3.真夜中の決闘
それからもしばらく剣の訓練が続いたが、剣を持った勝負では輪廻は一度も負けなかった。
剣を持った輪廻は生き生きとしていた。
仲間と共に江戸中を駆けまわった記憶が蘇る。
面白くないのは他の訓練生である。
特にゴアーシュは、他の訓練生の注目をすべて輪廻がさらってしまったため、乱戦形式の訓練などでは執拗に輪廻を狙っていた。
しかし、乱戦形式の、言い換えれば何でもありの戦場こそが輪廻がもっとも輝く舞台であった。
馬鹿正直に真正面から突っかかるゴアーシュを、輪廻はろくに見ることもなく、ことのついでのように切り伏せてしまう。
ゴアーシュの挑戦は連日続いていたが、輪廻は特に苦戦することもなくそのすべてを退けていた。
「おい」
訓練の終わったある日、ゴアーシュが輪廻を呼び止めた。喧嘩でも始めるのではないかと、ヴィセンテがさりげなく輪廻の横に回る。
輪廻はこっそりと目で合図を送り押しとどめた。
「君、ラディと言ったね」
「ああ」
「姓は何というんだい?」
「ダールトン」
「ラディ・ダールトン……。覚えておこう、その名前」
ゴアーシュは爽やかな顔で言って、輪廻の肩を叩いて去って行った。
「何だったんだろう」
「ありゃ、お前の実力を認めるってことなんじゃないのか?」
「ああ、なるほど」
「あのプライドの高い男が認めたってことだぜ。こりゃすごいことだ。けど、お前を認めてるのはあいつだけじゃないぜ。訓練生はみんなお前に一目おいてる。もちろん俺もな」
「僕だってヴィセンテを尊敬してるよ」
「よせよせ。褒めたって何も出ないぞ」
口ではそう言っていたが、ヴィセンテは照れくさそうに輪廻から顔を背けた。
しかし、輪廻に対抗心を燃やしていたのはゴアーシュだけではない。
最初の敗北以来、ヴァージニアも訓練中は輪廻に対して敵意を剥き出しにして迫ってきた。
一対一で勝ち抜き形式の、剣の訓練である。
輪廻とヴァージニアの、どちらが先に呼び出されたとしても、二人は必ず最後までに立ち会うことになった。
「フッ――セイッ!」
ヴァージニアが斬り込む。
輪廻が見ているのは彼女の足運びだった。移動を読んで、少し上半身を下げれば、ヴァージニアの剣は容易に空ぶる。
ヴァージニアの切り返し。
低い軌道の、胴体を払う攻撃。
輪廻は軸足で体を回転させるように移動し、ヴァージニアの側面に回りこんだ。
「くっ!」
輪廻の攻撃を予見し、ヴァージニアは構えを捨てて飛び退く。
しかし輪廻の高速の剣は後ろに下がったヴァージニアを正確に打ち抜いた。
「そこまで!」
ヴァージニアは悔しさに唇を噛み締めながら退場した。
その日も、輪廻は最後まで勝ち抜き続けた。
◇
訓練生の朝は早い。
夜明け過ぎに当番の者が鐘を鳴らして宿舎の訓練生をたたき起こす。
食事当番はそれよりも先に起きて朝食の準備をする。
屋根だけが張られたテントの下で、40人ほどの訓練生が朝食を食べる。
パンと野菜のスープだけの質素な食事であるが、昼食には肉も出る。
輪廻は朝食をすぐに食べ終わり、水で顔を洗いうがいをしていた。
朝の森は騒がしい。虫と鳥の鳴き声がうるさく耳に入る。
宿舎からヴァージニアが出てきたのを見て、輪廻は声をかけた。
「おはよう!」
「………………」
「今日は雨が降りそうだね。空模様がすごく怪しいし」
「………………」
「ヴァージニア?」
「わたしに何か用?」
「え? 別に、用があるわけじゃないけど…」
輪廻が言葉を詰まらせているうちに、ヴァージニアは立ち去ってしまった。
その様子を見ていたヴィセンテが、やってきて輪廻の肩に腕を回した。
「相変わらずだな。ま、女を落とすには根気が一番だ。もう話しかけないでくれと言われてからが勝負だぜ」
「まさか。別に僕はヴァージニアを落としたいわけじゃない」
「じゃあ何で話しかけてるんだ? 好きでもなきゃあ、あの態度は我慢できないだろう、普通」
「でも、仲間だし。ヴァージニアと剣で打ち合うのは楽しい」
「そりゃお前がいつも勝ってるからだろ。……まあ、仲良くなるのも、落とすのと同じくらい難しいだろうけどな」
「ヴィセンテは詳しいの? その、女の子を落とす方法」
「いや? そういうのはゴアーシュが専門だろう。自慢じゃないが、俺は女にモテたことがない。いつも振られてばかりだよ」
「そうなの? たぶん、ヴィセンテのまわりの女は見る目がなかったんだね」
「おいおい、やめてくれ、気色悪い言い方は」
輪廻は慌てて口を閉ざした。少し油断すると、すぐに女の考え方をしてしまう。
しかしヴィセンテは気にした風でもなく話を続けた。
「俺は剣術はできないし、女にもモテないし、頭だって良くない。しかし、世界にはいくらでも剣の上手い奴がいて、上を見上げればきりがない。せめて、戦場で生き残るくらいの剣術と、伴侶を捕まえられるくらいモテればそれで十分だろう」
「頭の良さは?」
「それは次の課題だな。けど今は、とりあえずお前に剣術を教わることにする」
「僕に? それよりもディオル教官に特訓してもらった方がいいんじゃないかな」
「……お前さ、俺の勘だけど、訓練教官より強いだろう」
輪廻の心臓がドキリと跳ねた。
「そんなことは、ないと思うけど」
「嘘つけ。お前一度も本気で戦ってないだろ。俺は剣術はできないが喧嘩の経験なら玄人だ。必死になってるやつと、適当に手を抜いてるやつの違いくらい分かる」
「…………」
「おいおい、別に責めてるわけじゃないぜ。お前のは手を抜いてるというよりは、相手に合わせてるって感じだしな。そういうわけで、俺はお前に剣を教わるのが一番だと思う」
「……教えるのは、苦手なんだけどね」
「別に教える必要はないさ。俺が勝手にお前から学び取る」
「ほんと、ヴィセンテのまわりにいた女は、みんな揃いも揃って見る目がない」
「よせって。お前なあ、たまに冗談じゃなく言ってるみたいに聞こえてヤバいぜ」
ヴィセンテが半笑いで言った。
二人のそばを通りかかった訓練生たちが挨拶をした。
ヴィセンテは片手を挙げて大きな声でそれに答える。
ゴアーシュも通りかかったが、以前とは違い、無愛想ではあるがゴアーシュの方から挨拶をしていた。
「……みんなお前に一目置いてる。お前は間違いなくエースだよ」
そう言われると、輪廻は戸惑った。
◇
その日の訓練の終わり。
良い汗をかいて満足している輪廻の横を、ヴァージニアが通りかかった。
何か話しかけようと考えていた輪廻だったが、ヴァージニアの方から話しかけられた。
「……ラディ・ダールトン。お前と決着をつけたい」
「え?」
「深夜、剣を持って、ここに一人で来い」
「――承知」
ヴァージニアとて、ただの少女ではない。
その声に滲んでいた本気に、輪廻も本気の声で返した。
すれ違いに交わした、ごく短い会話である。
顔を向きあわせることもなく、互いに知らない顔をして別れた。
「……ラディ? どうした?」
「大丈夫だ」
輪廻は短く答える。
短く交わしたヴァージニアとの会話が輪廻の頭にこびりついていた。
精神の高揚を顔に出さないのは難儀だった。
◇
真夜中、輪廻は教官の目を盗み、一人で宿舎を抜け出す。
倉庫から剣を一本拝借した。鎧は、もともと輪廻の趣味ではないので、身軽なままである。
昼間は大勢の訓練生がいたが、今そこにいたのはヴァージニアだけだった。
彼女も剣を携えている。
祈りを捧げているかのように、ヴァージニアは神聖な雰囲気を纏っていた。
昼間とは違い、真夜中の森は静かである。
輪廻の瞳孔が拡大し、月明かりだけでヴァージニアの姿を細部まで捉えていた。
輪廻が前に立つと、ヴァージニアはまっすぐに見つめ返す。
「ルールは?」
「ない」
輪廻の問い掛けに、ヴァージニアは短く答える。
それで十分であった。
ヴァージニアが動く。
(申し分ない速度だ)
輪廻がこれまで見てきたヴァージニアの中で、今がもっとも尖っていた。
あと半歩でヴァージニアの剣の間合い。
すでに剣を振るう体勢に入っている。
距離の猶予がゼロになったと同時に、ヴァージニアの暴力が輪廻を切り捨てるだろう。
そのゼロの隙間に、輪廻は強引に割り込んだ。
「――――――――!」
ヴァージニアは驚愕する。
構えてすらいなかった輪廻の剣が、一瞬の後に、切っ先をヴァージニアの喉元に向けていた。
喉元に突き立てる寸前で、止めていた。
ヴァージニアの剣は、空ぶるどころか、切り下ろす、その遙か手前の段階である。
斬り合いにすらなっていない。それ以前の問題だ。ヴァージニアは、ラディにとって、自分はただの的にしかなっていないということを理解する。
――これが、居合の達人、緒神輪廻の実力であった。
「…………」
「…………」
暗闇の中で二人はしばらく見つめ合っていた。
交わす言葉もなく。
しかし、様々なものが交差する。
やがて、ヴァージニアがふっと頬を緩める。
「……参りました」
はっきりと、清々しい表情で、ヴァージニアは敗北を認めたのである。
◇
訓練生の朝は早い。
今朝もパンと野菜のスープだけの質素な食事であった。今日も、昼食には肉が出る。
輪廻が宿舎から出てきたのを見て、ヴァージニアは声をかけた。
「おはよう、ラディ」
「うん。おはよう」
輪廻は寝ぼけ眼で短く返事をした。ヴァージニアは入れ違いに宿舎に入る。
その様子を見て、ヴィセンテが輪廻に駆け寄った。
「おい。おい! 寝ぼけてる場合か」
「何だよ、朝から騒々しい」
「一体どういうことだ。何があった。何でそんなに親しくなってるんだお前らは!?」
「別に。僕とヴァージニアは互いに実力を認め合った戦友だからね。朝の挨拶くらいは普通にするよ」
「おいおい何だその言い回しは。最近のラディはずいぶん口が上手くなったな」
「口の上手さはヴィセンテに学んだんだよ」
「いやそんなことはどうでもいい。お前たち、一体どういう関係なんだ!」
「どうって、普通の――」
ヴァージニアが宿舎から出てきた。
輪廻に近づく。
「ラディ。今日の夜も剣を教えてほしい」
「いいよ。あとで教官に言って、演習場の使用許可をもらおう」
「それはわたしの方から話しておく」
「うん」
「ありがとう」
礼を言って、ヴァージニアは別れた。
そのやりとりを、ぽかーんと馬鹿みたいに口を開けて見ていたヴィセンテ。
「お、お、お前たち、一体どういう関係なんだ!?」
「ええと、戦友」
輪廻は短く答える。
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