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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第12話「切り抜き政治」

 朝の空気が変わったのは、第七中継点の受信盤が唸りを上げた瞬間だった。

 ミレイユは寝袋から跳ね起きた。定時の微弱受信とは明らかに違う。帝都メイン回線が、全帯域を喰い潰すような大容量の同時配信を吐き出している。


「なに、これ――」


 受信盤の横で仮眠を取っていたバルトロメウスが、白い眉を片方だけ持ち上げた。老技師は何も言わず、受信盤の出力を中継点の旧型映写板へ繋ぎ替える。

 壁に、映像が浮かんだ。

 帝都の紋章。荘厳な弦楽の前奏。そして――画面いっぱいに映し出された、金の縁取りの公式配信枠。


『帝国民の皆様へ。本日、皇太子殿下の名において、ある重大な記録を公開いたします』


 ナレーションは穏やかだった。「正義の開示」を装った、あの声色。レオンハルト派の広報官が使う、善意と誠実を塗り固めたような語り口。

 ミレイユの指先が冷えた。

 映像が切り替わる。

 暗い部屋。記録結晶の粗い映像特有の、青みがかった光。テーブルの向こうに座る人物の輪郭が浮かぶ。

 ――濡羽色の長い髪。無駄のない濃紺のドレス。冷たいアメジストの瞳。


 ヴィオレッタだった。


 ただし、今の彼女ではない。映像の中の彼女はまだ疲弊しておらず、背筋が刃のようにまっすぐで、テーブルの向こうの誰かに対して――おそらく部下か、あるいは地方の行政官か――淡々と語っている。


『平民の支持? それは数字よ。月次の決済トラフィックを追えば、何に感動して何に怒るか、全部予測がつくわ。彼らは自分で考えているつもりでいるけれど、実際にはUIの導線に沿って動いているだけ。それを「民意」と呼ぶのは――まあ、嘘ではないけれど、精度の低い言い方ね』


 映像が止まる。ナレーションが被さった。


『これが、エーデルシュタイン家当主ヴィオレッタの肉声です。「平民はUIに沿って動くだけ」――皆様がいま聞いた通りです』


 ミレイユの喉が詰まった。

 確かに、ヴィオレッタの声だ。

 確かに、彼女が言いそうな言葉だ。

 だが――文脈が違う。あの発言は帝都の通信インフラを議論する技術会議の中で、「だからこそUIの導線設計に責任が伴う」という前提のもとに出た分析だった。結論は「だから私たちは誠実に設計しなければならない」だったはずだ。

 その前後が、綺麗に切り落とされている。


 映像が次に切り替わった。別の日、別の場所。今度はもう少し明るい部屋で、ヴィオレッタが書類の束を片手に、誰かに向かって口を開く。


『熱狂は操作可能なリソースよ。問題は精度と持続性。三日で冷める怒りに予算を割くのは愚策だけど、六ヶ月続く不安には投資する価値がある。――感情を通貨に換算するのが、この仕組みの本質なの』


 今度はナレーションすら不要だった。

 画面の下部に、白い文字が流れる。


『「感情を通貨に換算する」――これが、公爵令嬢が帝国民を見ていた目です。あなた方の喜びも、怒りも、悲しみも、彼女にとっては「リソース」でした。操作可能な、数字でした』


 ミレイユは映写板から目を逸らせなかった。

 三つ目。四つ目。五つ目。

 ヴィオレッタの発言が、次から次へと流れてくる。いずれも事実――彼女は確かにそう言った――だが、すべてが「冷血な設計者が平民を駒として扱っていた証拠」という枠の中に、寸分の隙なく嵌め込まれている。

 前後の議論は消されている。反論も、補足も、結論も。残っているのは、最も刺さる一文だけ。


『帝国の決済システムは平民の「財布」を握っているのと同じよ。だから――』


 ここで映像が切れる。「だから設計者には倫理規定が必要だ」と続いたはずの言葉は、存在しないものになっていた。

 テロップが出る。


『平民は財布。これがエーデルシュタインの本音です』


 バルトロメウスが、低く息を吐いた。


「――上手いな」


 その一言に、ミレイユは弾かれたように老技師を見た。

 バルトロメウスは映写板を見つめたまま、皺だらけの指で顎を撫でていた。感情ではなく、技術を見る目だった。


「嘘はひとつも混ぜていない。声も本物、映像も本物。ただ、文脈だけを消してある。波形照合にかけても『捏造なし』と出る」


「そんな――!」


 ミレイユの声が裏返った。


「文脈が違うんです! あの言葉は、だから私たちが責任を持たなければって――設計者としての義務を語った会議の中の――」


「分かっている」


 バルトロメウスが遮った。静かな声だった。


「だが、受け取る側には『切り取られた一文』しか届かん。そして一文は、全文より速い」


 映写板の映像は、まだ続いていた。六つ目のボイスログが再生されている。七つ目が控えている。帝都メイン回線の全帯域を使った、絨毯爆撃のような連続配信。

 ミレイユは受信盤の数値を見た。

 祝福貨の流入カウンター。

 昨夜まで、ゆっくりと、だが確実に増え続けていた数字。三百四十七件。


 ――ゼロ。


 今朝の流入は、ゼロだった。


  *


 昼を過ぎる頃には、状況は「悪化」という言葉では足りなくなっていた。

 中継点の受信盤が拾う帝都の公開掲示板――祝福貨システムに連動した、市民の声が集約される場所――は、ひとつの色に染まっていた。

 赤。

 罵倒と嘲笑の赤色投げ銭が、ヴィオレッタの凍結口座ではなく、「断罪支持」を表明するレオンハルト派の公式口座へ殺到している。


『やっぱりな。あの女は最初から平民を馬鹿にしてたんだよ』


『審理で数字遊びして同情引こうとしてたけど、本音はこれだろ。「財布」だってさ。笑わせんな』


『処刑が遅すぎる。さっさとやれ』


『あの会計官を崩したのだって、数字で人を操るのが得意なだけだろ。あの女の本質がこの配信で分かったわ』


 ミレイユは受信盤の前で動けなかった。

 昨日までの変化が――あの審理のあとに、ほんの少しだけ芽生えた疑問の声が――すべて消えていた。三百四十七人の小さな送金が作りかけた亀裂は、一夜の配信で完全に塞がれている。

 いや、塞がれただけではない。


『あの審理で騙されかけた自分が恥ずかしい。冷血令嬢の数字遊びに乗せられるところだった』


 反動が来ている。「一度騙されかけた」という自覚が、怒りを倍にしている。

 バルトロメウスが、湯気の立つ錫のカップをミレイユの横に置いた。安い穀物茶の匂い。ミレイユはそれに気づかない。


「……卑怯です」


 声は低かった。


「文脈が全然違うのに。ヴィオレッタ様は、あの言葉のあとに――必ず、だからこそって――」


「ああ」


「分かってるのに。全部本物の声だから、誰も疑わない。嘘じゃないから、証明のしようがない。こんなの――」


 ミレイユの手が、受信盤の縁を掴んだ。指の関節が白くなるほど。


「――こんなの、勝てないじゃないですか」


 バルトロメウスは答えなかった。穀物茶をひと口飲み、映写板に目を戻した。配信は八つ目のボイスログに入っている。帝都メイン回線は、まだ全帯域を喰い続けている。


「お前さん」


「……はい」


「メイン回線だ」


「は?」


 バルトロメウスの声には、先ほどと同じ――感情ではなく、技術を見る――響きがあった。


「あの配信。帝都のメイン回線を全帯域使っておる」


「……それが、何か」


「高いぞ」


 ミレイユは瞬きした。


「メイン回線の全帯域同時配信。あれは本来、皇室の勅令か、国家非常事態の布告にしか使わん。維持コストだけで――」


 バルトロメウスが指を二本立てた。


「地方塔八基を一年間維持する費用と同じだ。一日あたりの話ではない。一時間あたりの話だ」


 ミレイユの思考が、一瞬だけ感情から離れた。

 一時間で、地方塔八基の年間維持費。

 それを、朝から――もう半日以上――使い続けている。


「……なんで、そんなことを」


「わしに訊くな」


 バルトロメウスは穀物茶を啜った。


「お前の主に訊け」


  *


 地下牢の空気は、朝から変わっていた。

 ヴィオレッタはそれを音で知った。旧式告知パネルが微かに拾う、地上の反響の質。昨夜までの静けさが消え、代わりに重く湿った熱気のようなものが、石壁の向こうから染みてくる。

 群衆が騒いでいる。

 そして、魔導格子のパルス。

 目を閉じたまま、耳を傾ける。ここ数日で覚えた、明滅パターンの微細な読み取り。3-2-3-4-2。基本リズムは変わらない。だが――

 4と2の間に挟まっていた追加パルスが、消えている。

 昨夜まで、ほんの微かに、だが確実に増え続けていた揺らぎ。祝福貨の流入を示す、あの小さな震え。


 沈黙。

 ゼロだ。


 ヴィオレッタは目を開けなかった。

 足音が近づいてくる。革靴の底が石の床を叩く、聞き慣れたリズム。牢番だ。

 だが、足音の質が違う。

 昨日まで――正確には、あの審理のあと――牢番の足取りには、微かな躊躇があった。死刑囚の房の前を通るとき、ほんの少しだけ歩幅が狭くなる。壁際を歩く。視線を合わせない。

 三百四十七件の送金が意味するものを、この小者なりに嗅ぎ取っていたのだろう。「もしかしたら、この女はただの死刑囚ではないのかもしれない」という、計算高い怯え。

 今朝は違った。

 足音は堂々としている。房の前を通るとき、鉄格子を革手袋の甲で二度叩いた。かつての横柄さが、そっくりそのまま戻っている。


「おい、冷血令嬢」


 声にも、遠慮がない。


「聞いたか? お前の本音、全国に流れてるぞ。『平民は財布』だとよ。――ま、知ってたけどな。お前みたいなのが善人なわけがねえとは思ってた」


 ヴィオレッタは目を閉じたままだった。

 牢番は鼻を鳴らし、通り過ぎた。足音が遠ざかる。

 格子越しに、告知パネルの残響がまた聞こえた。地上の配信が、まだ続いている。何度目かのボイスログの再生。自分の声が、石壁を通して歪んで届く。


『――熱狂は操作可能なリソースよ――』


 ヴィオレッタは天井を見た。

 黴の染みと、魔導格子の淡い光。追加パルスの消えた、均一な明滅。


 ――ああ、そう。

 全部、止まったのね。


  *


 夕刻。牢番の巡回が遠ざかり、通路が静まり返った頃。

 ヴィオレッタは手枷の鎖を鳴らさぬよう、ゆっくりと左の袖口へ指先を差し込んだ。布地の裏、縫い目の隙間に挟んである薄い羊皮紙の切れ端。通信紙片。ミレイユと繋がる、唯一の細い回線。

 紙片の表面に、淡い燐光が滲んでいた。

 文字だ。受信している。

 枷で制限された指先で、紙片を膝の上に広げる。燐光が文字の形に凝固していく。汚い字。ミレイユのものだ。


『全部止まりました。祝福貨ゼロ。世論が完全に戻っています。メイン回線全帯域で配信が続いています。ヴィオレッタ様の過去の発言がすべて――文脈を切り取って――あの男が、卑怯な手を』


 字が途中から乱れている。書きながら感情が溢れたのだろう。最後の一行だけ、筆致が変わっていた。太く、安定した線。


『バルトロメウスより。メイン回線全帯域使用。一時間あたり地方塔八基年額相当』


 ヴィオレッタは紙片を膝の上に置いたまま、動かなかった。

 手枷の鎖が、呼吸に合わせて微かに揺れる。

 冷たい石の壁に背を預け、天井の黴を見つめる。

 ――メイン回線。

 全帯域。

 朝から、夕刻まで。

 数字が頭の中で組み上がっていく。帝都メイン回線の全帯域同時配信。帯域維持費、魔力供給コスト、中継局の人件費、コンテンツ配信の認可手数料。それを半日以上。


 膨大な金額だ。


 本来なら、地方の掲示板に流すだけで十分な効果がある程度の情報――過去のボイスログの再生――に、なぜそれだけのリソースを投じる必要がある?

 答えは単純だ。


「あはっ」


 声が漏れた。

 小さく、だが確実に。石壁に反響して、自分の耳に返ってくる。


「あはははっ」


 ヴィオレッタは笑っていた。

 手枷を鳴らし、黴の生えた天井に向かって、声を殺すこともせずに。牢番が遠くで怪訝そうな足音を立てたが、構わなかった。

 紙片を裏返す。自分の爪先で、鎖の隙間から器用に文字を刻む。


『あの男、一番高価なメイン回線を使って、あんな昔のボイスログを流したの?』


 一文ごとに鎖が鳴る。構わず書く。


『三百四十七件。たかが端数。たかが凍結口座への塵みたいな送金。――それを潰すのに、帝都メイン回線の全帯域を半日。皇室勅令級のコストを、死刑囚ひとりのボイスログに?』


 手首の枷擦れが熱い。指先の感覚が鈍い。だが文字は止まらない。


『ミレイユ。あの配信は「世論の再教育」じゃないわ。あれは悲鳴よ。数字に追い詰められた人間が、自分でも気づかないまま上げた悲鳴。――三百四十七件の端数が、あの男の喉元にどれだけ刺さったか、メイン回線の請求書が証明してくれたわね』


 最後の一行を刻んだとき、唇の端がまだ吊り上がっていた。


『泣くな。流れは止まっていない。あの男が数字を恐れている限り、回路は生きている。――次の指示を出す。待ちなさい』


 最後の一画を刻み終えた瞬間、紙片の表面に刻まれた文字が淡く発光し、燐光の粒子となって羊皮紙に吸い込まれるように消えた。送信完了。紙片はまた白に戻る。

 ヴィオレッタは紙片を小さく折り畳み、再び袖口の縫い目の奥へ滑り込ませた。手枷の鎖が微かに擦れる音だけが、石の房に残った。


 地下牢に静寂が戻る。

 魔導格子の追加パルスは、まだ消えたままだった。祝福貨の流入はゼロ。世論は敵の手に落ち、昨日までの小さな亀裂は塞がれた。

 だが、ヴィオレッタの目は笑っている。

 暗いアメジストの瞳が、天井の魔導格子を――その向こうにある、帝国全土を覆う通信網の構造を――見通すかのように、冷たく、鋭く、光っていた。


 メイン回線の全帯域を、半日。

 あの男は、三百四十七の塵を払うために、金庫の扉を開けてみせた。


――ありがとう、レオンハルト。

あなたが怯えている場所を、あなた自身が全国に教えてくれたわ。

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