6.特別な配慮
輪廻にとっては長い休暇が終わり、訓練が再開する。
そのころには頬の傷もすっかり塞がっていた。
「なあ教えろよ……その傷一体どうしたんだよ」
「だから訓練で怪我をしたって言ってるじゃん」
「馬鹿言え。お前に剣で傷を付けられるやつが訓練生にいるかよ」
ヴィセンテが輪廻に疑いの目を向ける。
輪廻は笑ってごまかす。
ヴィセンテがこれみよがしにため息をついた。
宿舎の前で話している二人の元にゴアーシュが近づいてきた。
「やあ。君たちは休暇を有意義に過ごせたかい?」
「まあな」
「人生は無為だよ」
「ふっ……それは結構。僕はこの休みは南の海まで行ってたのさ。軌道車両に乗ってね」
「軌道車両って…あれか? 鉄道のことか? あんなもん、乗れるのか!?」
ヴィセンテが驚いた声を上げる。
輪廻も少なからず驚いていた。
その反応を楽しんで、ゴアーシュは満足気に頷く。
「そりゃ、平民はもちろん、貴族だって無理だろうね。乗れるのは王女殿下に顔が利くごく一部の名門貴族だけだよ。もちろんシュトラウス家は乗ることができる。いやあ快適だねえ、鉄道ってやつは。南の海岸までひとっ走りだからねえ」
「ありゃ軍事機密だろ? んな贅沢に使っていいのか?」
「優雅さを失った文明に一体何の価値があるというんだい? 東部のヴィセンテ」
「はっ…そんなことばかりしてっと、いつか帝国に線路ごと奪われるぜ」
「そうならないように君たちが戦いたまえ」
と、ゴアーシュは他人ごとのように輪廻たちに言った。
それもそのはずで、一般的にこの国ではゴアーシュのような名門貴族の人間が前線で剣を持って戦うことはまずない。
軍では建前上、平民も貴族もみな平等であるし、実際訓練期間は平等に扱われる。
しかし訓練期間が終わり実戦に配備されると、力のある貴族、名のある貴族の人事には特別な「配慮」がなされ、司令官待遇、もしくは戦死の危険の少ない内地の警備任務か、悪くても前線の補給部隊に回されるのが普通である。
後方とはいえ実際に軍で活躍するのはまだ良い方で、貴族の多くは訓練期間を終えた時点で貴族の責務を果たしたとして除隊する者が後を絶たない。
結局のところ、サントラン王国の戦線を支え、命を落としているのはほとんどが平民階級の兵士たちなのである。
「そういえば俺たち、もうそろそろ正式に着任になるな」
「ゴアーシュは軍に残るの?」
「僕としては一刻も早く天使たちの元に帰りたいんだけどね、ほとぼりが冷めるまでもうしばらく軍隊暮らしさ。半年後には君の司令官になっているだろうね。そのときはせいぜい働きたまえ」
「おいラディ、上官侮辱にならない今のうちに思いっきりいじめておこうぜ」
「か、階級が違っても僕たちの友情は永遠だよ、君たち…」
くだらないことを話している三人の元にヴァージニアが近づく。
三人が声をかけるとヴァージニアが返事をした。
相変わらず彼女の目は輪廻に釘付けになっていた。
ゴアーシュもそれがわかっているので不愉快を隠そうともせずに顔に出している。
「ヴァージニアは? 実家はどうだった?」
「特にどうということはない。…いつもと同じだ」
「そういえば、ヴァージニアはどうして軍に入ったの?」
「お前こそ、どうして軍に入ったんだ? お前ほどの腕なら道場を開いても食べていけるだろうに」
ヴァージニアは伏し目がちに問い返す。
家や、自分の過去に触れられたくない気持ちは、輪廻にも分かる。
(まあわたしの場合、ボロが出やすいって理由なんだけどね…)
「あはは。道場からは嫌がられて追い出されちゃったし、新しく道場を開くお金もないしね」
「よしよし。これも運命だと思うことだね。ラディの剣は僕が将軍になったときに存分に使ってあげよう!」
ゴアーシュは気障っぽく答えた。
それをヴィセンテがからかう。
ヴァージニアは気難しい顔で二人のやり取りを見ている。
輪廻はヴァージニアの横顔を見ながら、果たして彼女は後方で大人しくしているような人間だろうかと、その内にくすぶっている大火の種を見出していたのである。
いずれにせよ、訓練期間の終了はもうすぐである。
◇
それから間もなくして輪廻たちの訓練期間が終了した。
正式な軍人になるにあたり、王城で就任式が開かれる。
「おい、知ってるか?」
「知らない」
「まだ何も言ってねえだろ…」
謁見室の前で訓練生たちが並んでいる。
全員が、自分の持っている鎧の中でもっとも上等で上品なものか、そうでなければ軍から配給された鎧を夜中までピカピカに磨いたものを身につけている。
待合室に正方形に並んだ訓練生たちの中には、待たされるのに飽きてヒソヒソ話を始める者もいる。
ヴィセンテもその一人だった。
輪廻の後ろから、こそこそと話しかけている。
「今からお目見えする女王陛下はものすごい美女らしいぞ。この間亡くなられた先代のシドニー国王も、若い頃は美男子だったらしいし」
「ヴィセンテは見たことあるの?」
「いや、ない。多分、訓練生は誰もお会いしたことがないんじゃないか? ああ、ゴアーシュやヴァージニアはあるかもな。女王陛下は最近まで南の保養地にいたんだよ。体が悪いらしくてな。それが国王が亡くなったもんで、慌てて戴冠式を済ませてこちらに戻ってきたんだんだ」
「じゃあ美女って噂は誰が流してるんだよ」
「さあ」
「もしそれで実際は微妙だったらどうするのさ。素直に感想を言ったら不敬罪だよ」
訓練生たちの顔には不安以上に、期待と、希望が浮かんでいる。
一方の輪廻は、期待以上に不安と恐怖が上回っていた。
王族の前に出て万が一の無作法があれば首をはねられるかもしれない――。他の訓練生たちのように呑気な気持ちではいられなかった。
「……ラディ。もしかして、怖がっているのか?」
斜め前に立っていたヴァージニアが振り向いて輪廻に言った。
ヴィセンテとの会話に聞き耳を立てていたのだ。
「そりゃ怖いよ。身分と権力を持つ人間はみんな怖い」
輪廻が答えると、ヴァージニアはふっと頬を緩ませた。
「お前にも怖いものがあるんだな」
「そりゃあるよ。ヴァージニアにはなさそうだけど」
「私を何だと思っているんだ……」
「そりゃおめえ、鉄の女だろう」
「お前後で鍛え直してやる」
ヴィセンテの軽口にヴァージニアが返す。
ヴィセンテは黙った。輪廻から表情は見えないが、きっと顔を青くしたに違いない。
ヴァージニアはもう一度表情をわずかに緩めて前に向き直った。
(あの子も大分…トゲが抜けてきた感じだね。根はいい子なんだけど、どうしてあんなにひねくれちまったんだろうねえ)
式典が始まる。
謁見室への巨大な扉が開かれた。
訓練生――否、兵士たちは、一糸乱れぬ行進で、女王の前に向かった。
◇
女王は若い少女だった。
背は謁見室にいる誰よりも小さく、玉座が大きいのでつま先だけが床についていた。
目や唇に化粧が施してあり、肌は陶器のように真っ白にされている。
衣装の豪華さと巧みな化粧のせいで、輪廻は既視感に襲われたものの、その正体にしばらく気がつかなかった。
女王のそばに控えた大臣たちが形式的な言葉を述べて、事前に取り決めたとおり、訓練生たちが一斉に膝を折って女王に頭を垂れた。
そのとき、輪廻は女王と目が合う。
「――――あっ!」
輪廻は思わず小さな――しかしもしかすると謁見室中に響いたかもしれない声を上げて、みなが屈む中で一人だけ立ったままであった。
輪廻はいきなり大ポカをやらかした。
しかし勘違いというわけではなかった。
輪廻の方だけではなく、女王の方も、輪廻と目があってわずかに口を開けていた。
(あれはシャロだ! そうか…あれが女王陛下か…けど…女王陛下が何であんなところにいたのかしら)
大臣に睨まれて慌てて輪廻も膝を折った。
しかし長い式典の最中、女王はまっすぐ前を見ているふりをして、ちらちらと何度も輪廻の方に視線を送っている。
結局、式典は滞りなく終わり、輪廻たちは謁見室を後にする。
式典中、女王が何度も何度も輪廻の方を見ていたので、謁見室を出た途端に質問攻めに遭った。
◇
兵舎に戻ってから、上官から輪廻たちにそれぞれ赴任地が言い渡される。
輪廻の赴任先はやはり前線だった。
サントラン王国とグリストバル帝国は現在交戦状態にある。
サントラン王国は大陸の中央部と、南方の島国を領土に持つ国家である。
特産品はフェルミナという金属で、これを加工するには魔女の持つ雷の魔法が必要になるため、サントラン王国だけがその金属を取り扱うことができた。
大陸で唯一鉄道を持っているのも王国だけである。もっとも、鉄道の起動にもやはり魔女の力が必要なので、その効果は極めて限定的であったが。
一方グリストバル帝国は王国の北と東に国境を面した大陸でもっとも大きな国家である。
帝政を布いてはいるが、皇帝は有名無実化して政策などはすべて中央議会が行っている。
サントラン王国とは東部にあるフェルミナの鉱山地帯を巡って二十年前に開戦した。
当初は王国軍に逆侵攻されていた帝国であったが、政治の効率化と工業化に成功してからは王国東部の領土を大きく奪うことに成功している。
輪廻の赴任先は東部戦線であった。
「黒の森」と呼ばれる場所に展開する部隊である。
宿舎の談話室で指令書に目を通している輪廻にヴィセンテが声をかけた。
「ようラディ。お前はどこだった?」
「東部戦線」
「あー。もしかして黒の森か?」
「うん。ヴィセンテは?」
「俺も東部だった。砦の守備部隊だ。………そうか、黒の森か」
「……言いたいことがあるなら、ちゃんと言ってよ」
輪廻が強く言うと、ヴィセンテは苦しそうに頷く。
「俺は東部出身だからな、黒の森の話を聞いたことがある。あそこは…激戦区だ。あそこに行った兵士の半分は帰ってこない。補給は悪いし、木が多いから待ち伏せや奇襲がしょっちゅうある。それに……」
ヴィセンテは声を潜めた。
「一番悪いのは、指揮官が無能だってことだ。でも名門の貴族だから政府もクビにできない。だから、死んでもいい平民ばかりが前線に送られる…って噂だ」
「そう…か…」
輪廻は返す言葉を失いかけた。
ヴィセンテは輪廻の目をじっと見つめている。
「……俺が黒の森に行けと言われなかったのは、俺が貴族だからなのか。くそっ、こんなことってあるかよ、あいつら――」
そう呟いたヴィセンテの目には、輪廻以上の怒りが渦巻いている。
しかし輪廻は、ヴィセンテの言葉を、片手を上げてそっと制した。
「でも、大丈夫。わたしはきっと生きて帰るから。生きて帰って、もう一度あんたに会える」
「……そうか」
「……僕のために怒ってくれて、ありがとう」
「何だ、やめろよ、気色悪い」
ヴィセンテはそう言って笑った。
その後、輪廻は他の仲間たちと指令を教え合った。
ヴィセンテの言ったとおり、平民出身の者は前線、それも死亡率の高い場所への赴任が多かった。
「まいったなあ。俺、寒いのは苦手なんだけど…」
「クリムは北部?」
「最北端だってさ。まともに戦闘も起きてない超田舎。なんで俺がこんなところに…」
赤毛でひょろ長のクリムがぼやいていた。
他にも、父親がいる部隊に編入になって顔を青くしているリッケスや、南の沿岸部帯に配属になりこれで毎日魚釣りができると喜んでいるジュリアンなど、悲喜こもごもであった。
そして意外なことに、ゴアーシュの表情は険しかった。
「そういえば、ゴアーシュは? 王都に残るの?」
「僕は…前線送りだった」
「え」
「そんな…まさか…僕が…お父様は…」
ゴアーシュの人事に「特別な配慮」は働かなかった。
シュトラウス家はよほどきつい灸をゴアーシュに据えたいらしい。
(まあ、もっとも、この世界にお灸なんてないんだけどさ)
「ちなみにゴアーシュはどこに配属になったの?」
「……黒の森」
「僕と同じだ」
「戦友よ!」
ガシッ、と抱きついてきたゴアーシュを、輪廻は少しドキドキしながらひっペがした。
(にしても、こいつも黒の森とは…。灸を据えるっていうより、このまま前線に送って殺してしまおうって考えてるんじゃないかね、ゴアーシュの家の人達は)
「おい、ヴァージニアはどこだったんだ?」
ヴィセンテが、部屋の隅にいたヴァージニアに声をかける。
ヴァージニアはゆっくりと顔を上げた。
「私は……王城勤務だった」
「ああ、やっぱりそうか」
「…………」
「ヴァージニア? どうしたの?」
「私は――いや、いい」
ヴァージニアは憂鬱な顔で首を振ると、輪廻たちに背を向けて立ち去った。
ファンタジーはアメリカで生まれました。日本の発明品じゃありません。我が国のオリジナルです。しばし遅れを取りましたが、今や巻き返しの時です。異世界召喚がお好き? 結構。ではますます気になりますよ。さあさどうぞ。異世界チートリップのニューモデルです。無双でしょう? んああ仰らないで。文章が台本形式、でも地の文なんて見かけだけで読むと疲れるし、よく目が滑るわすぐ文体が変わるわ、ろくな事はない。空行もたっぷりありますよ、どんな斜め読みの方でも大丈夫。どうぞ一読してみて下さい、いいハーレムでしょう。余裕のカップリングだ、ヒロインの数が違いますよ。