9 追いつく
もう自分を貴族社会に繋ぎ止めるものは何も無い、とリヴェットは感じていた。なんとなく肩が軽く思える。
(別に私、貴族でいたいとか、そんな気持ちもなかったし)
両親も、特に父親シェルダンの方には貴族社会への拘りが薄い。
だから、軍人になりたい、という世間的には突飛な自分の要望もすんなりと受け入れてくれた。
(ずっと受けたくもない貴族令嬢としての教育を受けて。それでいて、やりたいこともして。眠る間も無かったっていうのに。その報いがあれだなんて)
リヴェットは10歳を過ぎてからの苦労を思い起こして、プリプリと腹を立てる。
怒りながらも足取りはしっかりとしていて、フェルテア大公国へと確実に近づいていた。
ドレシア帝国の北東に位置する隣国だ。
北へ向かうにつれて、空気がひんやりとしてくる。
(お父様はあまりお話しして来なかったけど、でも、私のことをよく見てくれてたんだわ)
リヴェットは以前より遥かに短くなった、灰銀色の髪に触れる。動きやすい。
服装も旅装というより軍装だ。動きやすいシャツにズボン、それに連弩と矢筒を携帯している。
(体力は自信あるけど、腕力は男の人には勝てない)
軍に入ってから後のことをリヴェットは想定する。どうしても肉体的な面での弱みもある反面、きっと強みもあるはずだ。
そう考えると足取りは軽い。
途中、何度か街道を外れて進路を変えた。
(私1人ってことは、本当はないと思うけど。お父様、用心深いから)
視線を何度か感じた。シェルダンがつけただけあって、今のリヴェットでは容易く察知することも出来ない。
護衛などいなくても自分は大丈夫だ。連弩の腕前にも敵を察知する能力にも自信はあった。両脚に装着した矢筒もまだ殆ど減っていない。
(盗賊ぐらいなら、倒せるとは思う。お父様の敵対者も殆どいないし、もう巻き込まれる筋合いも、本当は無い)
だが、自分が貴族の血縁であることは一生変えられない。嫌な現実として、治安の良いドレシア帝国であっても、身代金目的で狙われることは考えられた。
どれだけ歩いたのか。
国境近くまでは来たはずだ。
(ドレシア帝国、フェルテアでのお仕事が落ち着いたら、お父様やお母様にはお手紙を出して、時々は帰省しよう)
リヴェットはまた森の中から街道に戻って思う。
甘いかもしれない。だが、帰れない理由も帰らない理由もない、今回は、そんな人生の選択なのだった。
(なら、自由に好きな時に帰って良いかなって思う)
勘当されたわけでも追放されたわけでもないのだから。
「リヴェット嬢っ!」
急に名前を呼ばれた。
遠くから騎馬が疾駆してくる。
「あれは」
リヴェットは目を細める。
(見たことがあるような、無いような)
どう見ても貴族だ。綺麗な銀色の軽鎧を身に着けていて、立派な栗毛の馬に乗っている。
乗っている男性は知らない。
逃げようと思わなかったのは、害意を感じなかったからだ。
「お願いですっ!どうかお待ちをっ!」
鬼気迫る叫びや勢いに呑まれたせいもあるかもしれない。
叫びながら騎馬が更に近づいてくる。
顔も見える距離になると、思ったよりも若そうだと気づく。
同い年ぐらいだろう。
(同級生の人だわ、多分)
つい先日、高等学院を卒業したばかり、学校で見たことがあるのだ。
(あっ、違う、この人)
リヴェットはもっと近付かれて気づいてしまう。
だから、自分は逃げなかったのだ。
「良かった!追いつけた!」
水色の髪をした、端正な青年だった。腰には立派な剣を佩いている。
知らないわけのない相手だ。
(あっ、どうしよ。この人、私より強いわ)
リヴェットは背中に冷や汗をかく。
佇まいや所作だけでそれと分かる、剣術の達人だ。自分がこの人に襲われたとして、身を守るには近づかれる前に射殺すしかなかった。
(それも、本人には無理。斬り払われる。狙うんなら、馬の方を)
落馬した隙に逃げるしかないのだが。罪もない、お利口そうな馬の瞳をみると、そんな気持ちにもなれない。
「えーと、どちら様ですか?」
内心の動揺を見て取られないよう、リヴェットは横を向いて尋ねる。
水色の髪をした貴公子など、ドレシア帝国には一人しかいない。
「申し遅れました。レイヴァン・クラインと申します」
即座に答えが返ってきた。
現皇帝の甥にして、聖騎士セニアの息子だ。
(ですよねぇ)
リヴェットはどうしていいか分からなくなる。
(なんで、追っかけてきたの?)
長年、話すこともなかった相手だ。
親同士の付き合いで、10歳より前にはクライン公爵家をよく訪ねていた。だが、10歳になってから、急に両親がクライン公爵家と距離を置き始めたのだ。レイヴァン・クラインとも一切の交流を絶たれている。
「私のことを、お忘れですか?」
不安そうな顔でレイヴァンが尋ねてくる。
「いえ、でも、長くお会いしていなくて、子供の時以来ですか?こうしてお話するのは」
リヴェットはぎこちなく笑顔を作って尋ねる。不自然になっているかもしれない。
「ええ。申し訳ありません。決意の旅路を、引き留めるようなことをしてしまい」
レイヴァンが気不味そうに言う。
自分が軍人になろうとしていることを知っている物言いだ。
リヴェットは驚く。軍人になることを伝えたのは父のシェルダンら家族にだけなのだから。
(お父様が、レイヴァン様に伝えたっていうこと?)
聖騎士セニア嫌いの上に秘密主義のシェルダンが、その息子の背中をリヴェットに向けて押したということなのだろうか。
「本当に、申し訳ありません」
重ねて告げ、レイヴァンが頭を下げる。
「おやめください。私のような者に」
リヴェットはどうしていいか分からなくなる。
「いえ、お父君から、軍人になるとの決意はうかがっております。あんなことがあったからこそだと、分かった上で俺は今、押しかけているのです」
頭を下げたままレイヴァンが言う。
(こんなはっきり、喋る人だったっけ?)
頼りない子供だと思っていた。聖騎士としての訓練に行き詰まっていて、リヴェットは生意気にも助言をしたことがある。
助言がきっかけで何やら解決したらしく、気に入られてしまった時期もあった。その時は自分も楽しかった思い出はある。
「もともと、人生の選択の一つとして考えていたのです。母方の姓を名乗るなら、とあの縁談を受け入れましたけど、駄目になるならなったで、私は父や兄と同じく軍人となります。そういう家系で、父も現役ですから」
リヴェットは肩をすくめてみせる。
貴族令嬢としての、自分の人生の歩みは最悪だった。
(一緒にいても楽しくなくて、いっつも偉そうでぞんざいで、挙げ句、浮気はするし、一方的に破談して。ありもしない悪い話を流そうとして。しかも、それに失敗してお父様に埋められるような男)
リヴェットは内心で、アランへの不平不満を一気に並べ立てる。
今、思い出しても腹が立つ。
「俺は、少なくともあの男よりも優秀です」
いきなりレイヴァンが断言してきた。
「はい?」
思わずリヴェットは聞き返してしまう。
「貴女のことを、陰ながらブレることなく何年も思い続けてきました。誠実でもあります」
真っ直ぐに自分を見つめて、レイヴァンが自身を売り込んでくる。
抵抗してリヴェットは横を向いたまま。なぜだかすんなりと受け入れたくないのだった。
「父母は、特に母は突飛なことばかり言いますし。突飛なことばかりしますが、リヴェット嬢にご迷惑はかけさせません」
だから結婚してくれとでも言うのだろうか。
とうとうリヴェットは笑ってしまった。
「何ですか、一方的に押しかけて、私の気持ちも考えないでご自身を売り込んで」
何年も放っておいて、今更だ。
「私は軍人になります。とりあえずフェルテアに父の元部下で凄い人がいますから、その人の部下に」
バーンズというらしい。
「お願いです。その話を取り消して、私と婚約してください」
どうリヴェットが抵抗しても、この言葉を投げるつもりだったのだろう。
真摯な瞳をレイヴァンが自分に向けてくる。
(まるで、槍みたい)
リヴェットは胸に手を当てる。
一度、決意を固めてしまったからか、素直に聞き入れたくもないのだが。
しばし沈黙する。
「ずるいです」
ポツリと言葉をこぼす。
「いまさら、あんな人と過ごしていて、私が。それを平気で見ていた人が、なんで、今更、情熱的な言葉をかけてくれるんです?」
リヴェットは俯く。
「平気なものですか。ただ耐えたのです。リヴェット嬢もご自分で仰っていたでしょう。受け入れていた、と。貴女が受け入れているのなら。俺も耐えるしかないと心を固めていたのです」
一人称が『俺』に変わっている。
レイヴァンの言葉に嘘は無いのだろう。
「今、この場で俺のすべてを受け入れて、婚約の確約をください、とまで申しません。ただ、どうか、俺に時間をくださいませんか?貴方を幸せにする男であると、信頼を勝ち取ってみせますから」
このままではレイヴァンが跪きそうなほどだ。
「10歳の折にも、俺の希望はリヴェット嬢、貴女でした。私の両親と貴女の御父上との間で成立しなかった、話ですが」
聖騎士セニアとクリフォードの夫妻についてはリヴェットも聞かされている。
(さぞ、苦労しそうなご両親に、とてつもなく人気のある、国で唯一の現役聖騎士の妻を私にしろって?周囲のやっかみも凄そうだけど)
レイヴァンの気持ちを受け入れたとして、自分に務まるだろうか。
リヴェットは思案した。
(退屈はしなさそう)
フッと口元が緩む。
自分は父親のシェルダンに似ているのかもしれない。無理難題があると、出来るかどうかやってみたくなる。
それは本来、長年、軽装歩兵として生き抜いてきた実家の方針とは大きく異なる。
(でも、私はそんな方針に逆らってしまった、お父様の娘なのよね)
その場でじっくりとリヴェットは思考し、悩んでから方針を決めるのであった。




