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公平と平等  作者: かわいかつひと


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常識を疑うことと信じること

多くの人は「みんながそう言っているから」「それが普通だから」という理由で、自分で考えることをやめます。


一般論は便利です。


判断の手間を省き、不安を和らげてくれる。


でもその便利さに依存すると、いつの間にか自分の感覚や疑問を見失っていきます。


だから常識を疑うことには意味があります。




ただ、ここで一つ見落としやすいことがあります。


一般論が絶対でないように、自分の感覚もまた絶対ではありません。


私たちの感覚は、恐れや願望、過去の思い込みによって簡単に影響を受けます。


自分の声だと思っていたものが、実は刷り込まれた不安だったということもある。


常識を疑い始めた人が次にはまりやすいのは、


「世間と違うから正しい」という別の思い込みです。


疑うことが目的になると、それもまた一つの依存です。




大切なのは、一般論を捨てることでも、自分の感覚を盲信することでもありません。


両方を観察し、自分で確かめることです。


世間が正しいと言うから信じるのでもなく、世間と違うから正しいと思い込むのでもない。


どちらにも寄りかからず、自分の目で見て確かめていく。




その過程では、割り切れないことが増えます。


不安もある。


世間とのズレを感じることもある。


でもその違和感は、間違いの証拠ではありません。


自分で考え始めた人だけが出会う感覚です。




地図は参考になります。


でも地図を眺めるだけでは、景色はわかりません。


常識という地図も、自分の感覚という地図も、どちらも現実そのものではない。


実際に歩いてみて初めて、自分だけの答えが見えてきます。




常識を疑うことは入口です。


その先にあるのは、自分の感覚すら観察しながら歩き続けることです。


完成された答えを手に入れることではなく、自分で確かめながら生きる姿勢を取り戻すこと。


それが、自分の人生を自分で生きるということなのかもしれません。

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