7.意地と偏見
式典の日の夜、兵士たちは宿舎でささやかなパーティを開いていた。
酒を飲んで羽目を外している者もいる。
一番人気だったのは訓練教官のディオル・バールトンである。兵士たちは口々にディオルに感謝を述べていた。
輪廻も食事をしながらしばらく談笑に加わっていたが、外の空気を吸いたくなって、こっそりと宿舎を抜けて外に出た。
輪廻は少しの間、ぼんやりと夜空を見上げ、故郷の村に思いを馳せていた。
なぜか輪廻は、前世の故郷である日本のことではなくて、ラディ・ダールトンの故郷である北部の村が懐かしかった。
(もう14年…そろそろ15年。それだけいれば、愛着だってわくだろうさ)
ガサリ――。
近くの茂みから物音が聞こえた。
輪廻は身構えた。
じっと息を殺してそちらを伺う。
誰かが隠れているのは明白だった。
「そこにいるのは誰?」
声をかけると、相手の動きがピタリと止まった。
侵入者だと確信する。
輪廻はそろりと足音を忍ばせて近づいた。武器は持たなかったが、相手の気配はただの素人である。
輪廻が跳びかかる機会を伺っていたところで、侵入者の方から姿を現した。
「リンネさん!」
暗闇の中でも輪廻の目は相手の顔を鮮明に捉えていた。
輪廻のことをそう呼ぶのはこの世界でたった一人だけである。
「女王様……どうしてこんなところに」
「はい。リンネさんに会いたくて、こっそりと抜け出してきました」
「僕に会うために?」
「……リンネさんの名前、本当はラディさんっていうんですよね。わたし、あなたにお礼が言いたくて、ずっと探してたんですよ? どうして嘘の名前を教えたんですか?」
「嘘ではありません。ラディ・ダールトンの方が嘘なんです。僕の――わたしの本当の名前は緒神輪廻といいます。ここではない、遠い世界から来ました」
「リンネさん。あのときは助けてくれてありがとうございました」
「いえ。女王陛下の下僕として当然のことをしたまでです」
「あの…その言い方、やめてくださいませんか? わたしはいつもの…一緒に街を歩いたときのリンネさんがいいです」
「でも……女王様は」
「いいんです。あなたの前では、ただのシャロでいたいのです」
「そう――わかったよ、シャロ」
輪廻が親しみを込めてそう呼ぶと、シャロは嬉しそうに微笑んだ。
「にしても女王がこんなところにいていいの?」
「本当は駄目ですね。見つかったら怒られてしまいます」
「女王様でも怒られるんだ」
「はい。大臣たちや教育係にいつも小言を言われています」
輪廻が笑うと、シャロもつられて笑った。
「そういえば、リンネさんって――」
「ああ、シャロ。輪廻ってのは本当の名前なんだけど、ここではラディってことになってるんだ。だから、僕を呼ぶときは」
「わかりました。ラディさんですね」
輪廻は頷いた。
しかし、シャロはうつむいて、恥ずかしそうに言う。
「……ですけど、ふたりきりのときは、リンネさんと呼ばせてください。駄目、ですか?」
「いいよ」
「はい! ありがとうございます、リンネさん!」
シャロは表情を輝かせた。
◇
輪廻とシャロは宿舎の裏で、ベンチに腰掛け星を見ながら話していた。
不思議とシャロには、転生のことを話してみたくなった。最初に本名をぽろりとこぼしてしまったからだろう。
輪廻が生まれ変わった話を聞いて、シャロは口を開けて驚いていた。
「輪廻さん…故郷が恋しくありませんか?」
「今はもう、こっちが第二の故郷みたいなものだけどね」
そして話題は、輪廻のこれからのことに移った。
「そういえば、リンネさんはずっと王都にいるんですか?」
「いや、正式な配属先が決まったんだ。黒の森の部隊」
「黒の、森」
シャロは顔をこわばらせてゆっくりと繰り返す。
即位したての女王とはいえ、その悪名高き戦場の名は耳に覚えがあった。
長い沈黙の後、シャロが口を開いた。
「……リンネさん。わたしが軍務省相に言って、あなたの人事を――」
「ラディ!」
シャロの言葉を遮って誰かが輪廻のことを呼んだ。
そちらを見ると、ヴァージニアが走ってやってくるところだった。
「ラディ、こんなところで何をしている」
「ちょっと風に当たりたくてね」
「……シャロ?」
ヴァージニアがシャロを見て眉をひそめる。
シャロの方も、ヴァージニアを見て立ち上がった。
「ジニー!」
「シャロがどうしてこんなところに……ラディ?」
「あ、うん。えっと。二人は知り合いなの?」
輪廻はにわかに混乱しつつ質問した。
ヴァージニアとシャロは互いに顔を見合わせる。
「幼なじみだ。昔、よく王城に遊びに来た」
「ええ。わたしが病気がちになって、南の方で暮らすようになってから、しばらく会っていなかったのですが……」
(そういえば、ヴァージニアの家は名門貴族だったね。そこの繋がりかな。昔から優秀な軍人を輩出してるって聞くし)
「さっきの式典、私はずっとシャロのことを見ていたんだぞ。なのに……」
「ごめんなさい。気づきませんでした」
「それはいいとして…どうしてラディとふたりっきりなんだ?」
「あの、リ…えーと、ラディさんに会いたくて、部屋から抜けだしてきたんです」
「ラディに、会いに?」
シャロは無邪気に言ったが、ヴァージニアはじろりと、睨みつけるようにシャロと輪廻を見る。
彼女の視線の鋭さに輪廻はたじろいだが、シャロは気にもとめずに輪廻に言う。
「あの、ラディさん。さっきのお話ですけど」
「ああ、黒の森の――」
「ちょっと待て。私の話はまだ終わってないぞ。二人の関係は一体何だ? どこで知り合った?」
「ジニー、なんでそんなに怖い顔を?」
「いや…それは…ゴ、ゴホン。ラディと私はともに剣を習った仲だ。その、女王陛下と深夜に密会していたとあっては、事情を知りたくなるのが人情だろう」
「なるほど。ジニーはわたしじゃなくて、ラディさんのことが気になるわけですね」
「そうじゃない。もちろん、シャロのことが一番気になる」
「あのー。別にそんな事情があるわけじゃなくて、たまたま、この間の休暇の時に、街で会ったってだけの仲だから。…そういえば、シャロは何で街にいたんだ?」
何気なく質問した輪廻だったが、それを持ちだした途端、シャロがしまったという顔をした。恐る恐るヴァージニアの方を見る。
ヴァージニアが低い声でシャロを呼んだ。
「シャロ。またあなたは」
「ご、ごめんなさい!」
「また抜けだしたのか!」
「ひぃっ! そんなに怒らないで!」
「みなに迷惑がかかるからと、あれほど言っていたのに! シャロはもうただの姫じゃなくて、女王陛下なんだぞ! もし何かあったらどうするんだ!」
「で、でもちゃんと護衛も何人か連れて行ったし」
「そうやってお忍びで外に出ること事態が軽はずみだと言っているんだ! 女王の権力をそうやって濫用して――」
以降数十分の説教について、輪廻は完全に蚊帳の外であった。
言いたいことを言い終えたヴァージニアが満足気に頷いた。
シャロはげっそりしている。
ちなみに街で謎の剣士に襲われたことはヴァージニアには黙っていた。
言えば街で人を切り捨てたことまで言わなければいけなくなるし、それにこれ以上シャロの説教を長引かせるのもかわいそうだと思った。
「ぐすっ……もうしない」
「当たり前だ。……おいラディ、このことは秘密にしてくれ。女王陛下が、幼なじみとはいえ、一介の新兵に説教されてることが知られたら、その、士気にかかわる」
「分かってる。好き好んで言いふらしたりはしないよ」
「うむ。よろしい。……で。話を戻すが、シャロはラディに一体何の用だ?」
「はい。式典でラディさんの姿を見かけて、単にもう一度お会いしたいと思いまして」
「私のことは目に入らなかったのに、ラディのことはすぐに見つけたわけだ」
「……ジニー?」
「別に? さあ、要件は済んだだろ? 早く城に戻れ」
「あ、まだ終わってないです」
「何?」
ヴァージニアの声があっという間に不機嫌になる。
普段から不機嫌そうな声なので他人ならあまり変わらないように感じるだろうが、輪廻は最近になってヴァージニアの機嫌不機嫌がなんとなく読めるようになっていた。
――が、輪廻よりもずっと付き合いが長いはずのシャロはヴァージニアに背を向けて輪廻に向き直る。
この少女も大概マイペースである。
「わたしが軍務省相に言って、あなたが黒の森に送られないようにします」
「ちょっと待て。それはどういうことだ」
「だって……黒の森のことは、ジニーだって知ってますよね? だからわたしは」
「それはもちろん知っているが……しかし……」
ヴァージニアは慎重に言葉を選んでいた。
「それでラディを前線に送らなかったとしても、ラディの代わりに誰か別の人間が送られるだけだ。王たる者がそれでは――」
「わたしにとってラディさんやジニーは大切な人です。それを守るのが悪いことなのですか?」
「しかしシャロは女王なんだぞ。シャロの権力は個人的な希望を叶えるために与えられたわけじゃないんだ」
「ジニーはラディさんが死んでもいいの?」
ヴァージニアが言葉を詰まらせる。
言い返そうとしたが、結局、何も言えなかった。
輪廻はヴァージニアを手で制した。
「シャロ。僕一人だけが逃げることはできないよ」
「どうして!?」
「僕が行かなければ、仲間の誰かが戦争に送られる……。一応、一緒に訓練した仲間だしね。愛着も、わいてるし。弟子に先に死なれたらたまらない」
輪廻はちらりとヴァージニアを見た。
彼女の表情の意味を輪廻は考える。それは憐憫か、歯痒さか。
「それに他の奴ならいざしらず、僕なら戦場でも生き残れる。僕は剣の達人だよ」
「ラディ……」
シャロが輪廻の目をじっと見つめていた。
本当の心を見透かされそうで、輪廻は目を逸らしたくなる。
まるで尋問されているかのような時間が過ぎた。
やがてシャロはため息をついた。表情を和らげる。
ほっとしたのは、むしろ輪廻の方だった。
「わかりました。変なことを言ってすみませんでした。わたし……女王失格ですね」
「大丈夫…シャロなら良い王様になれる」
輪廻はシャロの頭を撫でた。
撫でてしまってからはっと我に帰った。女王陛下の頭を撫でるなど不敬にも程がある。
シャロの頭が丁度いい位置にあったのと、女同士の気安さでついやってしまったのである。
「はぅ」
しかしシャロは輪廻になされるがままで、手が撫でる度に可愛い妙なうめき声を上げて顔を真赤にしていた。
しかしすぐに、ヴァージニアの機嫌がさらに悪化したのを感じて慌てて手を引っ込める。
シャロは自分の頭に触れて、少し不満そうに唇を尖らせながら、上目遣いに輪廻を見た。
◇
出発の日になった。
輪廻は家族への手紙を投函してから、荷物をまとめて宿舎を出た。
転生してから輪廻は、物を所有することへの欲求が甚だしく低下していた。荷物は着替えが2、3着ある程度だ。
輪廻が一緒に訓練を受けた仲間たちを大切に思っているのは事実だ。
輪廻が自分なら戦場でも生き残れると思っているのもまた事実である。
しかしながら、輪廻の根底にあるのは、異世界から来たことに対する引け目である。
もし生き残るのなら、異世界から来た自分ではなく、この世界の人間でありべきだと輪廻は考えていた。
(まあ…死にたいってわけじゃないんだけどさ)
自分に言い聞かせるように輪廻は思った。
東部戦線までは馬車で向かう。
輪廻と同じ境遇の新兵たちが、輸送用の巨大な馬車に乗って移動するのである。
馬車の発着所に兵士たちが集まっている。
出発の時刻までゴアーシュと二人でぼんやり待っていると、輪廻は突然、誰かに後ろから肩を叩かれた。
「ラディ、早いな」
「ってヴァージニア!? どうしてここに!?」
「どうしても何も、私も黒の森の部隊に配属になった」
「ええ? だってヴァージニア、王城勤務だって……」
「うむ。きっと何かの間違いだったのだろう。人事に間違いはつきものだからな」
「嘘つけ、キャスカート家の名前を使って圧力をかけたんだろうが」
「ヴィセンテも!? なんで!?」
当たり前のようにヴィセンテが輪廻のそばに立っていた。
さっきまで落ち込んでいたゴアーシュが、予期せぬ二人の登場に言葉を失っている。
「まあ多分、そこのお嬢ちゃんと同じ理由だろうな」
ヴィセンテが笑いながら言うと、ヴァージニアはそっぽを向いた。
「ちなみに俺は家の権力なんかないので、素直に上官に直談判に言った」
「よく許してもらえたね」
「なあに、上官の奥さんの悪口を大声で言ってやったら、喜んでこっちの部隊に移してもらえたよ」
「無茶するなあ、もう……」
輪廻は呆れて言った。
「しかし君たち、本当にいいのかい? こんなの聞いたことがないよ。特にヴァージニア、君が死んだら、キャスカート家の方々が――」
「少しでも早く戦争を終わらせ、国に勝利を与えることが貴族たる私の責務だ」
「まあ、どうせ人間はいつか死ぬからな、いつ死ぬかとどこで死ぬかと誰と死ぬかくらいは自分で選んでみたくなったのさ」
ゴアーシュに対して、ヴァージニアとヴィセンテがそれぞれの哲学で答えた。
ゴアーシュはなおも不満そうだったが、二人の意志が固いことを確認して、それ以上は何も聞かなかった。
仲間たちを載せて、馬車はゆっくりと走りだした。
王都から黒の森まで半月はかかる。
移動の最中、輪廻は15歳の誕生日を迎えた。
シャロ「リンネさん、出発の準備はいいですか」
輪廻「うん。荷物はこれだけだし」
シャロ「リンネさん、剣はお餅でしょうか」
輪廻「えっ」
シャロ「王国軍の剣はお餅ですか」
輪廻「いや知らない」
シャロ「えっ」
輪廻「えっ」
シャロ「まだお餅になってないということですか」
輪廻「えっ」
シャロ「えっ」
輪廻「変化するってこと?」
シャロ「なにがですか」
輪廻「剣が」
シャロ「ああ戦い続ければ階級が上がって剣が変わりますよ」
輪廻「そうなんだすごい」
シャロ「ではお作りいたしましょうか無料ですよ」
輪廻「腐ったりしない?」
シャロ「えっ」
輪廻「えっ」