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断罪された天才魔導技師ですが、その処刑台は私の制御端末です。愚かな皇太子の悪事、全国配信で逆に公開処刑して差し上げます  作者: 今井 幻


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第10話「帳簿は嘘をつけても、仕様は嘘をつかない」

 地下牢から地上へ続く階段は、七十二段あった。

 

 数えたわけではない。足裏に伝わる石の継ぎ目と、一段ごとに変わる空気の湿度で、ヴィオレッタの身体が勝手に計測していた。設計図面を引いていた頃の癖だ。建物に入ると無意識に構造を読んでしまう。

 

 三十六段目で、光が変わった。

 

 松明の赤から、魔導灯の白。地下牢の領域を抜けたということだ。手枷の鎖が階段の縁に引っかかり、衛兵が無言で腕を引いた。手首の皮膚が擦れる。もう何度目かわからない擦過傷の上を、新しい痛みがなぞった。

 

 五十段目あたりで、音が聞こえ始めた。

 

 人の声。それも大量の。潮鳴りのようなざわめきが、石壁を透過して降りてくる。

 

 最終公開審理。

 

 帝国法において、国家重犯罪者の処刑前に与えられる「最後の弁論の機会」。建前としては被告の権利だが、実態は違う。処刑を正当化するための見世物だ。民衆に「正義の執行」を予感させ、来たる公開処刑への期待を煽るための――前座。

 

 七十二段目。扉が開いた。

 

 光と音が同時に殴りつけてきた。

 

 大審院の傍聴席は、すり鉢状に組まれた石造りの円形劇場だ。最前列から最後列まで、隙間なく人が詰まっている。魔導拡声器の反響が空気を震わせ、壁面の魔導灯が白昼のような光で法廷全体を照らしていた。

 

 ヴィオレッタが姿を現した瞬間、ざわめきが咆哮に変わった。

 


「――税金泥棒!」

 


「金を返せ!」

 


「早く処刑台に引っ張り出せ!」

 

 声の洪水。だが、ヴィオレッタの耳はその奔流を一つの音響データとして処理していた。罵声の密度、方向、反響パターン。傍聴席の埋まり具合。拡声器の配置。

 

 ――満席。収容限界の少し上。立ち見が出ている。

 

 視線が、正面の高座に向いた。

 

 金色の髪。白い礼装。過剰な勲章。

 

 レオンハルト・ヴァルムブルクが、裁定席の中央に座っていた。

 

 まるで自分が主役の舞台であるかのように。足を組み、肘掛けに頬杖をつき、サファイアブルーの瞳をヴィオレッタに向けている。その瞳には退屈と確信が同居していた。今日の結末を、彼はもう知っている――と、そう信じている顔。

 

 ヴィオレッタは被告席へ押し込まれた。木製の柵に囲まれた、一段低い窪み。見上げなければ誰の顔も見えない設計。意図的だ。被告が矮小に見えるよう、この法廷は作られている。

 

 だが、ヴィオレッタには関係なかった。

 

 彼女が見ていたのは、人の顔ではない。法廷の壁面を走る魔導回線の配管。天井の拡声結晶の接続状態。そして――被告席の足元に埋め込まれた、旧式の通信パネルの痕跡。

 

 かつて自分が引いた設計図の残骸が、この建物にも眠っている。

 


「――静粛に」

 

 書記官の声が響いた。拡声器を通した平坦な声が、傍聴席のざわめきを押し戻す。

 


「帝国最高法務院、最終公開審理を開廷する。被告人、ヴィオレッタ・エーデルシュタイン。罪状、国家決済基盤の私的横領および民衆資産の不正操作――」

 

 罪状の読み上げが続く。ヴィオレッタはそれを聞き流した。全て知っている。自分がでっち上げられた嘘の目録を、暗記するほど読まされている。

 

 重要なのは、次だ。

 


「――では、告発側証人。国家魔導銀行監査部付き特別会計官、ゲオルク・ヘルダーリン」

 

 足音が法廷に響いた。

 

 革靴の音。だが衛兵のそれとは違う。やけに甲高い。ヒールが高いのだ。実際の身長より三センチは盛っている。

 

 ゲオルク・ヘルダーリンは、中肉中背の男だった。四十代半ば.髪を蝋で固め、仕立ての良い上着を着ているが、袖口の金ボタンだけが不釣り合いに新しい。最近つけ替えたのだろう。皇太子派の紋章入り。

 

 ――所属を誇示するためのボタン。実力ではなく、後ろ盾で仕事をする人間の典型的な装飾。

 

 会計官は証言台に立ち、傍聴席を一度見回した。その仕草に、僅かな高揚が滲んでいた。注目されている。帝都中の視線が自分に集まっている。それが気持ちいいのだ。

 

 ヴィオレッタは、その高揚を冷えた目で観察した。

 

 ――この男は、自分がこれから何を読み上げるのか、本当には理解していない。

 

 会計官が羊皮紙の束を広げた。分厚い。装丁まで立派だ。金箔押しの表紙に「国家決済基盤・特別監査報告書」と刻印されている。

 

 見た目だけは、完璧だった。

 


「ここに提示いたしますのは、被告人ヴィオレッタ・エーデルシュタインが、帝国祝福貨システムの管理権限を悪用し、過去三年間にわたって行った不正送金の記録であります」

 

 会計官の声は、よく通った。法廷用に訓練された発声。原稿を暗記してきたのだろう。滑らかに、淀みなく、「事実」を読み上げていく。

 


「第一に、災害復興基金からの迂回送金。被告人は、東部三州への災害復興基金として計上された総額四億七千三百万祝福貨のうち、二億一千万祝福貨を個人管理の別口座へ分流させ――」

 

 傍聴席がどよめいた。

 


「二億だと……?」

 


「だから言ったんだ、あの女は最初から――」

 

 会計官の唇の端が、微かに上がった。手応えを感じている。

 

 数字は嘘だ。ヴィオレッタは知っていた。だが民衆にとって、数字の真偽は関係ない。「二億」という音の大きさだけが、感情に刺さる。

 

 そして会計官は、自らの仕事の「精密さ」を誇示するかのように、内訳を読み続けた。

 


「――その内訳を州別に申し上げます。東部第一州への配分が一億八千九百十二万三千祝福貨、第二州が一億五千四百七十万八千祝福貨、第三州が一億二千九百十六万九千祝福貨。このうち被告人の迂回分は、各州配分比率に応じて――」

 

 長い。無駄に長い。だが会計官はやめない。数字を一つ並べるたびに、傍聴席の顔が「やはりそうか」と歪むのが快感なのだ。具体的な数字を細かく読み上げるほど「緻密な調査」に見えるという、浅い計算もあるのだろう。

 

 ヴィオレッタは、その一つ一つを聞いていた。

 

 聞き流してはいなかった。

 

 ――一億八千九百十二万三千。一億五千四百七十万八千。一億二千九百十六万九千。合算は四億七千三百万。総額とは合う。だが各州の配分比率で按分し直すと――

 

 暗算は一瞬で終わった。

 

 ――端数の処理がおかしい。切り捨てた値になっている。仕様上は切り上げ固定。このシステムを通った記録なら、この数字にはならない。

 

 だが、ヴィオレッタはそれを口にしなかった。

 

 この法廷の傍聴席は帝都の一角にすぎない。端数処理の仕様違反が何を意味するかを理解できるのは、数字を日常的に扱う人間だけだ。ここで出しても、火種にしかならない。

 

 もっと大きな舞台がある。もっと多くの目が集まる場所が。

 

 その時まで、この札は懐に仕舞っておく。

 


「第二に、地方通信塔の建設費用における水増し請求であります」

 

 会計官はますます乗っていた。声に力が入り、身振りまでつけ始めている。

 


「被告人の指示により、本来不要であった八基の増幅塔が建設されました。これらの塔の建設費は公共インフラ投資・丙種カテゴリとして処理されていますが、実態は被告人の個人口座への迂回です。送金額、二千四百万祝福貨。すべて赤色の祝福貨で決済処理されたと記録されております」

 

 ――赤色。

 

 ヴィオレッタの目の中で、何かが、静かに灯った。

 

 自分からは見えない帳簿の内容を、この男は親切に全部読み上げてくれている。それも、ご丁寧にカテゴリと色まで。

 

 偽造した人間が、このシステムの仕様を知らないということ。そしてこの会計官もまた、自分が何を読んでいるのか理解していないということ。

 

 その二つが、今、同時に証明された。

 

 ――こちらは、今ここで使える。

 


「――合計すると、被告人が私的に流用した額は、実に三億八千五百万祝福貨に上ります」

 

 会計官は帳簿を高く掲げた。芝居がかった動作で。傍聴席に見せつけるように。

 

 怒号が膨れ上がった。

 


「三億八千五百万だと!」

 


「俺たちの金だぞ!」

 


「さっさと処刑しろ!」

 

 空気が熱い。壁面の魔導灯が、その熱に呼応するように明滅した――ように見えた。だが実際には、傍聴席の人間が壁に寄りかかったせいで回線に微細な負荷がかかっただけだ。ヴィオレッタだけが、その物理的原因を正確に読んでいた。

 

 会計官は満足げに帳簿を閉じ、裁定席のレオンハルトに一礼した。

 


「以上が、告発側の提示する証拠の全容であります。殿下」

 

 レオンハルトが頷いた。優雅に。余裕に満ちた、完璧な「裁く者」の顔で。

 


「ご苦労。――さて」

 

 サファイアブルーの瞳が、見下ろすようにヴィオレッタへ向けられた。

 


「被告人。最後の弁論の機会を与える。何か言い残すことがあれば」

 

 傍聴席が静まった。処刑前の最後の言葉。それを聞くのが、この見世物の醍醐味だ。泣くのか。許しを乞うのか。それとも呪いの言葉を吐くのか。

 

 ヴィオレッタは、被告席から見上げた。

 

 手枷が鳴った。鎖の音が、静まり返った法廷に落ちた。

 


「弁論はしないわ」

 

 声は低く、平坦だった。

 

 傍聴席がざわついた。レオンハルトの眉が、微かに動いた。

 


「弁論はしない。ただ――」

 

 ヴィオレッタの視線が、会計官に向いた。

 

 アメジストの瞳。底冷えのする、無機質な光。人を見る目ではない。数字を読む目だ。

 


「確認がひとつだけある」

 

 会計官が、僅かに身じろぎした。台本にない展開。だが彼はすぐに笑みを取り繕った。これは形式的な最終審理だ。何を言おうと結果は変わらない。

 


「……どうぞ」

 


「あなたが今読み上げた内容。地方通信塔の建設費用について。送金カテゴリが『公共インフラ投資・丙種』、送金額が二千四百万祝福貨。そして『すべて赤色の祝福貨で決済処理された』と。――あなたがそう読み上げたわ。間違いないわね?」

 

 会計官が頷いた。まだ自分が何を言ったのか理解していない顔で。

 


「……ええ、帳簿にはそう記載されて――」

 


「ありえない」

 

 ヴィオレッタの声は、冷たかった。

 

 冷たいというよりも、温度という概念を持たない声だった。

 


「『公共インフラ投資・丙種』は行政カテゴリ。赤色の祝福貨ではルーティングされない。赤は娯楽と投げ銭専用。行政カテゴリへの送金は青色以上でなければ、そもそもシステムが受け付けない」

 

 法廷の空気が、変質した。

 


「帳簿を偽造するなら、せめてシステムの送金仕様くらいは確認すべきだった。赤色の祝福貨で行政送金のログを作ることは、このシステム上では――」

 

 ヴィオレッタは、初めてレオンハルトを見た。

 


「物理的に、不可能よ」

 

 その四文字が、法廷の床を打った。

 

 傍聴席のざわめきが、変わった。質が変わった。怒号ではなく、困惑。隣の人間と顔を見合わせる音。足を組み替える衣擦れ。

 

 全員が味方になったわけではない。大半はまだ理解が追いついていない。だが――何かがおかしい、という空気だけが、確実に広がり始めていた。

 


「い、異議あり!」

 

 会計官の声が裏返った。

 


「被告人は技術的な詭弁で法廷を惑わそうとしている! この帳簿は国家魔導銀行の監査部が正式に――」

 


「では、国家魔導銀行の端末で今すぐ照合すればいい」

 

 ヴィオレッタの声は、変わらなかった。平坦で、事務的で、一切の感情を含まない。

 


「あなたの帳簿の送金記録と、実際のシステムログ。端末を叩けば十秒で答えが出る。どちらが本物で、どちらが偽物か」

 

 会計官の口が開いた。閉じた。また開いた。

 

 言葉が出ない。

 

 照合すればわかる。照合すれば――すべてわかってしまう。帳簿が偽造であることだけではない。本物のログには、では実際に金がどこへ流れたのかが記録されている。皇太子派の口座へ.裏カジノへ。横領の全容が。

 


「……っ」

 

 会計官の手から、帳簿が滑り落ちた。

 

 革張りの表紙が、石の床に当たって乾いた音を立てた。金箔押しの「国家決済基盤・特別監査報告書」という文字が、魔導灯の光を反射して一瞬だけ輝いた。

 

 その輝きが、ひどく空虚に見えた。

 

 傍聴席の誰かが笑った。嘲笑ではない。困惑と驚きが混ざった、処理しきれない感情の漏出。

 


「――十分だ」

 

 レオンハルトの声が、法廷を切り裂いた。

 

 立ち上がっていた。頬杖の姿勢はとうに崩れ、肘掛けを握る指の関節が白い。だがその声は――まだ、制御されていた。完璧な「裁く者」の声を、力ずくで維持していた。

 


「被告人の弁論は終了とする。――本審理において提示された証拠および証言を総合し、帝国最高法務院は、被告人ヴィオレッタ・エーデルシュタインの罪状を全面的に認定する」

 

 傍聴席がざわめいた。だが先ほどまでの一枚岩の怒号ではなかった。声の方向がばらけている。隣の人間に何か言いかける者。黙り込む者。

 


「公開処刑をもって、判決は執行される。日程は追って通達する。――閉廷」

 

 裁定槌が、叩きつけられた。

 

 ヴィオレッタは、その音を聞いていた。

 

 予想通りだった。証拠の照合は許可されない。死刑判決は維持される。レオンハルトにとってこの審理は、正義の手続きではなく演出にすぎない。結末は最初から決まっていた。

 

 だが。

 

 衛兵に腕を掴まれ、被告席から引き出される。手枷の鎖が床を擦る音。傍聴席の視線が、背中に刺さる。

 

 だが、その視線の温度が――来た時とは、ほんの僅かに違っていた。

 

 全員が罵倒していたわけではなかった。ほんの数人。商人や、帳簿に触れたことのある事務官たち。彼らの目には、罵声の代わりに、沈黙があった。

 

 それで十分だった。

 

 法廷を出る直前、ヴィオレッタの視線が壁面を走った。魔導回線の配管。微かに脈動する光の筋。通信トラフィックの流れが、審理の前と後で僅かに変わっている。

 

 帝都の決済網に、新しいノイズが生まれている。

 

  *

 

 地下牢に戻されたヴィオレッタは、壁に背を預け、目を閉じた。

 

 手枷の金属が肌に食い込む。数日分の疲労が、審理の緊張から解放された途端に一気に押し寄せてくる。

 

 だが、口元には薄い弧が浮かんでいた。

 

 魔導格子の光が、いつものパターンで明滅している。3-2-3-4-2。だがその4と2の間に挟まる微細なパルスが、審理の前よりも僅かに――ほんの僅かに――増えていた。

 

 決済トラフィックの変動。帝都のどこかで、祝福貨が動いている。

 

 あの法廷で、ヴィオレッタは弁論をしなかった。自分の無実を訴えなかった。感情に訴えなかった。

 

 ただ、「仕様」を読み上げた。

 

 それだけで十分だった。民衆の全員を味方につける必要はない。百人のうち一人――いや、千人のうち一人でいい。帳簿の数字がおかしいと気づいた人間が、その違和感を周囲に伝える。伝えた先の人間が、自分の持つ祝福貨の送金履歴と見比べる。そして――

 


「一人が疑えば、隣も疑う。それで十分よ」

 

 声は、独房の闇に溶けた。

 

 魔導格子のパルスが、また一つ、揺れた。

 


「今ので――回路は繋がったわ」

 

 帝都の片隅。名も知らぬ誰かの端末から、微小な祝福貨が流れている。宛先は、凍結されているはずのヴィオレッタ・エーデルシュタインの個人口座。

 

 金額にすれば塵のようなもの。一杯の茶すら買えない端数。

 

 だが、その一粒は、彼女が設計した決済網のルーティング規則に従って、正確に、仕様通りに、流れ着いている。

 

 ヴィオレッタは目を閉じたまま、右手の人差し指に触れた。冷たい金属の輪。

 

 処刑台。

 

 全てはまだ、設計の途中だ。

 

 格子の光が一度だけ強く瞬き、再び暗転した。

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