1 婚約破棄
ドレシア帝国皇都グルーンの郊外に建てられた、ドレシア帝国国立高等学院。学舎から訓練場、各種式典用の大広間を建てるため、広大な敷地を要する。だから、郊外に設けられた教育機関であった。
敷地の南東には式典用の大広間が設けられている。
卒業式典が夜半に開催されていた。
未来の国政を担う貴族子弟が通う、高度な教育機関である。この卒業式典に集うのも、ドレシア帝国の未来を担う若者たちだ。
レイヴァン・クライン公爵令息もまた、今年の卒業生であり、同期生たちとの歓談に勤しんでいた。
(あわよくば、と思っていたが)
チラリと会場隅にいる、灰銀色の髪をした少女を一瞥する。
リヴェット・ルンカーク伯爵令嬢だ。小柄で華奢な体躯に青いドレスを纏っている。学友らしき女性生徒たちと談笑していた。健康的な白い肌が眩しい。
それぞれの未来に思いを馳せつつ、学生時代を思い出し合う。
和やかな雰囲気で終始する場である。
「うん?」
思わずレイヴァンは声を上げた。
場を乱すかのように、ツカツカと足音荒く、紺色の髪をした1人の男子生徒が詰め寄っていく。そしてリヴェットの前で立ち止まる。
「リヴェット・ルンカーク!この俺、アラン・トラウトはお前との婚約を破棄する!」
大声が響き渡る。
一同は声のした方を向いた。
水を打ったように静まり返る式場。
「よりにもよって」
レイヴァンは言葉に詰まる。
なぜ、よりにもよって今なのだ。
灰銀色の髪をしたリヴェットの反応を皆が窺う。
少なくともレイヴァンにとっては、目で追ってしまう存在だった。
可愛らしい容姿ゆえ、婚約者さえいなければ、他の貴族令息たちも言い寄っていたかもしれない。
(その婚約者も、あの、アラン・トラウトだったから、いずれリヴェット嬢の方が愛想を尽かせると思っていたのに)
リヴェットが耐え抜いてしまった。我儘で横暴なアランに苦労し、挙げ句、浮気までされていたというのに。
今、アラン・トラウトの傍らには桃色のドレスを身に着けた少女が佇む。かねてから噂のあった、レイチェル男爵令嬢だ。
「はい、分かりました」
涼しい顔でリヴェットが相手に背を向けた。
「って、おい!理由は?気にならないのか?」
婚約破棄を宣告したアラン・トラウトの方が慌てている。このままリヴェットのありもしない否を言い募るつもりだったのだろう。
「興味ありません。そんなことだろうと思っていましたから。私たち、婚約はしていましたけど、ずいぶん前から疎遠だったじゃありませんか」
背中を向けたまま告げてリヴェットは歩き出す。
真っ直ぐに出口を目指しているようだ。いかにもウンザリした、という顔でため息をつく。
「待てっ!まだ話は終わっていない!」
背後からアランが掴みかかろうとした。
(あいつっ、女性に手を上げる気かっ)
レイヴァンは身体を動かしかける。
だが、ひょいっとリヴェットが一瞥もせずに身を躱す。ドレス着用とは思えない、軽やかな所作である。
「私の方は話すことは一切ありませんので。ご機嫌よう」
小柄なリヴェットが冷たく言い捨てて、会場を後にする。
リヴェットの退場をもって、次第にまたザワザワと話す声が湧き上がってきた。
(いや、俺は)
これは好機だ。
レイヴァンは駆け出す。誰かと会話していたが、もう記憶に無い。
長年、思い続けてきた女性がついにたった今、婚約者不在となったのだから。
レイヴァン自身には婚約者がいない。リヴェットを諦めきれなかったからだ。
(縁談が全くなかった、わけではないが)
血筋の面でも能力・容姿の面でも。名乗りを上げてくれる貴族令嬢は何人もいたのだが。
ちょうど転倒から立ち上がろうとする、アラン・トラウトのいるところに差し掛かった。
「私は真実の愛を見つけたんだ。あんな女との結婚など、ごめんだ」
聞き捨てならない、アランの呟きが聞こえてしまった。女好きで有名な男である。
誰が見ても、リヴェットに恥をかかせようとして失敗した、無様な男にしか見えない。リヴェットの学友たちが早速嘲笑している。
「彼女には何の落ち度も無い。今年の卒業生なら誰でも知っている。お前のほうが彼女を遠ざけ、恋人まで作ったのだ」
レイヴァンは思わず言い放っていた。黙っていられない。
「なにを」
反論しようとするアランだが。自分に気づいて口を閉じる。
「あちらもお前になど興味がなく、ごめんだったのだろう。いかにも、ちょうどいいと言わんばかりの態度だったではないか」
レイヴァンは愚か者の反論など、片時も待つことなく、リヴェットを追う。
既に姿がまるで見えないのだ。
(誰よりも彼女を見つめ続けてきたのは俺だ。だから、誰よりも先に)
焦る思いのまま、レイヴァンは会場の外に飛び出した。
夜風がひんやりと涼しい。魔導外灯が整然と並ぶ、学内の通路。正門と各校舎、建物を繋ぐものだ。
今日は卒業式典とその打ち上げとも言える、この式典があるだけである。夜間ということもあり、学生の姿など見当たらない。
だが、肝心の、リヴェットの姿も見当たらなかった。
この短時間で姿が見えないのはおかしい。
「ルンカーク伯爵令嬢!」
レイヴァンは声を上げる。
声だけが虚しく反響した。
(隠れた?どこかに?)
植木などもあるので、隠れる場所がないでもないのだが、ドレス姿で隠れるだろうか。そもそも隠れる動機もない。
「まさか」
攫われたのではないか。続く言葉をレイヴァンは発することが出来なかった。
(攫われたのではないか)
不穏な単語がもう一度、そっくりそのまま脳内をよぎる。
華奢で可憐なリヴェットであるから、悪漢に襲われればひとたまりもあるまい。
(それこそ、アラン・トラウトの奴が刺客を放っていたのではないか)
実際には傷心すらしていなかったのだが、傷心してリヴェットが出てくると思い込んで、さらなる恥をかかせるべく、刺客を用意していたのではないか。
レイヴァンの中で悪い想像ばかりが膨らんでくる。
「守衛っ!」
そうなると駆け込むべくは学園の守衛詰め所だ。
「ルンカーク伯爵令嬢が行方不明だ!ただちに!」
またしても、レイヴァンは最後まで言い切ることは出来なかった。
守衛の視線が余りにも冷静だったからだ。
「おそらく、その方なら、もうご帰宅の手続きも済まされて。帰られましたよ。いや、ご令嬢とは思えぬほどの俊足でしたね」
初老の守衛が苦笑いで告げる。
こうして、レイヴァン・クラインは最初の機会を失ったのであった。




