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第33話:怪物の分析

 その男、木戸健司は、自身のオフィスで山のように届いたメールにうんざりしていた。

 元プロ格闘家にして、今や歯に衣着せぬ辛口な分析で人気を博す、格闘技解説者。

 彼の元には今、世間で話題の『謎の高校生ヒーロー』の動画に関する問い合わせが殺到していた。


「木戸さん、またリクエスト来てますよ。『あの高校生の動き、どう思いますか?』って」


 アシスタントの女性が、申し訳なさそうに告げる。

 木戸は、眉間に深い皺を刻んだまま、吐き捨てるように言った。


「またか。正義感に燃えた腕っぷしが自慢のガキだろ。たまたま相手が素人だったから上手くいっただけだ。専門家がわざわざ語るようなもんじゃない」


 彼は、すでにその動画を一度だけ見ていた。

 確かに、度胸はある。だが、それだけだ。

 素人が刃物相手に飛び込むなど、無謀の極み。

 彼の目には、ただそれだけの映像にしか映らなかった。


「ですが、視聴者の皆さんは、どうしても木戸さんの分析が聞きたいと……。今夜の生配信で、取り上げていただけませんか?」


「……ちっ、面倒な」


 木戸は舌打ちしつつも、頷いた。

 ファンを無視するわけにはいかない。


「分かった。そんなに言うなら、徹底的に分析してやる。素人が刃物相手に立ち向かうことが、いかに無謀で危険なことか。俺が思い知らせてやるよ」


 その夜、木戸健司の公式チャンネルで、生配信が始まった。



『――どうも、木戸健司です。さて、今夜はリクエストが殺到した、例の動画を分析していく』


 木戸は、いつも通りの不機嫌そうな顔で、配信を始めた。

 コメント欄は、またたく間に視聴者の書き込みで埋め尽くされていく。


『待ってました!』

『木戸さん、ぶった斬ってくれ!』

『ヒーローか、ただの無謀か、はっきりさせて!』


『まあ、まずは何も言わずに見てみようか。これが、その映像だ』


 配信画面に、例の動画が再生される。

 広場の喧騒、悲鳴、そして、俺が通り魔を制圧するまでの一部始終。

 動画が終わると、木戸は腕を組んで、ふんと鼻を鳴らした。


『……まあ、勇気だけは認めてやる。女の子を守ろうとした、その心意気は立派だ。だが、動きそのものは、褒められたもんじゃない。ただの力任せの制圧だ。プロの視点から言わせてもらえば――』


 木戸が、いつものように持論を展開しようとした、その時だった。


『――ちょっと待て』


 彼は、自らの言葉を遮ると、眉をひそめて映像を巻き戻した。


『今、なにか……』


 彼は、俺が男の懐に飛び込むシーンを、スロー再生で、何度も、何度も、繰り返し再生し始めた。

 そして、フレーム単位で映像を止めた瞬間、木戸の表情が、初めて変わった。


『……なんだ、この動きは?』


 それまでの自信に満ちた口調が、消え失せている。

 画面には、振り下ろされる包丁を、俺が紙一重でかわす瞬間が映し出されていた。


『おかしい……。腕で払ってもいない。ブロックもしていない。ただ、上体をわずかに反らしただけで、刃の軌道を完璧に外している。分かるか? これは、コンマ数ミリ単位で、相手の動きを『視て』いなければ、絶対に不可能な動きだ。まるで、恐怖という感情が、この子には存在しないみたいじゃないか……』


 コメント欄が、ざわつき始める。

 木戸は、そんなことには構わず、さらに分析を続けた。

 今度は、俺が踏み込むタイミングに、焦点を当てる。


『ここだ! よく見ろ! 犯人が踏み込んだ瞬間に、彼は動いていない。犯人が踏み込もうとする、その筋肉の収縮、重心の移動、その全ての『予備動作』を捉えて、相手よりもコンマ一秒、先に動いている!』


 木戸の声に、熱がこもり始める。


『だから、犯人の攻撃は、全て後手に回る! こいつ、まるで未来でも視えているかのようだ……!』


 そして、最後の一撃。

 俺が、男の脇腹に肘を叩き込むシーン。


『最後の一撃を見てくれ。拳じゃない……肘打ちだ。だが、ただの肘打ちじゃない。相手の脇腹、急所である肝臓の位置を、寸分の狂いもなく的確に打ち抜いている。これは相手を破壊するためじゃない。呼吸を止め、神経を麻痺させて、戦闘不能に陥らせるためだけの、あまりにも専門的すぎる一撃だ。普通の高校生が、咄嗟にこんな技術を使えるわけがない!』


 そこまで一気に語ると、木戸は、ぜえぜえと肩で息をしていた。

 額には、びっしょりと汗が浮かんでいる。

 彼の最初の余裕は、もうどこにもなかった。

 あるのは、未知の才能に対する、畏怖と、興奮だけだった。


 しばらくの沈黙の後、木戸は、震える声で、視聴者に向かって言った。


『……皆さん、訂正します。これは、ヒーローの動画などではない。俺たちが、今、この瞬間に目撃しているのは、正体不明の、そして、恐るべき『怪物フィジカルモンスター』の誕生です』



 その配信は、伝説となった。

 木戸の分析は、瞬く間に切り抜かれ、格闘技ファンや武道経験者のコミュニティで、爆発的に拡散された。

『#謎の高校生ヒーロー』というタグは、いつしか『#怪物の分析』というタグに取って代わられていた。


『木戸の言う通りだ。あの踏み込みは、尋常じゃない』

『どこの道場の選手だ? いや、あんな動きをする流派、聞いたことがない』

『あれは、才能だ。教えられて身につくものじゃない』


 俺への評価は、「勇敢な高校生」から、「未知の才能を持つ、底の知れない存在」へと、一夜にして変質した。


 その日の深夜。

 鳴り響くスマホの着信音で、俺は目を覚ました。

 相手は、ユウトだった。


「悠、見たか!? 木戸の配信!」


 電話の向こうのユウトの声は、昼間とは比べ物にならないほど、切迫していた。


「ああ、まあ……」


「これ、もうヒーローとかそういう騒ぎじゃねえぞ。お前の動き、完全にプロの目で見られてる。どうすんだよ、これ……」


 ユウトの心配は、もっともだった。

 だが、俺の心の中にあったのは、不安ではなく、別の感情だった。

 あの解説者が語っていた、俺の動き。俺自身も、まだよく分かっていない、俺の力。

 それを、もっと知りたい。


「……なあ、ユウト」


 俺は、静かに口を開いた。


「中学の時、お前と行ったキックジム、まだあるかな。あの時のトレーナーの人……嶋田さんに、もう一度会ってみたい」


 それは、怪物フィジカルモンスターと呼ばれた少年が、初めて自らの意思で、その力の正体を知ろうとした瞬間だった。

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