12.共鳴
帝国軍の三度目の襲撃を受けて、二番隊と三番隊は密集隊形を組みこれを凌いだ。
散発的な射手による攻撃。
その後突撃の気配を見せるが、王国軍側が前進を始めるとすぐさま後退する。
「ようし止まれ!」
三番隊隊長、グレン・コールナーが遠くまで響くバリトンの声で部下に指示を飛ばした。
コールナーは三番隊の中でも頭ひとつ飛び抜けるほどの大男である。
まるで丸太のような筋肉の塊の腕を振るえばひ弱な人間なら二、三人は簡単に吹き飛ばしてしまう。
しかしそうした外見とは逆に、戦場でのコールナーは常に慎重を期する性格だった。
むしろ、自分本来の攻撃性を知っているからこそ、理性の部分では全力でそれにブレーキをかけるようにしているのだ。
「二番隊の隊長を呼べ」
しばしの黙考の後、副官にそう命じる。
数分後、アブリル・ヒルマンが戦場には似つかわしくないスレンダーな体躯と美貌をコールナーの前に見せた。
アブリルはコールナーより一回りも年の若い女だったが、コールナー自身は他の三番隊の隊員たちとは違い彼女を高く評価している。
「ヒルマン。前進をやめて後退するぞ」
横柄にも聞こえる言い方は、コールナーの癖である。
アブリルは極悪人のように表情を歪める。
「異論はあるか?」
「……ま、ねーよ」
「不満そうだな」
「異論はねーけど不満っつーか、疑問はある。敵がこちらの進撃を誘ってるのは明らかだ。ちょくちょく現れて攻撃してくる割には、こちらが近づくとすぐに下がる」
その点は今さら指摘されるまでもなく互いに分かっていることである。
「気になるのは敵の数が少なすぎることだ。こっちは陽動で、全軍の半分もいねえってのに、それより少ないんだぜ? この間の戦いみたいに伏兵がいるって考えるのが当然だろ」
「同感だ。…それで、何が不満なんだ?」
「あからさますぎるだろうが。これじゃあ疑ってくれと言っているようなもんだ。前の戦闘であいつらを追い返してから何日も経ってねえのに、まったく同じ手で来るって、そりゃいくらなんでもオレたちを舐めすぎだ」
不機嫌なアブリルの言葉を、コールナーは腕を組んで考える。
「…しかし、だからと言って、このまま前進するのは敵の思う壺ではないか? 仮に敵が伏兵を敷いていないとして、では敵の狙いは何だ?」
「それが分からねえからイラついてんだよ。大体、こっちの攻略作戦のタイミングに合わせて敵が妙な動きをしているのが気に入らねえ」
「敵にこちらの作戦が漏れたと言いたいのか?」
「…分かんねーけど」
「とにかく、このまま前進するのは犠牲を覚悟しなければならん。それに考え方を変えれば、敵がずっとこちらを狙っていてくれるのは陽動の上では好都合だ」
「……そうだな」
渋々といった様子でアブリルは同意する。
「後退すれば敵はこちらの後退に合わせて突出してくるはずだ。それに対して逆撃を加えて一気に敵を殲滅する」
◇
「王国軍は後退際に突出したこちらの部隊に逆攻勢をかけるつもりです。無理な突撃は避けて、距離を取って射撃を続けましょう」
カリナ・エーデルはのんびりとした口調で部下に指示した。
王国軍の予想は核心に触れかけていたのである。
帝国軍東部方面軍第3師団は兵員の多くを他の師団へと派遣しており、現在黒の森で戦っているのは、師団の残存勢力のほぼ全軍である。
当然、王国軍が警戒するような、伏兵などの小細工を弄するだけの兵力も時間的余裕もなかった。
しかし陽動を行う王国軍の心理として、罠がないと確信するまでは無為な突撃は行わないだろうとカリナは予測していた。
万が一にも賭けに負けて王国軍が全軍を持って攻勢に出れば帝国軍は為す術もなく敗走させられていただろう。
もちろん最悪を避けるための第二案は用意していたが、王国軍の動きを見る限り当分その必要はなさそうである。
「なあおい。俺の出番はいつ来るんだ?」
槍を肩に載せ、退屈に耐えられないといった様子でイールズがカリナに話しかける。
「不測の事態が起きなければ、あなたの出番はありません」
「ああそうかい。アンタがヘボ用兵家であることを祈るぜ」
イールズはふてぶてしく言い返す。
イールズの槍は「暗黒」と表現する他ない、真っ黒な槍であった。
槍先から柄まですべてが一色である。
特殊な塗料を使っているのか、その黒は光を反射せず、影のように見える。
イールズは立ち上がり、「影」を横に薙いだ。
カリナは槍の素人だったが、その姿にはわずかな違和感を覚える。
(なんだろう……まるで……「偽物」みたいな……)
イールズは準備体操のようにいくつかの格好で槍を扱った後、カリナに背を向けて歩き始めた。
「ちょっと待ってください! どこに行くんですか」
「俺は俺でやりたいようにやらせてもらうぜ。敵の数が減るのはアンタにだって悪いことじゃないだろ?」
「司令官はわたしです。勝手に戦場を――」
「戦場はアンタだけのものじゃない」
カリナに片手を上げて別れの挨拶をして、やがてイールズの姿は森の奥に消えていた。
◇
小細工も虚しく、王国軍の誘いに帝国軍は乗らなかった。
その後、帝国軍が前進しないことに焦れた王国軍が反転して再度攻勢をかけたところ、それに合わせて帝国軍が擬似突出を行い、王国軍が慌てて後退しようとした混乱に乗じてしたたかに打撃を加えていた。
もともと王国軍は陽動であり負けないための戦いをしなければならない以上、行動は慎重を極めるのは必至である。
帝国軍はその慎重さを逆手に取り、自軍の不利な点について罠と思わせることにより王国軍の行動を完全に縛ることに成功していたのだ。
これは帝国軍の指揮官であるカリナ・エーデルが王国側の思惑を完全に読んでいたからこそ可能となった芸当である。
王国側の指揮官も決して無能というわけではなかったが、戦略面での裁量を与えられていない以上、目の前の敵に対して戦術的に対処するしかなかったのである。
結果的に、王国軍は帝国軍の数倍の兵員を黒の森に釘付けにされたことになる。
この遊兵の差が、要所での戦場に必ず形となって表れるだろうということをカリナは確信している。
その後も王国軍は帝国軍を誘い出そうと、あるいは罠を看破しようと躍起になっていたが、そのたびにカリナは王国軍の一手先を読み、のらりくらりとかわしつつも積極的に新たな局面を引き起こすことによって王国軍に全面攻勢の機会を与えなかった。
王国軍と帝国軍の膠着状態が続く中、アブリル・ヒルマンはリンドより、部隊の一部と連絡が取れなくなったと報告を受けた。
「2度も伝令を送りましたが帰ってくることはなく、3度目には斥候を送りましたがこちらも消えました」
「…最左翼のチームか。敵の別働隊――って可能性は、ねーよなあ」
「いくら森の中と言えど、別働隊の襲撃があれば捕捉できます」
「見えない軍隊…か」
「あるいは敵の特殊部隊」
たとえそうだとしても、誰一人逃がすことなく隊の兵士を全滅させたとしたら、その戦力は尋常ではない。
二番隊の仲間が殺された以上、アブリルはその「幽霊」を討伐する方法を考えなければならなかった。
「……とりあえず、左翼の部隊を中央に呼び戻せ。いくつかのチームでグループを作り、密集して動くように。それから念のため三番隊にも警告してやれ」
「こちらから左翼に部隊を送りますか?」
「そうしたいんだが……」
アブリルの返事は歯切れが悪い。
こちらの部隊を左側に向けさせることが帝国軍の狙いである可能性もあった。
帝国軍の狙いが未だに分かっていない以上、ここはみだりに部隊を動かすことはできない。
「隊長」
そのとき、アブリルとリンドの会話を聞いていた輪廻が声を上げる。
「隊長、僕が偵察をしてきます」
「おいラディ」
止めようとしたヴァージニアを輪廻は手で制した。
「大丈夫。見てくるだけだから」
「しかし……」
「ちょっと待て。お前らだけで話を進めんな。隊長のオレがまだ許可してねえだろうが!」
「許可しないんですか?」
「うむ………。よし、許可する」
「隊長! 私も行きます」
「俺も行くぜ」
「それは駄目だよ」
輪廻がやんわりとヴァージニアとヴィセンテに言った。
「これはあくまで偵察だからね。僕一人で身軽に動ける方がいい。それに、みんなでここを抜けると戦列に穴が開く」
「けどよ、ラディ」
「そう心配するな」
輪廻の代わりにアブリルが言う。
「こいつで駄目なら、お前たちが行ったところで意味がない。本当ならオレも行きたいが、ここを動くわけにはいかんしな。……ダールトン、必ず戻れよ」
「ラディ!」
「大丈夫だよヴァージニア。…それでは」
輪廻は剣を取り、防具は軽いレザーのアーマーだけで、単身乗り込んだ。
「……つーかあいつ、オレが言ったのを無視しやがって、キャスカートにだけ返事してたな。…まあ別にいいんだけど。…ん? 何だこれ。――ああっ、やめやめ」
アブリルは頭を振って意味のない思考を追い出した。
隊長として考えなければならないことが山積みだった。
◇
輪廻は味方の消息が消えた地点にたどり着いた。
広い間隔で王国軍兵士の死体が倒れている。
顔を確認すると、二番隊で何度か顔を合わせた男たちだった。
死体はいずれも一撃で殺されていた。
心臓に小さな傷。
剣を刺したか、あるいは別の得物か。
銀色のプレートメイルに穿たれた穴の周囲に乾いた血がべっとりとこびりついている。
どのような武器を使ったにしろ、フェルミナの鎧越しに心臓を一撃で貫くのは容易ではないだろう。
深呼吸をして剣を抜いた。
臨戦態勢。
居合とは、刀を鞘に収めた不利を埋めるための術理。
たとえ輪廻に居合の心得があるとはいえ、この敵に対してそれで互角に渡り合えるとは思えぬ。
最高の条件、状態で戦って、果たして勝てるだろうか。
死体が野ざらしにされているということは、三度も送った伝令と斥候は死体を見ているはずである。
であれば、彼らは死体を見て逃げ出したはずである。
そして、「敵」は彼らを逃さなかった。
(つまり……わたしも、敵に見つかっていると考えるべきだわ)
いつどこから襲ってきても不思議は――。
輪廻の思考はそこで途切れる。
自分以外の人の気配を感じて、そちらに飛び込んで斬りかかろうとした。
ヒュン、と風を切る音。自分の剣ではない。
それが一瞬、細長い影に見えた。
(槍――!!)
その突きをとっさに剣で払う。
火花が散って、互いの武器の向こうに、相手の顔が見えた。
手足の長い錆色の髪の男。
予想外に出会えた輪廻を好敵手と認めたのか、男の顔には喜悦がわずかに浮かんでいた。
一見して獣のように獰猛な男であった。
しかし獣の皮の下にある、どうしようもなく理性で人を殺す部分を、輪廻は敏感に嗅ぎとっている。
鼓動が一瞬で沸騰する。
(こいつは……危ない)
ヴァージニアには偵察してくるだけだと言ったが、この男から戦わずに離脱できるとはとても思えない。
そして戦ったが最後、この男に殺されるか、この男を殺すか、どちらかにひとつだろう。
おそらく引き分けはない。
余計な感情は一瞬で機能を停止する。
輪廻の中にも存在する、どうしようもなく理性で人を殺す部分が、男の武器を瞬時に観察した。
まるで影をそのまま持ち歩いているような、光のない槍。
材質は不明だが、さきほど打ち合わせた感覚ではおそらく何かの金属。
形状は直線的で、長さも、通常の槍とほぼ同じ。槍先は反りのない両刃で、枝はない。
使い方を見ても、特殊な用途はないと判断できる。
輪廻は柄に力を込めた。
槍に対する剣は、長さの違いだけで著しい不利となる。
相手は構わずに攻撃を続ける。
輪廻は二回目の突きを上から切り落とすようにしていなし、その隙をついて相手に肉薄した。
剣士の槍兵に対する勝機は得物の振れない懐に入ることである。
しかし。予感。
(あ――まずい)
緊急脱出。
輪廻は体をひねり、とにかく相手から離れようと、姿勢を低くして横に飛び出した。
頭上を槍先がかすめる。
剣を振り上げて打ち合わせ――剣戟が響く――さらに後退した。
相手の追撃はない。
輪廻は汗をかいていた。半分以上は、冷や汗である。
(あのまま行っていたら、死んでいた)
あの構えは「剣士殺し」である。
わざと隙をつくる一撃を放ち、敵が槍の懐に入ろうとしたところで、槍を短く持ち替え、相手が剣を振るよりも早く二の槍を放つ。
(けど、この技は、あの男の――)
戦慄した。
相手も同様だったのか。輪廻の方を見て、かろうじて槍を構えてはいるものの動かない。
いくつもの可能性が頭をかすめ、結局、ひとつを除いてすべてが死んでしまった。
「斧原一心……団長」
か細い輪廻の声を聞いて、男は穂先を地面に向ける。
「お前、緒神輪廻か」
言葉よりも、打ち合わせた得物の手応えが、互いの正体を雄弁に証明していた。
輪廻「僕が偵察に行くよ」
ヴァージニア「いや私が」
ヴィセンテ「俺が行くぜ」
アブリル「隊長のオレが行くしか」
ゴアーシュ「…じゃあ僕が」
一同「どうぞどうぞ!」