表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

21/28

第21話「文明の寄生虫」

 格子の光が安定した。


 早朝の定時点検が終わり、基幹回線は通常帯域へ移行している。魔導格子の明滅は均一で、地方塔の信号がひとつも混ざっていない。昨夜と同じ、帝都だけの痩せた回線。


 ヴィオレッタは壁に背をつけたまま、右手をゆっくりと持ち上げた。


 手枷の鎖が石の床を擦る。冷えきった指先の感覚がぼんやりとしている。一晩中、同じ姿勢だった。首が固まり、肩甲骨のあたりが鉛のように重い。


 だが、右手の人差し指に嵌まった銀の指輪だけは、妙に鮮明だった。


 シグネットの内部記憶領域。昨夜、ミレイユから旧回線経由で受け取った波形断片が、まだそこに眠っている。


 ヴィオレッタは身体を起こし、格子の前へ膝で這った。鎖の許す限界まで右手を伸ばし、指輪を格子の金属面に触れさせる。


 微かな共振。


 シグネットが格子の残留魔力を拾い、内部のデータを読み出す。音でも光でもない。指先に伝わる振動のパターン——それが、波形断片の中身だった。


 転送先ログ。第三鍵が焼失を偽装されたあと、どこへ運ばれたかを示す経路記録の断片。


 データの大半は欠損していた。ミレイユが命がけで守り抜いた記録結晶でさえ、保存状態は万全ではなかったらしい。読み取れるのは全体の三割にも満たない。


 だが、三割あれば十分だった。


 ルーティングのヘッダ部分。転送先のアドレス構造の先頭8桁。そして中継ノードの署名パターン。


 ヴィオレッタの指が、格子の上で止まった。


 この署名は知っている。


 帝都の魔導通信網は、用途によって中継ノードの署名形式が異なる。民間回線、軍事回線、行政回線——そして、放送回線。ヴィオレッタ自身が設計した分類体系だ。


 波形断片に残されたノード署名は、放送系統のものだった。しかも、地上局ではない。地下経路。帝都の放送インフラのうち、地下に専用の隔離区画を持つ施設は一つしかない。


 宮廷放送局。


 あの建物の地下には、皇室の公式配信を記録・保全するための隔離サーバー区画がある。帝国の「公式な記憶」を格納する場所。通常の行政回線からは物理的に切り離された、独立系統。


 第三鍵は、そこにある。


 ヴィオレッタは格子から指を離した。


 指輪の振動が止まる。格子のかすかな光だけが、石壁の牢を照らしている。


 宮廷放送局。帝都の中心部。皇宮の隣。最も警備の厚い場所のひとつ。


 地方塔は全て潰された。協力者のネットワークは寸断されている。ミレイユは下水道のどこかで満身創痍。バルトロメウスは——考えるな。まだ確定していない。


 手持ちの駒で、宮廷放送局の地下に手が届くか。


 届かない。


 少なくとも、この牢の中からでは。


 膝が痺れていた。格子の前で同じ姿勢を取り続けていた時間のぶんだけ、関節が固まっている。ヴィオレッタは手枷の鎖を引きずりながら身体を反転させ、背中を壁に預けた。冷たい石の感触が、薄い囚人服を通して肩甲骨に沁みる。


 膝の上に手を置き、天井を仰いだ。水垢の染みが、早朝の光で昨夜とは違う形に見える。


 処刑の日が迫っている。全国中継で、この首が落ちる。


 だが——


 処刑台。


 帝都中央広場の、あの巨大な台。全国中継と皇室儀礼を束ねるために、私が設計した——


 思考を遮るように、廊下の奥で鉄扉が鳴った。


 一人ではない。複数の足音。革靴と、金属の擦れる音。整列した歩調に混じって、ひとつだけ不揃いな足取りがある——看守だ。いつもの、賭博で首が回らない男。


 そして先頭の足音は、やけに芝居がかっていた。一歩ごとに靴底を鳴らし、自分の存在を空間に刻みつけようとするような歩き方。


 ヴィオレッタは目を閉じたまま、口元だけを動かした。


「……随分と朝が早いのね、殿下」


 足音が止まった。


 格子越しに、光が変わる。廊下の魔導灯が、来訪者の通過に反応して出力を上げたのだ。瞼の裏が白く染まり、ヴィオレッタはゆっくりと目を開けた。


 レオンハルト・ヴァルムブルクが、牢の前に立っていた。


 白い皇室礼装。金糸の刺繍。胸元に並ぶ勲章は、早朝の薄暗い地下牢においてすら不自然なほど光を返している。まるで自前の照明を持ち歩いているかのような男だった。


 その横に看守が一人。背後に衛兵が二人。


 レオンハルトは格子の向こう側から、処刑囚を見下ろした。


「顔色が悪いな、エーデルシュタイン」


 声は穏やかだった。穏やかに作られていた。公の場で民衆に向ける、あの計算された柔和さと同じトーン。ただし今、その声が向けられているのは手枷をかけられた囚人だ。


「一晩中、眠れなかったか。無理もない。明日がお前の最後の日だ」


 ヴィオレッタは答えなかった。壁に背をつけたまま、膝の上に手を置いた姿勢を崩さない。


 ——明日。


 繰り上げられた。予定ではまだ数日あるはずだった。その数日で、宮廷放送局の地下にある第三鍵に手が届くかもしれなかった。


 その猶予が、消えた。


 顔には出さない。この男の前では、絶対に。


 レオンハルトは一拍待ち、それから微笑んだ。格子に片手をかけ、身を屈めるようにして囚人の目線まで降りてくる。


「最後の温情だ、聞け」


 声が低くなった。


「お前が設計した地方塔——あの『無駄遣い』の産物は、昨夜までに全て物理的に叩き潰した。八基すべてだ。魔導炉を砕き、制御盤を焼いた。もう二度と信号は飛ばない」


 知っている。昨夜、格子の明滅パターンが変わった時点で把握していた。だがヴィオレッタは顔に何も出さなかった。


「お前の味方をしていた地方の連中にも、相応の対処をした。もう誰もお前を助けに来ない」


 レオンハルトの口元が、わずかに歪んだ。笑みの形を保ったまま、目だけが冷たく光る。


「だが、私は寛大な皇太子だ」


 彼は格子から手を離し、背筋を伸ばした。


「今日の全国中継で、お前が自ら口を開け。『帝国のインフラに手を加え、平民の送金を操作しようとしたのは、すべて私個人の独断でした。殿下はそれを見抜き、帝国を守ってくださった』——そう証言するなら、家名だけは残してやる。お前の首は落ちるが、一族の名は汚さずに済む」


 沈黙が落ちた。


 看守が気まずそうに視線を逸らし、衛兵は微動だにしない。地下牢の空気が、格子の光に照らされて埃の粒子を浮かび上がらせている。


 ヴィオレッタは、ゆっくりと顔を上げた。


「殿下」


 声は静かだった。一晩中眠れなかった人間の声には聞こえない。乾いて、平坦で、どこか事務的ですらある。


「ひとつ教えて差し上げましょうか」


 レオンハルトの眉が動いた。


「あの地方塔は、殿下が『無駄遣い』と呼んだものではないわ。災害時の緊急通信と、分散型のバックアップを兼ねた——まあ、説明しても無駄ね。殿下は仕様書をお読みにならないから」


「……何が言いたい」


「所有しただけで理解した気になっている時点で、殿下は文明の寄生虫よ」


 空気が、割れた。


 レオンハルトの顔から表情が消えた。穏やかさも、余裕も、作り物の微笑みも、全てが一瞬で剥落した。残ったのは、素の憤怒だけだ。


 だがヴィオレッタは止まらなかった。


「今日の全国中継——殿下はあの処刑台を、ご自分の舞台だと思っていらっしゃるのよね」


 声のトーンを変えない。事務報告のように淡々と。


「あの台の管理構造を、殿下はどこまでご存知かしら。回線の統合方式。儀礼端末としての認証系統。設計時の安全設計。——ご存知ないでしょう?」


 レオンハルトの喉が動いた。


「……処刑台の何だと?」


「管理構造よ。あの台は帝都中央広場の飾りではないの。全国中継と皇室儀礼を接続するための——」


「黙れ」


 低い声が、地下牢に反響した。


 レオンハルトの右手が、格子を掴んでいた。白い手袋の指が、金属の棒を握りしめて関節が浮き出ている。


「お前はいつもそうだ。小賢しい用語を並べて、あたかも自分だけが正解を知っているかのように振る舞う。だが今日でそれも終わりだ」


 声が震えていた。怒りで、ではない。何かを確認しないまま踏み越えてしまうことへの、無自覚な不安。それがレオンハルトの声に混ざっている——ように、ヴィオレッタには聞こえた。


 だが、それだけで十分だった。


 確認できた。


 この男は、あの処刑台が何であるかを知らない。全国中継の中継台。皇室の儀礼端末。そこに組み込まれた設計上の——


 知らないまま、使おうとしている。


 レオンハルトが格子から手を離した。


「看守」


 振り返りざまに、声を投げた。怒気を抑えきれず、語尾が跳ねている。


「この女から装飾品を全て剥ぎ取れ。指輪、髪留め、何であれ、一つ残さずだ」


 看守の顔が強張った。


「……殿下、大法院の手続きが——」


「私が命じている。今すぐやれ」


 レオンハルトは牢を振り返りもせず、衛兵を従えて廊下の奥へ消えていった。革靴の音が遠ざかる。規則正しかった歩調が、わずかに乱れている。


 残されたのは、看守とヴィオレッタだけだった。


 看守は牢の鍵を手に持ったまま、しばらく動かなかった。廊下の足音が完全に消えてから、ようやく鉄格子に手をかけた。


 錠が外れる音。格子が軋みながら開く。


 看守がヴィオレッタの前に膝をつき、その右手を持ち上げた。


 手枷の鎖が鳴る。


 看守の指が、ヴィオレッタの右手人差し指——銀の指輪に触れた。


 シグネット。管理者権限印。波形断片のデータを格納した、最後の接続手段。


 ヴィオレッタの武器の、全て。


 看守の掌が、指輪を掴もうとしている。


 ヴィオレッタは、その手を見下ろした。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ