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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第20話「証人を消す速度」

 帝都を含む四千基以上の公共端末。そのうちのいくつが、いまケルツェンから流れるデータを受け取っているのか。カウンターの桁が一つ繰り上がるたび、村長の節くれだった指が端末の縁をきつく握り直す。


 だが——この回線が、今夜限りで沈黙するとは、まだ誰も知らなかった。


 *


 帝都中央広場、地下牢。


 ヴィオレッタ・エーデルシュタインは、壁を見つめていた。


 正確には、壁そのものではない。石壁の隙間を走る魔導格子——帝国の通信インフラが大地に刻んだ毛細血管のような紋様。その微細な明滅が、彼女にとっては唯一の「窓」だった。


 3-2-3-4-2。


 規則的に繰り返されていたパターンが、崩れ始めている。


 最初の異変は小さかった。末端の一本が、ほんのわずかに輝度を落とした。地方塔のノード間で中継負荷が偏った——そう読み取れる程度の、些細な揺らぎ。


 だが次の瞬間、格子の南東側が一斉に暗転した。


「——」


 手枷の鎖が、かすかに鳴った。


 ヴィオレッタの指先が石壁に触れる。冷たい。だが格子を伝わる振動には、まだ僅かな熱が残っている。八基の地方塔が生きている限り、分散負荷が回線を支える。一基が落ちても七基が補う。彼女自身がそう設計した。


 だから——二基目が沈黙した瞬間、彼女はそれが「障害」ではないと理解した。


 3-2-3——。


 パターンの後半が欠落した。三基目。


 物理的な破壊だ。


 端末の電源を落とすのではなく、増幅塔そのものを壊している。中継ノードごと。末端受信機ごと。バイパス線が遮断試行を自動で弾く仕様は、回線が「存在する」ことが前提だ。回線そのものを鉄と火で消し飛ばされれば、仕様も何もない。


 四基目。


 格子の振動パターンが、さらに歪んだ。残った四基が負荷を分散しようとしている。だが設計上、八基で全国をカバーする前提の回線を四基で維持するのは——


「……無理よ」


 声が出た。自分でも驚くほど、平坦な声だった。


 五基目が落ちた。


 もう格子のパターンを読む必要もなかった。壁を走る紋様の光が、目に見えて弱くなっている。残り三基。負荷が限界を超え、明滅が痙攣のように不規則になった。


 六基目。


 石壁に触れた指先から、振動が消えた。格子はまだ光っているが、地方塔を経由する信号はもう届いていない。帝都の基幹回線だけが、か細い脈拍のように紋様を維持している。


 七基目。


 八基目。


 全基沈黙。


 ケルツェンの村長が流した配信も。地方塔の技師たちが命がけで放流した稼働ログも。帝都の検閲をすり抜けるために彼女が十年かけて整備した災害用バイパス線のすべてが。


 消えた。


 ヴィオレッタは壁から指を離した。


 格子の紋様はまだ微かに光っている。帝都の基幹回線——皇太子派が掌握する中央管制室直轄の回線だけが、整然と脈動を続けている。それは彼女が設計したインフラの、ほんの表層にすぎない。だがいま帝国に残っている通信網は、その表層だけだった。


 牢の天井から垂れた水滴が、石床に落ちる音がした。


 暗い。


 いつの間にか、格子の残光だけでは足元も見えないほどに暗くなっていた。


 彼女は手枷の重みを感じながら、静かに目を閉じた。泣くためではない。暗闇に目を慣らすためでもない。


 残された手札を、数えるためだ。


 証拠ログの抽出——可能。だが中継先がない。差し込み予約——済み。だが配信する回線がない。予備監査フラグ——特級通達で叩き潰された。地方塔ネットワーク——物理的に消滅。


 全てのルートが断たれていた。仕様は生きている。設計は残っている。だが仕様を載せる物理層が、暴力によって一つ残らず焼き払われた。


 ヴィオレッタは目を開けた。


 暗闇の中で、右手の人差し指に嵌めた銀の指輪だけが、格子の残光をかすかに拾って鈍く光っていた。


 *


 同刻。エーデルシュタイン家本邸跡地、地下。


 足音が、三方から迫っていた。


 石壁に反響して数が膨らんでいるが、ミレイユの耳はその中から個体を拾い分けている。北側の階段から四。東の通気孔側から二。南の旧搬入口から——三。合計九。


 暗闇の中で、隣にいるバルトロメウスの気配が動いた。


 布が擦れる音。道具袋の金具が微かに鳴り、何かが引き抜かれた。金属ではない。硬い木か、骨のような——乾いた感触の音。


「お前さん」


 低い声だった。囁きではない。腹の底から押し出した、それでいて壁の向こうには届かないように殺した声。


「この先の壁に、排水溝がある」


 ミレイユは息を詰めた。暗闇の中、視界はほとんど利かない。だがバルトロメウスの声の位置から、彼が立ち上がったことだけはわかった。


「小柄な人間が一人、這って通れるくらいの幅だ。あんたなら抜けられる。儂の体じゃ詰まるがな」


「バルトロメウスさん——」


「黙って聞け」


 足音が近づいている。北側の四人が、階段の最後の折り返しに差しかかった音。


「あの女に伝えろ。エーデルシュタインの設計は――先代の頃から、一度も壊れなかったとな」


 バルトロメウスの手が、ミレイユの肩に触れた。


 小柄な体を、排水溝の方向へ押す力。乱暴ではないが、迷いがなかった。その手のひらの温度を——骨張った指の関節の硬さを——ミレイユは記録結晶を抱えたまま、全身で受け止めた。


「行け」


 足音が、地下入口を越えた。


「お嬢様を——頼む」


 最後の言葉を聞く前に、ミレイユの体は動いていた。


 バルトロメウスの手が離れた。同時に、背後で何かが炸裂した。白い閃光と凄まじい轟音が同時に叩きつけられ、地下室の空気そのものが爆ぜた。魔導照明弾——閉鎖空間の石壁に光と音を跳ね返し続け、視覚も聴覚も根こそぎ潰す暴力的な妨害装置だ。


 視界が白く焼かれ、鼓膜が悲鳴を上げる。敵の魔力探知も、足音の追跡も、この空間にいる限り使い物にならない。


 ミレイユは一瞬だけ足を止め、左手の記録結晶をドレスの胸元に押し込んだ。乱れた襟の合わせ目に結晶を挟み、布吊りで動かない右腕ごと体に密着させる。両手を空ける余裕はない——だが左手だけは、これで使える。


 排水溝の入口に左手をかけた。石の縁を掴み、頭からねじ込むように体を押し入れる。布吊りの右腕を体側に押しつけたまま、左肘と膝だけで匍匐する。


 石の縁が背中の皮膚を削った。布が裂ける感触。ドレスの肩が溝の壁に引っかかり、一瞬動けなくなる。体を捻った。肩甲骨が石に擦れ、鈍い痛みが走ったが——抜けた。バルトロメウスの言った通り、小柄な体がどうにか通れる幅だった。


 轟音の向こうに、怒号が混じった。


「ネズミが逃げるぞ——排水を塞げ!」


 遅い。ミレイユの上半身はすでに溝の向こう側に出ていた。膝を引きずり、腰を捻り、最後に足首が石の縁を越える。胸元の記録結晶が襟の中で動かないことだけを、体の感触で確かめた。


 排水溝の先は、傾斜のある細い管だった。体を丸めて滑り落ちる。石の表面は湿っていて、苔の匂いがした。速度が出すぎて左肘を壁にぶつけ、鋭い痛みが走った。


 そして——落ちた。


 水の音。くるぶしが浸かる程度の、生温い汚水が管の底を流れていた。下水道だ。天井は低く、立てば頭がぶつかる程度。だが横幅はある。走れる。


 ミレイユは立ち上がった。


 右腕の痛みが、肩から首まで走った。布吊りが排水溝で擦れてずれている。結び直す余裕はない。胸元から記録結晶を取り出し、左手で握り締めた。


 走り出す。


 背後から、鈍い音が届いた。


 金属が肉を叩く音。それとも石壁に何かが打ちつけられた音か。


 そして——短い、太い悲鳴。


 ミレイユの足が止まりかけた。


 止まらなかった。


 足が止まらなかったのではない。止めなかったのだ。バルトロメウスが彼女の肩を押した力——あの骨張った手のひらの温度が、まだ肩に残っていた。それが「振り返るな」と言っている。


 走った。


 汚水を蹴り上げ、管の継ぎ目を越え、暗闇の中を左手の記録結晶だけを頼りに走った。方向はわからない。だが下水道は設計上、帝都の排水路に合流する。合流点まで辿り着ければ、旧回線の末端——帝都の基幹回線が整備される前の、初期の魔導通信管が埋め込まれた古い区画に出られるはずだ。


 ミレイユの頬を、温かいものが伝っていた。涙ではなかった。排水溝で額を切っていたらしく、血が右の眉から頬に流れ落ちている。


 走り続けた。


 どれほど走ったかわからない。管の壁面に刻まれた魔導格子が、帝都の基幹回線の存在を告げ始めた頃、ミレイユは合流点の広間に出た。


 崩れかけた石壁。天井から垂れた鍾乳石のような魔力結晶の残骸。そして——壁の一角に埋め込まれた、錆びついた旧式の通信管。


 帝都のインフラが近代化される前、最初期に敷設された回線の名残だ。帯域は極めて細く、まともなデータ通信には使えない。だが音声を——数語の文字列を押し通す程度なら。


 通信管の真下に、水路から一段高くなった石の張り出しがあった。点検用の足場だろう。ミレイユはそこに腰を下ろし、左手で壁の通信管に触れた。錆の感触。だが格子は生きていた。基幹回線の末端に繋がっている——ということは、帝都中央広場の地下牢まで信号が届く可能性がある。


 指先に魔力を込めた。通信管が微かに振動する。回線が開いた。


「——ヴィオレッタ様」


 声が震えていた。止められなかった。


「記録結晶は……無事です。波形断片も。でも——それ以外は、全部……」


 暗闇の中、ミレイユの声が下水道の天井に反響した。記録結晶は無事だ。転送先ログの波形断片は、傷一つなく膝の上にある。だがそれ以外の——主保全庫のデータも、プローブで吸い出した補助記録も、バルトロメウスが照合した波形パターンのコピーも——全て、あの地下室に置いてきた。


 そしてバルトロメウスは。


「バルトロメウスさんが……私を、逃がして——」


 言葉が途切れた。喉が詰まったからではない。


 旧回線の向こうから、声が返ってきたのだ。


 *


 ヴィオレッタは、壁の格子に指を当てたまま聞いていた。


 旧回線。基幹回線の最深部に残された、初期通信管の残骸。帝域を近代化したとき、撤去コストが解体の利益を上回ったために放置された遺物。信号は濁り、帯域は紙一枚通すのがやっとだが——声は届く。


 ミレイユの声は泣き声と血の匂いが混じっていて、ほとんど聞き取れなかった。だが内容は伝わった。


 バルトロメウス、消息不明。主保全庫のデータ、喪失。地方塔が沈黙したことは、昨夜の格子の明滅で既に知っている。


 残ったのは、転送先ログの波形断片ただ一つ。


 ヴィオレッタは一度だけ、深く息を吸った。


「ミレイユ」


 冷たい声だった。泣きじゃくる部下への労いも、老技師への哀悼も、その声には一切含まれていなかった。


「泣くのは後よ」


 旧回線がノイズを噛んだ。だが声は通っている。


「データを送りなさい。波形断片だけでいい。記録結晶を通信管に当てて、旧回線の帯域で通せるだけ流し込んで」


「で、でも、これだけじゃ——転送先の特定にしか——」


「十分よ」


 嘘だった。十分なわけがない。波形断片だけでは、第三鍵の転送先を絞り込む手がかりにしかならない。鍵の本体にはまだ辿り着けない。地方塔は消え、物理的な協力者のネットワークは壊滅し、予備監査は握り潰された。残された手札は、もうない。


 十分なわけが、ない。


 だがヴィオレッタは「足りない」とは言わなかった。


「あなたが持ち帰ったものが、最後の一手になるわ。だから送りなさい。今すぐ」


 旧回線の向こうで、ミレイユが息を呑む気配がした。


「……はい」


 嗚咽が止まっていた。声はまだ濡れている。通信管から一度手を離し、膝の上の記録結晶を掴む。そのまま結晶の平面を錆びた通信管の表面に押し当て、左手の掌で結晶と管を同時に包み込むように握った。結晶から手へ、手から管へ。魔力を橋渡しにして、波形断片のデータが旧回線の細い帯域へ一滴ずつ押し出されていく。


 ヴィオレッタは壁に背を預けた。


 通信管を通じて、微細な魔力振動が流れ込んでくる。データの受信には時間がかかる。旧回線の帯域は、現行インフラの百分の一以下だ。だが急かしても意味はない。


 石壁の冷たさが、汚れたドレス越しに背中に染みた。


 手枷が重い。


 牢の外がどうなっているのか、地下からでは知りようがなかった。格子の基幹回線は相変わらず単調な脈動を繰り返している。深夜の帯域——最も通信量が落ちる時間帯の、静かな拍動。


 転送が終わった。


 旧回線の振動が途切れ、静寂が戻った。ヴィオレッタは格子に当てていた右手の指先——シグネットを嵌めた人差し指を、そのまま動かさなかった。旧回線を通じて押し込まれた波形断片は、格子との接点を経由して、指輪の内部記憶領域に流し込まれている。管理者権限印は単なる認証具ではない。設計当時から、緊急時のデータ退避用にごく僅かな記憶容量を組み込んでいた。波形断片一つ分なら、収まる。


 指先に微かな熱を感じた。格納完了の応答。データは壊れていない。


「ミレイユ」


「……はい」


「怪我の手当をしなさい。それと、どこか安全な場所に隠れて。しばらくは動かないで」


「ヴィオレッタ様は——」


「私はいずれ処刑台に立つわ。そのとき第三鍵がなければ、あの舞台はただの死刑執行台に過ぎない」


 沈黙が落ちた。


 旧回線のノイズだけが、微かに唸っている。


「だから生き延びなさい。波形断片は受け取った。あとは、あなたが動ける身体でいること。それが最後の条件よ」


 それ以上は言わなかった。言う必要がなかった。ミレイユは優秀だ。波形断片のデータがヴィオレッタの手に渡った以上、次に何をすべきかは自分で考えられる。


 旧回線を切った。


 静寂が、牢を満たした。


 ヴィオレッタは格子から指を離し、壁に背をつけたまま天井を見上げた。石の天井に染みついた水垢の模様が、格子の弱い光に照らされて地図のように見える。帝国のどこにも繋がっていない、意味のない地図。


 右手の指輪が、受信したデータの余熱をまだ僅かに残していた。


 どれほどそうしていたのか。


 格子の光が、変わった。


 基幹回線の帯域が広がっている。深夜の静寂から、早朝の定時点検へ。帝都の通信インフラが、一日の業務開始に合わせて回線を開く時間帯。


 朝だ。


 処刑の日が、近づいている。


 全国中継で、彼女の首が落ちる。彼女が設計したシステムの上で。彼女が作った決済網を通じて。彼女が「文明」と呼んだものの全てが、彼女を殺す道具に変えられて。


 ヴィオレッタは目を閉じた。


 暗闇の中、指輪の金属だけが体温を拒んでいる。


 ——手札は、まだある。


 波形断片。旧回線。設計者の記憶。そして、この指に嵌まった銀の輪。


 足りない。明らかに足りない。だが、ゼロではない。


 石壁の格子が、朝の光を知らせるように一度だけ強く明滅した。


 帝都中央広場の処刑台が、彼女を待っている。

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