第5話:体育の野球で
「ナイスボール! ……って、痛っ!」
体育の授業。
今日のメニューは、野球だった。
準備運動代わりに二人一組でキャッチボールをしていると、向かい側でボールを受けたユウトが、大げさな声を上げた。
「そんなに力入れてないよ」
「嘘つけ! 手がジンジンするぞ!」
ユウトはミット代わりのグローブの中で、何度も手を握ったり開いたりしている。
自分では、本当に軽く投げているつもりだった。
肩を回して、手首のスナップを利かせて、ボールの縫い目に指をかける。
ただそれだけで、ボールは勝手に糸を引くような軌道で飛んでいく。
(これも、身体の使い方なのかな)
リレーの時の走り方や、サッカーの時のボールの蹴り方と、どこか根本が似ている気がした。
全身を連動させて、一番効率のいい形で力を伝える。
その感覚が、なんとなく分かる。
「よし、じゃあミニゲーム始めるぞー!」
先生の号令で、クラスが二つのチームに分かれる。
俺はピッチャーをやることになった。
「春海、ピッチャーなんてできるのか?」
キャッチャーを務めるクラスメイトが、不安そうに尋ねてくる。
「まあ、たぶん。キャッチボールの延長だろ」
「そんな簡単なもんじゃねえと思うけど……」
俺はマウンドに立つと、軽く肩を回した。
ホームベースまでの距離は、思ったより近い。
これなら、全力で投げなくても届きそうだ。
最初のバッターが、おもちゃみたいなバットを構える。
俺は大きく振りかぶって、第一球を投げ込んだ。
ズバンッ!
ボールが、キャッチャーの構えたグローブに吸い込まれる。
乾いた、気持ちのいい音がグラウンドに響いた。
「ストライーク!」
審判役の先生の声に、バッターは呆然と立ち尽くしている。
たぶん、ボールが見えなかったんだろう。
(よし、いい感じだ)
俺は二球目、三球目も同じように、ど真ん中に速いボールを投げ込んだ。
バッターは一度もバットを振ることなく、三振。
「すげえ……」
「なんだよあれ、打てるわけないだろ!」
相手チームから、そんな声が聞こえてくる。
褒められるのは、やっぱり気分がいい。
「春海、次どうする?」
キャッチャーがサインを送ってくる。
人差し指が一本。ストレートだ。
俺はこくりと頷くと、次のバッターに向かって投げ込んだ。
その後も、俺は面白いように三振の山を築いた。
たまにバットに当てられても、力のないゴロになるだけ。
味方の野手が、きっちり処理してくれた。
◇
攻撃の回。
俺はバッターボックスに立っていた。
(投げるのも面白いけど、打つのも楽しそうだな)
相手ピッチャーが投げたボールは、山なりのスローボールだった。
これなら、タイミングを合わせるのは簡単だ。
(……来た)
俺はボールをギリギリまで引きつけると、バットをコンパクトに振り抜いた。
狙うは、逆方向。ライトの頭上だ。
カキィン!
金属バット特有の甲高い音が響き、白いボールは青空に舞い上がった。
打球はぐんぐん伸びて、ライトの頭をはるかに越え、外野のフェンスに直撃した。
俺は全力で走り、二塁ベースを蹴って三塁に到達した。
スリーベースヒット。
「春海、お前、打つのもヤバいのかよ!」
ベンチから、味方の歓声が飛んでくる。
俺は少しだけ誇らしい気持ちで、胸を張った。
ミニ紅白戦は、俺の投打にわたる活躍で、俺のチームが圧勝した。
「はー、疲れた」
授業が終わり、着替えをしていると、キャッチャーを務めていたクラスメイトが話しかけてきた。
彼は、クラスで一番野球が上手いやつだ。
「春海、お前、マジですごいな。特にあのストレート。小学生の投げる球じゃねえよ」
「そうかな」
「ああ。なあ、ちょっと相談があるんだけど」
彼は少し真剣な顔で、俺に言った。
「次の回、高めのボールで空振りを取ってみたいんだけど、どう思う?」
「高めか。いいんじゃない?」
「だよな! じゃあ、一球、外のボール球を見せておいて、その次に高めの釣り球で……」
「いや」
俺は彼の言葉を遮った。
「一球見せてから、外に逃がす球を投げよう。そしたら、たぶん次は高めに手を出してくる」
「……! なるほど」
彼は一瞬驚いた顔をしたが、すぐに納得したように頷いた。
配球の組み立て。
まるで、将棋みたいで面白い。
◇
全ての授業が終わり、帰ろうとした時だった。
体育の先生に呼び止められた。
「春海、ちょっといいか」
「はい」
「今日のピッチングとバッティング、見たぞ。素晴らしかった」
「ありがとうございます」
「単刀直入に聞く。野球部の校内選抜に、興味はないか?」
野球部。
サッカーの時と同じ、助っ人とは違う、本格的な誘い。
「勝てば、地域戦にも出られる。お前の力が必要なんだ」
先生の目は、本気だった。
自分の力が、また誰かに必要とされている。
その事実が、俺の心をくすぐった。
「……やります」
俺は、迷わずそう答えていた。
放課後、俺は誰もいないグラウンドに戻っていた。
スコアボードには、さっきのミニゲームの結果がまだ残っている。
俺はスマホを取り出すと、そのスコアボードを背景に、こっそりと自撮りをした。
(うん、いい記念だ)
写真を見返して、満足げに微笑む。
新しい挑戦が始まる。
次は、どんな「楽しいこと」が待っているんだろう。
俺は期待に胸を膨らませながら、グラウンドを後にした。