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第13話:体験の土曜

「――で、なんで俺までミット打ち体験することになってんだよ」


 土曜日の昼下がり。

 俺は汗の匂いが染みついた地域のキックボクシングジムで、ユウトに恨みがましい視線を送っていた。


「いいじゃんかよ! 俺がボクシングやりたいって言ったら、お前も興味あるって顔してたろ!」


「してない」


「してた! それに、どうせお前、すぐできるようになるんだからさ」


 ユウトはすでにグローブをはめ、サンドバッグ相手にシュッシュと不格好なパンチを繰り出している。

 俺はため息をつきながら、トレーナーの嶋田さんと名乗る、人の良さそうな男性に向き直った。


「すみません。今日は体験だけなんで。危ないのはやらないです」


「ははっ、分かってるよ。まずは構えからな。肩の力抜いて、リラックスして」


 嶋田さんは丁寧に、構え方、ワンツーの打ち方、そして前足で相手の太ももを蹴るローキックを教えてくれた。

 俺は言われた通りに、鏡の前でシャドーボクシングを繰り返す。


(なるほど……。これも、結局は重心移動か)


 パンチを打つ時は、後ろ足で地面を蹴って、腰の回転を拳に伝える。

 キックも同じ。軸足をしっかり踏み込んで、全身をしならせる。

 野球のピッチングやバッティングと、根本は同じだ。


 一通り動きを覚えた後、嶋田さんがミットを持って俺の前に立った。


「よし、じゃあ軽く打ってみようか。俺のミットに、ワンツー」


「はい」


 俺は教わった通り、左、右、と順番に拳を突き出した。


 スパッ、スパンッ!


 乾いた、気持ちのいい音がジムに響く。


「……お、上手いじゃん。筋がいいな」


 嶋田さんが、少し驚いたように言った。

 特に褒められたのは、右ストレートを打った後の「戻し」の速さだった。


「普通、初心者は打ちっぱなしで腕が流れちまうんだ。でも、君の場合は打った瞬間に、もう腕がガードの位置に戻ってきてる。戻しが先に決まってるんだよ」


「はあ……」


 自分では、全く意識していなかった。

 ただ、一番効率のいい動きをしたら、そうなっただけだ。


「よし、次は俺が軽くパンチを出すから、それを避けてワンツーだ」


「はい」


 嶋田さんが、ゆっくりとした動作で左ジャブを放ってくる。

 俺はその動きの起こりを見て、上半身を少しだけ傾けて避けた。

 そして、がら空きになった嶋田さんの顔の横に、自分の拳が吸い込まれるように伸びていく。


 もちろん、寸止めだ。

 でも、もし本気で打っていたら、当たっていた。


「……飲み込みが早いな、本当に」


 嶋田さんの目が、明らかに「面白いものを見つけた」という色に変わっていくのが分かった。


 ◇


「じゃあ、最後は軽いスパーリングをやってみようか」


 ミット打ちが一通り終わると、嶋田さんはそう提案してきた。

 相手は、俺と同じくらいの年の中学生。

 ヘッドギアと、大きめのグローブを着けている。


「もちろん、寸止めだ。絶対に当てるなよ」


「はい」


 俺たちはリングに上がり、向かい合った。

 ゴングが鳴る。


 相手は、勢いよく前に出てきた。

 俺は焦らず、後ろに下がりながら距離を取る。

 そして、前足で軽くローキックを放った。

 相手の太ももに、コツンと軽い衝撃。


(入って、出る)


 相手がパンチを打ってきたら、下がる。

 相手が下がったら、前に出て、軽いローキック。

 それを繰り返しているだけで、相手は俺の距離に入れず、何もできないようだった。


(……あ、今だ)


 相手が、大振りの右フックを打ってきた。

 体が完全に流れている。

 俺はその動きに合わせて、カウンターの右ストレートを放った。

 もちろん、顔の数センチ手前で、ピタリと止める。


 相手は、完全に動きを止めて、固まっていた。


「――そこまで!」


 嶋田さんの声が響き、スパーリングは終わった。


「ありがとうございました」


 俺は相手の子に深々と頭を下げた。

 彼はまだ少し呆然としながらも、「あ、ありがとうございました」と返してくれた。


「君、すごいな。本当に今日が初めてか?」


 リングを降りると、嶋田さんが興奮した様子で話しかけてきた。


「はい」


「信じられん……。なあ、うちのジムに来いよ。本気でやれば、すぐにプロになれるぞ!」


 今までで、一番熱烈なスカウトだった。

 でも、俺の答えは変わらない。


「ありがとうございます。でも、学校の大会とか色々あるんで、通える日にだけ、また来させてもらってもいいですか?」


 俺がそう言うと、嶋田さんは少しだけ残念そうな顔をしたが、すぐに力強く頷いた。


「ああ、分かった。いつでも来ていい。待ってるぞ」


 ◇


「悠、お前、やっぱ怪物だよ……」


 帰り道、ユウトが呆れ果てた声で言った。

 彼は体験中、ずっとサンドバッグと友達だったらしい。


「そうかな」


「そうだよ! 俺、こっそり動画撮ってたんだぜ。見てみろよ、これ」


 ユウトが、スマホの画面を見せてくる。

 そこには、俺がスパーリングで相手を圧倒している姿が映っていた。


(……うん、悪くない)


 自分の動きを客観的に見るのは、初めてだった。

 無駄がなくて、綺麗だと思った。

 記録として、この動画はもらっておこう。

 でも、これを誰かに見せるのは、まだ違う気がした。


 俺は、夕焼け空を見上げながら、ポツリと呟いた。


「いつか、ちゃんと見せたいな。もっとすごいところで、もっとすごい相手とやってるところを」


 その言葉は、誰に言うでもない、俺自身の未来への宣言だった。


「お、春海じゃん」


 そんなことを考えていると、前から歩いてきたクラスメイトに声をかけられた。

 確か、サッカーの地域チームにいたやつだ。


「よお」


「お前、今度の日曜、暇か? 実は、校内でサッカーの練習試合があるんだけど、助っ人に来てくれねえかな?」


 また、助っ人の依頼。

 俺はユウトと顔を見合わせると、ニヤリと笑った。

 どうやら、俺の休日は、まだまだ忙しくなりそうだ。

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