クロノス
「おかえり、帷月」
帰ってきた帷月を迎えた海月は、突然何かを思い出したように、ダイニングテーブルに置いてあった一通の手紙を差し出した。宛先欄のところにローマ字で[itsuki]とかかれてあった。
「これは?」
「玄関の防犯カメラ見たんだけど、それ、郵便屋さんじゃなくて本人がここまで来て自分で入れてたの。変だなぁと思ったら宛名のトコに「itsuki」って書かれてたから、帷月の知り合いなのかなぁと思って」
帷月の問いに、海月は少し肩をすくめて答えた。
帷月は受け取った封筒を裏返した。
そして・・・驚愕のあまり目を極限まで見開いた。
[kronos]
クロノス。
「・・・ッ海月。防犯カメラの映像見せろ」
いつもと様子の違う、どこか取り乱したような帷月に戸惑いながら、海月は素早くパソコンを操作した。
「この人。ちょっと待って、今画像のノイズ消すから」
そう言って海月はまたキーボードをたたいて操作した。どんどん人間の輪郭がはっきりと見え始めた。
現れたのは白髪の長い髪を後ろで束ねた老人のようなヤツだった。かなり美形で、男か女か怪しいところだ。
「・・・クロノス・・・」
間違いない。確実にアイツの顔だ。・・・でも、アイツはもう・・・
帷月は海月に礼を言って階段をかけ上がり、自分の部屋へ飛び込んだ。封を丁寧に開けて中身を取り出し、その文面に目を走らせた。
”久しぶりだな、帷月。あれからもう何年になるのか、お前も随分成長したように見える。私が年をとるはずだ。
お前はきっと、私をあまりよくは思っていないのだろうな。それは自覚している。
だが、今私はお前の力を必要としている。
お前の力を、私に貸してくれないか。
Kronos L Eyck”
何故今になって・・・。おかしい。アイツはもうすでに死んだはずだ。墓もあった。ではあの墓は偽物か・・・。それともこっちが偽物か・・・。どちらにしても、これは誰かに言えることじゃないな。
「全く・・・誰の嫌がらせだよ、クソ野郎。イヤなこと思い出させやがって。悪趣味だ」
ボソリと呟いて、帷月は手紙を机の引き出しの中に隠すようにしまった。一応鍵もかけておいた。
海月のことだ。こちらに探りを入れてくる可能性は十分考えられる。鍵をポケットに入れ、帷月はベッドに横になった。イヤな夢を見そうだった。
海月は尋常じゃない帷月の様子を怪訝に思い、帷月の呟いた「クロノス」について調べた。
本名は Kronos L Eyck。元 教会 の研究員。テロリストたちの有する平気やそのテクノロジーに興味を持ったために途中から 教会 を裏切ってテロリスト側についた典型的な科学者。それが 教会 に知られ、即追放された。そして数年前、
「病で死去・・・?」
そう書かれたすぐ下には、墓の写真が載っていた。クロノスの名前もしかっりと彫られている。
クロノスは膨大な情報、及び知識をため込んでおり、死に際にそれら全てを「自分のたった一人の弟子にしかわからないところへ隠した」と言い残しているらしい。それで、 教会 はクロノスの言う「たった一人の弟子」というのを血眼になって捜しているということらしい。他のクロノスと同期の研究者たちは、「クロノスに弟子らしき者はいなかった」と供述していて、クロノスの弟子に関する情報はいっさい手に入っていないようだった。
「ちょっとストップ。クロノスって人、もう死んでるじゃん。弟子って・・・あの手紙、もしかして帷月が・・・」
でも、帷月が 教会へ行ったのは今日が初めてのはずだ。・・・少なくとも海月が知っている範囲では。
「・・・私が忘れているだけ・・・か」
あの手紙には何と書いてあるのだろうか。クロノスは本当は生きているのだろうか、死んでいるのだろうか。もしクロノスにテロリスト側に付くよう迫られたら・・・帷月はどうするのだろうか。
帷月はテロリストを何よりも恨んでいる。それは側にいる海月が一番よくわかっているつもりだ。でもあの様子だときっと、帷月にとってクロノスは大切な、本当に大切な人だったのだろう。帷月のことだから、クロノスがもうすでに死んでいるはずであることも知っているはずだ。だからこそ、あそこまで帷月は取り乱した。
ねぇ、帷月―――あなたは恨みと絆、どっちを選ぶの?
帷月には届くはずのない問い。
帷月には聞こえるはずのない問い。
帷月には言えるはずもない問い。
それでも、
いつかは答えを出さなければならない問い。
私は帷月にどんな答えを期待しているのだろう。帷月に何と言ってもらいたいのだろう。
テロリストの協力なんかしないと、こんなモノに惑わされないと、言ってほしいのだろうか。
それとも、お前には関係のないことだと、いつものように突き放してほしいのだろうか。
こういうとき、新庄先生ならどうするのかな・・・
そんな途方もないことを思いながら、気づけば海月は帷月の部屋の前に立っていた。
会って、それでどうするというのだろうか。話し合い?バカな。
海月は自分の馬鹿げた考えに思わず失笑してしまった。そして自分の部屋へ向かおうときびすを返した。
「何か用?」
ドアの向こうから声がした。帷月だ。帷月が部屋の外に人の気配を感じ取ったのだろう。
「あ、ごめん。起こしちゃった・・・?」
うろたえる海月。
私、何うろたえてんだろ。バカみたい。
帷月はドアにもたれる格好で立った。何故海月が自分の部屋へ来たのか、だいたいの予想はついていた。
「あの手紙か」
海月は黙り込んだ。まさに図星だったから。弁解の余地もない。
「気にするな。誰かのイタズラだろう」
あぁ、この声色は・・・完全に突き放している色だ。
「クロノス・・・って誰?」
こうなったら当たって砕けろ、だ。
「お前には関係のないヤツだ」
あっさりと砕け散ってしまった。
「帷月にとって、大切なヒト?」
帷月はその質問にはなかなか答えなかった。
けれど、ここで引き下がるわけにもいかない。海月はずっと待った。
「・・・あぁ」
やがて帷月は低く、それだけ言った。
「その人のためなら、何でもできる?」
「・・・」
帷月は答えなかった。海月は根気強く待ったが、これには全く返答する気はないらしかった。海月はさすがにもうこれ以上クロノスについて深入りする事はやめておこうと思った。そして、また別の質問をした。
「・・・テロリストに、協力したりとか・・・する?」
ドアの向こう側で、帷月が息をのむのがわかった。
「さっきクロノスって人のことについて勝手に調べちゃった。・・・ごめん」
海月は一応そう言って謝った。向こうからの反応は何もない。
どれくらいの間沈黙が流れたのだろう。
やがて帷月が重い口を開いた。
「疑いたいなら疑えばいい。海月のことだから、もうほぼカンペキにクロノスについては調べ終わったんだろ」
「・・・うん」
海月は何も隠すことなく肯定した。
「疑うのは海月の自由だ。・・・私はどっちでもかまわない」
まただ。
また一人で、勝手に遠くへ行ってしまう。
「信じても・・・いい?」
「好きにしろ。・・・私はもう寝る」
帷月がドアの側から離れたのがわかった。
海月も自分の部屋へと向かって歩を進めた。
翌日、海月は〈教会〉に入ることを決めた。クロノスと帷月と自らの記憶との関係を調べる場所に、これぼどまでに適した環境は他にない、というのが一番の理由だった。海月は戦闘ではなく、情報処理班に回された。海月もその方が自分で向いていると思ったので異論はなかった。
寮に入ろうかと考えたが、海月まで寮に入ってしまうと家が空になってしまうので、寮に入るのははやめておくことにした。帷月は戦闘職種なので全寮制らしく、家にはあまり帰って来れないという説明も受けた。
帷月はその日の内に、数少ない私物をまとめて全て運び終えた。
帷月の配属は 教会 特殊部隊。階級は一等戦尉。海月は 教会 諜報部、一等報尉。本来、新人は三等准尉から階級がスタートするところだが、ヴァンパイアにおける実績によって二人とも一等尉からのスタートになった。
「うわぁ。さすがに手際がいいね、上矢さん」
パソコンのキーボードをせわしなく叩いて作業していると、海月の背後から声がかかった。
「わ、榊原一等報佐」
海月はびっくりして慌てて居住まいを正した。
海月の上司の榊原柊一一等報佐だ。いつもニコニコしていて優しい雰囲気の人だった。が、その階級通り、技術は超がつく程一流で、優秀な上司だった。
「僕なんかよりずっとできるんじゃない?」
「い、いえ。そんなことないです。まだまだ榊原一等報佐にはかないません」
実際に、榊原から学ぶ技術は多かった。
榊原は少し苦笑して言った。
「その榊原一等報佐って長くない?僕の場合名字長いから、階級で呼ぶとかなり長くなっちゃうでしょ。普通によんでもらっていいよ」
「え、・・・っと。普通、と言われましても・・・」
海月は少し困った風に見せた。
「何でもいいよ。榊原さん、でも。柊一さん、でも」
さん付けで呼ぶのはあまりにもなれなれしいと思ったので、海月は「榊原上官」と呼ぶことにした。榊原はまだ「堅いなぁ・・・」と苦笑していたがそれ以上は言わなかった。
「あの・・・ちょっと聞いてもいいですか?」
「ん、何かな。何でもどうぞ」
榊原は少し微笑んで言った。
「元ココの研究員だった、クロノス、って言う人を知っていますか」
榊原の表情が一瞬固まったような気がした。それだけでクロノスが 教会 にとってどんな存在であったのかが少しわかるような気がした。
「どうして上矢さんがクロノス教授のことを・・・?」
「いろいろと調べてたときに、たまたま見つけたテロリストで元 教会 の研究員だったと書いてあったので、少し詳しく知りたいなと思って」
これは予め作っておいた答えだ。
相手は自分がヴァンパイアであることを知っているので、特に不信には思わないだろう。
「なるほど、そうか。・・・彼はね、本物の「天才」だったよ。数年前に 教会 の前教会長が犯してしまった禁忌にも深く関わっている。・・・改造人間計画は知っているかい?」
海月はコクリとうなずいた。それについてはすでに、全て調べ済みだ。内容も頭にしかっりと入っている。
「成功した改造人間に一人ずつ、研究員が「親」ってことで付いたらしいんだけど、彼はその中でも最も出来のよかった「アマラ」って子について、育てたんだ」
「アマラ・・・?」
その人がクロノスの弟子なのだろうか。
「そう。そして彼が育てたアマラは、改造人間の中で最も性能の高い、いわば最高傑作となったんだ」
「じゃぁ、その・・・クロノスの弟子、って言うのは・・・」
海月がその話しを持ち出すと、榊原は細い目を大きく見開いた。
「驚いた。もう弟子の話まで知ってたの?さすが、だね。・・・そう。〈教会〉も、真っ先にそのアマラが怪しいと考えた。・・・んだけど・・・」
そこで榊原は少し息をついた。
だけど、どうしたんだろう・・・
そこら辺の情報はいっさいネットの何処にも載っていなかったのだ。
「アマラはクロノス教授が姿を消したその直後に、〈教会〉から逃げ出してるんだ。双子の姉のカマラだけを連れて、ね。それから改造人間計画が世間にバレて、関わっていた人たちは全員追放。そこからは・・・もう言わなくても知ってるかな」
海月は無言でうなずいた。
アマラとカマラ。双子の姉妹の改造人間。
じゃあもしかして、帷月がアマラ・・・?帷月が改造人間?私は・・・カマラという改造人間?
信じ難いことだが、可能性としてはあり得ないことではない。
海月は榊原にお礼を述べてからすぐにまた作業を再開した。
信じてみる、価値はある。
アマラとカマラの名前を聞いたとき、言葉では言い表せないような、懐かしさのようなモノを感じた。
もし私がカマラという改造人間である、ということを忘れているのなら・・・
他の改造人間のことについても、調べてみる必要がありそだった。