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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第6話「善政配信の裏側」

 眠れなかったのではない。眠らなかっただけだ。

 

 廊下の向こうで、最初の足音が鳴った。夜通し途絶えていた看守の靴底が、石畳を叩く硬い音。それを合図にするように、地下牢の空気がわずかに動いた。朝の気配だった。

 

 魔導格子は変わらない。3-2-3-4-2。昨夜から一度も崩れない、あの変則的な明滅を繰り返している。

 

 ヴィオレッタは壁に預けていた頭をゆっくりと起こした。

 

 首の筋が強張っている。石壁は枕には向かない。当然のことを今さら確認して、唇の端だけで笑った。

 

 一晩かけて、頭の中の回線図は完成していた。

 

 第二系統主幹中継線。帝都全域の公共端末への分岐構造。地方塔との同期プロトコル。看守回線が退避する第三系統の帯域幅。配信開始から終了までの六時間に、どの回線が、どの順番で、どう繋がるか。

 

 三年前に自分が引いた設計図だ。忘れるはずがない。

 

 廊下の向こうで、複数の足音が行き交っている。いつもの朝とはリズムが違う。看守たちの声が、かすかに上擦っていた。

 

 牢番が鉄格子の前に現れたのは、それから間もなくだった。革靴の補修痕が昨日より泥に汚れている。走り回っていたのだろう。


「――巡回が変わった」


 息を整えながら、彼は早口で言った。


「朝の第一巡回、三人体制から二人に減。面会は全件停止。囚人の移送も今日一日凍結だと」


「善政配信の影響ね」


「ああ。上から通達が来た。帝都中央広場の警備に人手を割くから、地下牢は最低限の人員でやれと。昼からは俺ともう一人だけで回す」


 ヴィオレッタは手枷の鎖を膝の上で静かに鳴らした。

 

 警備が手薄になる。それ自体は悪い情報ではない。だが、同時に看守回線が第三系統に退避する以上、通信紙片を使った外部との連絡は日中帯のリスクがさらに跳ね上がる。

 

 今日は、観察に徹する日だ。


「配信は何時から」


「正午。広場の端末は今朝から調整に入ってる。ここの告知板にも流れるはずだ」


 牢番が顎で示したのは、鉄格子の上方――天井近くに埋め込まれた、手のひら大の旧式魔導パネルだった。普段は囚人への布告や食事の時刻を表示するだけの、最低限の機能しか持たない低解像度の板。ヴィオレッタが設計した帝国通信網の、末端も末端。掃き溜めのような存在だ。

 

 だが、第二系統の主幹が全公共端末に同期をかける以上、このパネルにも配信の信号は届く。映像は潰れるだろうが、音声は拾える。


「十分よ」


 同じ言葉を、昨夜も使った気がする。

 

 牢番は落ち着かない様子で廊下を振り返り、それから声を潜めた。


「なあ、あんた。今日は――大人しくしてくれよ。上が殿下の配信でピリピリしてる。妙なことしたら、俺が真っ先に首を飛ばされる」


「安心して。今日の私は、ただの観客よ」


 嘘ではなかった。少なくとも、今日に限っては。


  *


 正午。

 

 天井の旧式パネルが、ぶつりと音を立てて起動した。

 

 最初に届いたのは音だった。

 

 地鳴りのような歓声。数万人の喉が同時に空気を震わせる、あの独特の圧。ヴィオレッタの設計した中継回線は、帝都中央広場の熱狂を、地下牢の石壁の隙間にまで押し込んでくる。

 

 パネルの映像は予想通り潰れていた。色の塊と光の明滅が、かろうじて広場の輪郭を伝えている。だが、音声は明瞭だった。

 

 ――そして、聞こえてきた声は、甘かった。

 

 蜂蜜を煮詰めたような甘さ。一音一音が丁寧に磨かれ、聴く者の感情を特定の方向へ誘導するために最適化された、完璧な声。

 

 ヴィオレッタは、その声を知っていた。


『――親愛なる帝国の民よ。今日この日、私はひとつの約束をするために、この場に立った』


 レオンハルト・ヴァルムブルク。

 

 第一皇太子。黄金の髪と澄んだ瞳を持つ、帝国で最も愛される男。

 

 パネルの映像では、白い光の塊が壇上に立っているようにしか見えない。だが音声だけで十分だった。声の抑揚、間の取り方、感情を載せるタイミング――全てが計算されている。


『この帝国を蝕む暗い影を、私は許さない。民の血税を数字の遊びに変え、冷たい帳簿の裏で人々の暮らしを食い物にした者たちを――』


 わずかな沈黙。広場が静まる。


『――私は、決して赦さない』


 歓声が爆発した。パネルが音割れを起こすほどの咆哮。

 

 ヴィオレッタは、石壁に背中を預けたまま、瞬きもせずにパネルを見上げていた。

 

 顔に浮かんでいるのは、怒りではなかった。

 

 興味だった。

 

 レオンハルトの演説は続く。「民の声を聴く新時代」「透明な国政」「共に歩む未来」。言葉の一つ一つが美しく、力強く、そして――徹底的に空虚だった。


『――だからこそ私は、今日ここで皆に問いたい。この国の未来を、誰の手に託すのか。冷たい数字しか見えない者か。それとも、民の痛みを我が痛みとする者か』


 また歓声。そして――パネルの隅で、小さな光が瞬いた。

 

 祝福貨だ。

 

 送金通知のインジケータ。この旧式パネルでさえ拾えるほど、大量の祝福貨が配信回線に流れ込んでいる。

 

 ヴィオレッタの目が、一度だけ細くなった。

 

 赤い光。全部、赤。

 

 娯楽用の投げ銭カテゴリ。民衆がレオンハルトの演説に感動し、熱狂し、その感情を金額に変換して叩きつけている。

 

 ――ああ、なるほど。

 

 ヴィオレッタは手枷の鎖を左手で静かに押さえ、金属音を消した。

 

 パネルの光の瞬き方に、見覚えがあった。

 

 送金通知が表示されるたびに、画面の端で小さく弾ける光のエフェクト。高額送金が入ると、一瞬だけ画面全体が明るく脈動する演出。連続送金が続くと、テンポが加速して――次の送金を誘発する。

 

 知っている。

 

 全部、知っている。

 

 あの送金通知のインジケータ配置は、私が三年前に設計した「感情増幅型UI」の第二案だ。第一案は表示頻度が高すぎて視認性を損なうと判断し、却下した。なのにあの男の技術官は、却下された方の案を、しかも表示間隔のパラメータすら調整せずにそのまま使っている。

 

 連続送金時のテンポ加速。あれは本来、災害支援用の緊急募金UIに組み込んだ仕様だ。人命がかかっている場面で、送金の心理的ハードルを最小化するために設計した導線。それを――娯楽配信の投げ銭煽りに流用している。

 

 しかも、下手に。

 

 画面遷移のタイミングが0.3秒遅い。あの遅延は、送金確認ダイアログの表示優先度を間違えている証拠だ。本来なら確認画面は送金完了後に非同期で表示する設計なのに、同期処理に変えたせいで体感のテンポが崩れている。送金者は無意識にストレスを感じ、二回目以降の送金率が落ちる。

 

 素人の仕事。

 

 ヴィオレッタの唇が、無音で動いた。

 

 あの配信画面にあるもの全てが――UIの骨格も、送金導線も、感情を数値に変換するアーキテクチャも――私の設計の、劣化コピーだ。

 

 原典を知らずに表層だけ真似た結果、最も重要な部分がことごとく崩れている。確認ダイアログの非同期処理。高額送金時の視覚フィードバックの減衰曲線。連続送金を自然に誘導するためのクールダウン間隔。

 

 どれも仕様書の第四章に書いてある。

 

 読んでいないのだ。あの男たちは、仕様書を。


  *


 配信が続く。

 

 レオンハルトの声は、疲れを知らないかのように滑らかだった。


『――先日、ある村に足を運んだ。そこで私が目にしたのは、干ばつに苦しむ民の姿だった。私は即座に救援物資の手配を命じ、三日後には最初の荷が届いた――』


 画面の光が揺れた。映像が切り替わったらしい。おそらく、「救済映像」――レオンハルトが善政の証拠として使う、編集済みの記録映像だ。

 

 ヴィオレッタは、その映像を見ることができなかった。旧式パネルの解像度では、色の濃淡が変わったことしか分からない。

 

 だが、音声ならば分かる。

 

 映像に重ねられたナレーションの声質が、本編の音声トラックと微妙にずれている。エコーの深度が変わった。別録りの音声を接合した痕跡。

 

 ――ミレイユが復号した第三枝のデータ。あの中の「第一種・配信用映像原版断片群」。音声接合痕が少なくとも十二箇所。映像の時系列入れ替え。別地域・別時期の音声の流用。

 

 今、帝国中の民衆が感動しているこの「救済映像」は、ツギハギの捏造品だ。

 

 そしてヴィオレッタは、それを証明するデータを持っている。

 

 だが――今は、まだ。

 

 証拠はある。照合鍵もある。だが、それを全国民の前に突きつける場所がない。

 

 この配信の回線に割り込む方法は、理論上は存在する。第二系統の主幹中継線に直接アクセスできれば、信号の差し込みは可能だ。しかし今、ヴィオレッタがいるのは地下牢の底。手元にあるのは手のひら大の旧式パネルと、日中帯にはろくに使えない通信紙片だけ。

 

 配信回線への物理的な接続経路が、ない。

 

 だから今日は、観察する。

 

 敵がこの回線を、この仕様を、どう使い、どう間違えるのかを。


  *


 配信は三時間を過ぎた。

 

 レオンハルトの演説は、ここにきて熱を帯びはじめていた。

 

 いや――正確には、演出が「熱を帯びる段階」に移行した、というべきか。ヴィオレッタには、その切り替えのタイミングが手に取るように分かった。声のトーンが半音下がり、語りの速度が落ち、言葉と言葉の間に「溜め」が挿入される。感情が高まっているのではなく、感情が高まっているように聞こえる話術のフェーズに入っただけだ。

 

 そして――来た。


『――私は知っている。この国には、民を数字としか見ない者がいた』


 広場が静まった。

 

 レオンハルトの声が、柔らかく、だが鋭利に響く。


『帳簿の上でしか人を測れない。暮らしの温度も、子供の笑顔も、老人の涙も――全てを冷たい数式に押し込めて、それで世界を理解したつもりになっている。そういう人間がいた』


 沈黙。

 

 わざとらしいほど長い、計算された沈黙。


『ヴィオレッタ・エーデルシュタインのような――冷血な、数字の亡者には』


 名前が出た瞬間、広場の空気が変わった。パネル越しでも分かるほどの、粘度のある怒気が音声に滲んだ。民衆の中で、何かが沸騰している。


『――この民の温かい繋がりは、決して理解できないだろう』


 歓声ではなかった。

 

 嘲笑だった。

 

 数万人の嘲りが、回線を通じて帝国全土に流れていく。ヴィオレッタ・エーデルシュタインという名前に紐付けられた憎悪が、この瞬間にもう一段、煮詰まる。

 

 地下牢のパネルに、送金通知の光が弾けた。赤。赤。赤。赤。赤。レオンハルトの「民への愛」に共鳴した祝福貨が、堰を切ったように流れ込んでいる。

 

 ヴィオレッタは、その光を見ていた。

 

 表情は変わらなかった。

 

 ――民の温かい繋がり、ね。

 

 声には出さなかった。

 

 ――あの送金導線を設計したのは私よ。

 

 感情が金額に変わる仕組み。共感が送金ボタンを押させるまでの心理的経路。高額送金を「英雄的行為」に見せかけるランキング表示の設計。全部、私が書いた仕様だ。

 

 あの男は、それを知らない。

 

 知らないまま、私の作った道具で私を殴っている。

 

 ――しかも使い方を間違えながら。

 

 ヴィオレッタの視線が、パネルの送金インジケータに固定された。

 

 光の瞬きを数えている。一秒あたりの送金頻度。高額帯と低額帯の比率。連続送金のバースト間隔。

 

 数字が、頭の中に積み上がっていく。

 

 配信のUI導線。送金の誘導パターン。回線の帯域使用率。映像切り替えのタイミングと送金頻度の相関。レオンハルトの演説構成と、それに連動する民衆の感情曲線。

 

 全てが、データとして読める。

 

 そしてその全てが、ヴィオレッタにひとつの結論を告げていた。

 

 この男は、自分が乗っている舞台の構造を理解していない。

 

 配信の運用仕様。回線の物理構成。UIの設計思想。祝福貨の決済フロー。送金カテゴリの分類体系。確認ダイアログの処理方式。中継の同期プロトコル。

 

 何ひとつ。

 

 何ひとつ読んでいない。

 

 便利だから使っている。金が集まるから使っている。民衆が熱狂するから使っている。ブラックボックスの中身を覗きもせず、表面のボタンだけを押し続けている。

 

 そして――その「ブラックボックス」の設計者を、今まさに処刑しようとしている。


  *


 配信が終わったのは、夕刻だった。

 

 パネルが沈黙し、天井にはまた魔導格子の律動だけが残った。3-2-3-4-2。変わらない明滅。

 

 広場の歓声の残響が、石壁の向こうで少しずつ薄れていく。

 

 ヴィオレッタは膝の上で手枷の鎖をゆっくりと巻き直しながら、六時間分の観察結果を頭の中で整理していた。

 

 敵の運用には、三つの致命的な穴がある。

 

 一つ目。UIの導線設計を表層だけコピーした結果、送金確認ダイアログの同期処理がボトルネックになっている。連続送金のバースト耐性が、本来の仕様の六割程度まで落ちている。つまり、大量送金が短時間に集中した場合、決済待機列にバッファが溜まる。

 

 二つ目。送金カテゴリ의 分類体系が旧体系のまま運用されている。これは第三枝のデータで既に確認済みだが、配信中の送金パターンを見る限り、現行の運用でも旧体系のフォーマットを引きずっている。つまり、新体系の正規コマンドを流した場合、敵側にはそれを検知する手段がない。

 

 三つ目。

 

 ――これが、一番大きい。

 

 レオンハルトは、この配信を「自分のショー」だと思っている。民衆の感情を操り、祝福貨を集め、自分の正義をアピールする舞台だと。

 

 だが、この舞台を動かしているインフラの全てを設計したのは、彼女自身だ。

 

 回線の分岐構造。端末の同期プロトコル。配信の開始・終了シーケンス。緊急時の回線切り替え手順。そして――設計当初に、あらゆる分岐点と合流点に埋め込んだ仕様。

 

 レオンハルトは、自分が開いた舞台の裏口を、設計者が知っていることすら想像していない。

 

 ヴィオレッタは天井を仰いだ。

 

 魔導格子の光が、アメジストの瞳に映り込んで揺れている。

 

 六時間の配信。数万人の熱狂。帝国中に流れた赤い祝福貨の奔流。

 

 あの男はきっと今頃、配信の「成功」に酔っているのだろう。集まった金額を眺め、民衆の歓声を反芻し、自分がいかに愛されているかを確認して。

 

 知らないのだ。

 

 今日の配信で、自分が何を晒したのか。

 

 UIの運用ミス。仕様書を読んでいない証拠。回線構造への無理解。送金カテゴリの旧体系運用。決済処理のボトルネック。

 

 全部、こちらから見れば丸裸だった。

 

 ――便利だからとブラックボックスのまま使っているのね。

 

 ヴィオレッタの唇が、薄く弧を描いた。

 

 底冷えのする笑みだった。

 

 石壁に背を預け、手枷の重みを膝に感じながら、彼女は声に出さずに呟いた。

 

 ――いいわ。

 

 魔導格子の明滅が、一瞬だけ乱れた気がした。

 

 ――仕様書の読み方を、教えてあげる。

 

 その夜、地下牢は静かだった。

 

 配信の喧騒が嘘のように、石壁と鉄格子だけの世界に沈黙が戻っている。牢番は配信後の報告書に追われているらしく、足音も聞こえない。

 

 ヴィオレッタは目を閉じなかった。

 

 壁に映る格子の影を見つめながら、頭の中で回線図に――新しい線を、一本、引いた。

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