1.生まれ変わりの輪廻
更場武術団が一つ、緒神輪廻。更場武術団の中でも異彩を放つ女剣士である。江戸時代、いかな輪廻が盗賊とはいえ、女人が刀を持つのは目立つことこの上ない。だから輪廻は、杖に見せた特注の仕込み刀を愛刀として使っていた。
真夜中、輪廻が仲間と共に町の金貸しの屋敷を襲った帰り、山奥のねぐらへの道中、森の中に光る何かを見た。
「おい、気を付けろよ」
団長の斧原一心が声をかけたが輪廻はそれを無視した。
一人で森の奥に。
そこには光る泉があった。
何だこれは、と思ったときには、足を滑らせていた。
輪廻を飲み込んだ泉はたちまち光を失ってしまった。
◇
気がついたときには、輪廻は別の世界にいた。しかも、彼女は輪廻ではなくなっていたのだ。
その世界に生まれた輪廻に、両親はラディと名付けた。
ラディは男である。
赤ん坊のときは何も分からなかったが、成長し物心がついたころから、次第に自分のおかれている状況が見えてきた。
(一体これはどういうことだ…? そもそもこの世界は一体何だ?)
人々の顔かたちや目の色、服の形、どれもが輪廻の知っているものとは違っていた。
言葉も違うようだが、改めて世界に生まれてきた輪廻は物心つくころにはこの国の言葉をすでにマスターしてしまっていた。
さらに驚いたのは、この世界には魔法と呼ばれる不思議な力がある、ということだった。
魔法を使えるのは魔女だけで、魔女は輪廻の生まれたサントラン王国には一人しか居なかった。
(わたしはあのときに死んだのだろうか。そもそも、あの泉は一体何だったのだ? わたしはもう、江戸には帰れないのか?)
しかし不思議と、輪廻は故郷に帰りたいとはあまり思わなかった。
輪廻の家族はみな死んでいるし、江戸に戻ったところで、また岡っ引きに追われながら強盗を繰り返すだけの生活が待っている。
(しかし…どうせ生まれ変わるなら、せめて女に生まれたかったな。わたしが男とは)
輪廻は無口な子供だった。他の子供の親からはよく、大人びた子供だと言われた。
輪廻は他の子供たちを遠ざけるようなことはせず、着かず離れずの距離を保っていた。
輪廻が再び剣を取ったのは12歳になったときだった。
輪廻を王国軍に入隊させようと考えた父が、輪廻に剣の稽古をしたのだ。
輪廻の両親は平民だった。暮らし向きも、決して楽とは言えない。サントラン王国で平民が豊かな暮らしをするには、商売で稼ぐか、軍に入って出世するくらいしか、方法がない。
晴れた日に、家の庭で父から剣を手渡された。木で作られた訓練用の剣である。
輪廻は手の中で木剣を馴染ませる。
「ラディ! まずは剣に慣れることだ! さあ、どこからでもいいから、お父さんにかかってきなさい」
「わかりました、お父様」
輪廻は剣を構えた。最後に剣を握ったのは10年以上前だ。しかし、剣の心得は輪廻の魂に刻み込まれていた。
「いいぞ。なかなか様になっているじゃないか」
父が喜ぶ。輪廻はじっと対手を見ている。
ふっ、と一息で踏み込む。
一瞬で距離を詰め、輪廻の剣は父の胴にピタリと当てて停止した。
「え? あ…」
父が困惑している。輪廻の父は素人だったが、初めて剣を持った子供の一撃を、受けるどころか反応すらできなかったのだ。
遅い、と輪廻は思った。少年の体はまだまだ輪廻の意思に追い付いていなかった。
その日、受けの練習だと言って、父は輪廻に何度も剣を打ち込もうとしたが、とうとう一度も剣を合わせることなく、輪廻は父の剣をすべて避けてしまった。
夜、父は酒を飲みながら、ラディは剣の天才だと嬉しそうに母に語った。
その後、輪廻は父の紹介で町の道場へ入れられたが、初日の鍛練で先生を負かしてしまった輪廻は、一月もしないうちに道場を追い出されてしまった。
◇
輪廻は14歳の春に、王国陸軍の入団のために王都まで来た。
町の賑やかさを見て、輪廻は江戸の風景を思い出した。望郷の気持ちはもう薄れつつある。
「ラディ! お前なら絶対に騎士になれる! 自分に自信を持て!」
輪廻を送り出した父は力強く言った。
輪廻は徒歩で兵舎の前まで向かう。
係の人間に入団を申し出ると、輪廻が拍子抜けするくらいあっさりと中に通された。
宿舎には木の二段ベッドが部屋いっぱいに敷き詰められていた。お世辞にも広いとは言えない。
「おい! ラディ・ダールトンと言ったな」
輪廻を案内した中年の男が言った。
「俺はディオル・バールトン。お前たちの訓練教官だ。俺の命令には絶対に従え。でなければここを追い出すぞ。分かったら自分のベッドを決めて荷を解け。あと一月もしないうちに募集が締め切られる。そうなれば訓練開始だ。今のうちに自由の空気を味わっておけ」
「剣は支給されるのですか?」
「ひよっこが生意気なことを言うな! お前たちなど木の棒で十分だ!」
耳元で怒鳴られたので、輪廻はしおらしくうつむいてみせる。
訓練教官がいなくなってから、輪廻は一番清潔そうなベッドの、下の段の中に荷物を入れた。
「よお、お隣さんか」
となりのベッドからにゅっと手を伸ばした。輪廻はその手を取る。
「ヴィセンテだ。東部出身か?」
「ラディ。北だよ」
「はっ…同郷のやつがいなくて寂しいぜ」
(それを言うなら、わたしと同郷の人間なんて、この世界にはいないのに)
ヴィセンテは日に焼けた肌と筋肉質な腕を惜しげもなく晒している。握手をしただけでヴィセンテの熱量が輪廻にも伝わってくる。背もラディよりずっと高い。
ラディは同世代の青年たちよりも小柄な体格だった。
「お前、貴族か?」
「平民」
「ああそう。俺は貴族だがな。まあ貧乏貴族で、平民と大して変わらない」
「邪魔だ。そこをどけ」
横柄な台詞に輪廻が振り向くと、そこには女が立っていた。
髪は首の上でバッサリと切られており、意思の強そうな切れ長の目をしている。体は全体的にスリムで、身長はラディよりもありそうだ。
輪廻が腕をひっこめると、女はベッドのヘリに足をかけて上に登った。どうやら上のベッドの持ち主らしい。
「僕はラディ。よろしく」
女に言って、ヴィセンテのように手を差し出したが、そっけなく無視される。
諦めて下段のベッドに戻ると、ヴィセンテが輪廻を見て笑いをかみ殺していた。
「振られたな。お前の勇気は認めよう。でも今のところ俺の方がリードしてるぜ。あんな態度だが名前は聞き出した。ヴァージニア・キャスカート。あのキャスカート家の次女だそうだ」
「キャスカート?」
「何だ、知らないのか? 世間知らずな坊主だな」
輪廻にはなんの関わりもない、異世界の事情に興味を持てるはずもなかった。
ヴィセンテは声を潜める。
「キャスカート家ってのは超名門だよ。何人も有能な軍人を出してる。最近は景気が悪くて火の車らしいがな。爵位を売ったとかいう噂まで流れてるくらいだぜ」
「爵位があるのか?」
「さて。ヴァージニア本人は持ってないと思うが。にしても、あいつはすげえ美人だ。お前もそう思わないか?」
「まあ、ね」
輪廻は曖昧に頷いた。
心は女で、体は男である。心体の不一致に、輪廻は男と女のどちらも好きになれない性質になっていた。
(このヴィセンテって男も、まあ悪くない見てくれだけど…さすがに男同士ってのは、わたしの趣味じゃないね)
訓練教官の言った通り、それから一月後に、輪廻たち新兵の訓練が始まった。
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