ま、とりあえず上矢、メンテするからちょっと来なさい」
シュナは微笑むと上矢の手を引いて奥の部屋へ引っ込んだ。
シュナが去った後、二人はソファに腰掛けた。
「彼女なりの気遣いじゃないか?お前、あからさまに言い辛そうな顔してたしな。・・・全く・・・変わってないな、すぐ顔に出るところは。上矢さんも気にしてた」
「あいつに心配される筋合いはない」
九条の追及に新庄はあからさまに顔をしかめた。
「心配させたのはお前だろ。勝手にそこを無視するな」
あぁ、やっぱり
職場についてから班が一緒になったので仲はそこそこ良いほうだが、口で勝てたことは一度もない。九条からどんな言葉が来ても、何故か納得できてしまって反論できないからだ。でも、いうこと全てが正論というわけでもないようで、新庄はいつもそれが不思議だった。九条曰く、『新庄は単純だから』ということらしい。
「まぁ、今日はこの辺にしておく。それどころじゃないからな」
そして二人は真剣な顔になった。