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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第19話「地方からの証言」

 左手の中で、記録結晶の角が掌に食い込んでいた。


 痛い。その感覚だけが、ミレイユの意識を辛うじて地下室に繋ぎとめている。


 足音が近い。階段を降りてくる五つの振動は、もう地下の入口まで来ていた。東の通路からは革鎧の軋みが途切れなく押し寄せ、西の崩落壁の向こうでは瓦礫を踏む音がじわじわと距離を詰めている。


 三方向。逃げ道は、ない。


 膝が震えている。記録結晶を握る左手も。でも手放せない。この結晶に焼きついた波形断片は、第三鍵がまだ存在している唯一の証拠だ。これが砕かれたら——。


 暗闇の中で、すぐ隣の空気がわずかに動いた。


 バルトロメウスだった。老技師の気配が、さっきまで身を潜めていた位置からずれている。音もなく膝を立てた。閉じたはずの道具袋が、再び小さく金属音を立てた。


 何かを、取り出している。


 声は出せない。目も見えない。ただ、石の床を伝わる微かな振動だけが、老人が立ち上がろうとしていることを教えていた。


 ミレイユは記録結晶を胸元に押しつけた。


 *


 同じ頃。


 帝都から馬で七日の距離にある辺境領——ケルツェンの集落では、夜が明けていた。


 朝靄の残る石造りの集会所。その奥に据えられた通信端末は、帝国中央が配備した正規品ではない。三年前、「無駄遣い」と帝都の議会で叩かれながら辺境にまで敷設された災害用バイパス線。その末端に接続された、古い増幅塔の受信機だった。


 端末の前に立つ男は、もう六十を過ぎている。節くれだった手が、端末の起動レバーを握っていた。


「村長」


 背後から声がかかった。集会所の入口に立つ若い男が、声を抑えて言った。


「本当に、やるんですか。帝都の回線に割り込むなんて——」


「割り込むんじゃねえよ」


 村長は振り返らなかった。起動レバーを握る手の甲に、古い火傷の痕がある。三年前の大水害。増幅塔の緊急回線がなければ、この集落は救援要請すら出せずに全滅していた。


「あの人が引いてくれた線だ。使わんでどうする」


 レバーを引いた。


 増幅塔の受信機が低く唸り、通信端末の表面に淡い魔導光が灯る。地方塔ネットワーク——ヴィオレッタ・エーデルシュタインが災害時のために組み上げた、分散型バックアップ回線。帝都のメイン回線とは独立して動く、もう一つの通信インフラ。


 その回線に、村長は手元の記録板を接続した。


 記録板には、稼働ログが表示されている。三日前から地方塔経由で放流されていた、飾り気のないデータの羅列。辺境の洪水被害に対する復旧支援金の送金記録。災害用バイパス線の敷設日時と承認者名。無償視聴回線の開設申請書。


 すべての承認欄に記されている名前は、同じだった。


 村長はその記録板を端末の送信面に押し当て——声を張った。


「聞こえるか」


 通信端末の集音陣が、しわがれた声を拾い上げる。


「帝都の連中に言っておく。あんたらが『無駄遣い』と呼んだもので、俺たちは生きてる」


 声が、回線に乗った。


 ケルツェンの増幅塔から発信された音声は、地方塔ネットワークの中継ノードを経由し、隣接する三つの集落の受信機を叩いた。そこからさらに分岐し、街道沿いの通信塔へ。山間部のバイパス中継器へ。


 稼働ログ放流に使われていた帯域の一部が、今度は生の音声を運び始めた。


「ヴィオレッタ・エーデルシュタインは、俺たちを見捨てなかった」


 *


 帝都の第四街区。安酒場が並ぶ通りの角に、小さな公共端末が設置されている。


 普段は天気予報と市場の相場しか表示しないその端末の画面が、不意にちらついた。


 レオンハルトの切り抜き配信——「心優しい皇太子が悪女を裁く」と銘打たれた編集映像が流れていた画面に、一瞬のノイズが走る。そして、ノイズの隙間から別の音声が滲み出した。


『——あの水害で、帝都は何をした? 何もしなかった。救援物資を運んだのは、あの人が敷いた回線で呼んだ隣の州の商会だ——』


 通りを歩いていた商人が足を止めた。酒場から出てきた職人が、端末の前で首を傾げる。


『——「平民を数字でしか見ていない」だと? 冗談じゃねえ。あの人が数字を見てくれなかったら、うちの集落はとっくに潰れてたんだ。あの人に何したか知ってるか。処刑台に立たせようとしてるんだぞ——』


 端末の画面には、支援ログのデータが表示されていた。日付、金額、送金先、承認者名。装飾も演出もない、むき出しの数字の列。


「……なんだ、これ」


 職人が呟いた。画面に映る送金記録の承認者名を、指でなぞる。


 ヴィオレッタ・エーデルシュタイン。


 同じ名前が、何十行も並んでいた。


「おい、見ろよ。この日付——大水害の翌日だぞ」


 商人が隣に寄った。二人の背後から、酒場の女将が顔を出す。通りの向こうでは、別の公共端末の前にも人だかりができ始めていた。


 しわがれた老人の声は、止まらない。


『——今から見せるのは、帝国中央が配信してる映像の元データだ。あんたらが見てる「皇太子様の善政」ってのが、どこから金を抜いて作られてるか、自分の目で確かめろ——』


 端末に表示されるデータが切り替わった。救済映像の配信記録と、その裏で動いていた送金ルーティングのログ。赤色の祝福貨——本来は娯楽用の投げ銭——が、どこかへ迂回している痕跡。


 帝都の民衆の多くは、送金ログの読み方を知らない。だが、「入った金額」と「届いた金額」の差が、桁一つ分違うことくらいは分かる。


「……足りなくないか、これ」


 誰かが言った。


 静かな声だった。だが、その一言が石を投げたように、通りに波紋を広げた。


「足りない」「帝都の配信と数字が違う」「これ本物か?」「地方塔の直接回線だろ、編集できないはずだ」


 ざわめきは、第四街区だけに留まらなかった。


 地方塔のバックアップ回線は、帝都のメイン回線から独立している。だが完全に隔絶されているわけではない。公共端末の受信帯域には、地方塔からの災害通報用チャンネルが最低一つ確保されている——ヴィオレッタが「非常時の情報伝達を一元化させない」という設計思想で組み込んだ、もう一つの仕様だった。


 その仕様が、今、帝都の隅々まで辺境の老人の声を届けている。


 *


 帝都中央、宮廷通信管理局。


「切れないのか!」


 管理官の怒声が、端末の並ぶ管制室に反響した。


「地方塔からの流入を遮断しろ! 帯域を閉じろ!」


 通信技師が端末を操作する手を止めない。額に汗が浮いている。


「駄目です。公共端末の災害通報チャンネルは、設計上、中央管制室からの一方的な遮断ができません。双方向の合意手順を踏まないと——」


「合意だと? 誰との合意だ!」


「地方塔側の管理権限者です。現在の回線保持者が遮断に同意しない限り、中央側から強制的に閉じる手順が存在しません」


 管理官の顔が赤くなった。だがその怒りをぶつける先は、目の前の技師ではない。


 この通信システムを設計した人間だ。


「……別の方法は」


「物理的に増幅塔を停止させるか、各公共端末を個別にシャットダウンするか。ただし帝都内の公共端末は四千基以上あります。地方の増幅塔は——」


「八基」


 別の技師が、端末のログを睨みながら言った。


「現在確認できる稼働中の地方塔は八基。しかも中継ノードが分散配置されているため、一基を落としても残りの七基が負荷を分担して回線を維持します。全基を同時に停止しない限り、配信は止まりません」


 管理官は黙った。


 端末の画面では、辺境の老人の声がまだ流れている。そしてその配信に呼応するように、別の地方塔——東部三州の中継ノードからも、稼働ログの参照リクエストが急増し始めていた。


 *


 レオンハルトがその報告を受けたのは、宮廷の私室だった。


 鏡張りの壁に囲まれた広い部屋。黄金色の髪が、燭台の光を受けて揺れている。白を基調とした皇室礼装の肩には、数え切れない勲章が並んでいた。実戦ではなく、儀礼で得た勲章。その重さで、彼の左肩はわずかに下がっている。


「——殿下。地方回線からの配信が帝都の公共端末に到達しています。中央管制室からの遮断は、設計上——」


 報告していた通信官の声が、途切れた。


 レオンハルトが杯を置いた音だった。静かな音。だが杯の底が卓上に当たった衝撃で、卓上の書類が一枚、滑り落ちた。


「設計上?」


 声の温度が変わっていた。


 通信官が一歩退いた。控えていた侍従も動きを止めた。


「設計上、止められない?」


 レオンハルトは立ち上がった。鏡に映る自分の姿——完璧にセットされた黄金のウェーブヘア、澄んだサファイアブルーの瞳、白金の礼装——を一瞥もせず、通信官に歩み寄った。


「あの女が作ったものだから、止められないと。そう言っているのか?」


「は——設計仕様として、双方向の合意手順が——」


「——仕様、だと?」


 その単語を、レオンハルトは噛み砕くように繰り返した。整った顔の筋肉が、ほんの一瞬だけ別の形に歪んだ。すぐに元に戻る。だが、戻りきっていなかった。唇の端に残った引き攣りが、完璧な微笑を微妙に崩している。


「殿下、切り抜き配信の視聴数が——」


 侍従が口を開きかけた。


「下がっている、だろう」


 レオンハルトが先に言った。


 侍従の口が閉じた。


 部屋の中を、レオンハルトが歩く。靴音が鏡の壁に反射して重なる。二歩。三歩。四歩目で止まった。


 卓上の配信端末に、地方からの中継映像が映っていた。しわだらけの老人が、古い通信端末の前で声を張っている。その背後に映る粗末な集会所。泥のついた靴で立つ村人たち。画面の端には送金ログの数字が流れている。


「辺境の田舎者が」


 声が、変質していた。


 いつもの——民衆の前で見せる、包容力のある朗らかな声ではなかった。張りがない。甘さがない。むき出しの金属が擦れるような、薄く乾いた音だった。


「地方塔を使って配信ごっこか。面白い。面白いじゃないか」


 レオンハルトの手が、配信端末の枠を掴んだ。指の関節が白くなるほどの力で。


「殿下——」


「黙れ」


 通信官が口を閉じた。


 レオンハルトは配信端末の画面を見つめていた。老人の声が流れている。『——「平民を数字でしか見ていない」だと? 冗談じゃねえ。あの人が数字を見てくれなかったら、うちの集落はとっくに潰れてたんだ。あの人に何したか知ってるか。処刑台に立たせようとしてるんだぞ——』


 その声が途切れた瞬間——レオンハルトの手が配信端末を掴み上げ、鏡張りの壁に叩きつけた。


 砕ける音。金属と硝子と魔導水晶が混じり合った破砕音が、部屋を満たした。鏡の一枚にひびが入り、レオンハルトの姿が歪んで映る。


 侍従が後退した。通信官は既に壁際まで下がっていた。


「……近衛を呼べ」


 静かな声だった。端末を叩きつけた直後とは思えないほど、平坦な声。だが、その平坦さが逆に部屋の温度を下げていた。


「殿下?」


「地方塔を潰せ」


 勲章が鳴った。レオンハルトが身を翻した拍子に、胸元の金属装飾が連鎖的に音を立てる。


「八基あるなら八基全部だ。物理的に破壊しろ。増幅塔も、中継ノードも、末端の受信機も。石一つ残すな」


 通信官の喉が、小さく鳴った。


「あの女の息がかかった技師は全員消せ。地方に散らばっている連中を一人残らず——」


 レオンハルトの声は、もはや命令の形式すら保っていなかった。整った唇が捲れ上がり、サファイアブルーの瞳に浮かぶものは、優しさでも聡明さでもなく、ただ剥き身の焦燥だった。


「殿下」


 侍従が一歩踏み出した。「処刑の日程ですが、現在の予定では——」


「明日だ」


 侍従の言葉を、レオンハルトが断ち切った。


「処刑は、明日にしろ」


 侍従の顔から血の気が引いた。だが声は止めなかった。


「……殿下。全国中継の準備には、最低でも三日が必要です。増幅陣の並列接続、各中継塔との同期テスト、バックアップ回線の確保——いずれも標準手順に定められた——」


「二日だ」


 レオンハルトの声が、侍従の説明を断ち切った。先ほどの「明日」より低く、しかし冷えていた。


「二日で間に合わせろ。全国に同時放映しろ。あの女の首が落ちる瞬間を、地方の田舎者にも見せてやれ。あの女が作ったものが、あの女を殺す瞬間を」


 レオンハルトの靴が、床に散らばった配信端末の残骸を踏んだ。硝子の破片が、礼装の白い裾に血のような傷痕を刻む。


 鏡の中のレオンハルトは、もう笑っていなかった。


 *


 ケルツェンの集会所では、まだ配信が続いていた。


 村長の声は枯れかけていた。だが、端末の送信面に押し当てた記録板のデータは、途切れることなく地方塔ネットワークに流れ続けている。


「村長、帝都から遮断の試行が来てます。これで六回目です」


 奥の端末を監視していた若い男が言った。


「弾いたか」


「全部弾いてます。一本も通してません」


 村長は記録板から手を離さなかった。節くれだった指先が、端末の縁を白くなるまで握っている。


 通信端末の片隅に、小さな数値が表示されていた。受信確認数。配信がどれだけの端末に到達したかを示す、簡素なカウンター。


 その数字が、止まらなかった。

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