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輪廻は転生しました  作者: 叶あぞ
第二部 千里眼
19/31

19.怪人ハンニカイネン




シャルロットが列車の車窓から外を見れば、そこには高速で後方に流れる畑と農村が見える。

鉄道を利用するのは今回が初めてではない。

南の療養地から王都へ戻った際には鉄道の送迎が行われた。

しかしながら、シャルロットはこの鉄の乗り物に対して未だ完全には心を許せていなかった。


「陛下、お呼びでしょうか」


ミラーエが、壁の手すりを掴みながらシャルロットの部屋までやって来た。老体にこの列車の揺れは堪えるのではないかと余計な心配をしてしまう。


「要件はさっき伝えたと思いますが――」

「……またその話ですか」

「はい。魔女に会わせてください」


シャルロットたちが乗る巨大な鉄の乗り物を動かしているのは雷の魔女たったひとりの力である。

シャルロットは魔女と直接会ったことは一度もなかった。

魔女は普段はいつも列車の中にいて、王国政府の要請で大陸中を移動している。


「……ご遠慮ください」

「どうしてですか? わたしたちの国にずっと昔から大きな貢献をしてくださってる方です。そういう人に会って労をねぎらうのは王族の役目だと思います」

「危険です」

「危険?」

「はい。魔女は魔法を使います。陛下に万が一のことがあっては王国の存亡に関わります」

「しかし、魔女は昔から、魔法を王国のために使ってくれてるんじゃ……」


女王の言葉遣いが崩れて、ミラーエが咳払いをした。


「はい、陛下の言うとおりです。しかし魔女は、自らの意志で王国に貢献しているわけではありません」


魔女や魔導具を世界各国に割り当て、管理しているのは魔導同盟である。

その割り当てはほぼすべての場合において、魔女個人の都合とは無関係に、国家の利害関係によって決定されていた。


「雷の魔法がなければ、フェルミナを鋳造することもできません。…わたしたちは魔女に最大限の譲歩と敬意を示すべきだと思います」

「……陛下の御心はわかりました。女王陛下のご命令とあらば致し方ありません。しかし私は、それでもあの魔女を信用できません」


最後にきっぱりと意見を告げて、ミラーエは女王の部屋を出た。

間もなくして、ミラーエによって、女王と魔女の面会が準備された。






機関部を除く先頭から三両がすべて魔女のための車両となっている。

魔女の世話係がドアを開けたとき、中からひやりとした空気が流れたのをシャルロットは感じた。


中は薄暗く、鎧戸の隙間から外の日差しが縞模様に床に伸びていた。

赤錆色の毛の短い絨毯は別として、室内の調度は白と金色の軽やかな色合いに統一されていた。


ドアの正面、白い丸テーブルの向こうに、黒い服を来た魔女が座っている。


(これが…雷の魔女…)


シャルロットとミラーエが中に入ったのを確認してから、世話係は一礼してドアを閉める。魔女の巣の中に入るのは、いかに理屈を重ねたところで抗いがたい恐怖心を掻き立てる。


シャルロットは震える手を必死に握りしめて魔女のそばへ近寄った。

テーブルには空席が二つあり、それぞれの前に茶が置かれている。


「どうぞおかけになって」


魔女の甘ったるい不気味な声が耳に入った途端、背筋からぞわりと悪寒が駆け上がった。

シャルロットとミラーエは何も答えずに無言のまま椅子に座る。


「お口に合うかしら」


声に潜む微かな震えが彼女の怒りを表しているようでもあり、こちらを罠にかけるためのへつらいのようでもあった。高い声とゆっくりとした口調は、ポットに注いだ水が今にも溢れる場面に喩えられそうな、聞いていてとにかく不安にさせる声である。


魔女は黒いベールを顔にかけており、その表情を見ることは叶わなかった。

しかし肌の異様な白さは黒いベール越しにもはっきりと見えている。


「…魔女よ、女王に顔を見せよ」


ミラーエが睨みつけるようにして、静かな声で魔女に言った。

魔女は答えずに、静かにティーカップをテーブルに置いた。


「見せる必要はないわ」


ミラーエが言葉を失った。後に引けず、さらに警告しようとしたのを、シャルロットがテーブルの下で腕を掴んで押し留めた。


「……今日は会っていただいてありがとうございます」


シャルロットの言葉を聞いて、魔女の口元がひきつるように笑うのがわずかに見える。


「会いたければいつでも来てね。お茶をご馳走してあげる」

「ありがとうございます」

「きのこを使った特別なお茶よ。体が温まるわ」

「……王国は、あなたに対して大きな感謝と敬意を――」

「その必要はないわ。だってわたしは自分の意志であなたに貢献しているわけではないもの」

「……すみません。ですが――」

「謝る必要はないわ」


同じ調子で魔女は答える。

テーブルの上に置いていた手を微かに開く。

黒い革の長い手袋である。


「あなたが心から謝っているわけではないことも知っているわ」

「そんなことはありません! わたしは、あなたと」

「心にもない言葉は必要ないわ」

「…あなたと仲良くなりたいんです」

「『仲良く』の定義は?」

「わたしのことが嫌いですか?」

「わたしの意志など必要がないもの」


黒い手が再びティーカップを持ち上げた。

緊張と不安感でシャルロットの全身から嫌な汗が吹き出していた。

会話が成立していない。

まるで自動的に言葉だけを返す人形のようだ。


特別なお茶をもう一口飲んでから、魔女は静かにシャルロットを見つめる。

次にシャルロットが口を開くまで、長い長い沈黙が訪れた。






黒の森を制圧し橋頭堡としたカリナ・エーデル率いる帝国軍第3師団は、後方から前進してきた他の部隊と交代し、主要な部隊はアンアディール要塞に下がり束の間の休養をとっていた。



黒の森を制圧したあの戦いの後、イールズは帰らなかった。

部下の死は覚悟していたつもりだった。

何よりも、他ならぬイールズ自身が、自らの死を予感していたようにも思う。


イールズの死体は発見されず、やがて王国軍から毒蛇を殺した英雄の名前が知れ渡ってきた。


――ラディ・ダールトン。


おそらくその人物こそが、イールズが嬉しそうに話していたかつての仲間のことだろう。

『毒蛇』を殺すほどの腕前の人物が、今までずっと無名の兵士であったのはいかなる理由によるものか。


今でもカリナは、イールズを見送った日のことを思い出しては胸の中を焼き尽くすような後悔と悲痛に顔を歪めていた。


それと同時に考えるのはラディ・ダールトンのことである。

イールズを殺した人物。

イールズが好敵手と認めた人物。

彼を目の前にしたとき、自分はイールズの復讐をするだろうかと、カリナは自問した。

答えはいつも帰ってこない。自分はいつも自分に対して寡黙だった。




黒の森に雪が降り始めたころ、本国からアンアディール要塞に厄介な客人があった。


帝国軍情報局、ティモ・ハンニカイネンである。

情報局とは軍務省に属する機関で、諜報と防諜、テロ対策、作戦支援、ならびに軍の内務調査を行う組織である。


ハンニカイネンは内務調査部の副部長であった。

カリナにオブザーバーを通じてイールズの「疑惑」を警告したのもハンニカイネンの指示である。

ハンニカイネンがアンアディール要塞に訪れた目的は、前線の部隊の再編成に合わせて綱紀粛正と情報局から軍への様々な面での支援――と、表向きはなっていたが、ハンニカイネンがどのような意志で要塞に来たのかは未だはっきりしないところがあった。



ところで以前より内務調査部、特にハンニカイネンの不当な捜査活動が問題になっており、強引な逮捕と証拠の捏造による極めて高い有罪率は、帝国軍兵士の恐怖の対象になっていた。


ハンニカイネンは目をつけた相手を証拠不十分であろうと逮捕し、後の軍法会議においては捏造した証拠とでっち上げの証言によって反論の余地なく処刑台に送っているのだ。

こうすることで軍内部に存在するハンニカイネンの影響力を拡大し、ハンニカイネンに反対する派閥を瓦解させ、屈服させることができるのだ。


公の場ではハンニカイネン自身は「ハンニカイネン派」なるものの存在を否定していたが、誰の目にも、それが実体として存在するのは明らかだった。

軍部の強力な後押しにより、ハンニカイネンは四十代の半ばにもかかわらず、いずれは情報局の局長と目されるほどになっていた。




ハンニカイネンの入城に際しても一悶着があった。

要塞駐屯軍の兵士の一人がハンニカイネンを公然と罵倒し、内務調査の不公平さを指摘したのだ。

その背景には、黒の森の戦闘以降、スパイ容疑により駐屯軍からも十名単位の逮捕者が出ている事実があった。


ハンニカイネンはそれを笑って受け流していたが、後日、ハンニカイネンを罵倒した男とその連隊長もろともをスパイ容疑で逮捕してしまった。

そのことを知って、駐屯軍と第3師団の兵士たちの誰もが、改めてハンニカイネンの存在を恐れた。




カリナとハンニカイネンが直接会ったのは駐屯軍兵士の処刑から二日後である。


アンアディール要塞は外側こそ無骨な要塞であったが、壁の内側の建物は多くの来訪者の期待を裏切って豪華で繊細だった。


大砲の届かない最上階は窓ガラスから下を見下ろすことができる。

最上階は前線を視察に来た政府要人の宿泊施設、および駐屯軍の士官の部屋として使われていた。そのため「アンアディール要塞は途中までで、最上階はアンアディールホテルだ」などという軽口が帝国軍兵士の間で交わされることもあった。

そして今はここにカリナやハンニカイネンたちを泊めている。



カリナが部屋を出て食堂に向かう途中、小太りの中年男性が廊下の窓から砦の外を見下ろしていたのを見た。

その男がハンニカイネンであることをカリナは思い出した。

用事を思い出したふりをして踵を返そうと思ったが、それよりも早く彼が先にカリナの方を向いた。

今さら引き返すわけにも行かず、廊下を進んでハンニカイネンに近づいた。


「お目にかかれて光栄です」


ハンニカイネンはいきなり手を差し出した。

自分の顔が引き攣るのを自覚しつつもカリナは握手に応じる。

カリナの第3師団からも処刑された人間がいた。


髪は灰色で若干後退気味で、ふっくらとした顔つきと細い目は一見すると柔和な人間に見える。縁飾りと毛皮で飾られた橙色の上着の下からはちきれそうな腹が覗いていた。


いつまでも握手した手を離そうとしないので少々強引に手を抜いた。


「帝都ではあなたの噂で持ちきりですよ、エーデル中将。その若さで師団を任されるなど、羨ましい限りです」

「……あなたほどじゃありませんよ、ハンニカイネン副部長」

「『部長』です、お嬢さん。このたび昇進の内定が出ました。おっと、これは非公式な話なので、ここだけの話にしていただきたい」

「非公式な人事の情報をどうしてあなたが知っているんですか?」

「ワタクシには千里眼があるのですよ。帝都の中から、前線の兵士たちの行動まで、すべてを見通す目がね」


ハンニカイネンの情報網の強大さはカリナも聞いたことがある。

彼を「千里眼を持つ男」と呼ぶ者もいた。


彼の逮捕した兵士の多くは証拠のでっち上げによって有罪となっている。

逆に言えば、ハンニカイネンはどのようにして証拠の捏造を行い証人に偽証を強いているのか。無論、彼が情報局の副部長だとしても、彼一人の力でそこまでの暴走はできないだろう。

そのことを考えると、ハンニカイネンの持つ「派閥」の大きさと根深さを感じずにはいられない。

いくら悪い噂が立とうとも、政府上層部ですら、ハンニカイネンに対しては不用意に触ることができないのだ。


「今後、情報局と軍部はより綿密な連携をとるべきだと考えています。あなたとも親密な関係を築きたいですな」

「必要があれば、そうします」

「そうする必要があると思いますがね。あまり我が局に対して隠し事をなさると、無用な誤解を招きますし、不要な悲劇の種となりましょう」


カリナは口から出そうになった罵倒を必死に押しとどめる。頭に血が登って、しばらく冷静にものを考えられない。


「……脅しですか?」

「まさかまさか! 帝国軍随一の用兵家たるあなたを、ただの小役人であるワタクシが脅すなどと恐れ多い。しかしながら勇者と用兵家は戦場において輝くもの。役人の領分には、いささか不向きなのではありますまいか?」

「……有意義な提案をどうもありがとうございます。しばらく考えさせてください」

「色良いお返事をお待ちしております。ワタクシ、気が短い上に癇癪持ちでしてな、自分の思い通りにならないものには何をするか分かりません。おっと、これは脅しではありませんよ。事実を述べたまでです」


カリナはぐっと歯を噛み締めて、ハンニカイネンに背を向ける。


カリナは人質を取られているのだ。

カリナがハンニカイネンの軍門に下らなければ、第3師団の部下たちを、カリナの手足をもいでしまうと、彼はそう言っているのだ。


「中将、どちらへ?」

「忘れ物をしたので部屋に戻ります」

「でしたらここで待っていますから、ワタクシと一緒にランチはいかがですか?」

「すみません。今日は一日中ずっと忘れ物を取りに行く予定なので」

「それは残念ですな」






輪廻の退院の日だった。

傷は完全には塞がっていなかったが、そう遠くないうちに前線に戻れる日が来るだろう。

左肩には未だ包帯が巻かれていた。


「メリーナさん、ありがとうございました」

「え? あ、あの…し、仕事ですから……」

「ちゃんと仕事をしてくれたことに対する礼ですよ」

「はあ…どうも…」


困惑した様子だったが、メリーナは頬をわずかに染めて終始照れくさそうにしていた。




「それじゃ行こう、お兄ちゃん」


病院を出て二番隊の宿舎に向かう。

その道中はずっとクリスティナが付き添っている。


「って言ってもなあ。宿舎は一般人は立入禁止だぞ」

「でも、それまでは一緒にいられるでしょ?」

「まあ……」


兵舎に到着すると、クリスティナは名残惜しそうに輪廻の手を握った後、大人しく離れた。

立ち去るクリスティナの背中を見て、仕方なく輪廻は声をかけた。


「ちょっと待ってて。一緒に散歩でもしない? 町を案内してよ」




宿舎で手続きを済ませ、ヴァージニアやゴアーシュたちに挨拶をした後、クリスティナに連れられてリルムウッドの町を見て回った。

領主の館や市場など、王都とは比べ物にはならないが、このあたりの町ではもっとも派手で活気のある場所だった。


「お兄ちゃん。あたしすごく不思議なことがあるんだけど」

「何かな」

「……どうしてこの人が一緒にいるの?」

「ふん。気にするな。たまたま、散歩しようと思い立っただけだ」


最初、輪廻は一人で宿舎を出ようとしたのだが、ヴァージニアにどこに行くのかを尋ねられ、何の気なしにクリスティナの名前を出すと、一瞬で不機嫌になると輪廻に同行を申し出たのだ。


輪廻としては特に断る理由もなかったので申し出を認めるしかなかったのだが。

相変わらずヴァージニアとクリスティナの仲は最悪だった。


「……そういえば、ヴィセンテは? 宿舎にはいなかったけど」

「槍の練習をしているぞ。お前が持ち帰ったアレだ」

「それじゃあ見てこようかな」

「念のため言っておくが、稽古をしようとは思うなよ」

「まさか。槍は僕もそんなに扱い慣れてるわけじゃないし」

「…ヴァージニアさんはそういうことを言ってるんじゃないと思うよ」

「うむ。傷が治るまで剣はお預けだ」


ヴァージニアは犬のしつけみたいな言い方をした。

むう、と輪廻は小さく唸った。






アンアディール要塞のハンニカイネンの部屋に一通の書簡が届いた。

一見するとそれは帝都での情報局の業務を知らせるものであったが、実体はハンニカイネン当ての暗号文である。


しばらくパイプを吹かしながら暗号文を読み解き、暖炉に投げ入れて灰にしてしまった。

その後、部屋の外で立っている護衛に、ハンニカイネンの部下を呼ぶように言いつける。


やがて部下が来ると、ハンニカイネンはにこやかな笑顔で迎え入れた。

ハンニカイネンが魔導同盟と結びついていることを知る数少ない人間である。

しかし彼の指令はにこやかな表情とはまったく異なるものであった。


「今度リルムウッドに王国のシャルロット女王が来る。『烏』たちに、女王を暗殺するよう指令を出せ。魔導同盟からの正式な指令として」


暗殺指令を受け、部下の男は強張った面持ちで頷いた。




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