2 手紙を送る
アラン・トラウト公爵令息とリヴェット・ルンカーク伯爵令嬢の婚約破棄が翌日には、ドレシア帝国社交界に知れ渡っていた。
レイヴァンも帰宅してから後、アラン・トラウトが闇討ちされたらしいという噂は聞いているのだが。
「そんなことより。くっ、せっかくの好機を逃してしまった」
意気消沈して、レイヴァンは呟く。
(まさか、足まで速いとは思わなかった)
それでもアラン・トラウトに余計な言葉を投げつけていなければ追いつけたのではないか。いくら速いと言っても、人間の走る速さには限界というものがある。
(いや、後悔ばかりをしてはいられない)
今は自室でリヴェットに送る手紙をしたためているところだ。直接、交際を申し込めなかった以上、手紙を送るしかない。
家格として、自分は優良な方だろう。
現皇帝シオンの甥にして、母親は国を代表する英雄聖騎士セニアである。父親である皇弟クリフォードが当時女性侯爵だったセニアと結婚し、その後の炎魔術研究の功績で公爵に格上げされた。
(無論、家格などではなく、誠意を見せて、そのうえで受け入れられたい)
ノックの音が響く。
「失礼します」
執事のメイスンが部屋に入ってきた。
「大丈夫ですか?昨夜はさすがに驚きました。いつもは落ち着いていらっしゃるぼっちゃまが、自室に凄い勢いで駆け込まれたのですから」
扉の前に立ち、メイスンが告げる。
黒髪で目つきが鋭く、執事でありながら腰には帯剣していた。自分が生まれる前からクライン公爵家の執事をしており、元は軍人だったらしく、姿勢が良い。剣の腕前も聖騎士であるレイヴァンの母セニア並みだ。
「メイスンも聞いているだろう?想い人が自由になって。しかし、その好機を逃した」
レイヴァンは昨夜のあらましを語る。
親戚筋ということで、自分にもセニアにも甘い。
「なるほど。ルンカーク家とトラウト家のことであれば、私の耳にも入っております」
メイスンが微笑む。
「未だにリヴェット伯爵令嬢を想っておられることは、想像に難くありませんでしたが、父上も母上も判断に困るところでしょう」
更に言葉を加える。
高等学院を卒業したなら、きっぱりと未練を断ち切って、父母の決めた女性と生涯を共にすることとなっていた。
「私が幼かった頃のことは覚えているだろう?今度こそ、彼女に結婚を申し入れたい。段階はきちんと踏むにしても」
レイヴァンは自らの決意をメイスンに告げる。場面場面で一人称を使い分けていた。
「私は判断に困っていない。目指すところは固まっているからね」
何も阻むものが無いのなら、突き進むまでだ。
レイヴァンは話しながらも、ペンを持つ手は動かしていた。
「これを、ルンカーク家に。すぐ、急ぎで届けてほしいんだ」
リヴェットに結婚を前提とした交際を申し込む。そのための面談の場を設けてほしい。
おそらくグズグズしていると誰かに先を越される。
未だ結婚相手の定まっていない、貴族令息たちにとっては、突如あらわれた良縁だ。婚約破棄された相手も問題点だらけのアラン・トラウトでは傷にもならない。
「慌てなくとも、ルンカーク家は消えませんよ」
苦笑いを浮かべてメイスンが応じる。
「それにもし、彼がご息女を表立って守り始めたなら、手紙では判断を左右されますまい」
ボソッとメイスンが意味ありげに呟いた。
リヴェットの親族について何かを知っているのだろうか。
「彼とは?」
レイヴァンは手紙をメイスンに渡しながら尋ねる。
「リヴェット嬢のお父上ですよ」
事も無げにメイスンが答えて手紙を受領する。
レイヴァンも名前は知っていた。
シェルダン・ビーズリー侯爵だ。家名がリヴェットと違うのは、叩き上げの軍人であり、生まれながらの貴族ではないこと。愛妻家であり、妻の実家ルンカーク家を再興するためだと聞く。
「手紙は何かまずいだろうか?」
不安になってレイヴァンは尋ねる。
「いや、手紙すら送らないのでは、それはそれでまずいですな」
メイスンが真面目な顔で答える。
「手順などにもうるさい人ですから。しかし、焦らずともシェルダン殿の眼鏡にかなう若者など、そう多くはないでしょうから」
メイスンの言うとおりなのかもしれない。
レイヴァンも幼い時のことを思い出す。
直接、言葉を交わす機会がほとんどなかったものの、シェルダン・ビーズリー一家が何度もここ、クライン公爵家を訪れてきていたから。
(リヴェットと出会ったのも、その時だった)
まだ10歳にもならなかった時だった。
メイスンが部屋を後にする。いつ見ても隙のない背中だ。50歳を過ぎて尚、並外れた剣豪なのであった。
「レイヴァン、入るよ」
メイスンと入れ違いに、兄のカナートがやってきた。
燃えるような赤い髪である。
「まだ、メイスンが苦手なのですか?」
立ち去るのを待っていた。メイスンも気付いていたのだろう。
「運動をしろ、身体を鍛えろ、とうるさいからね。私は魔導学者だと、いくら言っても聞かないんだ」
肩をすくめてカナートが言い、来客用の椅子に座った。
兄ではなく家督を継ぐのは自分だと決められている。カナートの能力や人柄が不足しているのではない。
髪色にあらわれている通り、聖騎士としての資質を受け継いだのが次男の自分だからだ。父親似のカナートに発現したのが炎魔術への高い資質であった。
「健康のために身体を動かすのは悪いことではありませんよ」
笑ってレイヴァンは告げる。
「弟にまで、執事や母と同じ事を言われたくないね。で、どうするんだ?」
意味ありげにカナートが問うてくる。
「長年の、想い人だろう?こうなると分かっていたら、父さんと一緒に私がトラウト家を焼き払っておいたのに」
本当に燃やしそうだから怖い。らんらんと光る紅い瞳をレイヴァンは見返す。
幼い頃、聖騎士としての修練に行き詰まっていたことがレイヴァンにもあった。無邪気な助言をくれたのがリヴェットである。
聖騎士セニアの教えをいくら実行しようとしても上手くいかない。聖騎士になどなりたくない、とまで思ったところ。
『資料でお勉強すればいいのよ』
リヴェットに言われたことだ。自身も実家の資料を幼いながらに読み込んで楽しかったらしい。
母の教えより分かりやすい資料をその直後、レイヴァンも発見して救われた。リヴェットが来てくれる度に楽しく過ごした思い出もあって。
婚約者を探すにあたって、希望を聞かれ真っ先にリヴェットの名前を挙げたのだが。
「そんなことをすれば、また上手くいかなくなります。もう、子供じゃない。自分できちんと話をつけます」
決意を固めてレイヴァンは宣言する。
「そうか。そうだな。今度こそ、上手くいくといいな。応援してる。焼くべきものがあったら、何でも遠慮なく言ってくれ」
ますます父親の炎魔術師クリフォードに似てきた兄が微笑んで告げる。
母や父にも挨拶をしにいったのだろう。魔導局にこもりきりなのだ。
自分はただ、初恋をこじらせているだけなのかもしれない。
(でも、美しくなる一方だった、リヴェット嬢を見続けていれば、無理もないじゃないか)
レイヴァンはそう思うのであった。




