ヴァンパイアの意味
〈教会〉・・・とうとう改造人間のクローンまで造りだしたのか。どこまでも卑劣な奴らめ。
「地下の第三機密研究所にある。見たかったら、行ってみればいい」
新庄はそれだけ言うとドアを開けて外へ出ようとした。
「先生」
帷月はつい反射的に新庄を呼び止めた。新庄は歩を止めて帷月の方へ振り返った。
「一緒に、来ないんですか」
帷月のその言葉に、新庄はあからさまに顔をしかめた。
「あいにく、オレにそんな趣味はない。ついでに言うと興味もない」
新庄は帷月の質問をそうばっさり切り捨てると、スタスタ歩いていってしまった。
帷月は銃を丁寧に拭いてしまってから、第三機密研究所へ向かった。そこは、帷月が改造人間として初めて目を覚ました場所だ。
そして、初めてクロノスに会ったところでもある。
自動扉をくぐると、自分と全くの同じ顔、同じ背格好のクローンがみんな目を閉じてズラリと並んでいた。機械につながれた、人間が丁度一人入れるくらいの大きさのカプセルのような容器に、よくわからない緑っぽい液体が一杯に満たされており、その中にクローンたちはこれまた機械につながれて浮いている、というような形だった。
・・・気持ち悪い。
第一の印象はそうだった。〈教会〉のクローン技術は、それこそ世界に誇れるほど発達していた。クローンは一人一人自我を持って行動することができる。
だが、ある日目覚めたら狭いところに入れられていて、あたりは薄暗く、自分と全く同じ顔、形の人形がズラリと並んでいたらどう思うだろう。
絶対まず気持ち悪くなるだろう。
自分は一体何なんだ、と問いたくなるだろう。無駄に自我だけは植え付けられているのだから。
帷月は軽く顔をしかめて外へ出た。
「あれ、帷月?」
いきなり名前を呼ばれて、帷月はビクリと肩をふるわせた。振り返ると、何やら書類を抱えた海月の姿があった。
「ここ・・・一般の人は立ち入り禁止の第三機密研究所?どうして帷月がこんなところに?」
「ちょっとな。・・・お前は絶対中入るなよ」
「私は帷月と違って、規則は守るよ。上司にも入るなって言われてるし~」
海月はちょっただけ頬をプクリとふくらました。
「そう言うお前はどうしてこんなトコにいるんだ」
「え?えっと・・・ここの廊下の一番奥の鉄の扉の部屋にいる人にこの書類を渡せって」
そう言って海月は抱えていた書類を前に突き出してアピールした。茶色い大きな封筒に入っていて中身はよくわからない。が、かなりの厚さだ。何かの資料だろうか。
いや、ちょっと待てよ。
帷月は何か引っかかりを覚えた。
・・・ここの奥の鉄の扉の部屋、って言ったらいるのは確か・・・
研究中毒の若干頭のイカレた研究員たちを監禁してるところじゃなかったか?
「海月、それ頼んだの誰だ」
「え?」
いきなり質問され、海月は思わず聞き返してしまった。
「その書類を届けるように頼んだのはいったい何処のどいつだと聞いているっ」
帷月は少し声を荒げて言った。
もし、もしもこれが何者かに計算されているものだとしたら・・・。
「あの・・・諜報部の私の直属の上司にあたる、榊原一等報佐・・・」
榊原・・・榊原・・・榊原・・・?
帷月はその名前に聞き覚えがあった。
・・・もしかして・・・
「榊原・・・柊一?」
帷月が疑問的にその名前を呟くと、海月は少し驚いたように目を丸くした。
「帷月、知ってるの?」
どうやら、その「榊原」であっているようだ。
榊原・・・まさか、海月のことに気づかれたのか?まさか、まだどこかつながっているとでも・・・?
「・・・私も一緒につきあう」
どちらにしても、一人で行かせるのは危険だ。
そう考えた帷月は海月に同行することにした。
「失礼します。書類を届けに参りました。上矢一等報尉と上矢一等陸尉です」
海月は中に聞こえているのかどうか怪しいところではあったが、一応礼儀として挨拶をした。そして鉄の扉に手をかけて押し開けようと試みた。・・・が、扉は予想以上に重く、海月の力ではビクともしなかった。それを見た帷月が軽く片手で扉を押すと、扉は重苦しい音を立ててゆっくりと開いた。
帷月と合流できてよかった・・・、と海月は心から安堵した。
まず部屋の中には帷月が入った。薬品の濃い強烈な臭いに顔をしかめ、帷月は思わず服の袖で顔を覆った。後ろから帷月に続くようにして、海月がおそるおそる入ってきたのが気配でわかった。
「上矢海月・・・だけじゃないようだな。片割れの妹までオマケでついてきたか」
中から低い男の声がした。明らかに海月が目当てだと言っている。帷月は無意識に海月を庇うようにして立った。海月が帷月の手を握ってくるのがわかった。帷月は、安心させるように海月の手を強く握り返した。
「海月が目当てか。コイツに何をするつもりだ・・・」
「ここにくる前にもうバレてしまったのか。まったく、無駄に勘のいいガキだな」
「私の質問に答えろ」
話をはぐらかす相手に、帷月は苛立ちを覚えた。
「勘がいい上にせっかちときたか。可愛げのないことだ」
なおも関係のないことを言い連ねる男に、帷月は本気で嫌気がさしてきた。そんな帷月の感情を感じ取ったのか、男はやっと帷月の質問の答えを口にした。
「そんなにカリカリするな。なに、記憶のない哀れな人形にプレゼントをやろうと思っていただけだ」
「プレゼント・・・だと?」
帷月は軽く眉根を寄せた。
この男がいったい何を言っているのか、その言葉の真意がわからなかった。
わざわざ海月のことを「記憶のない」と言ったということは、おそらくそのプレゼント、というのは記憶関連のものだろう。だが海月の記憶は封印ではなく、単純に消去されたはずだ。それを取り戻すことなんて、記憶のバックアップのようなものがないとできない。
「まさか・・・記憶を取り戻せるの?」
微かに興奮したような海月の声が背後から聞こえてきた。海月も、男の言葉をそう解釈したようだ。
「消したのは他の誰でもない、このオレだ。戻す方法も知っている」
まさか・・・そんなことができるのか・・・。
帷月は男の言葉にただただ驚愕した。そして、同時にこれはヤバイことになったと悟った。
今、海月は何よりもなくした記憶を欲している。その、のどから手がでるほど欲しいものが手に入るのだとわかれば・・・海月がこの話に食いつかないわけがなかった。
海月はきっと、この男の手を取る。何の疑いも持たず、不用心に。
「私の・・・〈教会〉でのアポロンとしての記憶を、取り戻せるの?」
海月のその言葉に、帷月は動揺を隠しきれずに振り返った。
もうそんなところまで調べがついていたのは予想外だった。さすがは「天才知能」と呼ばれていただけはある。
「海月・・・何で・・・」
「”クロノス”を調べていく過程で・・・双子の改造人間にたどり着いたの。アルテミスとアポロン。そのアルテミスの方についていた研究員がクロノスという名前だったから、もしかしたら、って」
すさまじい推理力だ。それとも体がそれを覚えていたのだろうか。どちらにしても機密情報をこれだけ集めて、その少ない情報の中からたった一つの真実にたどり着けるとは、帷月には決してできない芸当だ。
「知りたいか。どの記録書、〈教会〉のメモリにも書かれていない、お前の失われた記憶のすべて」
男はゆっくりと言い含めるように言った。
背後でまた、ゆっくりと海月が首を縦に振ったのがわかった。
止めても・・・無駄だろうな。
海月はこう見えてかなりの頑固者だ。一度決めたことはどんなに帷月が止めようと、決して止めない。それはずっとずっと昔から・・・あの日、〈教会〉に見つけられる前からずっとそうだった。
「アルテミス。お前は本当にコイツに記憶を取り戻して欲しくはないのか?」
男はいきなり話を帷月に向けた。
「・・・どういう意味だ」
男のあまりにも突然すぎる問いに、帷月は問い返した。
「本当はずっと思い出して欲しかったんじゃないのか」
「・・・何が言いたい」
男の意味ありげな言葉に、帷月は何か変なモヤモヤとした気持ちを覚えた。
何だ。
この脳の奥から粘っこく張り付いてくるような声。
前も何処かで・・・?
「飢えてるんだろ、お前」
その一言で、脳裏に全てが蘇ってきた。
こいつ・・・この男は・・・。
「貴様・・・榊原耕雲・・・っ!」
改造人間計画の首謀者である前教会長の実の弟だ。弟の方は運良く牢には入れられなかったらしい。こんなトコロで監禁されているとは、夢にも思わなかった。指示を出すのは教会長だが、ヤツ自身は滅多に出てこず、主にこの弟の榊原耕雲が伝達役になっていたと聞いていた。
だから、コイツの声は今もはっきりと覚えている。
「お?さすがに思い出したみたいだな、アルテミス」
男、榊原耕雲は楽しそうに言った。
「誰・・・?飢えてる・・・って、どういう意味?」
海月は一人話についていけずに困惑の表情を見せている。
「フフフ。「ヴァンパイア」とはよく名付けたものだと思っていたんだ。・・・ピッタリだな、お前に」
「言うな榊原っ。コイツ・・・海月にだけは絶対に言うなっ」
帷月のあまりの必死さに、耕雲はさらに楽しそうに言葉をつなげた。
「何故だ。言った方がどちらにも益があるだろう。アポロンの方はなくした記憶の一部を与えられることになり、そのことでお前ももうあんなキツイ思いをしなくてすむようになる。これを世は一石二鳥、と言うんだろ」
耕雲はニタァッと気持ちの悪い笑みを浮かべた。
それは背筋が凍り付くかと思うほどゾッとしていて気色悪かった。
「アポロン・・・。コイツを「ヴァンパイア」と呼ぶのはあながち、間違いではないんだ。・・・そう。お前にとってコイツは・・・アルテミスは「ヴァンパイア」と呼べる存在なんだ」
海月は未だに何がなんだかよくわからずに困惑しているようだった。帷月は海月を外へ連れ出すことを試みるが、周りにいた人間どもが全員で帷月を床へ這い蹲らせて押さえつけた。
「・・・くっ・・・」
さすがは研究員どもだ。抜かりなく、改造人間専用の力を封じるための拘束具を縛り付けてきた。さすがの帷月も、普通の人間の力でここにいる榊原を除いた研究員を全員相手にするのは分が悪かった。
「やめろ・・・っ」
帷月は必死にそう言うしかなかった。
どうしても、海月には知って欲しくはなかったこと。記憶がすべて戻れば必ず知られてしまうことではあるが、それでも、このことだけは本当に思い出して欲しくはないことだった。
クロノスでさえ、ほとんどどうすることもできなかったアルテミス特有の性質であり、唯一の欠陥と言っても過言ではないだろう。
「何故ならアルテミスは、アポロンの・・・」
「榊原ァッ」
帷月が憤り、叫んだ。次の瞬間、榊原の口から、その真実はこぼれおちた。
「生き血なしではその力を使えないからだ。・・・いや、もっと言うと、生きることすら困難になる」