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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第11話「小さな祝福貨」

 眠れなかった。

 眠る必要もなかった。


 目を閉じたまま、ヴィオレッタは聴いていた。

 石壁の向こう、天井に埋め込まれた魔導格子が放つ微かな唸り。通常は意識にも上らない低周波のパルスが、瞼の裏の暗闇の中ではやけに輪郭を持つ。


 3-2-3-4-2。

 帝都の決済トラフィックが正常であることを示す、退屈な定常パルス。だが――4と2の間。あの微かな追加の振動は、まだ消えていなかった。


 むしろ、増えている。


 審理が終わってから数刻。深夜を越え、窓のない牢の中では時間の手がかりすら曖昧になる頃合いだが、パルスは嘘をつかない。振動の密度は決済網のトラフィック量に連動している。つまり、帝都のどこかで――おそらく複数箇所で――端数レベルの送金が、今もぽつりぽつりと発生し続けている。


 宛先は、凍結されているはずの口座。


「……ふん」


 手枷の鎖が短く鳴った。右手の人差し指に嵌まった銀の輪が、地下の冷気を吸って冷たい。


 瞼の裏で、パルスが揺れた。もう一つ。また一つ。名もなき誰かの端数が、設計通りのルーティング規則に従って、正確に流れ着いている。


 ふいに、別の光が瞼を透かした。

 目を開ける。


 膝の上に置いた通信の紙片が、ふわりと発光していた。牢番が最後に差し入れた一枚。帯域は細く、短文しか載らないが、それで十分だった。


 ミレイユからだ。

 文面は走り書き。文字の大きさが途中から倍になっている。


『祝福貨 止まりません まだ増えてます!』


 最後の一文字だけが、報告の書式を崩していた。

 帯域を削り込んだ短文のくせに、感情が一滴だけ漏れている。あの子らしい書き方だった。


 ヴィオレッタは文字列を一度だけ視線でなぞり、唇の端をわずかに持ち上げた。

 ――笑ったのではない。


『勘違いしないで、ミレイユ』


 返信を刻む。手枷に繋がれた両手を膝の上まで持ち上げ、鎖の遊びの分だけ右手を傾けて、紙片の表面に指先を押し当てた。爪の先で文字を掻く。感覚の鈍った指先が何度か滑り、最初の一画を二度やり直した。帯域が細いぶん言葉は削る。余計な文字に割く余裕も、指先にそれを刻む精度も、今は残っていない。


『みんなが感情で送った訳じゃない。『冷血令嬢』だという思い込みに綻びが出て、送金の流れが繋がっただけ。勘違いするな』


 最後の一文字を刻み終えた頃には、手首の枷が擦れた箇所がじんと熱を持っていた。

 送信。


 魔導格子がひとつ瞬いた。紙片が微かに温度を帯び、文字が沈んでいく。

 数十秒の沈黙。


 返信が来た。


『……相変わらず可愛げないですね』


 間髪入れず、もう一通。


『でもこれなら 希望が』


 ヴィオレッタは返信を読み終える前に、次の文を刻み始めていた。鈍い指先が紙片を引っ掻く。一画ごとに手首の枷が軋む。


『希望じゃない。回路が繋がっただけ。見ているだけでは法は動かない。量に変える。指示を待て』


 送信。

 紙片の光が消え、地下牢に沈黙が戻った。


 量。

 ヴィオレッタは天井を見上げた。格子のパルスが4-2の間で揺れている。微小な祝福貨。一杯の茶すら買えない端数の集積。それ自体には何の力もない。


 だが、仕様は知っている。


 祝福貨の決済網には閾値がある。水が器を満たすように、送金の総量がある一線を超えた瞬間、システムは自動的に次の処理へ移行する。感情ではなく、数字が。人間の意志ではなく、ルーティング規則が。


 ――問題は、その一線までの距離が途方もなく遠いということだ。

 今の流入速度では、数百年かかっても届かない。


「だから」


 独房の闇に向かって、ヴィオレッタは呟いた。声は自分にしか聞こえない。


「流速を変える。器の形を変える。あるいは――」


 言葉を切った。

 それ以上は、まだ組み立てている最中だ。設計図の線が全て繋がったわけではない。足りない部品がある。処刑までの残り時間は、確実に減っている。


 疲労が、思考の輪郭を僅かに滲ませていた。手枷の重さが、審理の前より確実に増している。肩から首にかけての筋が強張り、指先の感覚が鈍い。先ほどの返信で枷に擦られた手首が、まだ熱を引いていない。石壁の冷たさだけが、意識を繋ぎ止めている。


 ヴィオレッタは目を閉じた。

 格子のパルスが、再び音として戻ってくる。3-2-3-4-2。そしてその隙間の、名もなき誰かが送った端数の振動。


 見ているだけでは足りない。

 だが、見ている人間がいるという事実は――回路の一部だ。


 あとは、その回路に流す電流の設計だけ。


「……もう少しだけ、待ちなさい」


 誰に言ったのかは、自分でもわからなかった。ミレイユに。名も知らぬ送金者に。あるいは――手枷の下で、まだ冷たく光っている銀の輪に。


 沈黙。

 格子のパルスだけが、帝都の鼓動を刻み続けていた。


  *


 同じ頃。

 皇宮の一室は、夜更けにもかかわらず灯りが煌々と点いていた。


「――殿下」


 側近の一人が、薄い羊皮紙の報告書をテーブルに滑らせた。レオンハルトの前に並ぶ書類の山に、もう一枚が加わる。


「エーデルシュタインの個人口座に、審理後から微小な祝福貨の流入が確認されております。件数にして――」


「額は」


 レオンハルトは側近の言葉を切った。報告書には目もくれない。窓際の長椅子に深く腰を沈めたまま、金糸で縁取られた杯のワインを揺らしている。


「……端数です。合計しても、一日の茶代にも満たないかと」


「ならくだらん」


 杯を傾け、一口。喉を鳴らす音が、静まり返った部屋に響いた。

 だが、杯を置く手が――ほんの一瞬だけ、止まった。


「……件数は」


「現時点で、三百四十七件」


 沈黙。

 ワインの赤が、杯の縁でゆっくりと揺れた。レオンハルトの視線が、初めて報告書に落ちる。紙面の数字を、指先でなぞるように追った。


 三百四十七。

 額は塵。だが、三百四十七人が――審理のあとに――送金した。

 凍結口座に。死刑囚に。


「あの女」


 声が低い。杯をテーブルに置く音が、乾いた石の部屋に硬く反響した。


「まだ小賢しいマネを」


 側近が一歩退いた。レオンハルトは立ち上がらない。長椅子に沈んだまま、天井の装飾を見上げている。金箔の天使と、帝国紋章。


「……構わん」


 やがて、口を開いた。


「所詮は端数だ。あの審理で、小賢しい女が数字遊びをしたのが一部の愚民に刺さっただけの話だろう。法廷での戯言に反応する程度の連中は、次の配信で上書きできる」


 杯を再び手に取り、残りを一息で飲み干した。


「世論を再教育しろ。すぐにだ。処刑の前に――帝都の空気を、元に戻せ」


 側近が頷き、部屋を辞そうとした。


「待て」


 足が止まる。

 レオンハルトは空の杯を指先で回していた。金縁が灯りを反射し、壁に細い光の線を走らせる。


「あの口座への流入、監視を続けろ。額が増えたら報告しろ。即座に、だ」


「……御意」


 扉が閉まった。

 静寂の中、レオンハルトは杯を見つめていた。空になった器の底に、ワインの残滓が薄い膜を作っている。


 三百四十七。

 たかが端数。

 たかが、端数だ。


 彼は杯をテーブルに戻し――その手で、報告書の羊皮紙を無造作に裏返した。数字が見えないように。


 部屋の灯りが、揺れた。

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