訓練
帷月は他の改造人間と一緒に機械につながれていた。
「どうだ」
隊長が自動扉の向こう側から部屋に入ってきた。白衣を着た研究員が、紙を数枚持って報告にやってきた。
「はい。攻撃力、回復力、その他すべての分野の能力において、上矢帷月がダントツトップです」
研究員が手に持っている一枚の紙を見せた。数値を示す棒グラフは、確かに全員の中でずば抜けている。
「さすがに天才様の造った最高傑作は違うな」
だからこそ、あの天才が夢中になったのも理解できた。
隊長は実際のところ、ここまで差が出てくるモノだとは予想していなかったのだ。
「これより実践テストを行います。研究員の誘導に従って移動を開始してください」
機械音のアナウンスが響いた。それと同時に、改造人間たちの体は機械から解放された。
研究員たちによって全員はそれぞれ、バラバラの部屋に入れられた。そこからはモニター観察となる。
そこからの帷月の動きは目に見えて凄まじかった。現在存在する改造人間用のテストプログラムの中で、帷月が受けているモノは最難関のモノだと聞いている。
が、帷月はそのプログラムをあっと言う間にクリアしてしまった。ほぼ、完全な無傷だ。
これが、他の改造人間との性能の差、なのだろうか。
「おい。あれで最難関なのか」
帷月がやや不満そうに聞いた。研究員は困ったように頭をかいた。
当たり前だ。
いきなり現れた天才の造った最高傑作に合わせるシステムなどあるわけがない。帷月があっさりクリアしてしまったこの最難関システムも、他の改造人間は誰一人としてクリアする事はできなかったのだから。
「今作ってる最中なんだけど・・・なかなか進まなくて」
気の弱そうな研究員をしばし観察してから、帷月はきびすを返した。
「苦戦してるなら上矢海月に言ってみろ。あいつの方がよほどお前たちより有能だ」
そう言ってスタスタと歩き去った。
まだ他のヤツらが終わるまで時間がある。自動販売機で飲物でも買ってこようと思ったのだ。
「上矢海月・・・?」
帷月が去った後、不思議そうに首を傾げる研究員に、隊長は説明を加えてやった。
「諜報部の方に新しく入ったあいつの双子の姉だ。機械をいじらせたら怖いものナシの、これまた天才児でな。ヴァンパイアの片割れだ」
あぁ、と研究員は納得したようにうなずいた。
「なるほど。そう言うことなんですか。それは心強い方ですね。早速相談してみます」
研究員は白衣をひらめかせて部屋を出た。
・・・今のところ、アルテミスとクロノスが接触した様子はない。だが、あいつが何か知っているのは確かなはずだ。・・・さて、どうやって聞き出すか。できるだけ感づかれないように・・・
いや、もうすでに感づかれているか。あの娘のことだ。その可能性も十分すぎるほどある。さて・・・
隊長が思考を巡らしていると、頬に何か冷たいものが押し当てられた。驚いて横に目を向けると、相変わらずの無表情で帷月が缶コーヒーを持って立っていた。両手に持った缶コーヒーを一本差し出してきたのだ。
「やる。いらなかったらそこらにでも捨てろ」
隊長はありがたく差し出してきた缶コーヒーを受け取った。
帷月はプシュッといい音をたててプルタブを開け、口をつけた。そのまま渇いたのどへ流し込む。
「クロノスの弟子は私なのではないか」
口に入れたコーヒーを飲み込んで一息付いたとき、突然帷月の口からそんな言葉が飛び出してきた。もちろんいきなりのことで、隊長は驚いて謝って気管に入りそうになった。
「・・・って、お前らは思ってるんだろ」
帷月は隊長の方は見ずに、そう続けた。
何も言い返せなかった。何故なら、それは本当のことなのだから。
「海月にも言ったけど」
そう言って帷月は初めて、頭二つ分ほど大きい隊長の顔を見上げた。
「疑いたいなら疑えばいい。疑うのはお前たちの自由だ。私はどっちでもいい。好きにしろ」
やっぱり、予想通り大したヤツだった。的確にこちらの裏をあててくる。
「あぁ、それから」
帷月は言い忘れたことを思い出したように言った。
「クロノスと私があれからコンタクトをとっているのか、そこら辺は海月に聞けば全部わかる」
「・・・自分から話す気は」
「もちろん、無いに決まってるだろ」
隊長の問いに冷たく帷月は即答した。さすがに隊長はそれ以上は何も言わなかった。いや、言えなかった、の方が正しい言い方かもしれない。
ただ、他の仲間の訓練姿を愛おしそうに眺めている帷月を見ていた。
「うお、お前もう終わってたのか。さっすがに早ぇッ」
丁度帷月が終わってから一〇分ほど経っていた。二番目にクリアしたその少年は、帷月の姿を認めると目を丸くしてそう言った。
少年の名前は軍神アレス。長い銀髪を首の後ろでまとめた美形の少年だ。戦闘能力は帷月の次に高い。
「お前も十分早いだろ。まだ私が終わってから一〇分四七秒二六しか経ってない」
「ギリギリ一一分にはならなかった、ってとこか。くそ、やっぱお前にだけは勝てねぇ・・・」
「勝たなくていいんだよ、こんなこと」
帷月の行ったプログラムは最難関のランクAのもの。対して、アレスの行ったプログラムは準難関のランクCのものだ。差はかなり大きいと言えるだろう。
それでも帷月を除けばアレスはダントツでトップだ。
もちろんこれは改造人間だからこそ出来うる芸当だ。普通の人間ではどんなに頑張っても最低ラインのランクEが限界だろう。それでもクリア出来れば相当なものだ。
ちなみに、帷月とアレス以外の改造人間は標準のランクDのプログラムを行っている。
「しかし、私も鈍ってるな。最低でも二〇は差をつけるつもりだったんだが」
「それはプログラムの差だろ。お前がランクCでやってたら軽く三〇以上は差が付いただろうな」
フンッと拗ねたようにそっぽを向くアレスに、帷月は思わず苦笑しかけた。
「なぁ、アルテミス」
「何だ」
休憩用のイスに二人で背中合わせに座ると、アレスが少し暗い声で話した。
「オレも、いつか壊れて人形みたいに容器の中に入れられて、いろんな機械につながれちまうのか」
帷月の無表情が、一瞬歪んだ気がした。
「アンティが起きない。一年前から、ずっと」
アンティとは愛称で、本名はアフロディテ。アレスの恋人の名前だ。美しい長い金髪を持つ少女で、仲間の中で一番身体が弱かった。予想はしていたが、隊長から聞いた昏睡状態になった一人というのは彼女のことだったようだ。
「オレたちはいったい何なんだ・・・」
アレスの悲痛なその問いに、帷月はしばらく何も言えなかった。
「・・・人間にとってはただの道具にすぎないだろうな。人間兵器、とでも言うのか」
元々は同じ人間だった。ただ子どもが抵抗できないことをいいことに、愚かなほんの一部の人間が身体をいじくり回した。その結果、生まれたのが帷月たち改造人間だ。運悪く、何億、何兆分の一の不幸に当たってしまった。ただそれだけのことだ。
「運命は残酷だ。だがそれを恐れるな。戦え。私たちにはその戦う力が十分すぎるほどに与えられているのだから。こんなものかと現実を諦めるな。諦めればその時点でジ・エンドだ」
帷月の言葉は妙に説得力がある。
アレスはいつもそう思う。それが何故なのか、理由まではわからない。でも絶対に反論できない、帷月にはそういう強さがあった。
それが帷月の背負ってきた「現実」なのだろうか。
「何か・・・あったのか、アルテミス」
いきなりのアレスのそんな言葉に、帷月は思わず目が点になった。
「いきなり何言い出すんだ、お前は」
「前と何か変わったな・・・って思って」
アレス自身、何意味の分からないことを言っているのかと思ってしまった。でも言わずにはいられなかったのだ。何故なら、目の前の少女は前より一層悲しそうで、苦しそうに見えるのだから。少女の漆黒の瞳の奥深くに、誰にも気づかれないように押し殺した「悲しみ」が、その「苦しみ」が、見えるような気がしたのだから。
「変わった・・・か。確かに変わったかもな」
生まれてから、やっと見つけたと思った「親」という存在を二度も失った。生まれたときからずっと一緒に生きてきたたった一人の血のつながった家族の記憶を奪われ、初めてできた「家族」と言える存在も、自分の右腕とともに失った。
大切なモノを立て続けにたくさん失った。
大切なモノができる度に、それはこぼれ落ちるように消えていく。
その度に、何度も何度も悲しみのどん底へ突き落とされる。
それがイヤならば、最初から大切なものを作らなければいいだけだ、と何度も思った。
でも、わかっていても、大切なモノはまたできる。
大切なモノをいっぺんに失った日に出会った人間。
今は、その人を何時失うことになるのか、誰にも気づかれないように怯えながら生きている。
相手はそんなこと全く気づかずに近づいてくる。
根っこは優しいくせに素直になれなくて、不器用な人。
すぐ怒鳴って怒るくせに、一番いてほしいときには必ず側にいてくれる。
反則的な人で、・・・いつも甘えてしまう人。
あの頃よりたくさんの大切なモノを失った。
あの頃よりたくさんの大切なモノを抱えている。
あの頃より失う恐ろしさも、辛さも、苦しさも、悲しさも知っている。
「上矢」
久し振りの名字呼び。久し振りの声。帷月はすぐにそれが誰なのかわかり、声のした方へと振り返った。