第33話:怪物の分析
その男、木戸健司は、自身のオフィスで山のように届いたメールにうんざりしていた。
元プロ格闘家にして、今や歯に衣着せぬ辛口な分析で人気を博す、格闘技解説者。
彼の元には今、世間で話題の『謎の高校生ヒーロー』の動画に関する問い合わせが殺到していた。
「木戸さん、またリクエスト来てますよ。『あの高校生の動き、どう思いますか?』って」
アシスタントの女性が、申し訳なさそうに告げる。
木戸は、眉間に深い皺を刻んだまま、吐き捨てるように言った。
「またか。正義感に燃えた腕っぷしが自慢のガキだろ。たまたま相手が素人だったから上手くいっただけだ。専門家がわざわざ語るようなもんじゃない」
彼は、すでにその動画を一度だけ見ていた。
確かに、度胸はある。だが、それだけだ。
素人が刃物相手に飛び込むなど、無謀の極み。
彼の目には、ただそれだけの映像にしか映らなかった。
「ですが、視聴者の皆さんは、どうしても木戸さんの分析が聞きたいと……。今夜の生配信で、取り上げていただけませんか?」
「……ちっ、面倒な」
木戸は舌打ちしつつも、頷いた。
ファンを無視するわけにはいかない。
「分かった。そんなに言うなら、徹底的に分析してやる。素人が刃物相手に立ち向かうことが、いかに無謀で危険なことか。俺が思い知らせてやるよ」
その夜、木戸健司の公式チャンネルで、生配信が始まった。
◇
『――どうも、木戸健司です。さて、今夜はリクエストが殺到した、例の動画を分析していく』
木戸は、いつも通りの不機嫌そうな顔で、配信を始めた。
コメント欄は、またたく間に視聴者の書き込みで埋め尽くされていく。
『待ってました!』
『木戸さん、ぶった斬ってくれ!』
『ヒーローか、ただの無謀か、はっきりさせて!』
『まあ、まずは何も言わずに見てみようか。これが、その映像だ』
配信画面に、例の動画が再生される。
広場の喧騒、悲鳴、そして、俺が通り魔を制圧するまでの一部始終。
動画が終わると、木戸は腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。
『……まあ、勇気だけは認めてやる。女の子を守ろうとした、その心意気は立派だ。だが、動きそのものは、褒められたもんじゃない。ただの力任せの制圧だ。プロの視点から言わせてもらえば――』
木戸が、いつものように持論を展開しようとした、その時だった。
『――ちょっと待て』
彼は、自らの言葉を遮ると、眉をひそめて映像を巻き戻した。
『今、なにか……』
彼は、俺が男の懐に飛び込むシーンを、スロー再生で、何度も、何度も、繰り返し再生し始めた。
そして、フレーム単位で映像を止めた瞬間、木戸の表情が、初めて変わった。
『……なんだ、この動きは?』
それまでの自信に満ちた口調が、消え失せている。
画面には、振り下ろされる包丁を、俺が紙一重でかわす瞬間が映し出されていた。
『おかしい……。腕で払ってもいない。ブロックもしていない。ただ、上体をわずかに反らしただけで、刃の軌道を完璧に外している。分かるか? これは、コンマ数ミリ単位で、相手の動きを『視て』いなければ、絶対に不可能な動きだ。まるで、恐怖という感情が、この子には存在しないみたいじゃないか……』
コメント欄が、ざわつき始める。
木戸は、そんなことには構わず、さらに分析を続けた。
今度は、俺が踏み込むタイミングに、焦点を当てる。
『ここだ! よく見ろ! 犯人が踏み込んだ瞬間に、彼は動いていない。犯人が踏み込もうとする、その筋肉の収縮、重心の移動、その全ての『予備動作』を捉えて、相手よりもコンマ一秒、先に動いている!』
木戸の声に、熱がこもり始める。
『だから、犯人の攻撃は、全て後手に回る! こいつ、まるで未来でも視えているかのようだ……!』
そして、最後の一撃。
俺が、男の脇腹に肘を叩き込むシーン。
『最後の一撃を見てくれ。拳じゃない……肘打ちだ。だが、ただの肘打ちじゃない。相手の脇腹、急所である肝臓の位置を、寸分の狂いもなく的確に打ち抜いている。これは相手を破壊するためじゃない。呼吸を止め、神経を麻痺させて、戦闘不能に陥らせるためだけの、あまりにも専門的すぎる一撃だ。普通の高校生が、咄嗟にこんな技術を使えるわけがない!』
そこまで一気に語ると、木戸は、ぜえぜえと肩で息をしていた。
額には、びっしょりと汗が浮かんでいる。
彼の最初の余裕は、もうどこにもなかった。
あるのは、未知の才能に対する、畏怖と、興奮だけだった。
しばらくの沈黙の後、木戸は、震える声で、視聴者に向かって言った。
『……皆さん、訂正します。これは、ヒーローの動画などではない。俺たちが、今、この瞬間に目撃しているのは、正体不明の、そして、恐るべき『怪物』の誕生です』
◇
その配信は、伝説となった。
木戸の分析は、瞬く間に切り抜かれ、格闘技ファンや武道経験者のコミュニティで、爆発的に拡散された。
『#謎の高校生ヒーロー』というタグは、いつしか『#怪物の分析』というタグに取って代わられていた。
『木戸の言う通りだ。あの踏み込みは、尋常じゃない』
『どこの道場の選手だ? いや、あんな動きをする流派、聞いたことがない』
『あれは、才能だ。教えられて身につくものじゃない』
俺への評価は、「勇敢な高校生」から、「未知の才能を持つ、底の知れない存在」へと、一夜にして変質した。
その日の深夜。
鳴り響くスマホの着信音で、俺は目を覚ました。
相手は、ユウトだった。
「悠、見たか!? 木戸の配信!」
電話の向こうのユウトの声は、昼間とは比べ物にならないほど、切迫していた。
「ああ、まあ……」
「これ、もうヒーローとかそういう騒ぎじゃねえぞ。お前の動き、完全にプロの目で見られてる。どうすんだよ、これ……」
ユウトの心配は、もっともだった。
だが、俺の心の中にあったのは、不安ではなく、別の感情だった。
あの解説者が語っていた、俺の動き。俺自身も、まだよく分かっていない、俺の力。
それを、もっと知りたい。
「……なあ、ユウト」
俺は、静かに口を開いた。
「中学の時、お前と行ったキックジム、まだあるかな。あの時のトレーナーの人……嶋田さんに、もう一度会ってみたい」
それは、怪物と呼ばれた少年が、初めて自らの意思で、その力の正体を知ろうとした瞬間だった。




