23.女王暗殺(前編)
勲章の授与式が終わった後、兵舎では勲章授与者を祝うための盛大なパーティが開かれていた。しかしそれはパーティという言葉から連想されるような上品なものではなくて、手柄をあげた仲間を祝うのにかこつけたただの宴会である。
パーティの話題をひとりでかっさらっていたのは輪廻だった。
新兵が、それも敵の名高い戦士を打ちとっての功績である。
輪廻のジョッキには一度も顔を見たことがない戦友たちがひっきりなしに酒を注いでくる。
誰かとの会話が終わるとすぐに次の誰かがやってきて話しかけてくる。
それだけたくさんの人に話しかけられると、話題の半分くらいはすでに誰かと話した内容だったりする。
しかし軍の中で最も新米である輪廻は、あくまで先輩の顔を立てるために、内心はうっとおしく思いつつも邪険に扱うことなく根気よく愛想笑いを浮かべ続けていた。
(このわたしが…愛想笑いなんて、ねえ)
江戸にいたころの尖っていた自分だったら、遠慮なく思っていたことを口に出していただろう。
今の自分は丸くなったと輪廻は思う。
それは進歩なのか、退化なのか。
丸くなったと思う理由はもうひとつある。
輪廻は今朝からずっとヴァージニアの姿を探していたのだ。
理由はもちろん、先日の件についてヴァージニアに謝るためである。
輪廻は未だに勲章をもらうことについて、内心納得しかねる感情を持っていたが、その八つ当たりでヴァージニアにきつくあたってしまったのは明らかに自分の方に非があった。
…と、今日になってやっと反省することができた。
本当ならばヴァージニアを探して会場を飛び回りたいのだが、次から次に輪廻に絡んでくる軍人たちの相手をしているとまったくこの場を動けそうにない。
ましてや、宴会が進めば進むほど、やってくるのは酒の入った質の悪い軍人たちである。
そのとき、会場の奥がざわついた。
輪廻はどこかの隊長の武勇伝を愛想笑いでかわしながら、興味がなかったのでざわめきには目もくれなかった。
……ざわめきが、徐々に輪廻の方に近づいてきた。
「リンネさん! お久しぶりです!」
「シャ…っじゃなくて、女王陛下!」
ぽかんと、今まで話していたどこかの隊長が突然現れたシャロを見て口を開けて静止した。
取り落としたジョッキを、輪廻はすばやく手を伸ばして受け止めた。
「わあ、さすがリンネさんですね! 反射神経びんびんです!」
「ドウシテ、女王陛下ガコンナトコロニ」
輪廻は舌がうまく回らないのを自覚していた。
受け止めたジョッキを、まだ呆然としている隊長の胸に押し付けて、ついでに隊長ごと押しやった。
「おい…いったいどういうことだ…」
「女王陛下が…」
「本物か?」
「ううっ、お美しい…」
「なんでこんなところに?」
「え? 誰? 見えない」
「お、俺も女王陛下とお話したいっ」
「うわ、押すな!」
「どうせそっくりさんだろ?」
ざわめく会場の声は概ねこのようなものだ。
輪廻に質問されたシャロは、可愛く首をかしげて不思議そうに答える。
「どうしてって…あなたに会いに来たに決まってるじゃないですか。ずっと会いたかったんですよ!」
そして、みんなの注目の先は女王陛下から新米兵士ラディ・ダールトンに一斉に移った。
「どうして女王陛下がラディに…?」
「さっきリンネって言ってたのは誰だ?」
「あだ名だろ」
「なんでダールトンは女王陛下とあんなに親しそうなんだ…!」
「ダールトンってどこの貴族だ? 聞いたことないぞ」
「女王陛下が、わざわざダールトンに会いに…!?」
「平民のくせに」
「俺も勲章もらったんだけどなんであいつのところにだけ…」
最初は困惑や疑惑の方が先に向けられていた。
がしかし、それが一段落すると、やはり女王の無邪気な寵愛を一身に受けている輪廻の方には、羨望と嫉妬の眼差しが向けられるようになる。そしてもちろん、羨望と嫉妬では後者のほうがより濃密な意志として輪廻にぶつけられるのである。
「そうだ! リンネさん、勲章おめでとうございます!」
「あ、それはどうも。…じゃなくて! どうしてこんなところに来てるんだよ!」
「リンネさんに会いたくて」
「じゃなくて!」
「え…あの…ご迷惑…でしたか?」
しゅんとなって、輪廻のことを下から涙をたたえた瞳で見上げた。
(うっ…可愛い…)
それも母性本能をくすぐる類の可愛さである。
精神は女である輪廻に色仕掛けは通じないが、庇護欲を誘う可愛いものにはどうしようもなく本能が刺激されてしまうのである。
どうやらそれは周囲の軍人連中も同じだったようで。
シャロをしゅんとさせた輪廻に非難の声が集中した。
「ご、ごめん。そんなつもりじゃなかったんだけど。でもその、シャロは女王様なわけだし、あんまりこういうところで出歩くのは」
「俺たちは一向に構わんぞ!」と誰かが叫び、「そうだそうだ!」と後に続く。完全に酒が入っている行動である。
輪廻はそれに「うるせえ!」と江戸人っぽく返した。
「あの、リンネさん、ごめんなさい。リンネさんとちゃんとお話するには、こうするしかなくて」
「ジニーが知ったら怒るよ」
「ジニー……」
ヴァージニアの名前を出した途端、シャロの表情が曇った。
「ジニーがどうかしたの?」
「リンネさん、どうしてジニーのことジニーって呼んでるんですか?」
「え? なぜって、それが彼女の名前だから……あ」
「前はヴァージニアって呼んでたのに」
「ああ、そういうことね。別に大した理由じゃないよ。ただその、なんて言うか、まあ僕と彼女は友達なわけだし、愛称で呼び合っても問題はないよね」
「ふうん……。ひょっとして、ジニーはあなたのこと、リンネって呼んでますか?」
どうしてそれを、と輪廻が漏らしたところで、シャロはうーっとしかめっ面を作った。
「…一体何が不満なんだよ」
「別に不満なんてありませんよ。…うーっ、ジニー……」
「……シャロの方はどうなんだ? ちゃんと女王らしくやってるか?」
「はい、それはもう! 女王中の女王ですよ! わたし以上に女王な人はこの国にはいません!」
「それはそうだろう」
「うーっ、でも、毎日お仕事ばっかりなのは大変ですけど…。明日も、すぐに王都に戻らないといけないんです」
「そうか。頑張ってるんだな」
「はい! ……えへへ。リンネさんにそう言われると、すごく嬉しくなっちゃいます」
「僕も、シャロが頑張ってくれて、嬉しい」
「リンネさんもよく頑張りましたね」
えらいえらい、と子供をあやすように言いながら、シャロは背を伸ばして輪廻の頭を撫でた。
きっとシャロ以外にこんなことをされたら馬鹿にされたと思っただろうけれど、シャロならば、無邪気な女王様ならばそこに悪意はないと確信できる。
「リンネさん、前に会ったときよりも背が伸びましたね」
「そうかな?」
「はい! …うーっ、高いです」
輪廻の頭のてっぺんに手を伸ばすと、バランスを崩しそうになって輪廻の方に倒れる。
輪廻はシャロの体を受け止めた。
「シャロは…小さいな」
「……えいっ」
シャロは輪廻の足を踏んだ。
体重が軽いのでまったく痛くなかった。
「…わたし、毎日お腹いっぱい食べてるんですけど、全然大きくならないんです」
「あの、食事よりも、毎日ぐっすり眠るのが、背を伸ばすには良い……らしいです……っ、す、すみません、わたしのような者が女王陛下に意見など…っ」
後ろから声がしたので振り返ると、メリーナが身を縮こませて再び人ごみの中に紛れようとしていた。
輪廻はその腕を掴んで女王の前に引きずり出す。
「あの…この方は?」
「メリーナさんです。軍医の」
「ひいっ」
メリーナが怯えた。いや、むしろシャロの方が驚いている。
輪廻が腕を放すと、メリーナは素早く輪廻の背中に周り女王の前から身を隠した。
両手で輪廻の肩を掴んでいる。輪廻の背中にメリーナの体がぎゅうっと押し付けられた。
「……何いちゃついてるんですか?」
「別にいちゃついてないけど」
そのとき誰かの腕が、メリーナの襟首を掴んで輪廻の背中からグイと引き剥がした。
メリーナは悲鳴をあげて逃げていく。誰かの背中を探しているのかもしれない。
メリーナを引き剥がしたのはクリスティナだった。
次から次に厄介な人が来るな、と輪廻は内心思っていた。
「…女王様」
クリスティナがぶっきらぼうに言った。
彼女は明らかに不機嫌だったが、どうやらさすがのクリスティナも女王の前では無礼には振る舞えないらしい。
「お兄ちゃんと、一体どんなご関係でございますか?」
「お兄ちゃん?」
シャロが輪廻とクリスティナを交互に見た。
「この子はクリス…ティナ。僕の、その、幼馴染?」
「どうして疑問形なのよ!」
「まあ、幼馴染さん! 妹さんじゃなかったんですね! 幼馴染さんだったんですね!」
「ぐっ…」
クリスティナはうめいた。シャロの悪意のない攻撃にダメージを受けている。
「あのー、女王様、質問に答えてもらってませんけど」
「リンネさんですかあ? えーっと、わたしの大切な人ですね」
にへら、と緩んだ笑顔を見せた。
シャロの声を聞いた周りの兵士たちがどよめいた。
クリスティナの表情が凍りついた。
「あ、そういえばリンネさん、この間始めて魔女と会ったんですけど――」
「ちょっと待って下さい! 何事もなかったみたいに進めないでください!」
はあはあ、とクリスティナは肩で息をした。
「そもそもっ! さっきからリンネリンネって何なんですか! お兄ちゃんの名前はラディ・ダールトンなんです! そんな変な名前で呼ばないでください!」
「えー、でも、リンネさんはそれが本当のふがっ――!」
シャロが輪廻の転生のことを口にしそうだったので慌てて口を塞ごうとした。
その指が勢い余ってシャロの鼻の穴に入った。
周囲の軍人たちが一斉に殺気立った。こう見えて東部方面軍には忠義者が多いのだ。
輪廻は自分が無害であることを周囲にアピールしつつ、そっと手を離した。
「ごめん」
「うーっ、ひどいです…鼻に穴があいちゃいました」
「いや、それはもともと…」
「と! に! か! く!」
クリスティナが強引に話を進めた。
「女王様は女王様なんだから! お兄ちゃんにかまってばかりじゃダメです!」
「うーんと、分かりました」
「分かってくれましたか」
「クリスちゃん、お友達になりましょう!」
「こいつ全然分かってねえ!」
クリスティナがぶっ倒れた。
◇
授与式の日の夜に、女王が宿泊しているホテルに向かって歩いている二人の影があった。
一方はコブ・サザートンで、もう一方はワヌード。
カザルスは警備隊長として、今はホテルの中で指揮をとっているはずだった。
ホテルに向かって歩いていると、さっそく警備の兵士に呼び止められた。
「待て。お前たち、どこに行く」
「俺はコブ・サザートンだ。警備隊長と、司令官の許可はとっている。中に入れろ」
コブが答えた。
警備の兵士は三人組で、一人がコブたちの正面。もう一人がさり気なく側面に周り、もう一人が少し離れた位置に立っていた。
三人ともが片手にはランプを持っている。
「許可証を見せてください」
「ほら」
コブは懐から紙を取り出して正面の男に渡す。
男はランプの明かりを近づけて目を凝らして書面を読んだ。
「そちらの方も」
「これはワヌード。俺の護衛だ」
「許可証のない方は通せません。それにあなたも、中に入るときは武器を預けていただきます」
「俺は許可証を持っている。その俺が護衛だと言っているんだから、身元は確かなはずだ。それにこの剣は渡せない。任務に必要なものだ」
「すみませんが、司令官からはあらゆる例外を認めるなという――」
「もういい。ワヌード、殺せ」
「え――」
男の持っていたランプの明かりが落ちた。ランプが割れて油が流れたが、男の首からはおびただしい量の血液が流れ落ちて、ランプの火を一瞬で消してしまった。
ワヌードが腰にさげた鞘から抜いた二本の短剣が、男の首を交差するように引き裂いたのだ。
ひっ、と短い叫び声が聞こえたときには、ワヌードは側面の男に飛びかかっていた。
男がランプを投げ捨て剣を抜こうとしたが、半分ほど抜いたところで心臓を突かれて一瞬で絶命する。
一番奥にいた男が背を向けて走りだした。
「て、敵――!」
ワヌードの投げた短剣が音もなくコブのすぐそばを通り抜け、逃げようとした男の首の後ろに刺さった。
仲間を呼ぼうとした声は途中で消え、代わりに前のめりに地面に倒れる音が響いた。
ワヌードは死体の心臓から短剣を抜き、トカゲのように素早く移動すると、まだ生きていた三人目の兵士の背中から止めを刺した。
誰かが近づいてくる音がして、ワヌードはそちらも殺そうとした。
「ワヌード」
しかし寸前のところでコブがワヌードを押し留めた。
やってきたのはハスケルが一人だけだった。
「ああ、やっちまった。遠くからこいつらが見えて、慌てて止めに来たんだが、間に合わなかったみたいだ」
ハスケルは横目でワヌードを見た。
もしコブが止めなかったら、ワヌードは躊躇なくハスケルを殺していただろう。もちろん、ハスケルがそんなことを知る由もない。
「これで全員かな。大将、ルーミルは?」
「今ごろマイルズの部屋さ。それはそうとハスケル、ホテルに入ったら牢にいるカザルスを外に出してやってくれ。カザルスの警備は三人。不意を突けば簡単だろう」
「それはいいけど、この死体は?」
「考慮の必要はない」
コブは手に持っていた大きな袋を掲げて見せた。
「ホテルに入り次第、迷宮香炉を動かす」
◇
ヴァージニアは緊張した面持ちで女王の部屋に入った。
ヴァージニアを連れてきた親衛隊の兵士が、部屋にいたシャロに頭を下げる。
「もう結構です。下がってください」
シャロが命令すると、案内をした兵士だけではなく、シャロの両側に控えていた兵士も一緒に部屋の外に出た。
両開きの大きなドアが閉まるのを確認して、シャロがヴァージニアに笑顔を向けた。
「ジニー!」
シャロは駆け寄ってヴァージニアの手を取った。
「シャロ、久しぶりだな」
「うん! 会いたかった!」
「だからと言って、親衛隊を寄越すことはないだろう」
ヴァージニアが苦笑しながら言った。シャロとふたりきりになって、やっと緊張がほどけた。
ヴァージニアは授与式の後のパーティに参加しなかった。
部屋でひとりでいたところ、シャロの使いの親衛隊の兵士がやってきて、ヴァージニアをホテルまで連れてきたのだ。
「だ、だって、ジニーに会いたかったのに、パーティにはいなかったから……」
「って、シャロ、もしかしてパーティに来てたのか!?」
「ちょ、ちょっとだけですっ」
「そういう軽はずみな行動は――」
「うーっ、せっかく会えたのにーっ」
いつものように説教を始めようとしたヴァージニアだったが、すぐに考え直した。
「…まあ、久しぶりに会ったんだし。今日は大目に見よう」
「おおぅ。今日のジニーは優しいです」
「私はいつでも優しいぞ」
とふざけて言ってみたが、今のヴァージニアは優しいのではなく、輪廻とのことがあって無気力になっているだけだ。
それを気取られないように振る舞う。
「それにしても驚いた。しばらく合わないうちにずいぶん女王っぽくなったもんだ。式典のシャロはまるで本物みたいだったぞ」
「うーっ…偽物じゃないです」
「ははっ。冗談だ。…おっと、こんな冗談も、そろそろ言えなくなるかな」
「ジニーになら何を言われても大丈夫です」
シャロは当たり前のように言った。
ヴァージニアは友人を貶めるようなことは決して言わない、という信頼があった。
ヴァージニアとシャロは、身分と時間を忘れてお互いのことを語り合った。
◇
輪廻は眠れなかった。
ヴァージニアに会いたい、という気持ちが強すぎて、到底眠ってなどいられなかった。
ヴァージニアに会いたい。会って早く謝ってしまいたい。
もちろん、今夜謝ろうと明日謝ろうと違いはほとんどないのだが、ヴァージニアとの関係を不安定なままでぶら下げておくことが輪廻にはたまらなく居心地が悪いのである。
ヴァージニアが輪廻を許すにしろ、許さないにしろ、すぐに結論を出さなければ据わりが悪い。
輪廻はベッドから起きた。
身支度を整えて兵舎を出た。
こっそりと宿舎に忍び込み、ヴァージニアの部屋のドアを控え目にノックした。
しかし反応がない。
もう寝てしまったのかもしれないと、今度は強めに叩いた。起き抜けのヴァージニアが不機嫌に輪廻に対する可能性はまるで考慮していない。
ヴァージニアは部屋にいなかった。
途方に暮れていたところ、隣室の二番隊の兵士が、ヴァージニアは親衛隊の兵士に連れられて女王の元へ行ったと教えてくれた。
輪廻は礼を言って宿舎を飛び出した。
「…と、飛び出したのはいいものの、これはどうしようもないな」
輪廻は茂みに隠れながらひとりごちた。
女王の泊まる建物である。
当たり前だが警備は厳重だ。
一度正面から中に入ろうとしたが、警備の兵士に見咎められ取りつく島もなく追い返されてしまった。
輪廻が王国の兵士であることは関係ない。
許可証を持たない者は将軍であろうと中に入ることは許されないのだ。
「けど今さら引き返すのも癪だね」
輪廻は警備の状況を観察した。
前世の記憶が蘇る。
警備の厳重な金貸しの蔵を襲ったときのことを思い出す。
輪廻は無意識のうちに、襲撃のルートと警備の兵士を片付ける方法を考えていた。
(…おっと、いけないいけない)
もし行ったところで十数人の兵士を道連れにあの世に行くのがオチだろうし、仮に中に入ってヴァージニアに会ったところで、輪廻の所業を聞いたら彼女は決して許してはくれないだろう。
「……」
本当の緒神輪廻をヴァージニアに知られることを想像して、身震いする。
それは決してあってはならないことだ…。
「君、もしかして何か物騒なことを考えているんじゃないだろうね」
背後から声をかけられて反射的にその場を飛び退こうとした。片手は刀の柄にかけられている。
果たして、そこにいたのは驚いた顔をしたゴアーシュと、呆れた顔をしたヴィセンテだった。
「…びっくりしたのは分かるが、間違えて僕を斬らないでくれよ」
「二人とも、どうしてここに?」
輪廻はかろうじてそれだけを質問する。ゴアーシュに言われたとおり、刀から手を離して臨戦態勢は解除した。
輪廻の疑問を解決したのはヴィセンテである。
「ゴアーシュと一緒にお前の部屋に行ったらお前がいなかったから、何かあったんじゃねえかと街中を探してたんだ。そしたらこんなところに居て、警備の様子を伺ってやがる」
「…なんで僕の部屋に」
「別に大した用事じゃないんだが、三人で酒盛りでもしようと思ってな」
ヴィセンテがゴアーシュに目配せするとゴアーシュが照れた仕草で顔をそむけた。
パーティの会場で輪廻とろくに話せなかったから、酒盛りにかこつけて輪廻の勲章を祝おうとしたのだろう、と輪廻はすぐにぴんときた。
「あ…ふたりとも、ありがとう」
「よせよせ、気色悪ぃ」
「それで、君は一体こんなところに何の用だい? まさか、女王暗殺を企てているわけじゃないだろうね。王家に対する反逆は斬首だよ」
「そんなわけないじゃない。ただ、僕はヴァージニアに…」
そこで輪廻は、事情を簡単に二人に説明した。
と言っても説明することはほとんどない。
女王と個人邸な親交があったヴァージニアが女王に呼び出され、帰ってくるまで輪廻はヴァージニアに会うことができない。
「ああ。そうだな。明日朝一で謝れ」
事情を聞いたヴィセンテが最初に言ったことがそれだった。
分かってるけど、と輪廻は食い下がる。
「今すぐ会いたいんだよ」
「いくらなんでもそりゃ無茶だ」
「でも…」
「そんなに会いたいならなんで昨日のうちに話をしておかなかったんだよ」
返す言葉もない。
「…ごめん。そうだね。うん。我慢する」
「ふふっ、それはどうかな。無理とは限らないんじゃないかな」
ゴアーシュが得意げに言った。
輪廻とヴィセンテが思わず向き合った。
「さあ、宿舎に戻ろう」
「そうだな。せっかく酒を持ってきたんだ、酒盛りをやろう」
「待ちたまえ! 僕が中に入れてやると言っているじゃないか!」
「ゴアーシュが?」
「お前、もう酔ってるのか?」
「ふっふっふ。僕がシュトラウス家の出身であることを忘れたようだね」
「だから何だってんだ?」
「ごめん、僕もよく分からない」
「……」
ゴアーシュは懐から綺麗な封筒を取り出した。
中に入っていたものを見せられて、二人は驚愕した。
それは、館の中に入るための許可証である。
「ど、どうしてお前がこんなものを――」
「数日前に父上から送られてきたのさ。父上は軍務省に顔が利いてね。今回の話を聞いて、女王陛下に挨拶するようにとこれを送ってきたのさ」
「でもこれ、ゴアーシュの許可証だよね? 僕とヴィセンテは入れないんじゃないかな」
輪廻が指摘すると、ゴアーシュは不機嫌な顔をして許可証を封筒に戻した。
それを輪廻に差し出す。
「…それじゃあ、きみがゴアーシュ・シュトラウスということにして、ひとりで中に入ればいい」
「え? でも…ゴアーシュは?」
「女王陛下には次の機会に――今度は僕が勲章を取って、会うことにする」
「そりゃ無理だ」
「君みたいな野蛮人には分からないだろうけどね――!」
ヴィセンテの茶々に、ゴアーシュがムキになって食ってかかる。
二人のやり取りを眺めながら、輪廻は封筒をぎゅっと胸に抱えた。
「ゴアーシュ…ありがとう。それに、ヴィセンテも」
「今回俺は何もしてねえぞ。礼ならこいつの父上にするんだな」
「僕にしたまえ」
「うるせえ」
「何だと」
なおも言い争いが続きそうな二人に再び礼を言って、輪廻はホテルに駈け出した。
◇
「準備は?」
「今終わった」
コブの質問に答えてカザルスが立ち上がった。
ホテルの一室に閉じ込められていたカザルスを、ついさっきハスケルが解放したのだ。
コブとカザルス、それにハスケルは、ホテルの適当な一室に忍び込んでいた。
当然この部屋にも警備の人間がいたが、今はハスケルに斬り殺されて部屋の隅で死体となって転がっている。
「では、迷宮香炉を起動する」
コブは香炉に火を落とした。
香炉の中に入っているのは灰と、細長い水晶のような物体だった。
水晶は火に触れると色が赤く変化し、やがてブルブルと震え始めた。
ハスケルはその様子が、まるで香炉自身が生きているかのように見えた。
やがて水晶は、震えながら何かを周囲に吐き出した。
それは目には見えないが、肌でははっきりと感じられる「何か」だった。
例えるならば、自分の周囲すべてにカーテンがかけられたかのような、とらえどころのない不明瞭な感覚。
香炉から照射された魔法はやがて部屋にいる人間すべてを飲み込み、それが壁を超えて建物中に広がった。
具体的に何が変わったということは分からないハスケルだったが、自分の中にある神経、感覚の何かが機能を停止しているのを感じた。
「これで、このホテルにいる人間は外に出られないし、ホテルの外にいる人間は中に入れない。入ろうとしてもぐるぐると道に迷うばかりで決して中には到達できない。永遠に外側を回り続けるだけだ」
コブが解説した。
その言葉の意味はよく分からなかったが、この香炉に当てられた人間がどうなるのかは、今の感覚からなんとなく想像ができた。
迷宮香炉が発動したのを確認して、コブは二人に命じた。
「今ルーミルは女王を探して、ワヌードは親衛隊を殺すためにホテルを回っている。君たちはワヌードの援護に回ってくれ。俺はルーミルの方に」
コブは二人と別れてホテルの階段を登って行った。
「それで、どうする? 二人で一緒に回るかい?」
「バラバラでいいぜ。俺一人で十分だ」
自信満々に答えたハスケルにカザルスが怪訝な目を向けた。
「…ハスケル、大丈夫か?」
「当たり前だろ」
「そうは見えないぜ」
気をつけろよ、と言ってカザルスはハスケルから離れた。
はっきり言えば、ハスケルは血の匂いに酔っていた。
カザルスを救出するために王国の兵士を三人斬り殺した。そのときから胸の中に熱いものがこみ上げて、目に映る何もかもが愉快で仕方がない。
体がうずく。
剣を振りたい。
肉を斬る感触骨を断つ感触血しぶきの音匂いすべてが愛おしい。
――ああ、誰か、俺に斬られてくれ。
ずっと、王国の兵士として、閑職に甘んじてきた。
退屈な任務を淡々とこなしてきた。
今は違う。ここで何をしようと誰もハスケルを咎めないし、罰せられることもない。
好きにしても良い場所。
ふらふらと歩いていると、王国軍兵士の無防備な後ろ姿が見えた。
湧き上がる歓喜の声を噛み殺して、ハスケルは背後から近づいて剣を振り下ろそうとした――。
ハスケルは気づいていない。
その兵士が親衛隊の軍服を着ていないことに。
その兵士が、剣を持っていないことに。
「――――あ?」
ハスケルは困惑した。
肉を斬る感触がない。
それどころか手に感覚がない。
体から一気に血が噴き出している。
なぜそんなことが分かるのかというと、首を斬られて血が噴き出している自分の体を見ているからだ。
――ハスケルの首が廊下に落ちた。
一瞬の出来事である。
ふかふかの高級な絨毯は、首の転がる音を完璧に隠していた。
◇
「…とんでもないことになったな」
輪廻は嘆いていた。
ホテルの中に入ったときから嫌な気配はしていた。
警戒しながら中を進むと、突然輪廻を妙な感覚が襲った。その正体を探ろうとして途方に暮れていたところ、背後から誰かに襲われた。
輪廻は咄嗟に柔を使い、素早く相手の手から剣を奪うとまったく反射的に首を切り落としてしまった。
吹き出した鮮血を見て、自分が取り返しの付かないことをしてしまったと感じ、やがてこれは正当防衛であると思いだしてほっと安心した。
「それにしても、この人は一体誰だろう」
輪廻はハスケルの死体を見てまた途方にくれた。