「特別な人」になりたい想いは、その人をどこへ連れていくのか
調べ物をしていたら、こんな投稿を見かけました。
「適齢期を過ぎても子どもがいない人は、
魂のミッションが特別な人の場合が多い。
自分の子どもではなく、多くの人に愛を配り、
人類全体の愛の総量を増やすために生まれてきた可能性が高い」
私の結論は「そんなわけないでしょう」
ただ、この言葉で救われる人がいるのも事実だと思います。
「子どもがいない」
「独身である」
「友人が少ない」
枕詞はいくらでも置き換えがききます。
では、救われた人は何から救われたのでしょうか。
現実からではありません。
救われたのは、自分の中で作り上げていた
妄想や思い込みからです。
「普通じゃないのではないか」
「どこか欠けているのではないか」
実体のない「普通」という幻影を自分で作り、
自分でそれに怯え、
その恐怖を消すために、
今度は別の幻影を信じる。
一人相撲の極致です。
この手の言葉が巧妙なのは、
「欠落」を「特権」にすり替えるところにあります。
あなたは足りないのではない。
あなたは選ばれているのだ。
これは、劣等感を和らげるだけでなく、特別感という飴をくれます。
実体のない普通という概念の中で、
自分が何者でもないと感じるくらいなら、
特別な物語を背負った主人公でいることを無意識に選んでしまう。
ここに、救いのマッチポンプ構造があります。
自分で作った不安を他人が用意した、
自尊心を持ち上げるための言葉で応急処置をする。
しかもこの「救い」は長続きしない場合も多いです。
「あなたには特別なミッションがある」という言葉で楽になれたとして、
その言葉は枷にもなりえます。
「ミッションがあるのに、何もできていない」
「自分は選ばれているはずなのに、現実は変わらない」
こうなれば負債に変わります。
悩みの大きな原因のひとつは、
根拠のない話を、
吟味せずに信じてしまうことです。
よく「素直さは大事だ」と言われますが、
ここで求められている素直さは、「私は確かに救われた」と感じたことを知ることで、
その言葉を信じることではありません。
疑わず、考えず、
気持ちよく飲み下す。
それは誠実さではなく、自分に対する無責任です。
もしこの言葉に救われたと感じたなら、
問いは一つだけです。
なぜ、それを信じたくなったのか。
安心したかったのか。
特別でありたかったのか。
それとも、
何者でもない自分でいることに
耐えられなかったのか。
理由はいくらでも後付けできます。
使命も、役割も、意味も、どれも、
後からいくらでも。
でも、
誰かに与えられた役割よりも、今のあなたが何を感じ、
何を表現したいのかのほうが、ずっと現実的です。
ヒントをもらうことはあるかもしれません。
助けになる言葉に出会うこともあるでしょう。
ただ、
何を選ぶかを決めるのは、
最後はあなたであるべきです。
なぜなら、
その選択の結果を引き受けるのは、
他の誰でもなく、あなたしかいないからです。




