5.一日だけの逃避行
輪廻たちはまっすぐに王城へ向かうことができなかった。
一度向かおうとしたところで、通りに赤刺青の姿を見つけ、慌てて引き返してきたのである。
「駄目だ……正面から城に向かうのは危ない。遠回りするしかない。シャロ、街には詳しい?」
「すみません。わたし、街に来たのは初めてなんです」
「僕もだ」
「リンネさんは、何をしている方なんですか?」
「僕は……王国陸軍兵士」
まあ、とシャロが目を大きく見開く。
シャロはしばらくじっと輪廻のことを見る。
「まあ、まだ訓練中なんだけど」
「そうでしたか。さぞ名のある家の方なんでしょうね」
「どうしてそう思うのかな?」
「どうしてって、その……リンネさんはすごく強いですし、それに親切です」
「僕はただの平民だよ」
(江戸にいたときも、身分はただの町人だった)
「すみません。わたしが間違っていました。強さに平民や貴族も関係ありませんよね」
「…シャロは良い子だね」
「そうですか? えへへ」
シャロは子供っぽく笑う。
輪廻にはシャロの子どもっぽさがとても新鮮に感じられた。
「…リンネさんは、どうして軍人になろうと思ったんですか?」
「僕は平民だからね。偉くなるためには軍に入るのが一番てっとり早いんだ」
「でも軍隊に入ったら、戦ったりしなきゃいけないんでしょ?」
「そうだよ。でも僕は、人を殺しても平気だから」
シャロの足が止まる。
輪廻をじっと見ている。
「リンネさんが、人を?」
「うん。まあその、この国に来るずっと前だけど」
「どうして?」
「お金を奪うためだよ」
「そんな………嘘です! リンネさんがそんなことするはずがないです!」
「本当だよ。僕は――わたしは、お金のために人を殺したことがある。何人もね。わたしを捕まえようとした岡っ引き――じゃないや、ええと、兵士を殺したときもある」
「どうしてそんなことができるんです? お金のために、殺すなんて……」
「シャロは、お金で困ったことがあるのかい?」
「……ありません」
「まあ、言い訳はしないよ。わたしの家族には、殺してまで生きるくらいならと潔く首をくくった奴もいるからね……。殺すくらいなら死ぬのが、本当は正しいのかもしれないよ」
「そんな、ことは………」
シャロが涙声になっていた。
輪廻は慌てて声を明るくする。
「別にシャロが悪いわけじゃないよ。それに、殺したっていうのもずっと昔の話だし。今はこうして、ちゃんと真面目にやってるんだから」
「そうですか…」
「あ! シャロ、お腹空かない? 何か買ってきてあげるよ」
輪廻は近くの屋台に走って行き、二人分の食べ物を買った。
香ばしい肉を香草で包んだものが木の串に刺さっている。
平民の住んでいる地区ではこのような食べ物を売る屋台を見かけることが多い。
屋台で買い物をしている間、輪廻は、自分が戻ったとき、そこにはシャロはもういないのではないかと思った。
しかし輪廻が元の場所に戻ると、そこにはさっきと同じように、輪廻の帰りを待つシャロの姿があった。
シャロに串肉を渡す。
「あの、お金……」
「必要ないよ。シャロに嫌な話を聞かせちゃったお詫び」
「でも聞いたのはわたしですし」
「そう言わないで。給料の使い道が見つからなくて困ってたんだ」
いただきます、と心の中で唱えて輪廻は肉を頬張る。
シャロは輪廻の食べる姿をまじまじと見て、恐る恐る肉に噛み付いた。
「おいしい。すごくおいしいです!」
「シャロは、こういうのを食べるのは初めて?」
「はい。街に来るのが初めてなので」
「ああ、そういえばそうだった……」
「リンネさんは?」
「前に住んでたところで、似たようなのは食べたことがある」
はふはふと言いながら、二人はすぐに串肉を食べ終わる。
食事を終えてから、また歩き始める。
「リンネさん、年はいくつですか?」
「14だけど」
「わたしと同じ年です」
「そうなんだ」
(わたしはてっきり、もっと年下なのかと思った……。ヴァージニアとは、その…えらい違いだね)
主に胸が。あと身長。
とはもちろん言わないが。
「リンネさんてすごく大人っぽいです」
「そうかな」
(まあこっちで生きた時間も合わせれば、あんたの年の軽く二倍以上は生きてるんだけどね)
「わたしまだ子供っぽくて……早く大人になりたいです」
「大人になって何をしたいの?」
「この国を良くします!」
シャロは胸を張って答えた。
吹き出した輪廻を見て頬をふくらませる。
「……笑うなんてひどいですぅ」
「ごめんごめん。あまりにも突飛なことを言うものだから。……そうだね、シャロがこの国を良くするなら、僕がこの国を守らないとね」
「はい! 約束ですよ!」
シャロは満面の笑みを浮かべる。
「もしかしてシャロって、すごい大貴族の人だったりする?」
「あ……すみません。わたしのことは秘密なんです」
「いや、無理に聞こうとは思わないよ。それにしても……あの刺青の男は、本当に知らないんだね?」
「はい。わたしは……その、とある事情で街に来ていたのですが、突然あの方たちに襲われたのです。でも護衛の方たちが守ってくれて、わたし一人で逃げ出すことができました」
(護衛付きで街に来てる……それでも襲ってくるってことは、奴らは一筋縄じゃいかないようだね。少なくとも、武器をちらつかせて大人しく帰るような連中じゃない)
「襲われる心当たりは?」
「ありません。……あの、リンネさんは刺青の人を知っているんですか?」
「いや、刺青男自体は知らいないんだが、あいつの持ってた武器が気になる」
「あの細い剣ですか?」
「あれが、僕の遠い故郷の武器に似ているんで、気になったんだ。もしかしたら同じところから来たやつなのかなって」
「あれは、突くものなのですか?」
「突くこともできるけど、切ることもできる。あれの刀身が僕の知ってるものなら、すごくよく切れるはずだよ。でも剣自体はすごく脆いから、使い方が悪いとすぐに折れる」
「リンネさんもその剣を持っているんですか?」
「僕は……武器は全部故郷に置いてきた」
シャロは、輪廻の言葉の端ににじみ出る哀しみに気がついていた。
◇
シャロは大人しく輪廻の後をついて来ているように見えたが、ところどころで街に興味深げな視線を送っている。
輪廻はその度に立ち止まりシャロにさりげなく街を紹介する。
そのことに気づいたシャロは決まって先を急ぐように言うが、輪廻が無理やり寄り道させると、シャロは目を輝かせて輪廻の説明に聞き入っていた。
そうして王都をぐるりと半周回ったとき、
突然輪廻が、歩きながらシャロの手を握った。
「リ、リンネさん!?」
シャロが上ずった声を上げる。
輪廻がちらりと横目で見るとシャロの頬が桜色に染まっている。
輪廻は小声で話しかける。
「まっすぐ前を見て歩いて。後ろに刺青男がいる」
「え!?」
「向こうは、まだこっちが気づいてないと思ってる。だからまだ後をつけているだけだ。僕がカウントするから、ゼロになったら一気に走るんだ。この道をまっすぐ走れば、多分城につく」
「でも。リンネさんは?」
「5、4――」
輪廻がカウントを始める。
そのとき、背後の気配が動いたのを感じた。
「シィーッ!」
輪廻はシャロの背中を前に押した。
それと同時に、踵を返して赤刺青の方に突進する。
赤刺青は両手を交差させて二本の刀を腰の鞘から抜き放った。
両側から迫る剣先は輪廻の首を狙っている。
輪廻は刃が首を刎ねる直前に身を低く沈めた。
赤刺青の目には輪廻の体が目の前で突然消えたように写っている。
直後、赤刺青は顎に強烈な一撃を受けて後ろにぶっ倒れた。
「ゼロ!」
輪廻が大声で叫んだときには、シャロはすでに走り始めていた。
赤刺青とは別の男が輪廻に迫る。すでに取り囲まれていた。
相手はナイフを取り出している。
輪廻は無用心に突き出されたナイフの、その手首をつかんだ。
男の顔に掌をぶつける。
ひるんだ隙にナイフを奪い、反対側の男の腹を横に切った。
男の腹が切り裂かれ、中から血と臓物が飛び出す。
輪廻はその匂いに懐かしさを覚える。
なるほど、世界は違っても、人の中身は同じか――。
別の男が長剣で輪廻に斬りかかる。
男が近づく前に、輪廻はナイフを投げて男の胸に刺した。
男はうめき声を漏らして数歩後ろに下がったが、すぐに力尽きて動かなくなる。
輪廻があっという間に二人の男を殺したのを見て、無事な男たちも怖気付いて逃げ出した。
「ふう……際どいところだった」
殴り倒した赤刺青に輪廻が視線を戻す。
それとほぼ同時に、切り上げる刀の切っ先が輪廻を襲った。
「―――ぃ!」
すんでのところで後ろに下がる。頬がバックリと切られて血が垂れる。
赤刺青はさらに刀を振った。
まともに相手はできないと、輪廻はさらに勢い良く後ろに下がる。
二人は距離をあけてにらみ合う。
突然の刃傷沙汰に、市民たちがざわついていた。
「……手前ぇ、一体誰だ?」
「緒神輪廻」
輪廻が名前を名乗ると、男の表情が固まった。
しばらく輪廻を見つめていたが、やがて大声で笑い始める。
「そうか! お前も落ちてきたクチか! ハハハハハ! まさか俺以外にもいるとは思わなかったぜ!」
「ということは、あんたも…」
「ああ。あんたも越後か?」
「わたしは江戸よ」
「ああ? 手前、女か?」
「女を切れなかったのが悔しい?」
赤刺青の顔が殺意で歪んだ。
輪廻は、自分が無意識のうちに後ろに下がっているのに気がついた。
(まずい……こいつ、強い! わたしが最高の状態でも五分ってところだろうが、素手じゃあ天地がひっくり返ったって勝てっこない)
しかし赤刺青は、やがて殺気を納めて、とたんに機嫌の良さそうな表情に戻った。
「俺の名前は九条愛型。次はあんたの腸を見せてくれ」
ニヤリと不気味に笑うと、九条は人混みの中に飛び込んで姿を消した。
◇
輪廻はボロボロの状態で宿舎に戻った。
九条と別れてから、憲兵に追われたり人目を忍んだりで、やっと宿舎に戻ったときには真夜中で門が閉じており、見張りの目を盗んで何とか宿舎に戻ることに成功したのだ。
手についた血を洗い、そのままベッドの上に倒れて力尽きる。
シャロとはあそこで別れたきりだった。
結局彼女が何者だったのか、彼女を追いかけていた九条たちが何者なのかは分からず仕舞いである。
「無事に城まで辿りつけたのかな」
王国軍の兵舎は王城の中にある。
宿舎に戻るとき、輪廻はそれとなくあたりを調べてみたが、特に変わった様子はなかった。
「それにしても……九条愛型か」
九条の刀さばきを思い出した。
(しかもあいつ、まだ手の内を全部見せたわけじゃない)
この世界には自分や九条のような異世界からの転生者がまだいるのだろうかと、輪廻はまだ見ぬ同胞たちのことを思った。
九条「当カジノは誰でもウェルカム」