ヘルメスとの再会
〈教会〉が到着したとき、そこはすでに血の海だった。真ん中に立つ小さな影がかろうじて目で認識できるほどの暗さだった。
「いらっしゃい、 教会 さん。無事、私の正体を知ることができたか?」
「あぁ。おかげさまでな。・・・ヴァンパイア、顔を見せろ」
隊長は強く命令口調で言った。
「名前、調べたんだろ。呼べよ、名前」
「今の名前か、それとも昔のコードか?」
隊長のその思いがけない言葉に、帷月は驚いたように沈黙した。
「・・・これは予想外だ。そんなところまで調べがつくとは思っていなかった。・・・が、とりあえずは今の名前だ」
あまりにも〈教会〉を見くびりすぎていた、と帷月は今更ながら反省した。
帷月の声は気のせいか・・・少し寂しそうに聞こえた。
「上矢帷月。顔を見せろ」
隊長が言うと、帷月はゆっくりとした動作でフードをはずした。まずつり目気味な鋭い瞳が現れ、続いて肩に少しかかるくらいの短めの黒髪がその姿を現した。
「お見事」
「もう一人は上矢海月だな」
隊長がそう言うと、物陰から海月が姿を現した。
「その通りです」
海月は帷月のところまで来て、そのまま二人並んで隊長の前まで行った。
「ねぇ、新庄先生」
帷月は視線を隊長に向けたまま新庄に話しかけた。
「気づいてたなら、どうして今まで私たちを外の世界へ放置しておいたんですか」
新庄が気づいたのは、おそらく自分が病院で入院している頃だ。別に責めようと思っているわけではない。本当は、何故新庄がそんな行動をとったのかわかっているから。もう何年も一緒にいる仲だ。少しいじめ心が出てきてしまっただけ。
だから新庄先生はダメなんです。優しすぎて。
非情になる
それがこの世界の鉄則ですよ。
帷月は思わず苦笑してしまいそうになった。いつもそうだ。帷月の問題なのに、いつも新庄がかわいそうな顔になる。帷月にとっては、新庄が自分よりアホだと思える。
だからこそ、つい甘えたくなってしまう。
「それで、そのことを知っていて今日ここに来てるってわけか。・・・本当に、どこまでも残酷だな」
「それは重々承知している」
帷月のからかいに、隊長は重々しく答えた。
「・・・」
帷月には、今目の前にいるこの男の考えてることがわからなかった。
「目的は、私を〈教会〉に所属させること、だったな」
「あぁ、そうだ」
ここまではいい。この次、これが帷月にとって一番気にかかること。
「私だけか」
隊長は一瞬沈黙した。その言葉の意味を正しく理解したのだろう。すぐに答えが返ってきた。
「どうしてほしい?」
こっちの希望を聞くのか。昔はこっちの意見なんて完全無視だったくせに。
帷月は内心でそう毒づいた。
「こいつは何も知らない。私は〈教会〉に縛られずに、何も知らずに生きてほしい」
微かに顔を俯かせたが、帷月はまたすぐに顔を上げて隊長と視線を合わした。
「帷月、何の話?」
一人話についていけない海月は耐えかねて帷月に聞いた。
「海月は知らなくていい」
しかし、帷月の答えは素っ気なく、海月のほしい情報をいっさい与えてはくれなかった。
「ッまた隠し事?」
海月は思わず頭に血が上って、大きな声を出してしまった。すぐに我に返り、海月はバツの悪そうな顔になった。帷月は逆に海月の言葉に対する答えに詰まった。全くその通りかもしれないからだ。厳密に言えば違うが、何も知らない海月からすれば、そう思うのも無理はない。
が、そこで思わぬ助け船が出た。
「それは違う」
九条だ。何を言うつもりなのか。帷月は内心で少し不安だった。
「君は知っている。ただ、忘れてしまっているだけだ」
「忘れ・・・て?」
全く予想外の人物からの予想外の言葉に、海月は戸惑ったような困惑の表情を浮かべた。
「もっとも、信じる信じないは君の自由だが」
九条は絶対に嘘は言わない。真実だけを口にする。それは長い付き合いで十分承知している。だから海月は何も言えなくなってしまった。
「では、そちらの意見も聞こう」
九条の話が終わったと見て、隊長は海月に向けて帷月と同じ質問をした。
「お前はどうしてほしい」
海月は完全に答えに詰まってしまった。帷月は来るなと言った。九条は自分が何かを忘れていると言った。確かめるために〈教会〉に行きたいと思う気持ちがないと言えば嘘になる。
私は・・・どっちを選べばいい?
隊長は海月の様子からすぐには決められないと判断したらしく、一週間の猶予期間を与えてくれた。
帷月は少しやることがあるから、と海月を先に帰し、〈教会〉へ向かった。
私は、いったい何を忘れて・・・
考えても無駄だろう。帷月は自分が〈教会〉と関わることを拒んだ。ならば自分が忘れていることは少なからず 教会 に関係がある、ということだ。
ここ数年の 教会 の裏を探るか・・・。
家に到着した海月はそのまま真っ直ぐパソコンへ向かった。
「一つ聞きたい」
帷月は移動する 教会 の車の中で隊長に言った。気配で、隊長がこちらに顔を向けたのがわかった。
「成功した他の八人は、まだ全員生きているのか」
隊長の表情が一瞬固まったような気がした。
改造人間計画で成功品は二四三体中たったの一〇体だけだった。そこには帷月と、そして海月も含まれている。一〇人はそれまでのコードネームではなく新しく殺し名のような名前が与えられた。付けられたその名はギリシア神話のオリュンポス神からとられた。
帷月は月の女神アルテミス、海月は太陽神アポロンの名がそれぞれ与えられた。
「一人、昏睡状態の者がいる」
隊長の重い答えに、しかし帷月は、そうか、と答えただけだった。
〈教会〉に着くとまず寮に案内された。もうすでに寮監に話しは通しているらしい。改造人間だけの寮でどうやら二人部屋らしかった。
「あなたは二人部屋で一つ空きがあるでしょ。だから新人さんに入ってもらうの」
「イヤだね。何で知らない奴と一緒に寝なきゃいけないんだよ」
寮監と言い争っている小さい少年が見えた。帷月にとっては懐かしい顔だ。その少年は全く寮監の言葉に耳を貸そうとしていなかった。寮監は完全にお手上げモードのように見えた。
「上矢帷月なんて聞いたこともない。本当に僕たちと一緒なの?」
相変わらずバカだな、アイツは。〈教会〉がたかが寮監ごときにそこまで詳しいことを教えるわけないだろ。いくら寮監を怒鳴っても無駄だろうが。
帷月は心中でため息をついた。
「アルテミス」
帷月は呟くように静かに言った。少年は驚いたようにこちらを振り返った。
「そう名乗ったら、バカなお前の頭でも思い出せるか」
帷月は少し挑発的に笑って見せた。すると少年の表情が一変し、みるみる輝いていった。
「アルテミスッ」
歓喜の声を上げて、少年は帷月に抱きついてきた。立場逆転。今度は帷月が驚いた。
「わ、てめコラッ、抱きつくなバカッ」
離れろッ、とわめく帷月を見ながら、本当にイヤならふりほどけばいいのに、と寮監は少し微笑ましそうに思って見ていた。
少年は神の使者ヘルメスの名を与えられている。
「ヘルメス。そろそろ離してやれ。話しができん」
一時して、付き添いできていた隊長が言うと、ヘルメスはしぶしぶ帷月から離れた。
隊長は一通りザッとシステムを説明し終えると、後に自由時間をくれた。他の仲間に挨拶でもしろ、ということだったが、隊長なりに気を使ったというところだろう。
ヘルメスは帷月たちが脱走する前、一番帷月に懐いていた少年だ。実験が原因で体の成長が止まってしまったため、姿はあの頃と全く変わっていない。
「アルテミス、アポロンは元気?」
ヘルメスももちろん、海月の記憶操作のことは知っている。
「あぁ、元気だ。・・・お前等のことは忘れてしまっているが」
帷月が申し訳なさそうに言うと、ヘルメスも少しだけ寂しそうな顔になった。
「そんな顔するな」
帷月はそんはヘルメスの低い位置にある頭をくしゃりと撫でた。
ヘルメスは帷月を見上げて言った。
「あのね。悲しいのはそのことだけじゃないんだ」
ヘルメスは再び帷月に抱きついた。
「アルテミス、前よりも一層、無表情になっちゃったんだね・・・」
ヘルメスが悲しそうに言った。ヘルメスは昔から顔に似合わず妙に鋭いところがある奴だった。
「変なところ気にするな、バカ」
そう言って帷月は誤魔化した。
「またそう言って誤魔化して隠しちゃう。一人でイヤなこと全部抱え込んで・・・壊れちゃうよ」
が、もちろんそんな誤魔化しが通用する相手ではなかった。
「お前は何時から私を励ませれるような立場になったんだ」
帷月はそう意地悪く言ってみたが、依然としてヘルメスは心配そうな表情のままだった。帷月は一つため息をついてその場にしゃがみ、ヘルメスと視線を合わした。
そして、その小さな額に容赦なくデコピンを見舞った。
「痛いッ」
ヘルメスは額を押さえて涙目になった。上目遣いに帷月を睨むが、残念ながら全く威圧感はない。むしろ若干可愛くうつった。
「何でお前が私より辛そうな顔するんだよ。・・・私はお前等を置いていった逃亡者だぞ」
ヘルメスは優しい。この誰もがイヤで逃げ出したくなるような生活から一人、姉だけを連れて逃げ出した自分を、前と同じように受け入れてくれる。自分のことを本気で心配してくれる。
だからイヤだ。自分のせいで悲しい気持ちにさせるのはイヤだ。受け入れてほしくない。拒絶してほしい。じゃないとまた、自分はここに逃げ場所を求めてしまう。
・・・新庄のように。
「どうしてアルテミスは帰ってきたの?」
帷月が今何を考えているのかわかったのだろうか。ヘルメスはそう言って話題を変えた。
帷月はあえてその話題にのった。
「正確には連れ戻された、かな」
その言葉にヘルメスは目を丸くして驚いた。
「どうして・・・でももうあの教会長はいないはずだよ」
訳がわからないようなヘルメスに、帷月は優しい声音で言った。
「ヘルメス、ヴァンパイアって知ってるか」
「ヴァンパイア?・・・って吸血鬼?」
帷月は首を傾げているヘルメスに向かって静かに首を左右に振った。
「違う。対テロ組織の名前だ」
ヘルメスはしばし考え込む仕草をして、あっと手を打った。
「知ってる知ってる。思い出したよ。双子がテロリストを殺して回ってるってヤツでしょ。ここでも結構噂になってるよ」
帷月は今度は首を上下に振った。
でもそれがどうかしたの?と不思議そうに首を傾げているヘルメスに、帷月は言った。真実を。
「あれはな、私なんだ」
「え・・・」
きょとんとするヘルメス。
無理もない。急にそんなこと言われて「へぇ、そうなんだ」と言えるヤツはそうそういないだろう。
帷月はすっくと立ち上がると、またヘルメスの頭をくしゃりと撫でた。
「今日はこれでもう帰る。明日から正式にここで暮らすことになるから。・・・アイツはまだわからないけどな」
そう言って帷月はきびすを返した。
ハッと我に返ったヘルメスが自分を呼ぶ声が聞こえた。帷月はそれに振り返ることなく、手を軽く挙げて答えただけだった。
久しぶりにヘルメスの顔を見れて、帷月の気分は少し良かった。
しかし、家に帰って、昼間自分が葵に言った「平和ボケ」を実感することを、このときの帷月はまだ知らない。