14.深淵に臨む者
「そうだ。ひとつ聞いておきたいことがあった」
「何だい? 昔のよしみだ、スケベな話じゃなきゃ答えるよ」
「お前、どうして軍に入った?」
「そりゃ決まってるじゃない。生活のためよ。生まれた家が思った以上に貧乏でね。金を稼ぐには、盗みをやるか、それこそ軍に入るしかなかったのさ。盗みはもうまっぴらだったからね、残った方を選んだのよ」
「そうかな。生まれ変わってまでお前が金に執着するとは思えんが。それにお前なら、金を稼ぐのにもっとマシな方法をいくらでも思いつくだろう」
「……何が言いたいのさ」
「お前は人を斬るために軍に入ったんじゃねえか?」
「まさか。あんたと一緒にしないで欲しいわ」
「いや、お前は俺と同じだ。お前は前の人生で一体何人殺した? お前の剣術は一体何を犠牲にして手に入れた? ――俺たちは自分の人生をすべて費やして殺しの技術を研鑽した。寝ているときも覚めているときも人を殺す方法を磨き続けた。そういう人間が集まっているのが更場武術団だったんだ。俺もお前も、ただ人を殺すこと、戦うことだけのために向かって生きていたんだ」
「…………」
「人を斬ることが全てだった俺たちが、人を殺すことを辞めてしまったら、そのあとに一体何が残るっていうんだ? 俺もお前も、未だに前世のことを忘れられねえのさ。だから殺し続けるしかねえ。斧原一心という人間が成したことは、人を殺す技術だけなんだからな」
「違う」
「お前も人を殺したときに高揚感を感じているはずだ」
「違う」
「人を斬るたびに昔を懐かしんでいたはずだ」
「だからって、わたしは」
「認めろよ。俺たちは人を斬ることでしか、自分を証明できねえんだ」
わたしは――。
◇
イールズの姿が消えてから、宿舎に戻ろうとする輪廻の腕をヴァージニアが掴んだ。
「待て! ラディ、今のは一体どういうことだ。なぜ帝国軍の兵士がこんなところにいたんだ」
「ヴァージニアこそ、どうしてこんなところに」
「ずっと眠れずにいたら、遠くから話し声が聞こえて見に来たんだ」
とんだ地獄耳だ、と輪廻は思った。
ヴァージニアはただの少女ではないのだと今さらながら思い知る。
彼女にだって、自分や、団長と同じような素質がある――。
暗い想像を振り払った。彼女にそんな生き方は似合わない。
「ラディ。お前はこんな夜に何をしていた? 誰かと待ち合わせか?」
「それは……」
「お前、あの男と一体何を話していたんだ? その剣は一体どうした?」
「…………ごめん」
輪廻は顔を伏せ、ヴァージニアの腕を振り払おうとした。
その進路にヴァージニアが立ちはだかる。
「答えてくれ! お前は一体何を隠してる!? どうして何も話してくれないんだ!?」
「ヴァージニアには関係ない!」
――ひたり、と。ヴァージニアの表情が固まった。
その目に溢れそうなほどの悲しみを見て、輪廻は底なしの後悔をした。
「……ごめん。少しの間、一人で考えたいんだ」
ヴァージニアとすれ違い、輪廻はひとりで歩いてゆく。
彼女の足音を背中越しに聞く。
ヴァージニアが輪廻の背中を抱きしめた。
ヴァージニアの体温を感じて、じわりと温かいものが輪廻の内にこみ上げてきた。
しかし心の底は驚くほど冷えている。人を斬り殺した後に感じるあの感覚だ。
「どうすればお前に近づけるんだ」
自分の背中に押し当てられた彼女の表情は見えない。
しかし声には隠しようもなく涙が混ざっている。
たまらない愛しさが込み上げてくる。
この世界に生まれてきて初めての感情だったかもしれない。
いや――きっと前の人生でも、こんな思いは……。
(違う。わたしは、これを捨ててきたんだ)
「私はただ、お前のそばにいたいだけなんだ」
大切な硝子細工を壊さないように。
無垢なるものが闇に染まらぬように。
背中のぬくもりに未練を感じながら、輪廻は何も答えずに、何も漏らさないよう必死にこらえて、走り出しそうになるのを懸命に抑えて、ゆっくりとヴァージニアから体を離した。
「ラディ!」
ヴァージニアの悲痛な叫びを無視することは、戦場で敵を斬ることよりも難しかった。
◇
輪廻との真夜中の逢瀬の翌日、自室で休んでいたイールズはカリナに会議室に呼び出された。
イールズを連れてきた兵士が下がり、部屋の中でイールズとカリナの二人だけになる。
「あなたに確認しておきたいことがあります」
「何だァ? またあの話か?」
「そのことではありません。昨晩のあなたの行動についてです」
ずばりと本題に入り、カリナはイールズの表情をじっと観察する。
しかしイールズの表情に一毫の揺らぎもない。
前世において、彼はすでに鉄壁の精神を手に入れていた。
「昨晩、あなたがここを抜けだして、王国軍の野営地に向かったという複数の証言が寄せられています」
「つまり密告か。で、その目撃者とやらは夜中に一体何をしていたんだ?」
「…それはあなたには関係ありません」
図星か、とイールズは思った。
作戦会議の際、参謀の一部がカリナに向けていた悪意をイールズは敏感に感じ取っていた。
「答えてください。この間の件は見逃すこともできましたが、正式に報告が上がっている以上、曖昧な決着はできません」
「…単に偵察に行ってきただけだ」
「それでわたしが納得すると思ってるんですか?」
「俺の神とアンタの神に誓って、俺は誰のことも裏切ってねえ」
「…分かりました」
沈痛な面持ちでカリナは頷いた。
「迷惑をかける」
「本当にそうですよ。ここに来てから神経を使いっぱなしです。…あまり自由に動き回らないでください。いくらわたしでも庇いきれなくなります」
「いざってときは俺を切り捨ててくれたって構わないんだぜ」
「まさか。あなたはわたしの命を守ってくれているんです。その分のお返しはしますよ」
「……アンタは本当、よく分からない人だ。出世欲の人かと思えば自分の手柄を簡単に他人に譲るし、かと言って無欲な平和主義者というわけでもない。そのくせ妙に義理堅いところがある。――アンタは矛盾の塊だ」
「…………わたしはただ、自分の信念に従って生きているだけです」
「けど、俺を助けるためにアンタも沈むっていうなら、そんな気遣いは不要だぜ。そりゃ俺の信念に反する」
「分かりました。考えておきます」
「ああ。それから」
イールズは声を潜めてカリナの耳元にささやいた。
「俺だけじゃなく、多分あんたのことも嗅ぎまわってる奴がいるぜ」
「分かってますよ」
「そうか。不要な忠告だったな」
じゃあな、と手を振って、イールズはあえていつもの飄々とした態度を作って、会議室を出た。
基地の中をふらふらと歩いて、何者かの監視がついているのを確認した。
「ふん……少々深く関わりすぎたか」
監視者は問題ではない。
問題は常に、自分が何を求めているか、というところにある。
(自分の信念――か)
◇
ゴアーシュはテントの中で故郷への手紙を書いていた。
本日は二番隊の隊員全員に休暇が言い渡されている。
多くの者は先日の疲れを癒すために体を安め、一部の者はさらに自らを鍛えるための訓練に励んでいる。
ヴィセンテは後者の人間で、朝から古参兵を相手にずっと剣の稽古を続けている。
剣の腕はともかく、体力と闘争心は人一倍あるヴィセンテは休むことなく稽古を要求し、古参兵たちを辟易とさせていた。
もちろんゴアーシュは、せっかくの休日をそのような汗臭いイベントで消費するつもりはなかった。
しかしここは前線である。王都のように娯楽施設など存在しないし、軍内でのナンパなどは憲兵に目を付けられる恐れがある。
というかすでに目を付けられているのである。
過去に、他の隊の女性兵士に言い寄ったところを目撃され、厳重注意を受けたことがあった。
ゴアーシュが手紙で父に向けて、どうにか自分を前線勤務から後方勤務に変えるよう書いていると、テントの前をヴァージニアが通りかかったのが見えた。
ゴアーシュが声をかけるとヴァージニアは無言で振り向く。
「ヴァージニア……どうしたいんだい? 顔色が優れないけれど」
「ゴアーシュは?」
「故郷へ手紙を書いていたところさ。君もどうだい? 王都のご両親を安心させては」
「……いや、やめておこう」
彼女の声にはいつもの覇気がない。
そのまま立ち去ろうとするヴァージニアをゴアーシュは引き止めた。
「ラディと何かあったのかい?」
ラディの名前を出した途端にヴァージニアは分かりやすくうろたえる。
どうやら彼女は相当に憔悴しているらしい、とゴアーシュは思った。
「…どうして分かる」
「だってヴァージニアはいつもラディのことを見ているからさ」
「そ、そんなことはない!」
「それはどうかな? 僕がいくら誘ってもぜんぜん相手にしてくれないじゃないか」
「ふん。私も軽く見られたものだ」
「僕は本気だよ」
ゴアーシュがしばらく黙って真剣な表情を作ると、最初は呆れ顔だったヴァージニアも、徐々に困惑して言葉に詰まった。
「その……私は……」
「分かってるさ。ラディが好きなんだろう?」
「いや…そういうわけでは…」
「ちなみになぜ分かったのかというと、ラディの様子もおかしかったからピンと来たのさ。名推理だっただろう?」
「……私はただ、共に闘う者として、あいつの力になりたいだけだ」
「剣も教えてもらったし?」
「そうだ。…なあゴアーシュ、お前はあいつのことをどう思っている?」
「……平民の割には剣の腕も良い、度胸もある、欲目もない。変な奴だな」
思わずそう答えてから、ゴアーシュは自分の口から出たラディ・ダールトン評に驚いた。
なるほど。自分は彼をそんなふうに思っていたのか。
「なあ、ラディが、私たちに何かを隠していると感じたことはないか?」
「あるよ。でもそれは、簡単に立ち入って良いものじゃないと思う。君だって僕たちに知られたくないことのひとつやふたつはあるだろう?」
「そうなのだろうか」
「あの野蛮人のヴィセンテだって、自分のことはあまり話したがらない。でも僕は、あの野蛮人が僕を裏切ったとは思わないし、あの男の事情を無理に聞き出そうとは思わないよ」
そもそも興味もないしね、とゴアーシュは続けた。
「しかし信頼している仲間なら、悩んでいることや苦しんでいることを打ち明けてもらっても――」
「なるほど。ラディに信頼してもらえていないと思ってるわけだ。それが君の悩みなのかい?」
ゴアーシュがからかうように言うと、ヴァージニアは真面目くさった顔で頷いた。
今日のヴァージニアはゴアーシュに対して驚くほど素直である。
思わず下心が鎌首をもたげそうになるのを自制する。
「……私は、ラディと共に戦うに値しないのだろうか」
「さてどうだろうね。そもそも彼には一緒に戦う人間が必要なんだろうか」
「どういう意味だ?」
「ただの思いつきだよ、忘れてくれたまえ。…そうだな、もし君がラディを諦めたら、遠慮なく僕のところに来るといい。話し相手にも夜の相手にもなるさ」
「剣の相手は?」
「それはヴィセンテに頼むんだね。…ねえヴァージニア。別に剣の腕がないからと言って、ラディのそばにいられないというわけじゃないだろう。むしろラディは君のことを大切に思っているからこそ一人で戦うのかもしれない」
「……だとしたら、それは悲劇だ。たった一人で戦うのは、とても苦しいことだ」
君だってひとりで戦おうとしているじゃないか――。
言いかけていた言葉を飲み込むゴアーシュ。
なるほど、ラディとヴァージニアは、根っこのところでどこか似た者同士なのだ。
ひょっとして、ラディの方も、今のヴァージニアのように、同じ所でぐるぐるとさまよっているのだろうか。
「君は本当にラディのことが好きなんだね」
「ち、違う! そういうことでは――」
「分かっているよ」
顔を真っ赤にして怒るヴァージニアをからかうのは、返信の希望もない故郷への手紙を書くよりもずっと楽しかった。
◇
王国軍の駐屯地から離れ、輪廻は一人で森にいた。
イールズから受け取った刀は凶器として申し分ない。
輪廻は刀を抜いた。
鞘に収めた状態からの神速の抜刀。
刀を返し二度切ってから再び鞘に収める。
居合の技を完全に取り戻すにはまだ時間がかかりそうだった。
外からは、静かに剣の修練に励んでいるように見える輪廻は、その実、心の中には大嵐が吹き荒れていた。
自分とヴァージニアは、歩んできた道があまりにも違う。
ヴァージニアは正道を歩む者だ。
対して、自分は……。
(わたしは、あの子を恐れているのか)
ヴァージニアを仲間だと思っているのは事実だ。
もちろんヴィセンテや、ゴアーシュや、アブリル隊長や、二番隊の他の者たちも――。
しかしそのことと、自分の素性をすべて打ち明けることはまったく別の問題である。
いやむしろ、ヴァージニアを仲間だと思っているからこそ、緒神輪廻のことを話すのが恐ろしい。
輪廻はふと、王都で出会った、この世界の人間で唯一自分の本名を知っている少女のことを思い出した。
シャロの純粋な目に映る自分は果たしてどんな虚像だったのだろう。
そしてヴァージニアの目に、自分は一体どんな嘘を映しているのか。
ヴァージニアはきっと自分の生き方を許してくれるに違いない、と輪廻は思った。
だからこそヴァージニアに打ち明けることは躊躇われた。
彼女は、自分のような穢れた存在に触れてはならない。
そして輪廻は、自分が穢れていることを知りつつも、この生き方を変えることはできないのだ。
斧原一心と再会してそれを確信したのである。
(団長が聞いたら笑うだろうな)
いつから自分は仲間を求めるようになったのだろうか。
更場武術団は個別の人間が集まっていただけの集団であった。
信頼はしても、互いのことを大切に思ったことはない。
しかし、自分は――。
果たして師を、斬ることができるのか。
輪廻は陽が沈むまで夢中で刀を振り続けた。
そうしなければ、不安で潰れてしまいそうだったのである。
ヴァージニア
「いい友情関係ってのには3つの『U』が必要なんだ…! 一つ目は…『うそをつかない』だ。2つ目は『うらまない』。そして3つ目は相手を『敬う』…いいだろ? 友情の3つの『U』だ」
輪廻
「ヴァージニア…2度、同じことを言わせないでくれ。1度でいいことを2度言わなけりゃならないってのは…そいつは頭が悪いって事だからね。3度目は言わせないでくれよ」